馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 7度目の屋久島①- 2024/07/12 -

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7度目の屋久島
この頃は一年に一度屋久島へ行かないと何か大切なことをやり残している感じがしてしまう。
20年前1人で縄文杉へ行った時に、普通はガイドをつけたりツアーに参加する事を知らずに山に入り地元のガイドさん達にすれ違うたびに、1人か?!がんばれよ!と声をかけられるのでかえって不安に。

誰もいなくなって木の根元が拡がり、どこも道筋に見えてしまう場所ではここで迷ったら終わると思いながら、森の気配におののきながら行った。

そして帰り道すっかり足に力が入らなくなり、このままのペースでは登山口からの帰りの最終バスに間に合わない。

取り残されたらかなりの寒さだろうと思いながらも体がいう事を聞かなかった。
誰もいないはずの登山道で思い切り背中をドンと突き飛ばされた。
そのはずみで面白いくらい体に力が入ってそのまま一気に登山口へ辿り着き、ギリギリバスに間に合って無事に宿まで帰れた。

それからずっとまたいつか屋久島へ行きたいと思いながら20年。
それまでも屋久島と聞くと何か行けるために情報を懐に入れていた気がする。

ある時ラジオ番組に出演して同じ番組でゲスト出演した人達が集められてパーティーがあった。
その時同じテーブルにいたのが屋久島でウミガメの保護活動を30年続ける大野睦さんだった。

屋久島の子供達に馬頭琴を聞かせたいと言ってくれた彼女との出会いが私を急に屋久島へ行けるかもというリアルな思いに変えてくれた。

今時、行こうと思えばだいたいどこへも行けるはずなのだが、屋久島は自分の中であれ以来特別になってしまって、何か招待状のようなものが自分に届かないと行けないくらいの感覚だったのだと思う。

再び切符を手にしたような気持ちになって訪れた屋久島では睦さんの活動も身近で知れて屋久島が森と海とで一つの大きな循環の中にある事を感じられた。

そして滞在の最終日には大川の滝のところでメロディーが浮かんで屋久島の曲ができた事で、また屋久島に来れるという希望が湧いた。
この久しぶりの来島では雨の多い屋久島で梅雨時に行ってしまい、どうなることかと思ったが、初日以外ずっと晴れて山に海にと存分に楽しんだ。

それからはその曲のPVを撮るために通い、また小学校や幼稚園でもLiveをさせてもらった。

コロナがあけて、海外に再び出られるようになってからは海外に足が向いて2年ほど屋久島から遠のいたのだが、友人ののりちゃんが15年育んだ大切な店を閉めるタイミングで屋久島へ連れて行って欲しいという一言に背中を押されて今回はまた来ることができた。

自分の知っている屋久島を楽しんでもらおうというのが目的でもあったので、楽器は持っていくが、Liveはやってもやらなくてもくらいの感じだった。

来るたびにお世話になっている2組のガイドさんに連絡すると2人ともその期間はスケジュールが空いてなかった。
これはもう滞在中どうなるか分からないから何も決めないで身を任せようという気持ちになった。

連れて行ってくれと言ったのりちゃんが屋久島でLiveやらないの?聞きたいなというので、どこかプライベートで弾けそうなところでやってみるのもいいかなと思いながら向こうへ着いたらいい考えが浮かぶかも程度の気持ちでいた。

屋久島へ行く日が近づいている中で、ふと思い立って出かけたLiveもさせてもらっている神奈川にあるアサバアートスクエアで、屋久島でLiveできるところ知ってますか?と聞いてみた。
するとアートスクエアのはるちゃんが、昨日ここでLiveした主催者が屋久島から来ていた人だったから繋げるねと言ってくれた。

繋げてくれたルゥさんとやりとりする中で、馬でピンと来た人がいるから、その方にも繋げるねとELビレッジの洋見さんを紹介してくれた。

もう屋久島へ出発する間際だったからLiveするにも人が来ないかもしれなかったが、新しいご縁にワクワクして間際でも快く引き受けてくれたルゥさんや洋見さんに感謝だった。

