昨日の宿題なんでその質問にちゃんと答えられなかったか。
ちょっと考えてみました。
要するにすごく気になってるのです。
私自身がね。
本当は、そうだよ。この話。本当だよ。
私は信じてる。
本当はそう言いたかったんです。
なんでかというと、
自分は物心ついた頃から馬が好きだった。
理由はわかりませんでした。
恋い焦がれるほどに大好きなんだけど、同時に胸が痛い。
だから幼い頃はこっそり、よく通るお稲荷さんにそっと手を合わせて、私に馬をください。とお祈りしていました。
スーホの白い馬を2年生の時に授業で習ったときは、悲しすぎて嫌いだった。
授業中、わからないように耳を塞いでた。
すこし大きくなっても、馬が好き!って人に言えないでいた。
それさえなぜだかわからなかったのだけど。
馬と共に生きる人達のいる、モンゴルにどうしても行ってみたかった。
馬頭琴に出会ったときに、馬が付いてたから、やりたいと思った。
馬頭琴奏者になってから、再びスーホの白い馬の物語と向き合わなければいけなくなった。
なんで私はこの話が苦手なのか。
そもそもなんで馬が好きなのか。
どうして胸が痛いのだろう。
そんな想いがつのったときに、ある夢を見ました。
その馬は真っ白でたてがみとシッポは真っ黒。
その馬と共に生きている私は大きくなって、少し馬が年老いたときに、何時ものように林の中を馬に乗って走っていた。
倒木があったので、馬に飛び越えさせようとした。
少し歳とった馬は倒木につまずいた。
私は馬の背からポーンと投げ飛ばされたけど、馬があらぬ方向に倒れて、私は馬の上に落ちたので、かすり傷一つつかなかった。
でも馬は足を折った。
それから3日間、私は馬が亡くなるまで、一緒にそこにいた。
目が覚めた時、私は泣いていました。
ああそうか。だから私は馬が大好きなのに、同時に心が痛かったんだ。
だから、白馬を失ったスーホの気持ちがわかりすぎて辛かったんだ。
と思いました。
夢でしたが、なんだか胸のつかえが取れたようで、どこかさっぱりしていました。
今まで自分にとって、節目だったり、仕事をいただけた時に、馬の存在を感じることがよくありました。
なぜだろうと不思議でしたが、
私はそのお馬さんが馬頭琴と出会わせてくれたんだろうと思いました。
居なくなってしまった存在が、音楽になって戻ってきたという、私には、その物語は同時に自分の物語でもあるのです。
だから私にとってスーホの白い馬のお話は本当です。
あの男の子の疑問、それはスーホの白い馬のお話を勉強して、馬頭琴を実際にまじかで見て、音を聞いて、モンゴルの人の馬との暮らしを聞いて、本当の話だと思った。
でもあの話が本当なら、馬頭琴は馬からできてるはずなのに、シッポしか使ってないなら、あの話は本当じゃないの?
そんな真剣な問いでした。
でも本当に聞きたかったのは、たぶんスーホと白馬は本当にいて、白馬の心が馬頭琴になり、馬頭琴を弾くスーホが白馬の心を歌う。
お互いを思いやる心が作った楽器かどうかということ。
それなら、本当にそうなんです。
少なくとも私はそう思っています。
スーホの白い馬
物語には背景があります。
その物語が生まれる必然性。
だから、この物語がうまれ、語り継がれているということは、生まれた背景と育んだ背景がある。
それだけで、物語は生きているといえるし、本当か嘘かではなく、ある。
というふうに捉えていいのだと思います。
でもね、やっぱりいろいろ話しするよりも、音楽で語りたい性分なんです。
質疑応答もとても楽しいけど、曲を弾いてる時に、身体全体で聞いてくれる子供達の前で演奏するのは楽しいのです。
それだけでいい気がします。
べつにこの夢の話こそ、本当かどうかはどうでもいいのです。
これが私が持っている物語です。
そしてその物語を持つ私が弾く馬頭琴なのです。
ただそれだけのことなのでした。
★3/13(日)
ギャラリーsfk(南房総市下滝田)
馬頭琴演奏 ※チケット詳細後日
★2/27(土)
弁護士会主催 新年会
馬頭琴演奏
★2/27(土)
㈱ワールド航空サービス
日比谷サロン
馬頭琴演奏
★2/23(火)
坂戸小学校
馬頭琴「スーホの白い馬」レクチャーコンサート
★2/16(火)
白幡台小学校
宮前平小学校
馬頭琴「スーホの白い馬」レクチャーコンサート
★2/13(土)
千葉県中部地区郵便局長会 新年会
馬頭琴演奏
★2/2(火)
府中市立矢崎小学校
馬頭琴「スーホの白い馬」レクチャーコンサート
あー空飛んでる。
え?あ、そうだね。これは鷹の踊りだから、空飛んでるみたいだよね。
写真でよくわかったなー。流石小学校二年生の子供達。
今日は神奈川県の小学校へ。二年生60人。
前半は演奏と楽器の話中心。
後半はモンゴルのスライドショーと共に質疑応答もまぜながら。
モンゴル民謡や、モンゴルの馬頭琴楽曲を中心に演奏しますが、オリジナル曲も演奏しました。
えー自分で作ったの?すごーい!
という感想がまずくるのが面白いです。
そして今日の子供達、私のオリジナル曲、「風と空のうた」のサビの部分を一緒にハミングして歌ってくれる子がちらほら。
え、なんで知ってるのかしら?
風になって空を舞ってたら小鳥が遊びにきたみたいで演奏していて嬉しくなりました。
本当はシンプルな民謡の他にも、ピアノやリズムが入ると、またどんな風に聞こえるかというのも聞いてほしかったな〜とか、思いながら。
ある男の子が、終わり頃に、スーホのお話と馬頭琴とどっちが先に出来たんですか?
という質問をしてきた。
更にまた言い方を変えて質問をしてきて、
要するに、スーホの白い馬のお話を勉強して、今日実際に馬頭琴を聞いて、本当に知りたかったんだと思う。
馬頭琴は馬のシッポの毛しか使ってないのに、じゃあなんでスーホの白い馬の物語は出来たの?
馬頭琴を実際に聞いて、馬のリズムや、切ない音色、モンゴルの人が馬と密接な暮らしをしている話も聞いて、余計に子供の心の中で、
スーホの白い馬のお話が本当に本当の事だと思えたのだと思います。
だから余計に、じゃあスーホの白い馬のお話が先なのか?
馬頭琴が先にできたのか?
あの男の子の目は、スーホの白い馬のお話は本当で、だから馬頭琴ができたのだと、そう聞きたがっているみたいでした。
終わる間際だったこともあり、
あまりにも男の子の目が真っ直ぐで、私はちょっと問い詰められたような気もしましたし、すぐには答えられない。
でも、時間もない。で、
馬頭琴はすごく古い歴史があって、最初に楽器がどう作られたか私にもわかりません。
スーホの白い馬という民話も昔話として、代々おばあちゃんおじいちゃんから孫へと語り継がれたお話です。
どうして生まれたのか、想像してみてください。
はじめに話したように、モンゴルの人にとって馬というのは特別な存在です。
とかいうのが精いっぱい。
あー。
八王子車人形さんとのスーホの白い馬の舞台を見せてあげたいなー。
それを見て、答えがあるかはわからないけど、その子が何を感じてくれるのだろう。
最後にバイバイをする時に、その子は最後まで私に何か言いたげな目線を送っていました。
ちょっと宿題をいただいたかな。
作画 中島菫