苔三昧。
子供の頃、苔係でした。
苔に水をあげる係。
父が丹精込めて作り上げた庭のあちこちに棲んでいる苔たち。
岩に張り付いてる苔には、水をかけてもかけても吸い込まれていくのが面白くて、やたらにかけまくっていたけど、大丈夫だったんだろうか?
苔というと、思い出すのが、高校生の時のクラスメートの男の子。
寮生活で自分の部屋に苔を育てていて、山形の山奥の高校だったもので、卒業した時に、母が車で迎えに来て、同じ関東だったので、その子は一緒に車に乗ったんだけど、発泡スチロールに沢山の苔を入れて、大事に膝の上に抱えて助手席に。
家に着く頃、母が急ブレーキ踏んだ途端に発泡スチロールをひっくり返して、苔が足元に散乱。
その子は慌ててかき集めるも、どうしても、一つ足りない。というわけ。
何度数えても、一つ足りないと悲しんでる訳ですよ。
え?苔って土の塊じゃん。
崩れたら個数も何もないだろうよ。
と思うものの、ちょっとかわいそうで言えませんでした。笑
最近仕事でご縁のできた八ヶ岳。
呼んでくれた興津さんにまた呼ばれて標高2100メートルの苔の森へ。
そこにある白駒池は白馬と娘の伝説があるところでした。
ところで、雨が降ってたので、登山していた頃の雨具を引っ張り出して着ました。
登山してた頃は、遭難した時に見つかりやすいように、派手な色。という理由で買った雨具。
紅葉走りの頃に着てみたら、だめみたい。笑
私が紅葉と思いっきり被っている写真がこちらです。
被ってるどころか、それより目立っているので、紅葉シーズンはいろんな意味でこの色はだめでした。笑
そして、縄文の博物館と温泉巡りをして、夜はペンションブーツで、興津さんが山で採ってきたキノコと川で釣った鮎のご馳走でした。
まさにご馳走だ。
興津さん、30年もこの山を駆け巡ってるから、もうどこに何があるか全部分かるし、どんなキノコでも、一瞬で毒があるかないか分かるといってた。すごい。
そして、こんなに山を歩くのに、一度もマムシと出会ったことがないのだそう。
今度はキノコ狩りに同行したいな。
毎月の満月の日に、ペンションブーツではオーナーのハープ奏者である中野智香子さんが企画したり、演奏したりする音楽会があります。
そこでは興津さんの山の料理も振舞われる。
10月の会のなかで、ほんのちらっと私も馬頭琴を演奏するかもしれません。
というわけで八ヶ岳アゲイン。
映画バケモノの子を見た。
動物やバケモノって複雑さが無くてだから純真。人間っていろんな面を抱えてるから、尊くもあり、醜くもある。
どんな場合でも常にいろんなもんを内包している。
自分でその複雑さをどこまでリアルタイムで面白がれるかってことで、随分生きやすくなる。
いい作品に出会うといろんな事考える。今日はそんな日。
自分にはワガママでいいと思う。
誰かに対してワガママを言うんじゃなくて、自分の世界ではワガママでいいんだ。
やりたくないことをやらなかったら、やりたい事だけやったら、どうなるんだろう?