洋見さんとやり取りするうちに、つい先日のりちゃんの実家で彼女のお母さんが屋久島の番組やっていたよと録画してくれた番組をみんなで見た時にワイルドな暮らしを展開する家族を取り上げていて面白い人たちだねなんて話していたのだが、それが洋見さんたちだと分かって驚いた。

ルゥさんがなんで馬でピンと来たかというと、
ELビレッジのある場所からすぐの小高い場所のてっぺんで馬頭神という石碑が出できたのだそう。そして洋見さんの村の場所には龍神さんも祀ってあるとかで、私の馬頭琴は馬と龍がついており、私は馬と龍が大好きなのでなんか面白いご縁だなと思った。

しかもご縁は膨らんで
洋見さんはフランスの映画オーシャンやブループラネットの撮影監督の奥さんのYukimiさんの声のワークショップとそのクジラやイルカの映像とボイスのLiveを企画しており、フランスからやってくるYukimi さんのELビレッジでのワークショップLiveに馬頭琴はどうかと提案してくれたのだった。

クジラやイルカの映像と馬頭琴と声での即興セッションももちろん初なのでそれはわくわくした。
さてそんな面白そうな事になり、屋久島へ行く前からわくわくしながら、でも梅雨時だから全日雨という事もありえるぞと思いながらあまり色々期待せずに向かう。

一緒に行くのりちゃんにもずっと雨でやる事なくて部屋でぼんやりかもしれないからねと言うと、それはそれで普段やらなかった事だから楽しみだというのでちょっとホッとする。

鹿児島の空港で降りて屋久島行きの高速船に乗るために空港を出るともう雨だった。

高速船に乗るとテレビのニュースでは九州北部に線状降水帯と日本列島も各地で大雨と告げていた。
屋久島へ着くととりあえず雨は降っておらずレンタカーに乗って宿を目指す。

えらく忙しかった5月にアプリで慌てて予約した宿は予算で見ただけなので、すっかりどの村にあるのか忘れていた。
屋久島に来ると必ず最初に顔を出すウミガメの睦美さんのところへ行って最近のウミガメの様子を聞く。

今はちょうど産卵の時期。
彼女の話や活動を垣間見るうちに作曲した「海のこころ」この曲も今回のライブではぜひ弾きたいなと思っている一曲だ。
まずウミガメ達の様子を彼女から聞く事で屋久島の近況を知るみたいな私の屋久島での感覚はスタートする。

宿どこなの?と聞かれて分からない。
という私。自分で言ってみて苦笑。
携帯の予約完了メールを探し出して彼女に見せると、遠いねー!でもLiveするところのすぐ近くじゃん。と。
どうやら宿は港からは1番くらい遠い場所にあり、Liveする予定の二つの場所からは近いらしかった。

仕事で先に帰るドラムの前田仁が帰った後は宿をまた別のところで予約したのだが、これも場所を把握してなかった。
彼女に伝えると、あーこの場所はウミガメ産卵のところに近いよ。
海に潜る予定ならぴったり。宿こっちに移ってから海にもぐるスケジュールにした方がいいねとアドバイスをもらう。

屋久島へ来たら当然山なのだが、実は海もすごく豊かなのだ。

以来来ると必ず一度は海に潜ってウミガメを探してそのウミガメの様子をただただ海面に浮かんでぼんやり眺めるのが私の楽しみだ。
一緒にいる人にはもっと他もみたいのにウミガメばかり探してウミガメがいるとそこから動かないからと文句を言われる。

ふと子供の頃に親に連れていってもらった動物園で入り口の方にいたシロクマに心を奪われて3時間もシロクマの前でシロクマを眺めて他を見ずに帰ったという逸話を思い出す。

続く

 それでもあなたの道をゆけ- 2023/11/04 -

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分かち合う

ホワイトバッファローの伝説の演目を米本久美子さんの作画でアニメーションに製作して去年12月23日に千葉市のホールで割と大がかりに音楽と共に公演してから、せっかく製作したアニメーションを生かす為に小編成(一気に2人)で出来ないものかとあれやこれや工夫して数回やってみてこれは出来ると自信もついた頃、昨晩は念願の金沢八景にあるアサバアートスクエアでホワイトバッファローの伝説を皆さんと分かち合ったのだった。

