日比谷図書館って、日比谷公園の中にあったのかー。という初歩的な合致があって、日比谷図書館で2回ほど演奏したことを皮切りに、なぜか日比谷図書館のお向かいの帝国ホテルや、東京会館や、昨日は日比谷とは聞いていたけれど、
またもや日比谷公園の向かいだったので、この辺りの車での一方通行にも慣れました。
呼んでいただく先も、共演者も全く違うのに面白いですね。
ちょうど昨日は明日東京マラソンということで、朝一番のお堀の周りはマラソンの下見の人か、予行練習の人か、毎朝の日課で走る人とは少し違う周りをキョロキョロしながらのランナーの方がたくさんいました。
ワールド航空さんのモンゴルツアー紹介イベントでの演奏。
モンゴルアピールをいろいろしてきました。
公民館主催のレクチャーコンサートで、モンゴルの話を挟みながら演奏した時に、皆さん、モンゴルへ行きたくなりました!!
という感想がおおかったのが、私には意外だったので、少しは今回もお役に立てたでしょうか。
控え室で待っていた時に、グリーンランドやアラスカの旅行の企画があったので、あーーーいつかまた行きたいな〜と旅こごろをくすぐられていました。
ウランバートルの事も思い出したりしているうちに、
ウランバートルといえば、ボルシチが大好きなので、レストランで、ボルシチが食べられるところを探して、よく食べた事を思い出し、
ピアニスト竹井さんに、この後、ロゴスキーにボルシチを食べに行こう!と誘う。
調べたら、以前渋谷にあった昔からのロシア料理、ロゴスキーは銀座の一階に文明堂が入っている銀座通りのビルに移っていて、ここから歩いて行けることが判明!
銀座に来ると、おじいちゃんを思い出します。
本当はおじいちゃまと言わないと、おじいちゃまに怒られるんですけどね。笑
もう亡くなって数年経つので、いいかな。
一人でも、おばあちゃんと二人でも、とにかく、よく出歩いていました。今日はどこへ行ったの?と聞くと、銀ぶら。
とにっこり。
新聞を小脇に抱えて、京成電鉄にのって、銀座を散歩して、四丁目の喫茶店でサンドイッチとコーヒーを飲んで帰ってくる。
さて、ロゴスキーに辿り着き、どれも美味しそう。
ボルシチのスープも付いているビーフストロガノフのセットランチにしました。
ランチの話題を詳しく書くのも私には珍しいですが、ロシア料理となると、なぜか。
父がロシアにいたことがあるので、幼い頃よく新宿のロシア料理に行ったり、家でもボルシチやロシア紅茶を飲んでいたり、ロシアの絵本がたくさん家にあったので、なんだかロシアは行ったことないのに懐かしい気がします。
ちょっとロゴスキーさんのビーフストロガノフランチを。
竹井さんの石垣島お土産黒猫さんが写り込んでました。
ちょうどどんかぶりしてますが、キノコのフェンネルとレモンと玉ねぎを和えたものが美味しかった。
暖かいパンについてくる、胡桃のバターも。
ボルシチって美味しいね!ぼるでいっくシチューの略だと思ってた。と相変わらず不思議な事を言っておられました。
竹井さんが、トマトでボルシチつくったんだけど、こういう風にならなかったなー。
というので、それはトマトスープができたんじゃないの。
と返しておきました。
その後で、うちの母がボルシチ作った時期が昔あったんだけど、あれは絶対ボルシチじゃなかった。
と言っていたので、じゃあ、竹井さんのせいじゃないね。笑
前菜とボルシチで満足してしまったので、ビーフストロガノフが入るか不安でしたが
ご飯はほんの少しで、マッシュポテトが添えられていました。
そりゃロシアでは黒パンと食べるのでしょうね。
ふと、ストロガノフの意味が知りたくなり、調べたら、
ロシア語では、ベフストロガノフといい、ベフはビーフの意味ではなく、〜流という意味で、
どうも貴族のストロガノフ爺さんが、歯が抜けて、大好物のビーフステーキが食べれなくなったので、ビーフを細かくして柔らかく煮たのがはじまりらしいです。
〆はもちろん
寒い時期にボルシチもロシア紅茶もあったまりますね〜。
と、優雅な昼を過ごしたのち、一路成田のホテルへ。
労働組合の10周年記念の席で頭に、サプライズで3曲ほど弾いてほしいというご依頼でした。
地元を通り抜け、ホテルの部屋でとりあえず、竹井さんと昼寝。
夫婦で一つベッドに寝るのはやだけど、女友達とならいいよねー。と竹井さん。笑
演奏の後もパーティーに参加させていただき、楽しく過ごしました。
やはり議員さん挨拶もあり、実は以前のコンサートで数度お会いしている議員さんが声をかけてきて、サプライズ演奏だったので、お互い知らずに驚きました。
帰り道、竹井さんに、地元にわりと近いエリアだったから、どうして私はMCで、近くから来ました。って言い忘れたんだろう。。
と話していて、あ、今朝日比谷の大都会から成田に来たからすっかり、忘れてたんだ!
