やなぎもとさんでご紹介した南相馬市と浪江町でのライブの馴れ初め。
読んでない方はぜひ♪↑
はりきって早起き。
いつもは迎えに行くね〜!と渋滞や遅刻を回避するためにだいぶ早い時間を前田さんと竹井さんにはメールで送って、それより30分遅れで大体事は進むのに、
知らせておいた時間ちょい早めくらいでお二人をお迎えに。
二人ともなんとなくそうなるのは予感していたようで、ちゃんとスタンバイしてくれてました。
まず、絶対間に合いたい。
柳本さんは前日入りしているので、当日の午前中、野馬追講座があるからまずそこへ行きましょう!
と粋な計らいをしてくれました。
何がというと、そもそも私が野馬追に興味を持ったのは3.11の震災後に千葉日報より取材していただいて、色々話が弾んだ折に、記者の方が千葉から団体で相馬地方にボランティアに行ったら、相馬の人達に祖先の繋がりの人達が来てくれたというような歓待を受け、千葉の人達は事情が飲み込めず、そこで改めて千葉と相馬の繋がりを知ると言う事があったという話でした。
私もここ数年、千葉県内や、東北の太平洋側をあちこち仕事でまわるたびにそこの人から何とはなく、土地の歴史の話から戦国時代の話になり、馬の牧の話になり、岩手、仙台、福島と千葉の人と馬がその時代に移ったという話が耳に入るので、何故移動したのかどんな風に馬と人の関係はあったのか、戦国時代だから、やはり戦の理由なんだろうなと思いつついました。
なので野馬追も戦国絵巻さながらの写真など見るたびに、単純に馬のおまつりという興味と、真夏の開催ちょっと馬がしんどそうだなとか、色々と思ってましたが、神事なのか戦国絵巻なのかあまりよく分からないでいました。
まず二上さんの話は野馬追最終日の野馬懸の話に。
小人と呼ばれる白装束を着た人らが裸馬を素手で捉えて神前に奉納する。
相馬は元々平将門が祖先だという伝説があり、その伝説によると野馬追は千年の歴史。
ただ、文献に残る一番最初の記述は1597年。
この江戸時代の野馬懸は今でも原という地区があってその原に野生の馬を放牧していた。
この馬らは、完全に神事のためだけに放していた馬。
そこにお祭り当日は、数百人が入り、端から木戸まで馬を追い詰める。
最後は騎馬に乗った武者が木戸から外へ馬を追いやる。
そこからは騎馬武者は何と、木戸からそとに出ない。
木戸からでた野馬は馬だけで野馬道をはるばる小高城に向かって走る。
おそらくみちみち、監視と馬を追う人がいたのではないかという話。
そして一旦海の浜へ出て、潮水で清めてから再び野馬道を小高城へ。
たぶん浜辺りで小人が介在するんではないかと勝手な想像。
その話を聞きながら私は地図で見ながら想像して、それがとても神聖な風景に見えて感動した。
そしてその神事のためだけに広大な牧で沢山の野馬を放していたことも。
当時の人たちが馬をとても大切にしていたのがわかる。
そして選ばれた葦毛の三頭を捕らえて小人は捕らえた馬を当主に買い上げてもらう形で褒美をもらう。
そして当主は馬に願いを託して妙見(北斗七星)祈願した。
何を祈願したかというと、天下泰平、当家安全、相馬のあった中村藩領内の安寧と繁栄だったという。
二上さんが何度も強調されていたのは、野馬追の本質が合戦ではなく、相馬地方の平和と安寧を願うものだっということ。
だからこそ、原発事故の被害をこうむった相馬地方の人々の願い、平和と復興と野馬追本来の目的は一致するというもの。
野馬追は勇壮、戦国絵巻等のフレーズがクローズアップされるが、その源流は明治時代以降の観光化と猛々しさのイメージ先鋭化であったと。
戦前の帝国主義的な日本の風潮と野馬追の猛々しさが一致したために、そうなったという話でした。
それも明治になって、原に沢山の神事のためだけの野馬を保有していたことに、当時の政府は意味無し!ということで、禁止され、捕獲され、相馬の人達は神聖な馬を農牧や軍事に使うことを遠慮したため、外に全て売られていったということでした。