分かち合うという表現を使うのは初めてなのだが、当日になってその日の公演をイメージした時にこの物語を今日来てくれた人たちと分かち合うというイメージがしっくりきた。

念願というのもここで美炎さんLIVEしたらいいよと誘ってくれていた友人(Ayaさん)から声をかけられて数年。

なかなか実現していなかったのだが、このアニメーション付きでのホワイトバッファローの演目が完成して、小編成で気軽にできる形になった時に、Ayaさんとこれはもうやるしかないよとアサバアートスクエアに2人で押しかけて日程を決めてきたのだった。

Ayaさんとの出会いも実はホワイトバッファローの話に繋がっていて、私が初めてこの物語に出会ったのが2011年2月にアメリカのアリゾナ州のセドナへ行った時にお世話になった日本人の女性がその後日本に一時帰国のおりに、会いたい人がいるから連れて行ってと言われて一緒に行ったのがAya さんの家だった。その時にAya さんの恩師が私の高校時代のお世話になった先生と共通だという事が判明して一気に親しくなり、初めて私のLIVEを見に来てくれたのがまだ当時は出来立ての音楽だけで届けていたホワイトバッファローの舞台だった。それ以来Aya さんがアサバアートスクエアでやったらいいよとずっと言っていたのだが、というのもAyaさんの弟の写真家の井島健志さんの奥さんがこのアサバアートスクエアの大ママこと浅葉和子さんの娘のHaruさんという繋がりだった。

友人に紹介してもらったということもあるのだが、遊びに来て一目で好きになってしまったこの場所は日本のアリゾナのような、世界の少数民族の聖地のような、というのもここではたくさんの少数民族の人たちが滞在して色んな催し物をしていると言うこともあって独特な雰囲気とエネルギーに満ちているのだ。

そしてこの人が何よりこの場所を魅了的に光らせているのだが、大ママこと浅葉和子さんは見た目は可愛いおばあちゃんだがエネルギーに溢れていて、子供達にアートの種を蒔くことが親たちそして社会にも波及して平和に繋がるという信念のもと数十年活動していて、そのきっかけとして4年サウスアメリカに暮らしネイティブに学んだ経緯がある。

和子さんと娘のHaru さんが滞在していたまさにその時にホワイトバッファローの伝説の物語に登場するホワイトバッファローウーマンが私が再び生まれてくる時は世界が危機に瀕している時だと告げて去るのだが、ホワイトバッファローの子が生まれたのだ。

1994年のことだった。

そしてネイティブの人たちは伝説のその時が来たとしている。

そしてこの伝説に沿って世界で祈りを捧げる儀式が執り行われ、その一つが2004年朝霧高原であった。

その時にも和子さんは参加していて実はこのアニメーション作画の米本久美子さんも娘のすみれさんとこの場に参加していた。(ちなみにすみれさんは私のCDジャケットやチラシやポラリスのロゴなどデザインをいつもしてくれている)日本人は1000人ほどいたそうなので出会う事はなかったが同じ場にいたという事は昨日終演後に判明した。

終演後に和子さんが私の所に来て、この物語は伝説だけど、本当に今現実の話。

ホワイトバッファローの子は生まれているの。だから現実の話なのよね。

今の現在の話なのよ。これをもっともっとたくさんの場所でこれからやらないとね。

と私に言った。

今に繋がる物語であるからこそ私も今必要な話だと思って突き動かされるようにこの音楽作品を作ったのだが、伝説ではなく現実だとはっきりと和子さんが言った言葉に衝撃を受けた。

