馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 実は- 2017/10/20 -

Category : BLOG

春の久留里千年の森コンサートも雨でした。

マザー牧場も割と雨でアグロドームで演奏した記憶の方が強い。

八街での花火大会でも雨。

岩手のお盆をまわるツアーでも連日雨で、ついに棚田も雨。

なんかね、馬頭琴、湿気に弱いっていうの、気にならなくなってきた。

確かにああっだんだん鳴らなくなってきてる。。。

っていう時ありますけれど、こちら側にものすごい気合があると、通じるのか楽器が不思議と鳴ってくれるってことがあります。

棚田なんかはもろにそう。

一曲目を弾きだすまでは、ギリギリ雨もってた。

前日からザーッと降ったりせずに、もちこたえていて、時折雲が薄くなり薄い青空が見えたり、前日の夜の露天風呂では沢山の星が見えて、あまりにも嬉しくてずっと眺めていたら流星まで見えて、こりゃ棚田でできる!ってなんか涙まででてきた。

で、弾きだした途端、ザーッと。

ずっと我慢してたけど、だめだったーー。

みたいな感じに思えた。

私と主催の廣田さんの心の中の音を拾ったら

がーーーーーーーーーん

がーーーーーーーーーーん

がこだましてたと思われます。笑

お客さんとスタッフの人に申し訳なくて、心の中が一瞬ぐちゃぐちゃになりそうであったが、もうそんなこと言ってられない。

何があってもこの雨の中、きた甲斐があったと、少しでも思ってもらえるように。

それだけでした。

ここに書けば、書ききれないほどに、どの曲にもいろんな事が起こってました。

私とキーボードの竹井美子さんとドラムの前田仁さんは、それぞれがそれぞれに、まず、普段のコンサートでは起こらない、様々なことがあって、それをいちいちこなす事で精一杯。

きっと、雨はもってくれるだろうと、たかをくくっていたために、心構えができてなかった事もあったかもしれない。

そんな湧いてくる心の叫びを諦めながら、慰めながら、それでも雨音と、身じろぎせずにずっと聞いてくださっているお客様の様子に、弾いてる間は自然と集中することができました。

最初の一振りで楽器が濡れたために、音が出なくなっても何ら不思議はなかったのに、出てくれた。

寒い中なので、MCは極力少なくして、休憩になると、だーっと皆さん棚田を後にされたので、ああ、帰られるのかな。

それは仕方ないなと。

小さなお子様連れの方と、お尻が濡れてしまった方と帰られたということでしたが、ほぼみなさん戻って来て、申し訳ないのと有難いのとで泣きそうになりました。

皆さん、傘を持っていたので、拍手ができないのですね。

それで、パチパチパチと、口で言ってくれた方がいました。

私はそんな事も気づかなくて、あれは傘持っていたから、拍手ができなかったのだと、後で前田さんが教えてくれました。

それでも、聞いてくださってる方が、楽しんでますよ。となんだか舞台の私たちに伝えてくれていると感じ、主催の廣田さんと、始まる前に、これで雨が降ったらいったいどんなお叱りを受けるか、廣田さんが、そういうのは全部私達が受けますから。

と話したことを、終演後、皆さん暖かい言葉をかけてくださり、廣田さん達と、暖かいお客様達だったね。

お客様に救われたね。と話したのでした。

廣田さんの娘のモエちゃんは、フェスみたいで楽しかった!と。

そして今回の目玉は前田さんの雨も滴るいい男ぶり。

いや、滴るどころではありませんでした。

石舞台の上のテントの下にはパーカッションセットがあり、石舞台のしたのドラムは雨水がたっぷり溜まっていました。

コンサート前半はわりとパーカッションのプログラムだったので、前田さんに、ずっとパーカッションでいいよ。と伝えたのですが、前田さんは黙って頷いていたのですが、

ふとレッドロックスピリットを演奏する時に、気づいたら前田さんは前のドラムの前に座っていて、最初のドラムの勢いの良い出だしから思いっきり、逆シャワーを叩くたびに浴びているではありませんか。

目が釘付け。

これは、なんかCMでしか見たことのない。あれですか。

これは一生に一度の光景かもしれないと。

ただ見惚れていたらいかん。ここで私がヘマしたら水の泡じゃん。と

釘付けになるのは途中で諦める。

本来なら大事な楽器がずぶ濡れで、申し訳なく思うのが普通なのだと思いますが、もうこの状況ではある状況をなるべく楽しむしかなく、前田さん、かっこよすぎる!