何度も二上さんが、本来の野馬追の目的とは、軍事的な合戦絵巻ではなく、
妙見に捧げる神聖な馬を追い、追った馬を野馬懸で捕らえ、藩領内のの安寧と繁栄を願うことであったと話されてました。
野馬追にとても興味が湧きながら、戦国絵巻には複雑な気持ちがあった私はとても腑に落ち、やはり野馬追を一通り見てみたいと思いました。
話を聞きながら
妙見さんは北斗七星を祀っていて、千葉神社もそうだし、モンゴルのカラコルムなど、あちらの方面から来ているのではないか、手塚治虫の火の鳥などにも馬が大陸から来た時にそちらの文化も入って来たというような事が書いてあるように思いますが、そんな事を思ったり、
風の馬というネパール、チベット、モンゴルとラマ教では色とりどりの旗に馬の絵を描き、経典を書いて、風にはためかせ、風とともに馬が祈りを天に届けるというのがありますが、それを思い出したり、
私のオリジナル曲の「風の馬」
そして「ポラリス」こちらは北斗七星ではなく北極星ですが、なんだかこの後の南相馬市でのライブは「風の馬に願いをのせて〜」というのをタイトルを頼まれた時に思いついたのですが、話の流れとどんぴしゃり。
また、ライブを、する場所が原地区という、昔の野馬追のために放されていた牧だったこともふくめて、一人、興奮していたわたしでした。
あと自分も八街市という江戸時代馬の牧だったところに住んでるというのも何かのご縁だな〜とか。
相馬の野馬追が、星に願いを届けるための神事であり、今の相馬地方の平和と復興を願う本来の意味が再び広く見出される事を想います。
南相馬市博物館学芸員の二上文彦さんの願いが広く知られますように。
そんな話を聞いて次に向かうは、その古代の牧であった原地区へ。
柳本さんが繋げてくれた37カフェ@parkへ。
店主の安齋明美さんと、ここのオーナーの保育園園長でもある近藤能之さん、みんな共和国の国王という方と、なんだが次々とあらわれるニコニコした方々。
ちょっとずつ見えてきたのは、この方達は震災後の放射能汚染にさらされた地に少しでも子供たちが外で遊べるように除染と遊び場作りに尽力し、また子供たちとお母さんの場作りをしてきた方々で、この37カフェその一つだということ。
前に東京のデパートでこの絵柄の大きな風呂敷を売っていて、とても惹かれたけれどお高かったのでやめた。
今思うと思い切って買えばよかったな。
Tシャツのおじさんはマーちゃん。ボランティアスタッフの一人で、子供係。遊ばせるのもうまいし、寝かせるのもうまい。一緒に写真撮ろう!と誘うと照れてしまい。
ライブ後にお昼ゴハンを食べましょうということで、お茶をいただいていると、安齋明美さんが、小腹空いてるでしょう?と、ホットケーキを作ってくれました。
ありがたや〜
それから南相馬市を後にして、浪江町へ。
ここでのライブは青田荘という今年オープンしたゲストハウス。
小林奈保子さんと和泉亘さんが経営するここもまた、人の交流の場となっている。
奈保子さんが、浪江町を案内してくれる。
テレビで見ていた、イノシシやアライグマが荒らしてしまっている商店街の店から中に入ると綺麗な新住宅街に見える。
除染したので新築のようなんだということでした。
ほぼ空き家でこの辺り住んでるのは10軒くらいということでした。
そして請戸の港へ。
校長先生の山に逃げるぞ!という咄嗟の判断で大平山へ、先生と生徒全員助かったそうです。
ここは大平山の中腹にある慰霊碑もある公園。
放射能関連施設と請戸小学校が浜辺に。
小学校の避難の話を聞いて、本当に良かったなと思うと同時に聞いたもう一つの話。
福島が天災ではなく人災でもあったという柳本さんの話を思い出します。
請戸地区はほぼ壊滅状態。
津波の後で消防団などが瓦礫の下から呻き声が聞こえて、日没まで救助を続けるも、暗くなってからは逆に危険だということで、必ずまた明日助けにくるからがんばれ!