ホワイトバッファローをやる時は演目自体35分なので一部は普通に音楽LIVEをやり、プロジェクターなど用意する関係で休憩を長めにとって、2部でアニメーションと共に演奏する。

この場所に昨日集まった人たちはそもそもが和子さん繋がりで引き寄せられている人が多いせいか、中には物語を知っている人もいた。

スクリーンの位置の関係で休憩中みなさんに椅子の位置を変えてもらう必要があり、皆さんサッとスクリーン前に椅子を動かすと休憩するでもなくもう前のめりで椅子に座って待っている。

いつもは皆さんが一度散ってその中でゆっくり準備をするのだが、昨日はちょっとした緊張感の中でみなさんに見守られながら準備した。

ストーリと共に展開する音楽とアニメーションに私自身も味わいながら時間が流れていく。

ちょうどその日の朝に準備していてホワイトバッファローの曲を弾いていた時窓のすぐ脇に立つ木の枝にカラスがとまってこっちを眺めていた。ああ四つ足と羽ばたくものたちの願いの曲の通りに羽ばたくものたちが見ているなと思って嬉しくなった事を思い出した。

そして最後の曲の祈りが終わり、アニメーションも終わって真っ暗になり、明かりがついてみな私も含めてぼーっとしていた。

このアサバアートスクエアという場が改めてこの物語をリアルに感じる場であったからだと思う。

和子さんの娘のHaruさんが声をかけてくれて、我にかえり、大ママから一言何かある?とふってくれたときに、和子さんが皆さん手を繋いで輪になりましょう。とネイティブの人に伝わる祈りのやり方を教えてくれて電気を消して再び暗くした中で皆でホワイトバッファローにも出てくる生きとし生ける全てのもの達の為に祈った。この地球は私たち人間だけのものではないという事を私たちはこうして度々確認する必要があるのだ。

そして和子さんは今日ここに何人来ている?1人が10人に話してください。そしたらすぐ平和が来るの。簡単なことなの。ね。お願いしますね。と言った。

私はその言葉にも衝撃を受けた。

簡単なこと。

ウクライナに続いてガザの悲劇を連日目のあたりにして、平和とはこんなにも脆くて戦争が無くなることがこんなにも難しいのかと気持ちが塞ぎがちだった。

簡単なことなの。

今日ここに来た人たち1人が10人に話したらすぐ平和が来るのよ。

和子さんのエネルギーはこの信念から来るんだと思った。

私は本番前に1人になれるところで簡単にお祈りをする。

今日の場所、今日集まる人たち、今日の演目をイメージする。

祈りの言葉は毎回だいたい同じになるのだが少し変化する。

祈りの最後にアサバアートスクエアでホワイトバッファローの演目をする事が光の道になるイメージが湧いたので、ここからまたホワイトバッファローの物語を改めて続けていく事になるんだなと予感がした。

それは和子さんにかけてもらった言葉で私が勇気を得て、遠慮する事なくあちこちで公演したいと思う事につながったから道が見えたのだと思う。

そういえば昨日の明け方見た夢で一本の大きな木がたっていた。中が空洞になっていて蔦が絡まって緑だった。そこに月灯りが差し込んでいて私は、ほら光の道ができてるよと覗き込んだ夢だった。

前半のライブは世界各地の少数民族の人形たちの前で。

アサバアートスクエアに繋げてくれた友人のAya さんと弟の写真家井島健志さん。

大ママこと浅葉和子さん。

バッファローの下で。

この秋から始動した2人のユニットポラリス。

ポラリスは北極星。

ふとこの写真をみるとまるでポラリスの下で撮ったみたい。

この写真を撮ってくれた時に立っていた場所がバッファローの下で、みんながあ!バッファローだと気づいた瞬間だった。

このホワイトバッファローの演目の時に必ず来ている真っ白な衣装はパリ在住のHAKUYO MIYA さん。

白い羽がたくさんついていて、どこかで演奏するたびにその場に一つ二つ羽を落としていくのですが(笑)本当にこの演目にぴったり。アニメーションにも羽や鳥のモチーフが出てくるし、羽ばたくものたちの代弁をしている気持ちになる。

