海峡をわたって、父の元へ。
覚悟はしてたけど、父はもう最後の本は書けそうにない。
もうライブも聞きに来れなくなったので、それならいくらでも家に行った時に弾くからね。
と言ったら、お客さんを呼べと、父は相方の京子さんに今日になって言うので、そんな突然来れる人なんていないわ。
と言っていたけど、お二方来てくれることになった。
高知で演奏をして、その帰りに瀬戸内の、96才になる父のところへ見舞いに。
父も京子さんも私も、これで演奏聴けるのが最後だと覚悟して。
父が京子さんに、今生の最後の演奏だと思ったら涙が出るかもしれない。そんなのは恥ずかしいから、人を呼べ。
そしたら泣かずに済むから。
と。
京子さんは父が泣いてるの見たくないわと、そうね、人を呼びましょうと。
私も、誰かいた方が演奏会ぽくなるからやりやすいかなと思う。
京子さんが、お父さんがね、謝礼だって。と言って私にお金を包んだ封筒を渡すので、いや、それは絶対受け取れないよ。
と逃げる。
お父さんがね、俺だってただで原稿書けと言われたらいやだから、払うのは当然だ。
っていうのよ。それなら、最初に金額を交渉しなきゃだめじゃないのよね。と笑って言っていた。
それを聞いたら、涙が出そうになってしまい、慌てて受け取る。
そして、化粧をして髪を結い、衣装に着替えた。
どうしよう。私が泣いたら。と思うが、泣くわけにはいかない。
なんだか急に辛くなって、こんな時でも泣かずに弾かなきゃいけないなんて、なんて仕事だろうなとはじめて思った。
来てくださるお二方を待つ間に、ヘルパーさんが来て、父を風呂に入れた。
その後少し掃除をして、京子さんが、娘の美炎子です。
馬頭琴をやってるんですよ。
と紹介すると、馬頭琴ですか。聞いたことないです。
どんな音がするんでしょうね。と言うので、京子さんが、美炎ちゃんもしイヤじゃなかったらな、ちょっとだけ、見せてあげたら?と私にそっと言うので、いいよ。
と楽器を出したら、まあ!弾いていただけるんですか?
と言われたので、ほんとうに1分くらい弾いた。
そしたら急にその方が号泣されたので、驚いてしまった。
音楽私は全然分からないんです。でも、なんかうわーってきてしまって。
すみません。すみません。
といいながらまた泣いておられたので、私も少し泣けてしまった。
その方が帰られて、今日のお客さんお二方がみえた。
お父さんと息子さん。
息子さんの方は、この夏、ここでライブした時に、その時はお母さんと二人でいらしてくれた。
京子さんが、息子さんね、ずっと家に引きこもっていて、お誘いしても来ないかなーと思ったけど、聞いたらいいよって、勧めたの。
そしたら来てくれるって!と夏のライブの時に言っていて、そのライブの次の日から、外に出るようになったと聞いたので、何でだかわからないけれど、何かが響いたのかな。不思議なものだと思った。
息子さんはとてもさっぱりした顔をしていて、何かタイミングだったのかな。
息子さんのお父さんが、私は本当に音楽分からないんです。と先ほどの人と同じことを言った。
でも心にきました。
今日はこの息子の誕生日なんです。
と帰るときにいった。
みんなでおめでとうと言った。
父の家に着いて短い時間に心に連続でグイグイなにかくる。
なんだろう今日は。
人の心の何か少しボタンの掛け違えのようなささいなことが、ちょっとした何かでふとタイミングが合うと、動きだすのかな。
父へのコンサートは、弾きながら、最初は無性に悲しくなってしまった時もあったけれど、そのうち、こうやって父を送り出すことができるのかと、幸せだと思った。
そのお迎えが明日か数年後かはわからないけれど、同じことだ。
その後で父と話した。
表現のこと。
美のこと。
動画に撮ってみた。
とても今の自分にぐっとくる内容だった。
いつが最後になるかはわからないけれど、来れるだけまた来たいなと思った。
ただ、確実に抜けていく何か。
昨日までできたことができなくなっていく。
まだ考えて、話をすることは全然できる。
電話での講義はしているようだ。
でももうパソコンの使い方は忘れてしまって、原稿を書くことができなくなった。
なんかそれが切ない。
本も読まなくなった。
私の記憶の最初の頃から父は本読んでるか物を書いてるか、呼吸するようにしていたから。
だけど、それでいいんだ。
少しずつ忘れていき、少しずつ抜けていって、少しずつできなくなっていって、少しずつ死に向かう。
準備をしているんだな。
私も父も。
送られてきた招待券。
高校生のときに、山奥の村がダム問題でゆれているのを取材して論文を書いたのが発端で、映画会社のシグロの監督が、やはりダム問題を取り上げた映画「あらかわ」の製作のこともあり、この村のダム問題のことと、その論文をなぜ書いたかを聞きにいらした。
ちょうど私はロバのピョンファーにのって村を散歩していた。
そこを車が一台通り過ぎた。
