月がみちる
今日は満月のようです。
そういえば先日の八ヶ岳の夜のライブでは縄文の博物館館長さんが、三日月は人間が肉眼で見える月なので、新月から3日目に復活再生するという思想が古代にはあるという話。
陰暦の月に沿って生活するととてもぴったりくるという話。
陰暦の話はよく種まきや収穫など、陰暦の通りだと聞く。
館長さんはとても縄文の文化を愛していて、自分もそんな思想や生き方を少しでもしたいなと思っているけれど、もう陰暦にかわることはこれからないのだから、そういう現実をちゃんと踏まえて、どこまでなら取り込めるかと考えている。
という、なんかとても共感できる話でした。
もう陰暦にかわることはこれからないのだから、というあたり、陰暦にまた戻すべきだと思わないあたりがなんだかじーんとするのでした。
変えることのできない状況ってある。
若い頃はなんでも変えられると思っていたな。
今考えるととても守られていた環境にいた。
変えられない状況は確かにあって、それは大きな波のよう。
満てちくるものを止められない。
それなら自分はどうするか。
その大きな力の前にどう立つのか。
まともに波をくらうのか。
波をくぐり波の底で耐えて通過する波を見ながら、のる時を見極める。
諦めることとは違う。
今ある状況の中での一番の理想を思い描く。
波を読むこと。
それでも、
どうしようもなくて、かなしかったら泣くしかない。
それがあとから力になる。
悲しみをちゃんと受けたら、その悲しみは自分の力になってくれる。
なぜなのか
なぜなのか
答えなんかない
悲しみをしっかり通過した先に
わかることがある
月はみちるものだと。
月みちる
↑
先日のサマーアースライブ2016
ひょうご環境体験館でのライブの動画
オリジナル曲の月みちるです。
馬頭琴 美炎
キーボード 竹井美子
ドラム 前田仁
ちなみにこちらは牛窓てれやカフェでの月みちる。
最初に荒城の月を弾いてからの月みちるです。
どちらも違うので聴き比べてみてください^ ^
↓
八ヶ岳を皮切りに西へのライブツアーへ、早朝に出発した私達三人は間も無く同時に眠くなるという状況におちいり、眠気から脱する策として、なぜかドラムの前田さんが、プロフィールクイズしまーす!
といういささか無駄なテンションではじまり、私はそんなクイズなんて面倒だなとチラッと思ったのですが。
前田さん「じゃあ僕のプロフィールから。
幼少より何に親しんだでしょうか?」
ピアニスト竹井さん「犬」
前田さん「じゃあ次。何部に所属して活動を始めたのでしょうか。」
竹井さん「野球部」
(正解プロフィールのくだりは、幼少の頃より地元の祭囃子に親しみ、吹奏楽部を経て・・)
ということで一気に目が覚めました。
流石竹井さん。
珍道中という前回の岩手遠野ツアーのブログが大変評判がよく、会う人ごとに、竹井さんと前田さんのくだりに皆さんいたく感動されているようで、今回も。
八ヶ岳での演奏が終わり、早朝出発。
まだ薄暗く、朝に比較的強い私がハンドルを握ろうと、「さて、ナビはどこに設定しようかな。」
そこでやり取りが少しあったのですが、後日ツアーの途中で、竹井さんが、「美炎さんあの時、どこに設定しようかなと言って、前田さんが、新潟!ですかね??
って言ったら、前田さんもう何も言わないでくださいって怒ってたよね。」
と言われて、思い返す。
八ヶ岳から、岡山は備前へ、
中央道の小淵沢インターより、琵琶湖の長浜へ出て、大阪での花火大会渋滞をさけるためにそこより日本海側に出てのち、岡山備前へ直下するという計画を、事前にお二人には伝えていました。
なので、薄暗く、眠気と戦いながら、まずナビをどこに設定するか、鈍い頭をめぐらせながら、琵琶湖の長浜あたりかな。と考えているところに、たたみかけるように、前田さんが明るく、新潟!!
と言ったので、(その後自信なさそうに、ですかね??と付け加えていました。)
私はもう説明する気力もなく、何も言わないでください。となったのでしょう。
後から前田さんにも、美炎さんあの後しばらくイライラしながら運転してましたよね?と言われ、お二人を怯えさせていたのかな。と反省しましたけれども、
このお二人に進化を望んではいけないのだなと1人悲しくなるのでした。
強くなる私。
その後も溢れるほどこのようなくだりは続くのですが、いちいち私も覚えてないのでした。
ひとつあるのですが、え!!という返しをした途端にご本人が間違えに気づいたようで、美炎さんあのこれだけは、ブログに書かないでください。とおっしゃってたので、やめときます。
でもおかげさまで笑いの絶えない旅です。
お二人はどちらかが素っ頓狂な受け答えをしているのをご自分のことはすっかり棚に上げて笑っていらっしゃるので、平和です。
もしかして私もか?