今日の目玉だわ。と思いつつ。

後から、ドラムって濡れても大丈夫なんですか?と聞かれて、いや、大丈夫じゃないです。

とにこやかに応えてましたが、

全てを分解して乾かし、後日組み立てて磨くという作業をもちろん私もお手伝いし、生まれ変わったかのように綺麗になって、音も大丈夫でホッとしました。

今回、こちらから頼んだ撮影の市田さん。

ドラムの前田さんの大学時代の軽音部の同級生で同じドラム。

学生時代に、河原でふたりで叩いていたら、急に夕立にあい、全てが間に合わなくて、土砂降りの中叩いたことがあったそうです。

あれ以来だね。ってふたりでにこやかに語ってました。

竹井さんのキーボード。

前半のプログラムの真ん中あたりから、不思議な音を出すようになり、帰りの車の中で奏者三人で、お客さんにもスタッフにも明かせないような裏話をあれやこれやと話しつつ、爆笑しながら帰ったのですが、あのキーボードの突っ込みは、宇宙人的感性だったと意見が一致。

まるでありえない場面でありえないキーの音が入ってくるので、最初は笑いを堪えるのに必死でしたが、

もうあとは、なに食わぬ顔でみんなで弾きました。

気付いた方もおられるでしょうが、あれは竹井さんの名誉に断じて、キーボードが勝手にやっていたことでした。

もちろんMCでもさらっとお伝えしたのですが。

そんなわけで、ロンドンデリーのうたは、クライスラー編曲でピアノがとても華やかなので、断念。

しかし最後のオリジナル曲のポラリスでは不思議と変な音が出ずに乗り越えました。

竹井さんのキーボードですが、お部屋で乾かしたところ、ちゃんと復活したそうです。

良かった。。

竹井さんはもう何年ものお付き合いで、各地をまわるたびに、竹井さんのピアノっていいね。大好きと言ってくださるファンがあちこちにいて、前田さんはまだご一緒してくださるようになって2年目ですが、早くも前田さんファンが確実に増えているので、嬉しいかぎりです。

三人の息を褒めてくださるのももちろん嬉しいですが、何気にメンバーを褒めてくださるのも、私の力じゃない癖に、自分が褒められているような気持ちになってしまいます。

で、

全体通してあまりにも無我夢中だったので、帰りの車の中で、三人で振り返るまであれは良かったのが悪かったのか分からず、終わった後打ち上げでもボーゼンとしている感じが続いていた。

ただ、色んな人から私宛にメッセージが届き始め、雨の棚田で聞く演奏は格別だった。

という感想なので、それも含めて夢だったのかしら?と思ってしまう。

ただ、一つ思ったのは、棚田コンサートを支えてくださる沢山のスタッフ、そしてそれは気に入って来てくださるお客様も含めて、本当に棚田コンサートが愛されて支えてもらっているんだなぁということです。
なので、奏者は文字通りやれるだけの演奏をただ、ただやればいいのです。

こんな有難いことに改めて気づけたのでした。

きっと、弾いた途端に降り出した雨は、当たり前だと思うなよという私へのメッセージだったかなと思います。

もう雨なんて怖くないよ\(^o^)/

さてこのメンバーで21日土曜日は京橋エドグラン地下一階の大階段でライブ。

観覧無料!

16時から

17時から

40分づつ。

  
棚田の廣田さんの奥さん、ミチカさんが「美炎さん、私はレッドロックスピリットとグラスランドとダンスインアリゾナが大好きなんです。」えっ。全部ロックじゃん!!