その車に監督がのっていた。
それがご縁で手紙のやり取りが少しあり、進路のことで少し助言をいただいたりした。
映画「あらかわ」はすばらしかった。
大人になり、その頃思いもしなかった馬頭琴奏者になり、思い出して監督に馬頭琴のCDを送った。
あの時進路のことで助言していただいた、美炎子さんは芸術関係がいいのではないか、ということが、現実になりました。
と報告したかった。
プロデューサーの佐々木さんからお手紙をいただき、監督が亡くなったと知った。
私の馬頭琴は監督には聞いてもらえなかった。
その後Facebookを通じて佐々木さんと少しやり取りのある中で、映画「だれかの木琴」の招待券を送ってくださった。
「あらかわ」はドキュメンタリー映画で、シグロはそういう作品を扱うのだと思っていたので、今回の映画は知り合いの監督さんの作品と思っていたら、製作プロダクションがシグロで、佐々木さんはその映画のプロダクション・マネージャーだとエンドロールで知った。
美容師に惹きつけられてストーカーまがいのことをする主婦の話。
主演は常盤貴子。
監督は東 陽一。
というのをチラシでみていて、実際そのようなストーリーなのだけれど、
なんというか、とつとつと語られる物語のような映像で、変にいやらしかったり、怖かったりはしないのだが、怖くないはずの場面で少しゾッとしてしまったり、なんというか、今時の映画が事件や展開の派手さで繰り広げられるのとは真逆な、日常の細々したことから自然に起こりうる、そう、どこにでも、ふと訪れるそのへんに幾らでもある物語。
最近のバッシングという傾向。
ネットがある前はマスコミの得意分野だったけど、一般の人が参加するようになった。
そして事件は尾ひれがつき、罪を犯した人へのバッシングは大きくなる。
この映画では冷静に人を見てる。
誰の心の中にもある白黒はっきりしないなにか。
私は善人か悪人か問われたら自分を悪人だと思う。
なぜか答えるのがむずかしいけど、善人でないのは確かだと思う。
そもそも善人悪人と分けるのは違うと思っている。
犯罪者というレッテルをはられたひとは自分と何が違うのか考える。
その線をどこで越えるのか。
誰しも子供の頃に自分の心のうちに、木琴があるのだろう。
奏でたい何か。
奏でている何か。
でも音にならなかったり、メロディーにならなかったり、うまくいかない。
それを抱えてまま生きてきて、ある時急に流れ出してしまうのだ。
自分の奏でたかったものを形にしてしまうのだ。
それはもう仕方ないのだ。
そうとしか思えない。
映画館の帰りに東京で見た丸い月はきれいだったけど、何となくよそよそしい感じだった。
家に戻って、田舎の家の庭で見上げた月は、いつも通りの、私だけに語りかけてくれる月だった。
みんな少しばかりくるってるのだ。
じゃないと人間じゃない。
やっぱり、子供の頃にはかえれる。
でもおじいさんには。。
「青い馬の少年」
友達の家にあった絵本。
「青い馬の少年」
見つけた時ドキドキした。
これだ!
読む前からわかる。
読みすすめると、全部でてくる。
ここにはこの曲。ここにはこの曲。
最初に合わせてみた時、この為に作った曲だったっけ?
と思った。
おじいさんと少年の会話のやり取りで話が綴られる。
私が今まで朗読しながら曲を挟んでいた。
山川建夫さん。
以前に何度かご一緒した、元フジテレビアナウンサーで、フリーになってからは数々のナレーションなどで活躍されている。
私が知っているのだと映画ガイアシンフォニーのナレーション。
ホワイトバッファローの伝説の作品では美浜ホールでその渋い暖かい声がとてもぴったりだった。
もう今週の日曜日、
茂原のまことの里で山川さんとまたご一緒する機会を得て、すぐに青い馬の少年をやりたいと思った。
元々は市原の宝積寺さんでのオファーがあって、山川さんと宝積寺に打ち合わせに行き、その後絵本を受け取りにわざわざ分かりにくい田舎の家まで来てくださり、瀬戸内の香り立つレモンをいただいて、その日は合わせもしてみずに、そして、
今日のリハーサル。
竹井さんと前田さんも早くから家に来てくれて、先に間に挟む曲をさらっとリハーサル。
その後山川さんがいらっしゃるも、まず昼ご飯を食べて和む。
そして、さあもうやらないと時間ないよ。
というところで、打ち合わせも、なんとなくも、区切りもなく、とにかく通しましょう。
ということで、通すことにする。
ドキドキする。
だって絶対に山川さんのおじいさん、聞く前にわかる。
いいに決まってる。
私の少年はもう、いいも悪いもないんです。
だって、無い物はなくて、あるものやるしかない。
というより、自分にとっては、少女より少年の方がなぜか馴染みがある。
そういえばスーホもそうだったかな。
というより、たぶん山川さんの聞きながら何か引き出されるものをもう出すしかないだろう。
ごめんなさい!!