終演後にHaruさんが、今日の事をFacebookに投稿したらコメントで、古代フラをしている方が書いている出来立ての記事がまさにホワイトバッファローウーマンのことだったと教えてくれた。

記事の一部

 フランスへ〜LIVE編- 2023/09/03 -

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ノルマンディ編に続いての投稿です。

パリでのレストランbar LIVE〜🍻

去年は1年間、ネイティブアメリカンに伝わるホワイトバッファローの伝説のオリジナル楽曲をアニメーションとコラボするための企画に費やしたような感じであったが、そのための衣装、ふと目にしたブランドにコンタクトをとってみて衣装を製作してもらった。

ふと目にしたというのはパリ在住の宮白羊さん。

SNSにブランドデザインの写真が投稿されていたのを偶然見たのだが、それが白馬と写っている写真だった。

馬に弱い私は、なにこれすてき。

そして白羊さんにコンタクトを取ったのがはじまり。

フランスへ行く事になってすぐにまた連絡。

こっちの人はアーティストにすごく理解があるから、とりあえずやってみたらいいんじゃないですかね。と言うのでお言葉に甘えて白羊さんの懇意にしているお店で白羊さんのお友達などに声をかけてもらって実現。

まずは聞いてもらわない事にはどうにもならないのが音楽。

重い楽器を抱えて階段しかないメトロで移動しながら。

この日は暑かった。

ビールが進むでしょうなという日和。

LIVE開始は18:30からだが、夜10時くらいまでは明るい。

店のスピーカーシステムが分からなくてうまくいかず、ホームコンサート用に用意していた小さな電池式のものを使ったのだが、案外これでなんとかなった。

通りすがりの人たちもけっこう聞いてくれたようだ。

そのうち予定していた演目は弾き終わったのでじゃあ終わり。ってなってから、もっとやってほしいとリクエストがあって、そこから更に30分くらい弾いた。

通りすがりのおじさんが、1人だけ目の色も顔の色も、服の色も、髪の色も、オーラも?!灰色めいた、映画から出てきた人なの?という雰囲気で、どうしても伝えたいということで、私たちに何かを一生懸命話してる。(もっとやってとリクエストしたのもこのおじさん)

フランス語全く分からずで、紙とペンをリュックの中から取り出して、ブルターニュ、ケルトミュージックという単語。

ブルターニュにあるこのお店で弾いたらいい!とどうやら店の名前を書いてくれたようだ。

要約するとあなた達の音楽はケルトミュージックに似てる。ブルターニュならもっと受けるからぜひやると良い。というアドバイスだったらしい。

よくみるとおじさんの着ているTシャツはぼろぼろ。別の人がおじさんと話していて、何をやってるの?と聞くと、リュックから戦争反対の署名のチラシがでてきて、そういったことをやってるらしい。

それで私がブルターニュに行く事になるのかは全くわからないが、(むしろ可能性は低い)でもあのおじさんの風貌とブルターニュというイメージが強く印象に残った事は確かだ。

と、ここまで書いて数日、いや数週間放置していたのだが、あれから書いたことによって、また記憶が鮮明になり、妙におじさんの事が気になって思わずブルターニュを調べてしまった。

そしたら私の興味のあるような記事が色々出てくる。

いや、これはブルターニュ行きたくなってきた。笑

ワイン🍷〜

フランスはワイン一杯までは飲酒運転にならない。

私はワインに詳しいわけでも、お酒に強いわけでもない。

ただ好き。でも弱いが故に一杯がやっとという悲しい現実。

好きと言っても、たまに飲めればいいくらいである。

ルモアンさんというナチュラルワインを作っている方がフランスのアンジェにいて、奥様のナオミさんが馬頭琴の棚田コンサートに来てくれたりという事があったので、思いきってフランスに行った時にお邪魔しても良いか聞いてみた。

