突然やってきた錦鯉。
(前回のブログに記事があります。)
同じくその、数年後に突然やってきた2羽のつがいの薩摩鶏。
残念ながら薩摩鶏とは友達になれなかった。
どうしても!
竹林に彼らを閉じ込める大きな小屋まで作ったのに。
なぜだか朝庭に出ると、彼らは高い木の上にいて
私を見下ろしてものすごい声でときの声をあげ
バサバサと飛んで降りてくると
ケンカ腰でエサを要求した。
薩摩鶏はケンカ鶏なのだ!
仕方ない・・
私はでかい爪とクチバシが怖くて
半分逃げながらエサをやった。
すると向こうも追いかけてくる。
私も逃げる。
そうして毎朝必死の追っかけっこが
庭で繰り広げられるのだった。
(もちろんこれも遅刻のひとつの充分な理由。
私が大人になって遅刻をしなくなったのは、子供の頃に散々やって学んだ事のひとつなのだ。
他にもう一つ
バイオリンを習っていた私は散々弓や楽器をお稽古に忘れていったので
今は必ず確認するようになった。)
猫も必死だった。
彼らはなんでも庭にきたものを侵入者とみなして追いまわす。
自分達が後から来た新参者ということは全然彼らの頭の中には無いようだった。
猫は大きく平な岩の上でゴロゴロ昼寝することも、
木の上に登ることも
虫をとったり、土をほじくり返したりすることもできなくなった。
のっぴきならぬ理由で庭に出ると
狩りをするように慎重に忍び足をし
彼らがゆっくり近づいてくる時には
背中とシッポを思いっきり逆立ててしゃーっといいながら、
斜めになって素早く横走りしながら逃げ去るか、
はじめっから彼らが勢い良く追いかけてくると、弾丸のように走り去った。
猫としては気の毒な感じだった。
彼らによって庭の平和は完全に奪われ
受難の時は続いた。
父が持ってきたのに
肝心の父はまたしても仕事でほぼいないのだ。
薩摩鶏が私の友達になると思ったのだろうか?
大きな間違いであった。
山形へ行っていろいろ思い出したついでに・・
幼い頃とは
物語の世界に半分はいる。
残りの半分は家の庭だった。
父がこだわって作った庭は
井戸の水が小川になって池に注ぎ
池には大きな錦鯉が泳ぎ
大きな岩があちこちに点在し
太くて大きなモチモチの木にはブランコがあり
ザクロや柿、柚子や姫リンゴがなり
ナツメの実は池に落ちて鯉が食べた。
鹿児島出身の父が鹿児島から仕事で戻った時に連れ帰った薩摩鶏は裏の竹林を住処にしていた。
鯉にエサをやることと
薩摩鶏にエサをやることと
岩に移植した苔に水をやることが
私の毎日の仕事だった。
鯉は元々数匹の錦鯉がいたのだが
ある朝池にエサをやるために行くと
1メートルはある大きな錦鯉が2匹泳いでいるではないか。
私は面食らって
家に走り戻った。
この時は幸いにも鯉のエサが沢山入った缶を落としてぶちまけずにすんだ。
何故だか割としよっちゅう
私はこの缶を
池の中か
家の床かにぶちまけた。
床に転がったエサを拾い集めるので
よく学校には遅刻したし
(余談だが、ほぼ毎日遅刻の原因はこれだけではないのだけれど・・
なぜ歩いて10分の道のりに一時間かかるのか、教頭先生に訳を説明しなくては行けないくらい遅刻していた。)
池の中にぶちまけた時はふやけて捨てるしかないエサを網でかき集めるのはもっとかなしい。
倍くらい怒られるからだ。
この大きな2匹の錦鯉は
どこかの出版社の社長が遺言で父に託したもので
本人に断りもなくだった。
何でもものすごい溺愛ぶりで
父以外にはどうしても託したくないというたっての希望で
もう亡くなっているのだし
引き受けるしかなかったらしい。
そんな事情は一切知らず
私はこの大きな2匹の錦鯉に
太郎と次郎という名前をつけた。
パンパンと手をたたくと
鯉は池の淵にやってくる。
いや
たたく前にたいてい気づいて口をパクパクしてエサをくれるのを待っている。
エサをやった後は
手を入れるとみんな夢中で手に吸い付いてくるのがかわいい。
特に太郎と次郎の口はでかくて私の手がすっぽり入ってしまう。
鯉の口は力が強くて十円玉を曲げてしまう程だと聞くが
いつもそっと
でも遠慮なく手にむしゃぶりついてくる。
あったかくなると
私はガマンできずに池で泳ぐ。
太郎と次郎は猫のように
私の足の間を8の字を描くようにくぐり抜ける。
魚にあんなふうに抱きついたりまたがったり
果たして太郎と次郎は大丈夫だったのだろうか?と今更思うのだが
溺愛していた社長さんは
現状を知ったら腰を抜かしたかもしれない。
西郷さんなら任しても大丈夫と思ったのに
実際には父は仕事で全国を飛び回っていたから
太郎と次郎は猫同様、私の友達だった。
高校になって山形へ私が行っている間に太郎と次郎は死んだ。
一体何歳だったのだろう?