「あっ、マグノリアの願いも好きです。」

と付け足されてましたが、なので、ダンスインアリゾナは提出していたプログラムに書いてなかったので、リクエストしようかなと思っていたそうです。

実はあれは私もやりたくて、でも曲が入りきらなくて断念したのですが、終演後に、お客さんにご協力いただいて、ドローンを飛ばしました。

ドローンの音が100匹のアブが飛んでるような音なので、コンサート中に飛ばすわけにいかなくて、ダンスインアリゾナならいいかなと思って弾いたのでした。

それでミチカさんが喜んでくれたのですね。

ダンスインアリゾナ。ドローンに負けてませんでした。

ちなみにこの曲は新しいCDに収録されています。

21日の京橋エドグランでも販売いたします。

日曜日22日は、南房総市滝田にあるギャラリーsfkにて14時よりこのメンバーでライブです。

なので期日前投票しました。

11月は名古屋と飯田と岐阜と長崎に参ります!

写真はツイッターで繋がった同じ名前のミホコさんが撮ってくれたものです。

一番下は那珂川町にアトリエのある現代美術画家の岩本拓郎さんのアトリエにて。

奥様の浄土紀久子さんの染めの着られるスカーフ。

こちらを今年も着させていただきました。

岩本さんによる撮影も、紀久子さんの日本橋三越での展示会パンフレットに載っています。

(10月21日より日本橋三越にて)

そして、今回の着られるスカーフの下の白いビスチェは、ギャラリーsfkの山鹿先生に頂いていた着物の振袖の袖を、美・JAPON の小林栄子先生にデザイン制作してもらったものですが、私の髪の毛が邪魔で肝心なビスチェの梅と松の刺繍が見えません。。
別の機会に改めてご披露できればと思います。
   
    
    
    
 
  

コンサート・インフォメーション

 ギャラリーsfk馬頭琴コンサート2017/10/22(日)- 2017/10/18 -

Category : コンサート・インフォメーション
美炎-miho-馬頭琴コンサート
日時

2017年10月22日(日)

14:00~開演

会場

ギャラリーsfk

千葉県南房総市下滝田125

出演

馬頭琴 美炎

キーボード 竹井美子

ドラム 前田仁

チケット

詳細はギャラリーへお問い合わせください。

チケット販売
お問い合わせ

 0470-36-3052

 

 

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 リセット- 2017/10/09 -

Category : BLOG

ふとぽっかり2日間空いた。

そして誰もいない。

ふと目にとまるアースマンシップのサバイバルキャンプ。

この前、アースマンシップの山梨の拠点となる古民家の竹小舞をして、主催の岡田さん夫妻に会ったばかりだったが。

まだ空いてますか?

急に飛び入り参加、よく持ち物などみると、改めて、サバイバルキャンプだということに思い至る。

サバイバルしたい!って思ったわけではなく、この2日を有効活用しようとか思っただけなのであった。

なので急に寒くなった小雨の朝、あちゃー。野宿寒くて眠れるかなー。

アースマンシップのプログラムの焚火キャンプとかにむしろ参加したかったなどと情けない思いを胸に、奥多摩へ。

だんだん雨が上がってくると、野宿なんて久しぶりで想像してみるとだんだんワクワクしてきた。

奥多摩の山々が、せめぎあった渓谷のすぐ脇にアースマンシップのフィールドがある。東京都の水源の森。

先人が太い木を切らずに残したことで、実は日本で一番巨木が残っている山があるのが東京都の水源の森なのだ。

そこをアースマンシップさんなら、と特別に活動することが許可されているフィールドだ。

トイレや、食器洗い、全てにわたって自然に還る工夫がされていて、それだけでも勉強になる。

はじめはサバイバルとは、という淳さんの話から。

(以下、紹介する写真は全てアースマンシップさんのものを引用)

  
内容は、アースマンシップさんの吉祥寺の家にてサバイバル講座などもありますので、興味ある方はぜひ。

ロープワークは、目からウロコ。

確かに学生時代に探検部で、もやい結びやダブルフィッシャーマンとか習ったけど、完全に忘れており、今回は簡単で解きやすい、でも頑丈にしばれて、調節できるやり方を幾つか教えてもらい、すぐ出来る事に感動。

その辺に落ちている木の枝と、ビニール紐と、シートだけでシェルターを作る。

簡単で、完全に囲まれていないのが逆にシートの内側が湿気でぐっしょりにならないのと、片側だけでも充分安心感があること。

  
  