これは子供の頃から常に考えて時には実行して来たこと。
なかなかこの実験は周りとぶつかる事が多いので、時には村八分的に、時には家出同然。なこともしばしば。笑
だけどそれも経験で、随分今は楽にワガママができるようになった。笑
つまりやりたい事をやるための努力は惜しまない。
周りはやりたい事をやらせてなんかくれない。
やりたい事をやらせてくれるのは自分だけだから、自分のワガママは自分が聞いてあげないと。
そうやって少しづつ自分の世界をおしひろげて、自分の空間を作っていく。
だから、死んじゃいけない。まだ寿命があるのに。
自分が息できるちょっとした空間はほんのちょっとした事でいいの。
よく雪崩に会った時に、両手を口の前に持って来てれば、雪の重さに押されて息ができなくても、口の周りだけちょっとずつ雪をかいていって、息ができるスペースを作れば生還できるって話を聞くけど、あの方法だと思う。
学校や会社や人間関係の重圧の中で息ができない時に。
私はよく妄想という手段で息抜きをしていた。
八方ふさがりだと思った瞬間から、その八方がどんなに巨大なものでも、宇宙から見たらちっぽけな八方なんだから、と細い糸をその宇宙に繋げる。
その出口だけは見失わないように確認してから、また現実に揉まれる。みたいな。笑
いつもの缶コーヒーを、今日はちょっとゆったり座れる居心地のいい椅子で、丁寧に淹れられた美味しいコーヒーを飲む。
もしくは、誰にも邪魔されない場所で、自分だけの好きな空間に居心地よく逃避する。
近所の夕日が綺麗な自分だけが知ってるスポットだっていい。
遠回りして、今日の予定をすっぽかしても。
そうしてほんの少しの息できる空間を毎日ちょっとずつ増やしたり、一回はしたりする習慣をつける。
誰かに、また逃げてるって怒られても、お小言だったら、すみませんって謝って、そして自分を大切にできた今日の自分におめでとうって言ってあげればいい。
社会の中で生きるって、みんな全く素人のようなもんじゃないかな。
人間って自分が生きる社会に適応して生まれてくるわけではないから。
だからなんか行き詰まっちゃったら、やり方変えてみようかなって、いくらでもやってみたらいいと思う。
私はなんで音楽をやってるんだろうと思ったら、この場所は何市の何区の何街の何番地で私は誰と誰の子供で、といくらでもどこかに属している説明が可能な一個人だけど、そんなことぜんぶ突き抜けちゃえる世界があるって証明したいのかもしれない。
私の音楽を聞いて旅に出たくなるって言ってくれたひとがいた。
そんなことのために音楽やってます。
とある幼稚園のバザーで絵本の会のお母さんたちがスーホの白い馬をペープサート人形劇で演るのに、馬頭琴演奏を即興で付けるというリハーサルでした。
お母さん達の元気の良さと、なんか純粋さが素敵でした!
子供達喜ぶだろうな〜〜お母さんぎ生き生きと表現しているの見るの。
で、夜は地元の飲み屋さんで馬頭琴ライブ。
子供の頃から遊んだり、猫の餌の魚を買いに行っていた商店街。なんかこそばゆい感覚でしたが、お店に入って、初めてのお客様方を前にしたら、あまり関係ありませんでした。笑
オーナーの手作りの食事や、飲み屋さんでは珍しい美味しいコーヒーもいただき、ライブ終了してそのまま宴会に。
生演奏の後にカラオケは歌うのもね〜という空気でしたが、皆さんお酒が入れば歌い出し、そのうちやはりマイクが回ってきました。
ピアニスト竹井さんと私のほぼカラオケ経験が乏しい中で唯一歌える花は咲くのデュエット。
これ、なんで受けるんだろう。こんなに。。
おひねりを沢山いただき、CDにはいってますか?と聞かれる始末。
ともあれ、楽しいひと時でした。
開演前に店の外には虹だ。
12:00〜12:30
14:00〜14:30
馬頭琴 美炎
キーボード 竹井美子
明後日20日はひきふね図書館にて。
やっぱり高原の空気っていいですね。
モンゴルも高原なので、草原に普通にエーデルワイスとか咲いてます。
夏休みに八ヶ岳のオオムラサキセンターで演奏してから、ご縁が繋がり、早速博山会の方々に呼んでいただき、また行ってきました。八ヶ岳!