みたいな。
これをもう、細かいところ、ここの抑揚はどうしたらいいですか、とか、ここはどのくらい間が必要ですかとかレッスンしたら、完全にもうわからなくなるだろうと自分で予測できるので、
山川さん、
もう私はこれだけです。
となるしかない。
最初っから完全に絵本の世界。
どうしてかわからないけれど、
これは山川さんと私の話ですか?
と思わず思う。
間に挟む曲も含めて、前田さんがリハーサルの後で、山川さんが絵本の題名を言ってから、最後の曲を弾き終わるまでが、完全に一つの曲でしたよね。
と言っていたように。
そして、たった一回。本番のような通しをして、誰ももう一回やっときましょうと言わなかった。
じゃああとは本番で。
ああ、これはジャズみたい。
私は理論もレッスンも受けたことはないし、勉強してないのだけれど、素晴らしい人に出会えてご一緒させてもらえたからこそ、なんとなく楽しくやれた。
それってダメじゃない。
と言われても仕方ない。
たぶん私はちゃんと勉強したらそれこそダメだったと思う。
理解できなくて途中で挫折するのが目に見えている。
この朗読も、山川さんとご一緒するからこそ、のせられてのってしまえる。
運がいいんだな。
それにつきます。
馬頭琴もそうだったかもしれない。
チ・ボラグという馬頭琴では神様みたいな人にいきなり出会って、その一番弟子、二番弟子に直接教わり、同じ大きな舞台もなんども経験させてもらえた。
そして、言葉がわからなかったこともあるかな。
理論ではなく、感じを掴むのをするしかなかったから。
モンゴルでは乗馬も同じ。
何一つ私の場合教えもらわず、ほらやってみなって、走る馬から落ちないように必死になるうちに乗りこなした。
そうか。私にはそのスタイルが合っているのだな。
とてもスリルがあるんだけど、ヘンなドキドキ感がくせにもなる。
ドキドキ感がこわいけど、そう。本当はすっごい怖い。
でもその怖い所も冷や汗かきながら、味わえてしまう度胸がもしかしたらあるのかもしれない。
それか、本物に近づきたい欲求があるから貪欲にそんな真似をしてしまうのかもしれない。
9月18日まことの里、
午前と午後との二回公演。
9月22日市原の宝積寺
で山川さんとのコラボライブがあります。
クリスタルボウル、ホワイトバッファローの曲中に出てくるのですが、以前より前田さんが、やってみたいと憧れの存在だったというクリスタルボウル。笑
おっちょこちょいの竹井さんと私がいつも交互に音出したり、片付けたりしながら、お互いにお互いのダメさ具合がわかってるので、声かけあいながら、極端に気をつけていて、無傷。
それを今回前田さんに音出してもらうというので、必要以上にふたりして、これ一個10万ですから。
ガラスのようにすぐ割れますから。
で、10万だけじゃなくて、アメリカのセドナまで行って買ってきてもらわなきゃ手に入れませんから。
と散々おどす。
ま、もちろん何事もないわけですが、前田さんとしては初めて実物を見て触ってとても嬉しかったようでなによりです。
クリスタルボウル越しの山川さんと竹井さん。
撮影前田さん。
どうやら山川さんとのコラボは11月にも実現しそうですよ^ ^
でも青い馬の少年は9月です。
美炎(みほ)さんは何人ですか?
たぶんこの名前の分からなさ具合と、馬頭琴という楽器のイメージとで、より分からなくさせてるんだろうなと思います。
ところで、歴代の実家の猫さん達の名前もおかしいです。
ウワワ
チャチャチャン
ポポーン
ヨヨーン
美炎といい、なづけおやは父の竹彦です。
ほんとは私、美炎子と子がつくのです。
これも、その当時名前に子が付くのが流行らなくて逆に珍しかったから子をつけたそうな。
なんにせよひねくれ。
その血を受け継いでます。
で、芸名としてわかりやすく、シンプルに美炎としたつもりでしたが、余計分からなくしてました。
まあそのくらいがちょうどいいのかも。
マザー牧場での演奏。
今期もはじまりました。
昨日の1日目はパーカッションの前田仁さんと。
竹井さんと前田さんのトリオのスケジュール合わず、今期四回は、どれもデュオか私のソロです。
前田さんと、旅の話になりまして、私はいつかアメリカの平原を馬で思いっきり走りたいです。
と話したら、アメリカのどのへんですか?