ともあれお二人は舞台の上ではとても頼りになります。(MC以外で)
八ヶ岳では縄文の博物館の館長さんが三日月について熱く語るのを皆で興味深く聞いたり、八ヶ岳に呼んでくれた天さんが採った鮎や山の幸をいただきながら、外で弾きました。
あんな風に山が暗くて星が見えていて、田んぼの広がりがあって、月の曲を弾くのは気持ちがよく、また一人では演奏しきれない世界観をお二人の伴奏によって形作れる幸せを感じるのでした。
道中は温泉や美味しいものを食べることを決して忘れず、ご褒美があればあるほどいい演奏ができるわけではないのですが、リラックスや楽しさや、嬉しさはやっぱり自然と音に出てくるのは人間です。
兵庫の山の上はなかなかの近代都市で、面白いホテルや、ホテルの周りのオブジェでツアー企画してくださった安則さんが来年のチラシの写真撮影をしましょうというので、それと共にまた面白い所をまわりました。
腹ごしらえに連れていっていただいたお好み焼き屋さんには、雷と白い鹿を追いかけて撮影している方に、ジャコウネコの糞からとれた貴重なコーヒー豆のコーヒーをいただいて、甘い香りにうっとりしました。
今回の各地の演奏では、懐かしい方々に沢山あいました。
そうして足を運んでいただいて、音楽を聞いていただける幸せ。
お互いに別々に流れていた時間を飛び越えて今、ここを共有できる面白さ。
そこからまた新しくはじまる物語。
いつも思うのですが、呼んでいただく場所というのは何かやはりご縁があって、呼ばれたんだろうなと思います。
人も場所も建物も、生きているというか、音を出すというのはすべての存在に何らかの働きかけをしていて、そこで何かの作用があり、それが次の物事につながるというか、そんなイメージでいると、とにかくそれを感じていればやがて少しずつ広がっていくのだろうと思います。
やめさえしなければ。
父を見舞いました。
弟とは、もういつも最後かなと思いながら会いに行くんだけれど、自ら復活していくんだよね。
でもきっと、ああ、もうダメだ。とこっちが思ってると、また復活して、ああ、大丈夫そうだと思ってるといつのまにかそのまま逝くんだろうね。
と、もう弔辞を10年前から書いてるという弟と笑いながら話すのでした。
もう96歳ですから、いつでもどうぞ。とは言わないまでも、いつ逝ってもおかしくないわけです。
入院している個室の部屋を開けて皆で入っていくと、わー。たくさんきたなー。
もうね、孤独でベッドに沈んでたところなのよ。
と、父らしくない寂しい言葉と父らしいユニークな言い方で、ああ、父だな。
と実感したのでした。
でも話すうちに力が湧いてきたようで、この入院はチャンスなんだよ。
まとめて考えるのにちょうどいいんだ。
今までの50年の研究を一変させるような大発見をしたんだよ。
ととても生き生きと話す。
一緒にいらしたお弟子さんが、先生、それなら私達の今までの30年は何だったんですかね。
と大笑い。
私達ついていけるでしょうか?
それはね、退院してから、皆にわかりやすくどう説明するかを考えて書いて残さなきゃな。
と、もう退院することにしているのでした。
リハビリが残ってるからまだ入院しているのだそうです。
そして弟の教え子さん達と飲みました。
聞けば弟は大学を卒業してすぐ、大学の先生になったようで、生徒が生徒を教えるようなもんで、よくそんなことが通ったなと驚くのですが、数学の研究にどっぷりハマったままだと変人になるしかないので、若い生徒さん達に慕われて、いろいろ議論できる環境がすごく幸せだったのだな。とホッとしました。
なんだ、父といい、弟といい、変人とも言えるけど、私にはとても分かり合える人達で、つまりは私も変人の類なのか?と思いつつ、変人とは、一つのことに夢中になってしまう人のことで、それで生きていけるように、周りの人がものすごくたくさん助けて応援してくれるという、そんなことを思ったのでした。
たぶん、やめなきゃいけないなら、草の根っこを食べてでも、夢中になるのをやめられない類なんでしょうね。
この田舎の家に一人でいると、世界から隔離されてるようで、ぞわぞわする。
でもこの空の向こうはアラスカだったり太平洋だったり自分の妄想では随分と都合のいい世界だ。
最近は台所の机から外を眺めたり、本を読んだりするのが好きだ。
今日も台所の窓からはベランダの柵に雄のキジがとまっているのが見える。
しばらくすると谷地の方へ飛んで行った。
そして急に空が開けて日差しが熱くなり、そこに向けて洗濯物を干す。
それからしばらくまた読書に没頭してると、急に空が暗くなってスコールのような大雨。
外に飛び出る。
といっても広いベランダには屋根があるので雨にはうたれないですむ。
広がる谷地と、ベランダの下の草むらに雨が降り続けるのをみる。
向こうの空は少しだけ晴れてる。
空がドラマチック。
小鳥が二羽、雨の中飛んでいる。
言葉にならない気持ちは音にのせよう。