快く応じてくださり、皆でお邪魔する事に。

古いシャトーの一角の馬小屋のようなところを借りてワインを作っていると聞いていた。私は馬小屋の馬に反応して、素敵そう!とわくわく。

そしてナチュラルワインだと案外飲めてしまう事に期待も込めていた。

新曲のエルダーフラワーのPVを撮影するにも古いシャトーで撮ってみたいと思っていた。

皆でルモアンさんのワインの話を聞いて、夜はたくさんの種類を飲ませてもらった。

多めの一口とはいえ、たくさんの種類を飲めた事が私にはすごいことで、全然悪酔いせず、美味しい美味しいとそそがれるがままに飲み続けた。

というのもルモアンさんの作る料理がまだ絶品だった。

後にも先にもこの時の料理がフランスで1番美味しかったのである。

途中でシャトーの裏庭でミニコンサート。

シャトーに合いそうな赤い衣装を持っていって着たら、シャトーの主人の老夫婦も赤いセーターを着ていてなんだか赤が映える集まりになった。

一緒にワイン造りをしているルモアンさんの妹さんとワンコも初の馬頭琴コンサート。

それからまた部屋に戻ってワインの続き。

デザートはチーズ。

ルモアンさんが、古い時代にはこのシャトーに芸人が旅の途中訪れて音楽を弾いてくれた。久しぶりのこの状況にシャトーも喜んでいるね。

と。

私もなんだかそんな気がしていた。

人や場所との出会いや繋がりは本当に不思議だ。

昨日まで全く知らなかったのに、音楽を一緒に楽しんだり、美味しい料理を一緒に楽しんだりすると、グッと距離が縮まって時間も言葉も超越する。

旅芸人というのが私にはなんだか嬉しい響きなのだ。

日本中をずっと旅していた父に子供の頃はついていった経験もあって旅が大好きだ。

ジプシーに憧れていたこともあった。

ルモアンさんのところで一泊させてもらい、次の日のお昼はりんごのお酒、自家製のシードルを飲ませてもらった。

これもやっぱり飲めてしまう。

フランスに来てから色んな事が馴染んで私にはとても居心地がいい。

素敵な人たちとの出会いで素敵な場所ばかりに行っているせいもあるけれど。

 フランスへ〜ノルマンディ編- 2023/07/20 -

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6月終わりフランスへ行ってきました。

初フランス。

旅の仲間は今回もドラムパーカッションの前田仁と(ヨーロッパ初)このところLIVEでお世話になっているセラヴィのオーナーとその仲間達…皆さんフランスは複数回目)

若い頃は行きたい人連れてツアー組んでフランスへ行っていたけど、もう疲れたからやめたの。身内だけでこっそり行くの。とセラヴィオーナー。

(こっそりなのかどうなのか、私がSNSで随分紹介してしまっているのですが。)

確かに紹介してもらったご縁は家族のような付き合いの人達ばかりだったので、それも納得。

そして今回は奇跡的に私がつながっていたアンジュの(土地の名前)ナチュラルワイン醸造家のルモアンさんとパリ在住デザイナーの宮白羊さんの所でもみんなで本当にお世話になったのでした。

そうなるとやっぱり今回のフランス行きも行くべくして行ったんだなと思います。

知り合いの所以外にも偶然な出会いというのが旅ではおこる。

そんな出会いもありました。

10日間という短いわけでもなくそんなに長くもない日程。

順を追うには長すぎるので、いいとこ取りで順不同でエッセンスを紹介していきたいと思います。

Ⓜ️メトロ

地下鉄って日本では外国の人たちがいつも困った顔して右往左往してるイメージ。

私も一人旅でイギリス、イタリアでメトロに乗ったけど、案外記号と番号でなんとかなる。きっと日本のは難しい。

イギリスではストで度々止まっていたな。

さてフランスはというとスリにご注意という話を聞いて、最初はちょっと身構えたが、結果として何も起こらず。

フランスは移民の国というイメージはあったが、本当に色んな人たちがいて色んな民族衣装を着てる人たちもいて、電車の中で歌い出してお金をもらおうとするおばあさん、杖をついて回りながらお金をもらおうとする男の人もいたり、雑多な印象。