と聞かれて、
うーんとメキシコあたりかな。
それはアメリカじゃないですよね。
あ。
っていうやり取りと、
高知へ今度竹井さんと二人で行くんですけど、岡山より遠いから、フェリーに車ごと載せるというてもありますよねー。
と話していて、ネットでフェリーを調べると、港が徳島と出たので、前田さんに、
徳島って高知のどのへんでしたっけ?
と聞いて
。。。。
あれ?
。。。。
徳島は徳島で高知は高知ですよね。
はい。
よりによって、前田さんに言ってはいけない事を言ってしまったと、私が前田さんと竹井さんの方向音痴具合を笑ってきたのに、メクソハナクソヲワラウ。
ま、ありますよね。こういうことも。
立ち直り早いと褒められます。よく。
ところでこのマザー牧場にて、マザー牧場のソフトクリームとても好きなのですが、春にイチゴのソフトクリームパフェが登場して、ハマりまして、今期は焼き栗のソフトクリーム。
すごく美味しいです。
雨が降っていたので控え室に持ち帰る途中でスタッフの方に、あれ!
美炎さんがソフトクリーム食べるなんて!
イメージと違う!
と驚かれて、
もっと渋い美炎さんだから、もっと違うもの食べて欲しかったなー。
といわれました。
そうなのか。
このお仕事はほんとにイメージありきだと思いますが、そう思っていても、舞台の私がどう思われてるのか、やっぱり分からないものです。
舞台降りると、素に戻ってますから、ギャップってあるんですね。
それも人によって受け取り方が違うでしょうから、ソフトクリーム食べてても何も感じない人ももちろんいるだろうし、えー、ソフトクリーム食べるんだ!
ってなる人もいるってことですね。
とわかったところで何も変わらないのですが。笑
次回マザー牧場は9月19日ギターの成川正憲さんです。
ナリさんにソフトクリーム食べましょう!って一緒に食べるのがもう今から楽しみです。
たぶんまたおばさんトーク炸裂です。
だいたいにおいて半年に一度会うので、たまった話がありまして、近況報告だけで、お互い喋りまくります。
ちなみにソフトクリーム食べていて驚かれたスタッフの方に、何をたべていて欲しかったのか、聞いてみたいと思いました。
わらび餅?
人が犯すたったひとつの罪は自分を幸せにしないこと。
周りにいる人に遠慮したり、待っていたりする必要なんてない。
自分自身が幸せになること。
できることはそれだけ。
誰も私の人生を生きてはくれない。
誰も誰かの人生を代わりに生きることはできない。
そして誰も私の人生に責任を持ってはくれない。
だから、私は私の本当に望んでいるように生きればいい。
そのために必要なものなんてない。
社会も家族も足枷になっているわけではなくて、どんな状況でも、人は望んでいるように生きられる。
命の力を信じること。
それは太陽の光のように普遍的で力強く、よどみない。
あの人が世の中から消えてくれれば全てはうまくいくのに。
そう思うことがあるかもしれないけれど、あの人はどんなに悪人であったとしても命だ。
だから、時間は次元を越えてしまうほどかかったとしても、やがて存在の力でシンプルになる時がくる。
ただ、今はその時じゃないだけ。
学生の時にアラスカの大河、ユーコンをゴムボートで下った。
その大きな大きな流れは絶対的で、そこに木の葉のようにただよう私は本当に小さかった。
更に小さいカゲロウが、ある日いっせいにその大河にあらわれ、川の上を飛びただよったかと思えば、なすすべもないように川の中へ落ちていく。
最初は水に落ちていくカゲロウをすくいとって、ゴムボートのヘリにのせていたけれど、やがてやめた。
死んでいくこともまたこの大きな流れのように絶対的で、大きな営みの中の一瞬にすぎない流れの中のある一点だと。
カゲロウは命の力を教えてくれている。
消えていくということによって、消えることは
再びあらわれることだと。
あなたはあなたを生きて欲しい。
死ぬその瞬間までもあなたであって欲しい。
カゲロウでさえ、カゲロウとしての命をただ生きている。
私が私であること。
あなたがあなたであること。
それは太陽の光のように力をくれる。