と、私って、単純ですよ。はてしなく。
戦国時代になぜか興味を惹かれるここ最近。
日本史は苦手でありましたが、地方へ、特に西日本へ行くようになって、何かと由来の地へ行く度に、点と点が繋がってなるほどそういう話があったのか、とそうなってくると、面白くなってくるものですね。
戦国時代に活躍していた忍者なんかも、司馬遼太郎さんの本など読むと本当に特殊な人生だというのがわかります。
というか、私には司馬遼太郎さんが忍者に見えます。笑
そういう意味では本多勝一さんも。。
一度お会いしたことがありましたが、変装されていました。
さて、3月13日
3.10.3
さとみ
里見の日に館山での会。
そこにギャラリーSFKオーナーの山鹿公珠さんの墨絵。
先日のブログでご紹介した山鹿先生のところで春の調べとして、馬頭琴を奏でます。
去年の棚田の衣装をお願いしたデザイナーのMIKANSEI さん。
山鹿せんせいよりタイシルクに描いた墨絵の布を預かり、この里見の日に間に合うように、衣装を仕立てています。
仮布で仮縫いをあててみました。
この会では、MIKANSEI さん、前日というか、当日仙台で夜中よりはじまるファッションショーを終えて朝一で仙台より館山まで駆けつけてくださるそうです。
衣装はその前にお預かりするので、寝過ごして内房から外房まで千葉を一周するようなことがおこっても、大丈夫です。
そういえば、八戸と遠野が舞台になっている「かたづの!」という小説を読みました。
やはり戦国の世の、でも戦わない。その道を選び続けた女亭主の物語。
地名が印象深く頭に幾度か残ることがありますが、そういう時は、そこに関する逸話を目にすることにもなるし、そのうちそこへ呼ばれて演奏することになる。
なんとなくそういうことっておこります。
いろいろ学ばされているんだろうなと思います。
ここにはこんな歴史があったんだな。ということを、知ることになる。
雪が積もっています。
目覚めた時にいつもと違う気配。
シーンとした空気。
窓から外を見ると一変している景色。
二日前からなきはじめたウグイスがやっぱり雪の朝もないています。
山形にいた時の雪景色が懐かしいです。
この世のものとは思えないくらいのキラキラした朝。
生クリームがたっぷりのったみたいな山並み。
もう、雪はいいやと思う頃にやっとくる春が、春ってこんなに勢いがある力強いものだとはじめてしったのは雪国の春でした。
里守人と馬頭琴
棚田で馬頭琴コンサートをしてしまう。
そんな企画主催のヒロクラフトさんの長女、萌さんが、大学の卒業制作で最優秀賞をとりました。
馬頭琴演奏会のトータルコーディネート。
その卒業制作の展示が六本木であります。
一番上の里守人と馬頭琴というリンクをタップすると、内容がみれます。
写真を一部紹介しますと、
そう、去年で5回目になる棚田の馬頭琴コンサート。
毎年、私も衣装や曲目や出演者を替えて挑んでいますが、去年は萌さんの全面的なトータルコーディネートにより、とても素敵な仕上がりになりました。
棚田という舞台から見えてくるもの。
6回目の今年、また私の頭の中にはどんな曲、どんな衣装、どんな共演者にしようか、もう巡り始めています^ ^
朝が元気。
お昼に近くなるとお腹空くし、午後は集中力もかけてくる。
そんなわけで、小学校二年生は朝一がベストです。