博山先生というのが仙人のような白い髭のおじいさんで、おじいさんとは言っても下駄で八ヶ岳山系の山々を登っちゃうような方です。
来週にはアメリカの友人に呼ばれてメタセコイアの巨木に会いに行くよ。と言ってました。
本当は書道家であり、山の木の根から自然の造形のままに家具を作ったりもする方です。
そもそもオオムラサキセンターのコンサートを企画して、呼んでくれた興津天さん。
鮎を釣ると100匹釣れたり、誰も行かない山奥でキノコを沢山とって、ペンションの料理人として活躍したり、なんかいろいろできる人ですが、私を呼ぶために、カブトムシの幼虫を300匹とって、オオムラサキセンターに納めた。
という話を今回初めて聞いて、そこまでして予算を取ってくださったことに大変感謝でした。
そして今回は、わとわ祭りという小淵沢インター近くで一年に一度のイベント出演もさせていただき、舞台の飾り付けが秋の草花で彩られていてとても素敵でした。
なんか、ずり落ち気味。
午後は移動して博山会へ。
演奏の後で、司会の方が駆け寄ってきて、私は警視庁の騎馬隊で昔富士山麓の裾野で、全く調教してない真っ白な白馬に乗っていたんです。
その時のことが沢山蘇ってきてとても感動しました。
ということでした。
富士山麓の裾野で調教してない真っ白な白馬に乗る。
っていう話だけで私も一気にその光景が広がってワクワクしてしまいました。
次の日は興津さんと興津さんの小淵沢ファミリーの方々にあちこち連れて行っていただきました。
吐竜の滝
ブーツというペンションのオーナーでもあり、興津さんは、山のキノコや釣った鮎をこちらのペンションで腕をふるっているようです。
皆さんと別れてさらに去り難く、竹井さんと八ヶ岳倶楽部でまったりお茶しちゃいました。
ルバーブのパウンドケーキとぶどうのパンナコッタ!
八ヶ岳のみなさん。八ヶ岳の風さん。ありがとうございます!
今度こそ馬のる。。^ ^
飛行機が空港に着く前に、「まもなく新千歳空港へ到着します」というアナウンスに驚く。
隣にいたピアニスト竹井さんに、え?何?札幌空港に着くんじゃないの?と聞くと、え?美炎さん札幌へ行くなら新千歳空港空港だよ。知らなかったの?
札幌初めて?といわれ、そんなはずないな。
だけど考えてみたら北海道は7回目だけと、飛行機で来るの初めてかもしれない。。。。
それもすごいな我ながら。
船だったり、車だったり、鉄道だったり。
もしかしたら、記憶にない幼い頃には飛行機で来てるのかしらね。
上野から津軽経由で夜行列車で札幌行ってる気がするんだよね。幼い頃の記憶。
夜の雪のホーム。
北海道ってすごいね。線路一直線だし。道路も一直線だ。
札幌は大きな都市で観光客や仕事して歩いてる人も沢山いるのに、ざわざわしない。
なんかこの都市の向こうに広がる広大な大地や空のすんだ空気が否応なく流れてきて淀まない。
だからなの?飲屋街で有名なすすきのでさえ、歩いていてなんだか爽やかに感じる。笑
ちなみにすすきのは初。
同じビルに高級料理店や、ソープランドやキャバレーがごっちゃに同居してる。笑
嫌いじゃないなこういうの。
まだ本番も終えてないのに、とりあえずお疲れ様会。車人形の古柳さんとピアニスト竹井さんと。
先に着いていた車人形の古柳さんと白馬。
白馬が組み立てられて札幌にある今回の公演場所、「子どもの劇場やまびこ座」舞台裏に白馬がきちんと待ってる写真は拝見していたので、まずはやまびこ座へ。
本番は土日の2日公演。
一部二部と伝統的な人形浄瑠璃の演目が、今回の主催者あしり座さんや九州中津でお会いした北原人形さん、車人形古柳さんと面白い企画で次々に展開され、まさに公演のタイトル通りの「座・競演」そして
三部に馬頭琴と車人形と映像のコラボ「スーホの白い馬」
舞台袖で出番を待つ間にちらっと舞台を挟んだ向こう側を見ると、白馬が舞台袖で出番待ってる。。
キュン!
ジーン(;_;)
とする私。
そして念願の白馬製作者にお会いする。
若いお母さん。だからあんなに優しくてあったかい白馬なのかなあ。
リハーサルを終えて、北海道開拓村に連れて行っていただきました。
本当は馬に乗りに行きたかったけど、本番前に何かあったらいけないので、妄想の域に留めておく。
お馬さんに会えないかなぁなどと考えていると、一同、馬の匂いがする!