そして私的に非常に満足だったのが、誰の目線も浴びないこと。

日本では例えば楽器もってたり、ちょっと衣装ぽいいでたちだったりすると、色んな目線を浴びる。

それですごく疲れる。

あるいはイギリスでは観光客だなっていう目線を感じたり、ちょっと緊張した何かがあった。

フランスはそれらを全く感じなくて、なんて楽なんだという印象。

まあ今回は慣れている仲間もほとんど一緒だったというのもあるが、最終日に近い日に前田さんと2人で撮影に出かけた時は2人でパリの中心をメトロ移動して、カメラマンと待ち合わせの時間まで余裕があったので、駅ナカでお茶した。

カフェオレとパンオショコラ

アメリカやイタリアでは店員の人がたまーに無愛想な人がいるが、今回フランスではそんな人に会わなかったな。

みな愛想よく、フランス語だめとなると英語でやり取りしてくれたので、フランスの人は英語話したがらないイメージが払拭された。

けれどセラヴィオーナー曰く、パリの本当に中心はお店の人の態度とかちょっと高飛車なところあるかも。ということで、パリの中心は最終日にやっとできたお買い物でしか行ってないのでなんとも言えない。

🏰ノルマンディ

まずパリのシャルルドゴール空港に早朝ついて、これはセラヴィオーナーの計らいがドンピシャだったのだが、彼女の長年の信頼しているガイドの大沢さんにバンで迎えにきてもらってそのままノルマンディの田舎へ。

下道であちらの村、こちらの村を訪ねながら。

大沢さんイチオシの美しい村と、セラヴィオーナーの調べた行きたい村を幾つかまわる。

まあこれが中世そのままという感じの村ばかりで、またそこはセラヴィオーナー推薦だけあり、ガーデンがどこも素晴らしい。

初日ともう1日合計丸2日をそんな風にノルマンディ中心に美しい村巡りをした。

時にはセーヌ川沿いで果物屋で買った果物とパン屋で買ったパンとビールでランチ。

時には美味しいらしいと評判の村のレストランのテラス席を予約して、コース料理を。

美しい村の美しい写真が山のようにあるのでここはあえて控えて(選択できない)

旅仲間がフォトブックにしてくれたのでお友達の方は個人的に見たいと言ってください。

この村めぐりの中で面白い出会いが。

とある雑貨屋さんの中庭が可愛くて、あらかわいいねなんて話してたらお店のご婦人が近くに寄ってきたので会話。

どこから来たの?と言われて日本というと、こんにちは!と。

3年間日本に住んでたことがある。世界的大企業の日本支社の元妻だったというくだりにびっくりしたのだが、今からウチ来ない?と

え?お店は?

お店の人じゃなかった。(笑)

車で10分ということで着いていく。

山の中の素敵なお宅。

娘さん夫妻と旦那さんとワンコ達が迎えてくれて、なんとその方の今日は73歳の誕生日。

お祝いにミニライブ。

ええ。わたくし飛行機から降りた日だったので、なるべく飛行機で楽な格好のまま、まさかこんな美しい村めぐりとも思わず、トランク開ける間もなかったものですから。

シャンパン頂きながら庭で演奏。

ちょっとやばい。

最高なシチュエーション。

ぶるるるっと聞き慣れた音。

これは絶対馬がいる?!

