馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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お知らせ

 棚田deコンサート- 2014/08/13 -

Category : お知らせ

山の棚田deコンサートです!

沢山の素敵な写真で過去3回のコンサートの 様子が見れます。
今年もやります!

こちらをご覧ください。
美炎・馬頭琴の調べ Facebookページ
ヒロクラフト様 「美炎・馬頭琴の調べ」(2014年10月19日開催)のご案内

この演奏会の趣旨や過去の実績をまとめた資料(ヒロクラフト様)。
「美炎・馬頭琴の調べ これまで と これから」 (pdfファイル 約6MB)

馬頭町-1

BLOG

 おすなば- 2014/08/09 -

Category : BLOG

幼い頃

庭に池ができる前、

そこは砂場だった。

日がな一日砂場で遊んだ。

私の仕事場だったといっていいくらい。

砂場はいろんなことを教えてくれた。

今でも小学生の時に作文で
砂場がいかにいい先生か書いた記憶がある。

確か砂場で人生を教わった。
というような題名の本が出たけれど、私は同じことを小学生の頃には思っていた。

砂場が池に変わったあとも
私は庭でよく遊んだ。
おままごとの材料にも不便しなかったし、様々な生き物がいる庭はいくらいても全く飽きなかった。

自分の開閉式の机が与えられると
さっそく机の扉の中に庭を作った。

箱庭療法というのがあると
後で知って、よくそれで私は遊んでたと思い出した。

母はいい顔をしなかった。

せっかく与えた新しい開閉式の机の中に、どっさり砂が入っていて
石ころや木の枝やいろんなもので溢れていたから。

 

小学校に入って
机の前に何時間も座って
勉強することなど
本当につまらなかった。

いつも空想にふけっているか
いたずら書きしているか
歌っているか。

誰の鼻歌?
と皆がざわざわしだしても
自分だと気づかなかった時もあった。

ここで教わることなんか何もない
知識は本から好きなだけもらえるし

そんなことより外で遊ぶほうがどれだけの事を学べるだろう?
テストなんて何の意味があるのか、本に答えがあるだけのものじゃないか。

そんな事を思ってる小学生だったから

つまりは

勉強きらいだったってことね。

ふぅ〜

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お知らせ

 車人形と琵琶と馬頭琴- 2014/08/09 -

Category : お知らせ

梅雨の頃

船橋で八王子に代々伝わる車人形の五代目

西川古柳さんと

筑前琵琶の室井三紀さんと馬頭琴美炎で

「蜘蛛の糸」

を演りました。

古柳さんの人形浄瑠璃と三紀さんの語りは素晴らしく、馬頭琴の音が人形の動きと琵琶と語りと三位一体の面白い舞台になり

満員の会場のお客様も大盛り上がりでした。

image蜘蛛の糸

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BLOG

 ケンカの本能- 2014/08/08 -

Category : BLOG

突然やってきた錦鯉。

(前回のブログに記事があります。)

 

同じくその、数年後に突然やってきた2羽のつがいの薩摩鶏。

残念ながら薩摩鶏とは友達になれなかった。
どうしても!

竹林に彼らを閉じ込める大きな小屋まで作ったのに。

なぜだか朝庭に出ると、彼らは高い木の上にいて

私を見下ろしてものすごい声でときの声をあげ

バサバサと飛んで降りてくると

ケンカ腰でエサを要求した。

薩摩鶏はケンカ鶏なのだ!
仕方ない・・

私はでかい爪とクチバシが怖くて
半分逃げながらエサをやった。

すると向こうも追いかけてくる。

私も逃げる。

そうして毎朝必死の追っかけっこが
庭で繰り広げられるのだった。

(もちろんこれも遅刻のひとつの充分な理由。
私が大人になって遅刻をしなくなったのは、子供の頃に散々やって学んだ事のひとつなのだ。
他にもう一つ
バイオリンを習っていた私は散々弓や楽器をお稽古に忘れていったので
今は必ず確認するようになった。)

 

