あんまり面白そうに会話してるから、思わず、一緒にやりたくなる。
それで、ちゃちゃ入れたり、相槌うったり、もしくは、そのへんで踊ったり。
思わずつられちゃう。
ジャズサックスの中村誠一さん。
ライブに行ってきました。
ピアノ、吉岡秀晃さん。
中村誠一さんはジャズのジの字も知らない私でもなんとなく知ってる、ジャズピアニストの山下洋輔トリオでも有名。
ピアノ吉岡秀晃さんは定期的に中村誠一さんとデュオを続けていて、ロサンゼルスタイムスでは「日本が生んだファンキージャズの達人」と評価されている。
しょっぱなから、へーーーーー
って思いっぱなしで、なんていうか、本物聞くのが一番早くて、一番勉強になる。
ジャズ勉強しようなんて、思ってもいないのですが、中村誠一さんとはやりたいのです。
っていうと怒られそうですが。
中村誠一さんとは、イラスト、絵描きの田村セツコさんの展覧会後の打ち上げで初めてお会いして、へー?馬頭琴?どんな音すんだろうね?
という多少の興味は示してくれたものの、ま、珍しい民族楽器にありがちな、とりあえず弾けるだけじゃないの?的な感じもおそらくは。
わたしも同感なだけに、かえって、この人は正直な人だと好感。
特に私は名もない日本人ですから、これが楽器現地のお墨付きの方なら話は全然別ですが、期待されてない現場というのはあったりします。
期待されてない感じを受け取ると、私の場合やる気が倍になります。笑
確かに珍しい民族楽器というのは、そもそも見るだけでも、音出すだけでも、へーーー!!!ってなるお得感はあります。
で、じゃあ弾いてみてよ。決して意地悪で言ったわけではないのは確かですが、私としては、ここでガツンとやらざるを得ないでしょう。
いつでもどこでも本気モードですが、ちょっと気合入ってたのは確かです。笑
その機会は田村セツコさんのバースデーパーティーでした。
中村誠一さんパーティーの中でメインで演奏されていて、ジャズを多分ちゃんと聞いたのは私も初めて。
飛び入りで、合間に馬頭琴を弾く。
もう誠一さんは真横で、ものすごいかぶりつきで見てました。
確か三曲くらい弾いた。
すごい人に試されてる感満載で、なおかつ超かぶりつきは、まるでいたずら少年のような目ですから、怖くはないのですが、そのせいで私もテンション上がりまくりで、果たしてちゃんと演奏できたのか記憶にないんですけど、パッションは伝わった。
誠一さんが、終わった後、挨拶の時に、「いやー。しびれましたよ!」
中村さん:今度ライブやるから弾きにおいで。ジャズ。
私:いや、私ジャズわかりません。
中村さん:でもなんか弾けるでしょ?
私:なんかは弾けます。
中村さん:じゃ、大丈夫。当日、楽器持ってきて。
内心、えー!!
と思いつつ、どこかでなんか楽しそう。とチラリ。
今にして思えば、もう中村誠一さんの持ってるそのものが、人にそういう遊び心をもたせてしまうとしか思えない。
今日のお二人の演奏見ててもいろんなことを感じたり、考えました。
やっぱりいい音楽って、心も開放されるけど、頭もくるくるまわる。
中村誠一さんはフラット。
本当に人柄と在り方と、なんというか、先日私が荒浜でゼロ。
ということを思ったのですが、中村誠一さんはそれを元々持ってるんだなーと思いました。
超絶技巧というのは遊びの中の一環。
遊びの要素だと思えました。
あくまでもさらっと。ポケットから、あら、こんなのも入ってたよーーん。
という感じに。
中村誠一さんに、あの、またご一緒したいのですが、なかなか躊躇していて時が過ぎてしまいま。。
あ、とにかく、やるって決めちゃおうよ。リハーサルも含めてね。
ハイ。
ということで、企てることにします。
アザラシはまた今度狩ることにして、この前のお話。
呼ばれて初めて訪れる場所。
演奏というのはただ演奏するだけではなく、その場の雰囲気やその日の天気、集まるお客さん、主催者、いろんな要素が総合的に作用しあって生まれる時間。
おっと、アラスカでの旅の話にもつながりますが、ちょっとした探検、冒険旅行みたいのを好きでやっていた時に、きちんとした計画。
それから色々な予測。
そしてあとは運を天に任せるみたいなちょっとした勇気。