と声をかけ、あちこちでまだ呻き声が聞こえる中引き上げた。
そして次の日救助にいこうとしたら、放射能で立ち入り禁止。
救助に行けなかった。
そんな話を聞きました。
あらなぜか写真掲載ができなくなってしまったので、青田荘でのライブ模様は次回に続きます!
ここは知る人ぞ知る食堂。
おばちゃん一人でやっていて、もう廃校になった小学校の中にあるので尚更気づかれない。
リュウさん夫婦のかつての行きつけの場所。
山西省出身のおばちゃん。
美味しい中華料理に舌鼓。
とっても明るい奥さんのアワさん。お二人は原住民の劇団をしている。
これから行く台東で明日公演があるため、車に荷物を載せて一緒に同行してくれている。
手作りの水餃子ももちろん美味しいが、魚団子のスープは、魚団子のすり身も手作りで、今朝リュウさんが予約してくれていてから、いろいろ仕込んでくれて、到着と同時にほぼ出来上がって待っていてくれた。
そしてお腹いっぱいになり、外で涼んでいると、デザートを持ってきてくれた。
甘草や色々な野草の寒天に小豆の煮たもの。
夏にぴったりという感じの甘味。
その辺の草色々干したお茶に黒砂糖を入れた、なんか美味しいお茶をペットボトルに凍らしたものをいただいて、こういうもの色々あって、これは夏バテにならないな。台湾の人達は。
という食生活。
日々ちょっとずつ、いっぱい出会う人々から愛を頂いてます。
ここを後にしてみちみち、リュウさんがかつて働いていた教会に寄ると、道の向かいの知り合いのお店でカボチャをいただく。
都蘭。
アワさんオススメのギャラリーカフェへ。
ひと月前にオープンしたという。
ここから、台湾ブログ1回目のとこに飛びます。
読んでいない方はどうぞ^ ^
アワさんが食堂にてマイ箸やスプーンを出していたり、他にもそんなシーンが他の人で見ていたので、どうやら台湾はこの後からまずプラスチックが徐々に禁止になるので、まずストロー禁止だそうだ。
それでステンレスのストロー。
ちょうど台湾に行く前に、台湾では原発全廃が決まったというニュースを見た。
台湾に行ったらどうやって実現したのか聞いてみたいとおぼろげに思っていたが、なんとなく、台湾の人は民度が高いとよく聞くのだけれど、なるほどな〜と思う小さなことがたくさんある。
ここの美味しいコーヒーはアワさんの奢り。
モリさんは片足が無く、松葉杖を使っているけれど、2日間一緒にいて、誰もモリさんに気を使うシーンがなく、なんというかとても自然で普通。
踊りも踊るし、誰かが足のことを聞いたりもしない。
なんかとてもいいな。
何か瞑想?体操?太極拳?をはじめたリュウさん。
みんなここで気持ちよくて素足になってしまった。
今日これから行くヨガスタジオが、どんな所でどんな人がいるのかは、今回のツアーメンバー誰も知らない。
リュウさん夫婦や、アワさん夫婦も知らない。
リュウさんの友人の知り合いのつてだそうだ。
そのリュウさんの友人は、台北から応援団として、今日夕方にヨガスタジオで合流予定。
絵描きのリュウさんは、夏に彫刻家のシキさんと個展をするので、その会場となるシキさんのアトリエ兼工房を下見したいということで訪ねる。
アミ族の人が日本兵として南の島に戦いにでて帰ってこれなかったのを、翼とともに帰ってこれるようにと作った作品。
この4枚の板の作品は一番左からアミ族の元々の姿と、アミ族の日本兵。
アミ族の中国兵。
アミ族の台湾兵。
翻弄されてきたアミ族の作品だ。
ここでシキさんには会えなかったが、ヨガスタジオの公演には来てくれて、最後は歌を歌ってみんなを踊りに巻き込んだ。
さてそのヨガスタジオを訪れた。
なんかとても素敵な場所。
海からすぐ近いのだが、少し山の斜面を上へ。
海の見える素敵な眺め。
しかしこんなうねうねした細い道を上に行くところにあって、本当に人がくるのかな?
