今日は馬の話をあちこちでたくさん話した気がします。
午前中は千葉日報さんの取材で、はじめは普通に馬頭琴を何故はじめたのかというようなものだったのが、
チャリティーCDの話から震災の話になり、そこから話はいろいろなところへ。
千葉の人達が震災でとにかくどこかに手伝いにいこうと、とりあえず決めたのが相馬。いってみたら相馬の人達が本家が助けに来てくれたと大歓迎。千葉の人達はなぜか理由がわからず。
相馬の人達によれば、その昔千葉の千葉氏が馬をたくさんもっていた。千葉は松戸や八街、富里など、野生の馬を追い込む地域で、その馬を放牧していた地でもある。
そしてその馬を戦にたくさん提供したので新しく土地をもらいうけたのがあちこちにあるらしいのだが、その一つが相馬。千葉氏の子孫がたくさん移り住んで相馬に根を下ろしていた。相馬の馬追い祭りはその千葉氏ゆかりのものだという。
馬好きのため、相馬の馬追い祭りはいつか見てみたいと思っていたら、千葉とそんなゆかりがあるんですね。ちなみに今度津軽三味線とのコンサートでは相馬節も津軽三味線と馬頭琴のデュオでやります。
ということでなんだか、相馬とのご縁がある気がします。
午後は車をすっ飛ばして八王子の車人形さんの稽古場へ。
前回、車人形の五代目西川古柳さんの公演を見に行って終演後、お会いしたらば、あーその顔はなんか企んでるでしょ!と言われました。笑
実を言うとあの時点では企んでなくて、やりたいな〜という淡い想いだったのですが、古柳さんがいたずらっぽい目でニヤリと言ったので、あ、企んでいいんだ!と思ってしまいました。
ということで企んで持ち込みました。
古柳さんはあさってからメキシコ公演だというのに。話してるそばからそれを汲み取るのと展開させるスピードが速い速い。
そんなにいとも簡単に決めていいんですか?と気持ち良くなるくらいです。
でもこの感覚が舞台づくりに生きてくるんですよね。先日市川染五郎さんと急にやることになって半分しか内容知らないのに舞台に出た話を聞きました。終わり方知らないってすごすぎる。芝居で。笑
この舞台にかかせないもう一つの人材探しはこれからです。
写真は先日おとなの日経OFFという雑誌に古柳さんが掲載されていたので持っていってサインなんかしてもらいました。サインなんかしてどうすんのよ〜?慣れてないよこんなの。と笑いながらしてくれました。笑
嵐の今朝、この真っ只中を会いに行くことになったんだから、嵐を呼ぶ女性だわ。などと思いながら、車で東京へ。
東京に着く頃にはすっかり晴れ、富士山がやたらにきれいなのと、隣の車線の車が横転していて渋滞になっているのと見ながら東京に着いた頃には風も収まり晴れ。
彼女とは数年前に九州のコンサートの時に聞きにいらしていて、お会いしたのだけれどその時は確かエッセイスト。
いつの間にか企業コンサルタントになっていて⁇と言葉自体についていってなかった私が、この一年ほど彼女に会いたいと思うようになり、まあ忙しく飛び回っていて講演やら、取材やら、コンサルタントも順番待ちの大人気。
いつ会えるかなーと思っていたところに昨晩、東京に来て嵐で帰れなくなったから、誰かお茶しませんか?というメッセージ。
する!と立候補したら、懐かしがってくれて、会える事になった。
で、コンサルタントってどういう仕事でなぜそれをやることになったの?などという質問に真剣にいろいろ答えていただき、音楽家といえども、マネージャーもいるし起業家に近い何かがある気がするので話にくいついていきながら、だんだんこの嵐の日に会うことになった事が腑に落ちてきた。
私の作品の中に、「龍は嵐を呼んで天に昇る」という題名の曲があってこの曲をとても気に入ってくださる方がけっこういるのですが、この曲の題名である言葉は、龍が嵐を待って天に昇るのではなく、自ら嵐を呼び天に昇る。
つまり、状況がないからといって待ったり諦めたりするのではなく、自らその状況を、作り出していく。そういう主体的な言葉。
そして私の父が好きな言葉であり、私自身も状況のせいにしてはいけない、そして無ければ自分で作り出せばいい。という言葉が、大変というよりはとても希望に満ちた言葉であるように感じて好きな言葉なのだ。
それをつまり彼女に感じたわけで、あー嵐を呼ぶ龍は女性だったのだわ。と思ったのです。