予測や計画がとても大事ですが、それはもうあって当たり前の要素で、むしろ大事なのは、予測と外れることが大前提であり、計画がうまくいかないことが大前提とよく知っていることです。
そして、そんな時にもってるもの全部使って判断行動していく。
ほとんどの場合、緊急なのは全く考える時間がないです。
その瞬間、迷うことなく何かを決めていく。
決めるにあたっての、経験や知識やあとはもう、その時察知できる感覚。
それがまったく音楽というナマモノ。
そして舞台というやり直しのきかないところに、必要な要素だということ。
誰かにむけて言い訳することができない世界。
自分でこうだと判断したら自分を信じること。
アザラシ狩りに出ることにしましょう。
その家には白い狼みたいな犬がいました。
家の中に入れてもらえることはなく、鎖に繋がれずに、家の玄関前に寝ていました。
いかにも賢そうな顔で、アザラシ狩りに出る朝、すぐにこれから何が始まるかわかった顔をして私達についてボートに乗り込みました。
支流から海へ。
その途中仲間のボートが四艘ほど合流してきます。
波は一切なく、
透明で滑らかな布の上を切り裂いて進んでいくようでした。
途中ガンのような群れが頭上を飛んでいきます。
するとエスキモーの一人がその鳴き声を真似ました。
すると鳥が鳴き出し、そこへ向かって鉄砲を撃ちましたがあたりませんでした。
そのあとしばらくして、その波のない海の中で、どのように発見したのか、アザラシがいました。
海の上にひょっこり顔を出してこちらを見ます。
かわいくて思わずドキッとしました。
ボートはお互い邪魔することなく、間隔を保ちながらアザラシを追い詰めていきます。
ボートの先端では槍を構えて乗り出しています。
一人が槍を投げる。
すると他のボートからも一斉に槍が飛びます。
でもあたりませんでした。
それを数回繰り返し、とうとう槍がアザラシにあたりました。
空気の入った丸い球体の浮き袋のついた槍でとどめをさすと、もう潜れません。
ボートにあげられ、近くの島へ。
そして小型のナイフで手際よく解体されます。
何か順番や細かい儀式があるようでした。
内臓をそれぞれ焼いて、心臓や、肝臓、そして生肉など、色々な部位を食べさせてもらいました。
肝臓は海の香りがしました。
最初、どこか祈るような気持ちで、アザラシに槍が当たらなければいいなと思いました。
けれどもボートはボート自体が起こす波で揺れ、その波を越えていくたびに、まるで馬に乗っているようで、私はだんだん興奮してくるのが自分でわかりました。
あたったらどうしようという緊張感と、どのように追い詰めていくのかというスリルと、素早く波を越えて走るボートと、遣り手の息遣いなど、自分の中にも知らない本能があるような気がしました。
こんなふうにして、命をいただく機会を経験できたことは、この長い旅の最後の日にとても意義があるような気がしました。
これ以来、私は自分の中に矛盾をかかえていることを、むしろ当然だと思うようになり、白黒はっきりさせようとか、他人にたいしても、こうあるべきだとか、あまり思わなくなったように思います。
まるでこれから旅に出るような感覚。
必要最低限のもの。
長期の旅に出るとき、それが原野だったりするとき、生きていくのに必要なもの以外にも必要なものがある。
例えば本。
それから自分の好きなもの。
これ持っていくと心が和むとか、ふと目に入るとニヤッとするとか、そんなもの。
三か月アラスカへ旅に出る前、まだ馬頭琴と出会ってなかった私は一万円のバイオリンを骨董屋さんで手に入れて、持って行こうとしていた。
ユーコン川は全長3,000キロ。
日本列島とほぼ同じ。
大河なので、一部分をのぞけばかなりゆったりした時間が流れる。
そんな合間に音楽をしたいと思った。
でもメンバーは2人きりで、ゴムボートも持参となると、やはりバイオリンは最終段階で諦めた。
そのかわり、日本から持っていったもの。
中華鍋。
これ、大当たり。
つまり、川の上にいる時間以外は、夕方テントを設営する川の中州の上にいる時間が長い。
寝る以外何をするかというと、焚き火だ。
流木は幾らでもある。
焚き火自体が楽しい。で、これで何するか、
そう。料理。
中華鍋と焚き火の相性は抜群だ。
大きめの流木が二本もあればその上にぽんと置いて、煮込みも、スープも、炒めもできる。