と思う。
中に入るととても素敵。
ここの奥さんのエリーが美味しい料理を作って待っていてくれた。
先にどうぞ。と遠慮なくいただきます。
かわいい。
台湾にきて元気なワンコは至る所で見かけたが、猫はやっと会えた!!
さて用意して公演の時間。
説明いりませんね。
沢山のお客様。
それがまず不思議。
そして特等席にいる猫ちゃん。エリーと旦那さんがいつも大きな音がすると、怖がって逃げるのに、不思議。
美炎さんが好きなんだね!
と言ってくれてこの旅一番うふふ(#^.^#)となる。
台東にいる胡待明さんに8年ぶりくらいに会う。
北海道ツアーを一緒にまわった歌手。
妹の冬華と一緒だった。
とても懐かしい。
本当にそうなったらいいな♪
ストロベリームーン。
月みちる弾きました。
と言われて一緒に。
エリーが作っているけれどこのアクセサリーは、自分がここに引っ越してきたときに、住み慣れた場所と離れたくなくて最初は落ち込んでいた。
でも愛があればその土地に根付くことができると気づいて、そんな時に日本の3.11。
その時からこのアクセサリーを作るようになったと。
心という意味。
私たちにプレゼントしてくれました。
この東北の大震災の時に台湾の人達がとても寄付してくれたという話はよく聞いた。
こんな風に心を寄せてくれていること、
これをつけているとなんだかホッとするのでコンサートの時にもたまにつけてます。
お別れの朝。
愛をありがとう。
うん。思い出した。
夕飯に何を食べたかを。
昨晩の台湾花蓮、新城のアトリエ琴でのライブの後、ホテルには戻らず、楊さん夫婦の親友の李さん宅へ。
李さん宅に2日間泊まらせてもらったのでした。
もう夜中なのに、ご飯作って待っていてくれた。
楊さんの大学生時代の親友の李さんは大学で化学を教えていて、家族は台北にいて、行ったり来たりしてるようです。
ゲストルームが3つもあり、何から何まで至れりつくせりでホテルより居心地よく居させてもらいました。
他の人があまり食べないので私ばかり半分は食べたと思います。
なんなら器ごと抱きしめてしまいたい。
くらい。
次の日の午前中は何も予定無かったので、市場へ連れて行ってもらいました。
今年は果物の当たり年だそうです。
マンゴーうまかったものなー
まだいう。
リュウさんが何かを買って、おばちゃんがいんげんの干したのを香嗅いでごらんといって、これあげると、無理やりリュウさんに。
お金払うよ!とリュウさんも無理やりおばちゃんに。
最後はすごい速さでおばちゃんがリュウさんのリュックの中にお金返して終了。
売り上げないと思うんだけど。
台湾バナナ。
芭蕉と言うらしい。
ひとふさ15元。
だいたい45円くらいかな。
そしたら一人一本ずつ味見くれて、商売になってるのかな?笑
台湾の人たち本当に優しい。
みんな明るくてフレンドリーで、この海と山とに囲まれて幸せそう。
太田さんが帽子を買う。
完全にどこの人?!
今日のプログラムはこの後劇団のワークショップに参加して、夜はカフェでライブ。
劇団は二つの原住民の劇団で、一つは阿宝さんの劇団。
その前にお昼ゴハン。
何食べたい?
ときかれて
るーろーふぁん!
おばちゃんが一人でやっている食堂へ。
日本でいうところの牛丼。みたいな感じなのかな。
リュウさん夫婦は、あらそれでいいの?みたいな感じで、違うもの頼んでましたが、前田さんと私はこれで大喜び。
ネギと卵の炒めたものと金花のスープと一緒に。
劇団のワークショップでは、原住民の人がまず、機織りの話をしてくれる。
始まる前に沢山織られた布や紐が素敵だったので、もしかして舞台衣装をこうやって自前で織っているのかしら?