今日も小学校二年生90人。
ということで、朝に呼んでいただくことの多い小学校の現場。
朝一で来るゲストを探すのがどうやら年々難しくなっているようです。。
先生方は二年生の子供達がちゃんと聞くか、騒がないか、非常に気を使われるのですが、
そもそも、気を使うべきなのはこちらの方であって、子供達にいかにきいてもらうか、試行錯誤の汗まみれ。
こんなに鍛えられる現場もそうそうありません。笑
先日の小学校で、聞いていた時間と始まる時間が30分違っていたことがあり、優雅に校長室でお茶を飲んでいたら、子供達はもうすっかり揃って待っていますので、いつでもどうぞ。
と言われて、楽器をケースに入れたまま、すぐに移動。
小学校二年生が、待ちくたびれてしまえば、自ずと困るのは私ですから。
なんの打ち合わせもできぬまま、とにかく入る。
楽器の準備ができてないのだ。
こうなったら、どんな風に準備をするから見てもらおうということで、それがとても面白いものになったので、今日は、わざわざ、そうしてみた。
入っていって、みんなの前でそーっとケースを開ける。
わざと先に弓を出す。
子供達はいちいち、わーーー。長い棒だ。。
それから、ゆっくりと馬の顔だけ見せる。
わーーー、馬だ!
こんな時、ふと脳裏をよぎるのは私のおじいちゃん。
おばあちゃんと二人、戦後に幼稚園を始めたこともあり、いたずらっ子のような目をして、さあ、次は何が出てくるかな?と言って手から何かを出す、マジックをよくしてくれた。
小学校や幼稚園に呼ばれて演奏するようになって、最近、子供を喜ばしたいという気持ちが湧いてくるのは、歳のせいかと思っていたが、血のせいもあるようで。。
昔のモンゴルの写真で、おじいさんが馬頭琴弾いてる写真を見せたら、スーホだ!!
といった子がいて、あ、なるほどな。と思いつつ、可愛くて笑ってしまいました。
なんだかんだ言って、やっぱり元気をもらうのは私の方だと思います。
あっという間の45分。
子供達も床に直に体育座りしてるので、終わった時に、わー腰痛い。
と言ってるのが、毎回ちょっと気の毒。
私の小学校の思い出では、防災頭巾を持ち歩いて床に敷いてた記憶があるけど、近頃はしないのかな。
そういえば、質問を投げかけた時に、子供達で盛り上がっちゃって、小学校二年生だと、盛り上がったところから、次話するときに、先生に、ほら、静かにしてください。
と助け舟をしてもらっているけど、
うちの父はどうしてたんだろう?
とちょっときになる。
流石にもう歳で子供達に教えることもないだろうけど、旅先で初めての子供達に授業をするのに、小学校一年生や二年生、何度も相手をしているはずだ。
私が自分も子供ながら居合わせた記憶を辿ると、子供達は楽しみながらも最後まで緊張感があった気がする。
だから、あまりそういうこともなかったのかもしれない。
わりと子供達は演奏している間は集中して聞いてくれるのだけど、話をしていて、質問をふったときに、盛り上がったあとで、私の場合、戻せなくなるのが、課題です。
今となっては、直に学ぶことはできないけど、こんなことなら、父の授業風景をもっと見ておくのだった。。
校長室でお茶を飲んでいるところ。
毎度一曲弾くと、帽子がきになるので脱いでしまうのですが、
子供にちょんまげだー。
と言われたモンゴルの帽子です。