不安定な足場でも、底が丸いと幾らでも調整できる。
共に持って行ったのは、日本の乾燥食材。
例えば、干し椎茸、キクラゲ、干しエビ、片栗粉、とにかく、軽くて痛まず、使い回しのききそうな食材をなるべくたくさんの種類持っていった。
おかげで、流域に点在している小さな村のグロッサリー(雑貨店)で、じゃが芋や、ちょっとした食材を買えば、工夫して、中華料理や和食や、なんだか不思議な美味しいものをいろいろ作って楽しめた。
中華鍋と乾燥食材を持って行かなかったら、このアラスカライフは半分くらいつまらないものになった気がする。
バイオリンは持って行かなくて正解だった。
あの3ヶ月のアラスカの何もかもが私の中に入り込んで、いまだに断片となって蘇ることがある。
きっとそれが私の今の音楽の中にある。
中華鍋のその後、ゴールは海。
川というのは海に注いでいるから。
もう10月に入っていて、少し雪が降ったり、川の端がうっすら凍ったりしていた。
中流域はインディアンの村だったのが、海辺に近くなるとエスキモーの村になる。
(インディアンをネイティヴアメリカンと呼ぶとか、エスキモーをイヌイットと呼ぶとか、気をつけていたけれど、その当時出会った人達は、自分達をインディアンとエスキモーと呼んでいた。)
完全に海まででてしまうと、もう戻れないような気がした。
以前山形の最上川を下って海まで出た時、海の波をまともにくらって、船を転覆させたことがあった。
その時、海は全く未知の世界だと思った。
おそらく最後のこの海辺の村を通り越して海にでてしまうと、そこから村に戻るのはかなり難しいだろう。
と早々に判断して完全に海に出る前に少し小さな支流沿いにボートを漕ぐ。
家々が見えてきたところでボートをあげて、そこにテントをはることにする。
中華鍋はすっかりくたびれてる。
毎日3ヶ月、焚き火にあぶられて。
日本に持ってかえるものと、置いてくものをわける。
捨てるものを岸辺に分けて置いておいたらしばらくしてあるエスキモーの男の人がそれらのものを珍しそうに眺めていて、そのうち手にとる。
これ、いらないのか?
うん。
というと、もらっていいか?
ときかれる。
もちろん!
そして中華鍋は彼の家に引き継がれることになった。
乾燥食材の残りは、何かを獲るときの餌に使いたいと言って、私たちがゴミとして処分しようとしていたほぼ全てを彼は引き取ってくれた。
それから、彼は、うちでスープ飲んでいかないか?と私達二人を誘ってくれた。
喜んで伺うことにする。
スープは大鍋の中に日清のカレー味のインスタントラーメンを味付けとして使っていて、ムースの肉がゴロゴロ入っていてなんだかとても美味しかった。
そこに泊めていただくことにした。
もうテントでは寒いのだ。
家ではストーブをガンガンたいていて、みんなTシャツだった。
エスキモーの人たちの暮らしをら知りたくていろいろ質問攻めしていたら、向こうも興に乗ってきて、アザラシ狩りに使う伝統的な槍を見せてくれた。
どうやって獲るかやってみせてくれて、食い入るようにみていたら、明日、アザラシ狩りに連れて行ってやるといった。
つづく
お寺コンサート ~絵本の朗読と馬頭琴の調べ~ |
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日時 |
2016年9月22日(木)開演午後2時30分(開場午後2時) |
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会場 |
曹洞宗 玉泉山 宝積寺 (〒290-0016 千葉県市原市門前2-220) |
出演 |
第1部 朗読と音楽 青い馬の少年 第2部 音楽コンサート 司会・朗読 山川建夫 馬頭琴 美炎 キーボード 竹井美子 パーカッション 前田仁 |
チケット |
コンサート第1部・第2部通し券 前売り券 大人(中・高校生)1000円 小人(小学生)500円 当日券 大人(中・高校生)1500円 小人(小学生)1000円 ※未就学児は無料です |
チケット販売 お問い合わせ |
宝積寺 0436-41-2827 武藤 080-3738-4758 FAX 43-5627 |