と思っていた。
彼の話はとても興味深かった。
子供の頃、山の中の暮らしで、おばあちゃんがとても早く就寝するので、夜中の2時くらいに早くもう起きて、機織をするのだそう。
コンコン音が響くので自分も起きてしまう。
宿題やってしまうと、やることないので、真っ暗な中外で遊ぶ。似たような子達が起きていて、みんなでかくれんぼ。
外くらいから隠れる場所なくても遊べた。
でも村の年寄りはこの伝統を伝えることなく、去ってしまった。
ある時彼は夢で自分が機織をする夢をみる。
やり方がまるで知らなかったが、夢を思い出して織ってみるとできた。
でも伝統的な模様のやり方はその後の試行錯誤。
ただ、谷をくぐって二つの山を越えみたいな口伝えはおぼろげに覚えていてその通りにすると織れたりする。
そして、この織りのパターンを踊りのステップにかえた。
そうやって織りを覚え、伝えることと、舞台では織りのステップを表現として用いている。
みんなも最初簡単なパターンから教えてもらってステップを踏む。
だんだん複雑になるけれど面白い。
リズムのパターンというのは面白いものなんだな。
体も気持ちも喜ぶ。
音楽もそうだし、舞踏も、機織も、繰り返しの作業も。
しかし台湾では様々な世代の人が集まる。
特に若い人たちが多いのがなんとも嬉しい。
文化というものに一つ壁がなく、とても身近に親しんでいる様子だ。
彼らの明るさや好奇心、様々なものを受け入れてくれる大きさは素晴らしい。
次の日の朝。
李さんの用意してくれた朝食はとてもバラエティーに富んでいる。
学会で世界中に行く李さんは世界の美味しい調味料などあつめている。
トロリと甘いバルサミコ酢などをパンにつけて食べたり、マンゴー以外はどこの国の朝食かなという品揃えだ。
お世話になりっぱなしのまま、台湾公演の最終日は花蓮をさり、南の台東へ。
行く道の途中にある、リュウさん夫妻の昔勤めていた教会が運営する施設へ。
原住民のアワさんとモリさん夫妻も一緒に。
彼らの作っている工房を見せてもらったり、音楽に対する反応の良さは抜群ですね。
この後台湾ブログの一回目に訪れた海辺のカフェへ。
そして夜はヨガスタジオ公演。
続く。
真っ暗になってから花蓮にたどり着いたので朝起きてカーテンを開けて、おおっと声がでた。
そして写真の右側には青い海〜〜
日差しは強いけれどアリゾナのような強さとはまた違う。
湿度もあるが、体がぐったりするような蒸し暑さでもない。
すぐ大きな山があるからかしら?
海風が吹いているからかしら?
飼われているのか野良なのか分からないワンコは今朝もホテルの玄関口でねんね。
リュウさん夫妻の車に乗ると、車の手すりの四箇所に香りの花がぶら下がっている。
道端でこれを売るおばあちゃんがいるのだそうだ。
タロコ渓谷。
その山の上にある原住民小学校。
かつて危険な思いをしながら手作業で掘ったような跡が残る渓谷沿いの道を進む。
進んで奥へ奥へ
いつのまにか山の上の方に。
山は3000メートル以上あり、その山を越える道がついていることに驚く。
今は入る車を制限しているそうで、早くでないと通行止めになってしまうので、皆早起きしてホテルをでた。
2台目の前田さんの楽器と私たちの衣装とスピーカーアンプと色々載せたマコさんが運転する車が来ない。
どうやら、通行止め。
30分以上かかるということで、このままで出演。
馬頭琴はあった。
なぜかレインスティックだけあって、でも打楽器奏者がレインスティックだけあってもね。。
30分ならなんとか遅らせることができないか聞いてみたが、まあ色々あって、やることになったので、学校なら他に楽器があるかもということで探しに行く。
で、タンバリンしかなく、食堂へいって、鍋だのボールだのバットだのオタマだのスプーンだのバケツだの音の出るものを集める。
ところがやっぱり前田さん曰く、食器は食器の音。
そしてひょうきんな音がしてしまうので、ひょうきんな曲じゃないところで、面白い音がしないように、がんばって演奏してました。
が、私には馬のリズムがチャカポコいっていて、ロバが走ってるようにしか思えなくて弾いていて笑ってしまった。
子供達バケツ食器を奏でる前田さんに喜んでいたので良かった。
最後の方になってマコさんの車が到着!