  
色々と教わってから実際にみなバラバラに渓谷沿いの森の中にそれぞれ気に入った場所を見つけてシェルター作り。

それから淳さんが、夕方の時間というのはネイティヴアメリカンにとって、特別な時間帯です。

と東西南北に祈るラコタ族の祈りを教えてくれ、陽が沈んですっかり暗くなり、夕飯ができるまでの間は皆さん各自のシェルターで、過ごしてください。

と言われる。

ふと2011年にアリゾナへ行って、ラコタ族に伝わるホワイトバッファローの伝説を7つの曲にしたものの中にこの祈りのシーンがあったことを思い出す。

話はそれるが、最近またアリゾナへ行きたいという思いが強くなっている。

行きたい!という感じより、先にもう意識がいってしまってるような時があるけれどそんな感じ。

携帯も時計も本もおしゃべりもなく、自分のシェルターにて、数時間を過ごす。

こんな時間は久しぶり。

何もない時間でも今や大抵、携帯を見たり、本を読んだり、人によってはテレビや音楽を聴いたり、自然の中にいても、散策したり、何かしらアクションがあるわけだけど、瞑想に近いのかな。

それでも数時間というのは私にはなかなかない。

それともそんなに時間はたっていなくて、案外もっと短い時間だったのだろうか。

最初は熱心に呼吸を意識していたりしたが、とうとうそれもやめた。

もう時間の経過もどのくらいなのかよく分からなくなり、森の中はどんどん闇に包まれ、渓谷の音の中で、虫や鳥の動きを見て、ひたすらぼーっとする。

やがてカンカンと拍子木の音を合図に、真っ暗の中を広場に向かって歩く。

私は暗い中を歩くのが好きだ。

懐中電灯は真っ暗な中ではやけに明るすぎて逆に目になれないし、そこしか見えないという盲点がある。

なんとなく気配を感じながら行くのがいい。

それに懐中電灯をつけると、他の存在にすぐ気づかれるのに、自分はかえって他の存在を知ることができない。

焚火を囲んで夕飯の後はみんなでいろんな話をしたり、参加者はめいめい、好きな時にそれではお休みなさいと言って、一人去り、二人去り、それがみんな焚火から離れて真っ暗闇の渓谷沿いの森の中にてんでばらばらに消えていくのが不思議だ。