音にして風に運んでもらおう。
空に溶けていく。
夜が好き。
昼間には素通りする何かの気配をたくさん探してしまう。
そこに息づいている何かは闇の中で溶けて私の肌につながっている。
何もない日というのが結構ある。
気分がのれば料理をしたり、家のいろんなことをしてみたりする。
気分がのらない日はほんとに何もしない。
ただ、台所の椅子にすわって、外をみて、本を読んで、喉がかわけば、お茶を沸かしてのみ、お腹がすけば目の前のガスでパンケーキを焼く。
音楽も聞かないし、音楽もしない。
365日音楽なんてできない。
自分は飽きるんじゃないかと思う。
だから、飢えさす。
たぶん、人にも飢えて、出歩くことや、ニュースやその他いろんなことに飢えたころ、仕事という名の演奏へ出て行く。
そのバランスが自分にはいいらしい。
よくあちこちに出てますね。
と言われるが、実際に出てる以外はほぼ引きこもりじゃないだろうか。
人に飢えて人に会いたくなった頃人に会う。
旅に飢えて旅に出たくなった頃旅に出る。
音楽に飢えて音楽が欲しくなった頃音楽をする。
いつでもそうとは限らないけど、そんなバランスにしていくのは自分自身だから、自分のために。
あんまり面白そうに会話してるから、思わず、一緒にやりたくなる。
それで、ちゃちゃ入れたり、相槌うったり、もしくは、そのへんで踊ったり。
思わずつられちゃう。
ジャズサックスの中村誠一さん。
ライブに行ってきました。
ピアノ、吉岡秀晃さん。
中村誠一さんはジャズのジの字も知らない私でもなんとなく知ってる、ジャズピアニストの山下洋輔トリオでも有名。
ピアノ吉岡秀晃さんは定期的に中村誠一さんとデュオを続けていて、ロサンゼルスタイムスでは「日本が生んだファンキージャズの達人」と評価されている。
しょっぱなから、へーーーーー
って思いっぱなしで、なんていうか、本物聞くのが一番早くて、一番勉強になる。
ジャズ勉強しようなんて、思ってもいないのですが、中村誠一さんとはやりたいのです。
っていうと怒られそうですが。
中村誠一さんとは、イラスト、絵描きの田村セツコさんの展覧会後の打ち上げで初めてお会いして、へー?馬頭琴?どんな音すんだろうね?
という多少の興味は示してくれたものの、ま、珍しい民族楽器にありがちな、とりあえず弾けるだけじゃないの?的な感じもおそらくは。
わたしも同感なだけに、かえって、この人は正直な人だと好感。
特に私は名もない日本人ですから、これが楽器現地のお墨付きの方なら話は全然別ですが、期待されてない現場というのはあったりします。
期待されてない感じを受け取ると、私の場合やる気が倍になります。笑
確かに珍しい民族楽器というのは、そもそも見るだけでも、音出すだけでも、へーーー!!!ってなるお得感はあります。
で、じゃあ弾いてみてよ。決して意地悪で言ったわけではないのは確かですが、私としては、ここでガツンとやらざるを得ないでしょう。
いつでもどこでも本気モードですが、ちょっと気合入ってたのは確かです。笑
その機会は田村セツコさんのバースデーパーティーでした。
中村誠一さんパーティーの中でメインで演奏されていて、ジャズを多分ちゃんと聞いたのは私も初めて。
飛び入りで、合間に馬頭琴を弾く。
もう誠一さんは真横で、ものすごいかぶりつきで見てました。
確か三曲くらい弾いた。
すごい人に試されてる感満載で、なおかつ超かぶりつきは、まるでいたずら少年のような目ですから、怖くはないのですが、そのせいで私もテンション上がりまくりで、果たしてちゃんと演奏できたのか記憶にないんですけど、パッションは伝わった。
誠一さんが、終わった後、挨拶の時に、「いやー。しびれましたよ!」
中村さん:今度ライブやるから弾きにおいで。ジャズ。
私:いや、私ジャズわかりません。
中村さん:でもなんか弾けるでしょ?
私:なんかは弾けます。
中村さん:じゃ、大丈夫。当日、楽器持ってきて。
内心、えー!!
と思いつつ、どこかでなんか楽しそう。とチラリ。
今にして思えば、もう中村誠一さんの持ってるそのものが、人にそういう遊び心をもたせてしまうとしか思えない。
今日のお二人の演奏見ててもいろんなことを感じたり、考えました。
やっぱりいい音楽って、心も開放されるけど、頭もくるくるまわる。
中村誠一さんはフラット。
本当に人柄と在り方と、なんというか、先日私が荒浜でゼロ。
ということを思ったのですが、中村誠一さんはそれを元々持ってるんだなーと思いました。
超絶技巧というのは遊びの中の一環。
遊びの要素だと思えました。
あくまでもさらっと。ポケットから、あら、こんなのも入ってたよーーん。
という感じに。
中村誠一さんに、あの、またご一緒したいのですが、なかなか躊躇していて時が過ぎてしまいま。。
あ、とにかく、やるって決めちゃおうよ。リハーサルも含めてね。
ハイ。
ということで、企てることにします。