良かった。
取り急ぎジャンベだけ取り出し、迫力ある音も届けられて。
マコさんしきりにあやまる。
後でわかったことだが、マコさんは携帯と財布をなくす常習犯だそうで、この日も財布が見つからず探していて遅れてしまって、通行止めに引っかかったそうです。
一曲目の天上の風を弾いていてまさしく天上の風が吹いてきたので笑ってしまった。
終わった後にとっても日本語上手な女の子が話しかけてきて、思わず日本から来たの?と聞くと、日本語勉強したくてYouTubeで自分で覚えた!!
すごいな。
ここいらの原住民の子供達が通う小学校だが、花蓮の町からも数名山村留学というのかな、いるそうです。
赤いシャツの校長先生。
この小さな桜の木ノ下でいつか音楽会をやりたくて、でも実現してなくて、実現できたからすごく嬉しいと話してました。
さて山を下りる途中に、太田さんが、下見で来た時にマコさんに連れられてきた教会が素敵だからそこに行きませんか?と。
なんとも素敵な響きの教会。
そして外からの山の風が気持ちよく中まで吹いてくる。
最高。
ふとアメージンググレイスを弾く。
感動しましたと話しかけてくれて。
神父さんは日本語が上手で、色々話しました。
70年前にドイツの神父さんが建てた協会だそうです。
UFO放送。花蓮支社。
生放送なのに、遅刻しそうになってギリギリセーフの到着。
なんで馬頭琴はじめたのかとか、なんで台湾に来たのかとか質問される。
色々話して夜のライブまでちょっと時間があるというので、海が見える原野牧場と言う名前の海辺のカフェへ。
海なのに原野牧場?
と思ったらヤギがいて、ヤギ乳の珈琲が売り物らしい。
でも我々、誰もヤギ乳の珈琲を試す気になれず、普通に珈琲頼んで美味しくいただきました。
太田さんの暖簾を自分で縫っだという服、マコさんに似合いそう、というので着てみる。
リュウさんも着てみる。
そのあと前田さんが何かおかしなことを言って笑うリュウさん夫婦。
台湾の人たちみんな本当に明るい。
もうすでにライブの前に1日が2日にも思えてくる。
おや、このお店は扇風機だけだね。
そして今日の湿気は半端ないね。
竿と弦と手がベトベトになるやつだ。
手が濡れて弦との摩擦が大きくなり、指が赤く痛くなるやつだ。
汗を気にせずに弾こう!って何度も思うやつだ。
とすでに開始前から覚悟してあきらめる。
なんだかとても沢山の年代様々な方々が集まる。
熱気もすごい。
きっとしてっているだろうなと荒城の月。
何人か歌っている。
シスター達がいたのでアメージンググレイス。
シスター達が歌っている。
太田さんももちろん汗だくで。
今回はお任せします。
と太田さん。
最後の鷹と、マグノリアの願いは岩手でも一緒に合わせた曲。
この二曲に太田さんに入ってもらい、即興の場面も作って、後は前田さんといつものコンサートを。
終わった後に沢山の人が話しかけてくれて、8時半には完全撤収だと聞いていたのだが、10時過ぎていた気がする。
持ってきたCDが若い人も年配の人も買ってくれて、すでに3日もたない勢い。
ありがたい。
この日の夕ご飯が今どうしても思い出せない。
胸いっぱいだったことは確かです。
明日に続く。
馬頭琴コンサート | |
日時 |
2018年7月27日(金) 開場 18:30 開演 19:30 |
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会場 |
神楽坂 THE GLEE 東京都新宿区神楽坂3-4 AYビルB1F |
出演 |
馬頭琴 美炎 ピアノ 竹井美子 ドラム・パーカッション 前田仁 ベース 山田章典 |
チケット |
予約 4000円 当日 4500円 (ご飲食代別途・予約制・先着順自由席) |
チケット販売 お問い合わせ |
THE GLEE www.theglee.jp 03(5261)3124 |