ふと、焚火のそばをわざわざ離れるのが惜しい気がした。

この火の側に横になって、火を眺めながら寝れたらどんなにいいだろうと思った。

そういえば西部劇などによく出てくるあれだ。

馬を横に繋ぎ、焚火の周りで毛布にくるまって寝る。

あれ一度はやってみたいな。

私にとっては馬が横にいるのが大きなポイントだ。

それでも名残惜しく最後まで焚火のそばにいて、ついにシェルターへと。

川の音を聞きながら上を見ると、ものすごい明るい月が。

ここは川の音が聞こえるけれど、シーンとした森の中で夜耳をすますとどんな感じだろうかと思う。

テント無しの野宿は若い頃は幾つか経験がある。

それでもシートがあるだけで随分安心感と風除けの暖かさは違うなと思った。

さてここからの様子は実際に参加した方のお楽しみにしておきます。

帰りの電車の中でとあることに気づく。

一度リセットされたかのような不思議な感覚なのだ。

サバイバルを学んだことはとても面白かったし、自信にもなったのだが、そのことよりも、振り返ればここのところずっと日常の中にいた。

当たり前なのだが、自分の日常とは、仕事で外にいる時、旅に出てる時、家の中にいる時、遊びで出てる時、それは毎度状況が変わっても日常だ。

毎日仕事があるわけでもなく、忙しい時と何もない時の差も結構ありし、ぼーっとしてる時間も結構たくさんあり、だからこそ気づかないでいた。

しがらみというととても窮屈な言い方だが、自分を取り巻くものの中に無数にあると気づく。

人はもちろん誰でもそうだ。

家族。友人。仕事仲間。それだけでなくフェイスブックやツイッターなどをやっていれば、タイムラインに上がっている情報との事柄もある意味そういえるだろう。

しがらみではなく、繋がりという素敵な言い方があった。

いい悪いではなく、そこから離れることの例え一時であってもなんと貴重なことだろうかと思うのだ。

特に私に必要なことだったとよくわかる。

寝袋とシートだけもって、人のいない自然の中にでかけ、一人きりで夜と朝を過ごす。

他のものは何も持たずに。

それが本当に久しぶりで、ここ数年無かったかもしれないことに気ずく。

一人でいることはあるけれど、何も持たずに自然の中に一人は以外と無い。

この感覚がとても新鮮に思えた。

そんなのいつでもできそうなのに、意外と出来てなくて、あったとしても歩き周るでもなく、写真とるでもなく、何もせずに数時間過ごすのが新鮮だったのだ。

アースマンシップ・サバイバルキャンプ
↑こちらより、サバイバルキャンプのプログラムの詳細と、アースマンシップのホームページに繋がりますので覗いてみてください。

素敵なプログラムがたくさんあり、またその理念などとてもいいなと思います。

淳さんのプロフィールも見てみると、興味がより湧くと思います^ ^

こういう時間が現代では貴重であり、またたまに必要なんだなと改めて。
   
 

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 ドラえもん- 2017/10/06 -

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夏の後に秋が来るっていうのが本当にすごいと思う。

夏と秋って全く違う。それが隣り合わせってすごいです。

そして夏だけだとやっぱり飽きる。

秋がくると急に夏の間にのびのびした体と心が、そら、今度は少し落ち着いてと、ゆっくりと何か体が沈んでいくような。

不思議な気配だ。

「芸術とは、政治や戦争、あるいは民族の憎悪から生まれたもの、またこうした憎悪を生み出すものとは無縁であるというのが、私の考えである。芸術は、こうした対立を超越しているのだ。人類全体が一つの共同体であることから生まれ、またこれを顕し、またこのことを証明する何かが存在せねばならない。このことを述べるのは、現在ではいつもよりいっそう必要なことである。こうした事物には、まず宗教、さらに学術、そして芸術がある。」

(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/1946年12月17日「非ナチ化裁判」での弁論より)
どこでいつ見つけた文章か自分でも忘れているのだけれど、ずっと大事にメモしてある文章がある。

またふと取り出してみる。

引用するにあたり、ネットで調べるとウィキペディア情報では、さらっとだけれど、ナチスとの協力を拒み、ユダヤ演奏家を保護したという一文の後には、戦後ナチ協力を疑われて活動を停止させられたり、ニューヨークのオケからの誘いがあったのに、ユダヤ音楽からの反対にあったりしたらい。

そういう事を知るとこの文章がまた重みを持って感じられる。

単に響くものがあったので、知りもしないでメモしていて、たまに読み返してみる。ということだったけれど、先日ある人の演説を聞いてこのメモを思い出した。

ツイッターで動物関連や世界のニュース関連や個人的に興味のあるサイトをあれやこれやとフォローしていて、暇な時に見るのを楽しんでいるのだけれど、たまに別に知りたくない投稿ももちろん入ってくる。

そんな中の一つに、右翼とか左翼とか関連の意見の述べ合いというよりは、小競り合いだ。

それでも世の中には本当にいろんな人がいるのだということと、物事にはいろんな側面があるということを知ることができるのもいい事なのかもしれないと思う。

自分が信頼を置いている作家だったりジャーナリストだったり、そういう窓口は必要で、テレビをたまに見るだけだと、やっぱり勘違いしてしまうなと思う。

1年前か2年前か、忘れたけれどこのブログに、右も左もない、自分は大地の上に立ち、ぐるっと見回して見えるその景色を歌いたいというような趣旨のことをかいた。

あれはつまり、自分の考えが、右か左というようなものに分けられたくはない、そこからは対立しか生まれないと思った。

だから、音楽家の立場で政治的な意見をいうと、受け取りてにもよるが、判断されて、それなら敵だ。それなら味方だ。ということに分けられたくないということと、表現したいのはそんなことではないということと、それでも音楽と関係ない部分の意見を言う事で、違う意見を持つ人に、音楽を届けられる機会を失うなら全く私がやりたいことと反してしまうと思っている。