本当はもっと生きたのだろうか?
山形へ
高校時代を過ごした場所
飯豊山の懐
温泉に浸かって飯豊連峰を眺める
自由なものは
自由な精神から生まれる
自由な精神を育むものは芸術
芸術の源は自然
自然とは私
私の本質は自由な精神
夏に来るのは久しぶり
圧倒的な緑
こんこんと湧き出るような緑
見てると自分が溶けていきそうだ
自然が好きとか嫌いとかいうけれど
私の感覚では
外にある対象をこえた
自分を含む
もっと大きななにか
今だって私はここに溶け込むように存在している
その感覚がなければどう生きたらいいか分からなくなる
不自由なものを自由だと思い込む
自然と同調することを忘れた感覚を調律するように
繋ぐものが芸術の役割
メロディー
ハーモニー
リズム
演奏している時にうまれるその瞬間の間や
自由なテンポや
音のうねり
あれはぜんぶ
風であり
波であり
あらゆる森羅万象
それはぜんぶ
吐息であり
涙であり
笑い声
あらゆる感情
ここで山や川で遊んで得た感覚がテンポや間や空気にとってかわる
今までの悲しみや喜びすべての感情は
音にかえることができる
どう生きるかなんて考えてみても
マンダラのように
すべては渾然一体
それを眺める視点を持てたら
それは人として可能なのだろうか?
突然インスピレーションによって
一瞬だけ与えられるギフトなのだろうか?
あまりにも緑がすごいので
いろんな事を思い出した
そういえば自然の中で暮らすことは小学生の頃からの夢だったなー
~ 馬頭琴奏者 美炎miho ライブ~ |
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日時 | 2014年9月23日(火) 17:00開場 17:30開演 |
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会場 |
JAZZ&BAR Clipper (千葉市中央区中央港1丁目24-14シースケープ千葉みなと1F/京葉線千葉みなと駅海側出口徒歩1分) |
出演 | 馬頭琴 美炎 ピアノ 竹井美子 ドラム 今成英樹 |
チケット | 3,000円+order |
チケット販売 お問い合わせ |
当サイトからもお申込み頂けます チケット購入・お問い合わせ 090-7266-2688(西郷) Facebook 馬頭琴 美炎 |
今朝はみなとみらいへ
去年、一昨年と馬頭琴で参加したハマのJack主催の絵本コンサート。
今年は客席からゆっくり鑑賞。
馬頭琴では「スーホの白い馬」でしたが、今回は「おおきななぶ」「にじいろのさかな」でした。
いろいろな趣向を凝らしていてとても楽しめました。
作曲の木村裕くんの紹介でクラシック界で活躍されている方々と、何度か共演する機会を与えられて
今回客席で聞いてよりはっきりと
とろけるようなアンサンブル。
そして音の響き方や、色が同じ輪を描いている。
馬頭琴はおそらく全然違う色で、輪というよりもその輪を突き抜けるようにして、音が出ていたかと思うと、
これはやはりメインで暴れるより他にない楽器です。
を、再確認。
というよりも、あきらめ。
クラシックの曲も、だったら違って弾けてしまって仕方ないのです。
モンゴル民謡にもまた、けっして精通していないわたくし。
主に内モンゴルの神的存在であるチ・ボラグの作曲したものと、彼編曲の民謡、演奏スタイルもまた、それ譲りです。
ボラグさんの曲はモンゴルの何もかもを、文化として体現しているものなので
内モンゴルの他の曲が、その真似に聞こえてしまうのは仕方ありません。
私が自分で曲を作るようになって
ボラグさんは言いました。
「美炎の作る曲は、私と共通しているものがある。
それは日記と同じです。」
言われた時はよくわからなかった。
なんとなく今
おぼろげにわかる気がします。
とにかく、この馬頭琴という楽器でもって
クラシックでも民謡でもJAZZでもなんでもない
音楽をしていくしか、ないんだなーと。
明日もまた、みなとみらいでハマのJackさんコンサート
ドボルザークのアメリカ
レナード・バースタインのウエストサイドストーリー
聞いてこようかな。
ドボルザーク大好きです。
チラシにクラシック界随一のメロディーメーカーとかいてあって、本当に。
と思って嬉しくなります。
メロディーって何だろう?たまに考えます。
でも私にとっては、メロディーと音色という要素はいつまでも大切にしたい。
いつでも、どんな時でも。
でも、所属するところがどこにもないわたくしです。
いいか。
いいね。
ところで、帰ったら花火大会でした。
たまたま見たところが、アパホテルにかぶってる芝生広場で、
後ろにいるお兄さんが
「出た!アパ越え!」
「おしい!低いぞ!アパ越えならず。」
と、スキージャンプの実況みたいなコメントを叫んでくれていたので倍楽しめました。
そしてこんな素敵な夏の水菓子にも出会えて、良い1日でした。