すると、鉄道の所に白馬が引かれてくるではありませんか!
鉄道馬車の再現だそうですよ。
開拓時代の再現のむら。
移築した古い建物も沢山。なんだろうな、予定してなかった何処かへ連れて行かれるとか、誰かに何かをふと教えてもらうとか、私はそういう時、これは一体何だろう?と考えてしまう。
偶然ではない何かの気がするのは、私のくせ。笑
その方が面白い。
物語は沢山作った方が楽しい。
自分に起こる様々なストーリー。
そしてそれを創作に生かす。
ある農機具の倉庫へ入った時にあった写真。
開拓村で、亡くなった沢山の人達の話も聞いたけど、そうよね。お馬さんも沢山働いて、過酷な中に死んでいった馬も沢山いたんだろうな。というところに初めて気づく。
その後で開発されたトラクターに〜馬力とあると、トラクターが開発されて良かったなーと思う。
私が行っていた山形の独立学園では、創始者の鈴木校長が内村鑑三に、開拓者精神というのを教わり、そしてそれは私達学園生に伝えられ、長い学園の歴史の中で卒業生が北海道の瀬棚の地に開拓して牧場を作っている。
そこへ三年生は修学旅行で各牧場に分かれて一週間ほど牧場実習するのが伝統。
だから、なんとなく北海道を開拓した人達の苦労は耳にする機会が多かったし、同時に先住民であるアイヌの方々の文化や開拓でアイヌの方々におこった事に関心を寄せることは多かったけど、写真を見て、あーそうだよね。
北海道のお馬さんに感謝して今回のスーホの白い馬の演奏ができたらいいなと思いました。
馬は美しく素晴らしく、同時におこる悲しい現実。戦いで死んだ馬も世界中で計り知れない。でも、馬はこんなに人間を慕い、愛し、救ってくれているということをスーホの白い馬の舞台を通して、少しでも伝わればいいなと改めて思いました。
人形浄瑠璃で演じるスーホと、映像で出てくる白馬。そしてセリフや解説のほぼない中でストーリーを表現する馬頭琴の音楽。
かなりシンプルでかなり珍しい組み合わせですが、きっかけは、私が古柳さんの芝居に音をのせたいと思ったから。
そして米本久美子さんが描く世界に惚れたから。
美しく、悲しいこのお話。
白馬の美しさ。
白馬とスーホの絆。
お互いを一心に想う心。
死んだ白馬がそれで本当にいなくなってしまったのではなく、いつまでもスーホのそばにいて、見守り、導いてくれている。
楽器という姿に生まれ変わり、音楽という風や光になって包むことができる。
それは悲しいことや報われないことが沢山ある世の中で出来ることは、必ずあるということ。
スーホの白い馬のお話は、それを教えてくれている気がします。
音楽や芝居や、そんなものがこの世の中に存在するのは、希望であると思います。
突然に奪われたとしても、心はその奪われたものを別の形で生かすことができる。
それが創作していくことの一つの在り方。
民話として語り継がれたものには、消えてなくならなかった尊い意味があるとまた教えられます。
それにしても、あしり座の皆さんの芝居や人形浄瑠璃に対する情熱とユーモアが暖かさになって舞台に溢れているなと思いました。
こんなに子供達がかかわっている人形浄瑠璃の世界も珍しい。
子供が芝居にかかわるという環境は、教育。という硬い言葉で表現したくはないですが、どんな教育にも勝る大切なものをダイレクトに経験させる最も適したもののような気がします。
物語やストーリーの力。
人間にとってとても大切なもの。
何かがあった時に、いかに柔軟に物事を捉え、相手の立場に立つことができるか。
それはたくさんの物語と出会ってる人が知らず知らずに物語から教えられ、培われている。
だから、「子どもの劇場やまびこ座」のような場所が全国津々浦々にあると、もっと生きやすい世の中になるだろうなと思います。
で、
最後は本番後の打ち上げ。二次会のラーメン横丁と、カラオケボックスでのやまびこ座館長の人形を遣う写真と、古柳師匠の吉幾三的な写真で締めくくりたいと思います。