猫も必死だった。

彼らはなんでも庭にきたものを侵入者とみなして追いまわす。

自分達が後から来た新参者ということは全然彼らの頭の中には無いようだった。

猫は大きく平な岩の上でゴロゴロ昼寝することも、
木の上に登ることも
虫をとったり、土をほじくり返したりすることもできなくなった。

のっぴきならぬ理由で庭に出ると

狩りをするように慎重に忍び足をし

彼らがゆっくり近づいてくる時には

背中とシッポを思いっきり逆立ててしゃーっといいながら、

斜めになって素早く横走りしながら逃げ去るか、

はじめっから彼らが勢い良く追いかけてくると、弾丸のように走り去った。

猫としては気の毒な感じだった。

彼らによって庭の平和は完全に奪われ
受難の時は続いた。

父が持ってきたのに
肝心の父はまたしても仕事でほぼいないのだ。

薩摩鶏が私の友達になると思ったのだろうか?
大きな間違いであった。

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 記憶の糸- 2014/08/07 -

Category : BLOG

山形へ行っていろいろ思い出したついでに・・

幼い頃とは

物語の世界に半分はいる。

残りの半分は家の庭だった。

父がこだわって作った庭は

井戸の水が小川になって池に注ぎ

池には大きな錦鯉が泳ぎ

大きな岩があちこちに点在し

太くて大きなモチモチの木にはブランコがあり

ザクロや柿、柚子や姫リンゴがなり
ナツメの実は池に落ちて鯉が食べた。

鹿児島出身の父が鹿児島から仕事で戻った時に連れ帰った薩摩鶏は裏の竹林を住処にしていた。

鯉にエサをやることと
薩摩鶏にエサをやることと
岩に移植した苔に水をやることが

私の毎日の仕事だった。

鯉は元々数匹の錦鯉がいたのだが

ある朝池にエサをやるために行くと

1メートルはある大きな錦鯉が2匹泳いでいるではないか。

私は面食らって
家に走り戻った。

この時は幸いにも鯉のエサが沢山入った缶を落としてぶちまけずにすんだ。

何故だか割としよっちゅう
私はこの缶を
池の中か
家の床かにぶちまけた。

床に転がったエサを拾い集めるので
よく学校には遅刻したし

(余談だが、ほぼ毎日遅刻の原因はこれだけではないのだけれど・・
なぜ歩いて10分の道のりに一時間かかるのか、教頭先生に訳を説明しなくては行けないくらい遅刻していた。)

池の中にぶちまけた時はふやけて捨てるしかないエサを網でかき集めるのはもっとかなしい。

倍くらい怒られるからだ。

この大きな2匹の錦鯉は
どこかの出版社の社長が遺言で父に託したもので
本人に断りもなくだった。

何でもものすごい溺愛ぶりで
父以外にはどうしても託したくないというたっての希望で
もう亡くなっているのだし
引き受けるしかなかったらしい。

そんな事情は一切知らず

私はこの大きな2匹の錦鯉に

太郎と次郎という名前をつけた。

パンパンと手をたたくと
鯉は池の淵にやってくる。

いや
たたく前にたいてい気づいて口をパクパクしてエサをくれるのを待っている。

エサをやった後は
手を入れるとみんな夢中で手に吸い付いてくるのがかわいい。

特に太郎と次郎の口はでかくて私の手がすっぽり入ってしまう。

鯉の口は力が強くて十円玉を曲げてしまう程だと聞くが
いつもそっと
でも遠慮なく手にむしゃぶりついてくる。

あったかくなると
私はガマンできずに池で泳ぐ。

太郎と次郎は猫のように
私の足の間を8の字を描くようにくぐり抜ける。

魚にあんなふうに抱きついたりまたがったり
果たして太郎と次郎は大丈夫だったのだろうか?と今更思うのだが

溺愛していた社長さんは
現状を知ったら腰を抜かしたかもしれない。

西郷さんなら任しても大丈夫と思ったのに
実際には父は仕事で全国を飛び回っていたから
太郎と次郎は猫同様、私の友達だった。

高校になって山形へ私が行っている間に太郎と次郎は死んだ。

一体何歳だったのだろう?

本当はもっと生きたのだろうか?

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