茂みの中を行くと、小型の馬?!ラバだった(馬とロバを掛け合わせたもの)音がして近寄ってきたらしい。

お隣さんのラバでした。

ちょっと印象的な写真をやっぱり幾つか紹介。

旅の間は幾つもの教会へ

大聖堂もあれば

小さな小さな教会も

 たま川より- 2023/05/28 -

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5月26日多摩川の橋の下でカトちゃんとニコの飼い主を偲び、多摩川河川敷に捨てられた猫たち(通称多摩猫)とホームレスのおいちゃん達のお世話を数十年毎日続ける写真家の小西修さんの多摩猫写真展と同時開催でゲリラライブをしてきました。

3年前に小西さんと初めてこの地で同様に写真展&ゲリラライブした時には、この上記のお二人がとてもとても協力してくれてステージを作ったり、リヤカーを改造したドリンクバーを持ってきてくれたり、椅子を並べたり(私の中ではおいちゃん達がお客様だったのですが、他のお客様をもてなす側になってくれていました。)

そんなご縁でカトちゃんともう一人仲の良いフクちゃんとは多摩川に遊びに行くとお茶やお昼をご馳走になったり、我が家にも小西さんに引率されて遊びに来てくれたりしました。

それが急に亡くなってしまったのは一年前。

多摩川では急に亡くなることは珍しくなく、やはり過酷な生活を送っているという事があるのだと思います。

3年前の様子はこちら

https://note.com/mihobatokin/n/na6b734b1f164

この3年前にお客さんとしてきてくれた村上浩康監督が橋桁での多摩猫達の写真をみて小西さんを映画に撮ろうと思って完成して今全国を回っているのが

こちら。

このタイトルに映っているのがニコ。

そして亡くなったのはニコの飼い主でした。

多摩川でホームレスの方が亡くなると、情報が毎日接している小西さんにも行政が教えてくれないのだそうです。

私たちは送る会も何もできないまま、なんだか宙ぶらりんな気持ちが続いていました。

そんな時に国葬があったりして、人の命は平等なのにこの世の中は平等ではないなと思ったりしました。

それが悔しくてどうしてもお二人を送る会をしたかったというのもあります。

私じゃ何も出来ないので今回もまた小西さんの手を煩わせながら、先日のゲリラ写真展&ライブが開催できました。

フクちゃんも村上監督も来てくれて、おいちゃん達ゆかりの方もみえて、小西さんや村上監督ファンの方々も。

小西さんが設えてくれた献花台もあり、

私も庭の花を朝摘んでバケツに入れて持っていきました。

その中にまた別にお供えのお花を持ってきてくれた方がいたり、河川敷の花を摘んできてくれた方、飾る写真を持ってきてくれた方、お酒、お経をあげてくれた方もいて、とても良い会になったなと思います。

フクちゃんが自分の住処の前にカトちゃんを祀っている場所を作ってるんだよと見せてくれました。

Twitterに投稿した文章。

昨日は多摩猫写真展&ゲリラライブお越しいただきありがとうございました!

1番好きな写真。

演奏中に記念写真のおじいさま。

多摩川の風を感じて♪

なんて銘打ったせいか

感じるどころか吹き飛ばされそうでしたが

草原をトップスピードで駆ける馬という感じが出ましたでしょうか🐎🐎🐎

多摩猫たちの世話をし続けた多摩川に暮らしたカトちゃんとニコ🐈の飼い主のお二人が突然に逝ってしまった。そのお二人をを偲ぶ会でもありました。お経をあげてくれた方、花をお供えしてくれた方、何も出来なくて悲しみ寂しさしかなかった気持ちが小西さんの働きにより、心が落ち着いた日にもなりました

多摩川の橋桁は強風の中でも音が巡り、こだまして天に届いたかな。

否応なく吹き抜けていった風。多摩川の大きな流れは止められないという事を感じるような風でした。大雨の時は増水し、おいちゃんや猫たちも流してしまうそんな危うい日常も隣り合わせ。いっときでも心和む時間が積み重なりますように。

ただ通り過ぎてしまうだけの多摩川。

そこにこんな命や暮らしがあることを気づかせてくれる小西修さんの写真と文章です。

皆様また何かの折に多摩川で。

撮影 小西修

撮影 小西修

この辺りで暮らした猫達の写真を背中に感じながら、ここでのライブはちょっといつもと違います。

風が全てを吹き飛ばしてくれたかな。

ありがとうございました。

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