それは今でも変わらないのだけれど、先日の演説を聞き、どうしてもここに書きたくなった。

エダモン。

立憲民主党という政党をつい先日立ち上げた人だ。

私が信頼を置いている方が、この政党についてコメントしているのを読んでなぜかすごく興味を持った。

政治家や活動家の方がいろんな事を話し、もっともだよね。と同意したり、それは違うよと思ったり当然今でもあって、それでも結果として虚しくなってしまうことが多かった。

YouTubeで見た有楽町での演説。

言ってることはすごくまともで、同じことを言ってる人は確かにいる。

でも切り口というか、視点が違う。

特に一番共感したのは、

「右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか、草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。」枝野幸男
弁護士さんが書き起こした全文はこちら。

枝野幸男演説全文
様々な意見、環境、状況の場合や人達がいることを前提に、耳を傾け、何を選択することが最善であるか、又はどのように進めていくかというやり方にも誠実さを感じる。

今でも覚えている。

小学校の時に、日本は戦争を放棄するということと、立憲主義で、権力の暴走はできない仕組み。

独裁が生まれない仕組み。

他国を侵略できない仕組み。

この事がどんなに誇らしかったか。

どんな意見を持つ人であっても、自分を含め、家族が戦争で亡くなるのはいやだし、自分や自分の周りの人が幸せだといいと願っているし、放射能汚染によって苦しめられたくはないし、何かによって苦しんでいる人に手を差し伸べられたらと思うし、それがない状態であれば本当にいいと思っている。

そこが違わないのに、なぜこうも対立してしまうのだろう。

対立を生み出すものというのがあると思う。

だからこそ、枝野さんのこの視点はこれから大きな流れを作り出せると思った。

流れはどこへいくのか。

エダモンの演説を読んで感動しているその時に、今ちょうどハワイで巡業していらっしゃる八王子車人形の家元からメッセージがきた。

「ホテルの窓からはポラリスが見えます。」


ピアノの竹井さんとエダモンについてやりとり。

上の文章を読んだ感想をくれた。

「枝野さんは、他の政治家とは一味違う何かを持ってると思う。

ちゃんと根っこを持ってるっていうか、自由が何かをちゃんとわかってる人だよね。

今ね、去年の直木賞と本屋大賞とった、蜜蜂と遠雷という本読んでるんだけど、

父親が養蜂家で転々としながらトラックの上でピアノのセッションしたり、ピアノは持ってなくて行った先でピアノを見つけては弾く、みたいなすごく天衣無縫な少年が、ある約束からピアノコンクールにでるの。その群像劇なんだけど、その子は自然と共に育ったからものすごく耳がいいの。蜜蜂の羽音を都会の中でもききわける。

その子のピアノを聞いた人は、どんなクラシックの既成の曲でも、まるで今、彼が作り出して弾いてるような即興性を感じてしまうの。

プロの、音楽家たちがむかしにしまい込んでしまった、大好きなフレーズを心のままに臆面もなく奏でることができる子なの。

その子の師匠(といっても師匠が彼の場所に出向いていって一緒にセッションするだけなんだけど)は亡くなる前にその子に、音を外に一緒に連れ出してくれる人を見つけなさい、と言うの。

その人から出るものは、その人の日々の生活、心から出てくるもの。

音もそう。

花を育てるような、蜂を見守るように、音楽をする、

そんなことがちりばめられていて、ものしごくおもしろい。

美炎さんにも読んでもらいたい。

フルトヴェングラーは父が大好きな指揮者だったよ。

(#^.^#)」

  

 

コンサート・インフォメーション

 Live! crossing2017/10/21(土)- 2017/10/05 -

Category : コンサート・インフォメーション
美炎-miho-馬頭琴コンサート
日時

2017年10月21日(土)

16:00~/17:00~ 

会場

京橋エドグラン

地下一階大階段

出演

馬頭琴 美炎

キーボード 竹井美子

ドラム 前田仁

チケット

無料

チケット販売
お問い合わせ

 お申し込みは不要です。

直接会場へお越しください。

kyobashi@edogrand.tokyo

 

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