馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 ウインド・リバー- 2018/08/09 -

Category : BLOG

今朝、駅でアイスカフェオレを飲もうとしたら、台風の為どこも閉まっている。

喉が渇いていて、とっても飲みたかったからかなりがっかりした。

目的地でもそんなに時間はないから、水を買い飲む。

有楽町に着いたら、目的の映画上映時間まで15分ある。

ふと目前には素敵なカフェのお店。

あそこなら美味しいカフェオレがあるはず!とドアに向かうと、ドアの前にいた店員さんに、飲み物なんでもフリー券をいただいた。

え?いいの?

そんなわけでアイスカフェオレはタダ。

もちろんパンも買ってカウンターで味わう。

ここは美味しいけど高めのお店なのに、こんな大盤振る舞いいいのか。

ドキドキ。

その店員さんは同時に店に入ったので、後から来た人たちは券をもらえずに当たり前に注文してる。

ラッキーだったなぁ。

明後日から岩手、青森、そして来週は岡山。

走行距離を順調に伸ばし続ける。

旅の途中は仕事と遊びがごっちゃになってる。

今年は行きたいところに全部行けてるな。

見に来た映画は
ウインド・リバー

望月優大さん評ウインド・リバー
ぜひこの評↑見てみてください。

アメリカの原住民の保留地で起こった事件をもとに、差別の現状を描きだしている。

昨日書いたブログにも書いたけれど、中学生の時に教科書にのっていた本多勝一の文章を読んでからルポルタージュを読み漁り、ちょうど世界のことが知りたくてたまらない若い時期に、ルポを通して色んなことを知った。

私の父も本多勝一の本に登場していると知ったのはだいぶ後。

インディアンという呼称は差別的であり、ネイティヴアメリカンということ、エスキモーもイヌイットということ、間違えないようにしようなんて思いながら行ったアラスカでは、現地のネイティヴの人に、ネイティヴアメリカンと言っても伝わらなくて、自分達の事をインディアンと言っていた。

子供達が銃を撃って遊んでいたり、家でご馳走してくれた人は昼間からアルコールの匂いがした。

高校で進路を考えていた時に、海外協力隊の募集の中に、インディアン保留地のサポートというような簡単な文章があって、行ってみたいと思ったが、なんの専門家でもないのに、行って何ができるんだろうと思い、何かの専門家になろうとして、大学進学を決めたのだった。

農大を中退して、いろいろあって、今馬頭琴奏者をしている。

子供の頃から旅が大好きだ。

旅が生活だった父の仕事に幼い頃はついてまわっていたので、ずっと旅していられるなら、ジプシーがいい。と子供の頃に思っていたこともある。

どうしようもなく、誘われてしまうことがある。

旅にかんして。

寝ても覚めてもそこに行くことしか考えず、何をどうしても行く。

そんな時が数年に一度ある。

最初にアリゾナのセドナへ行った時はそうだった。

それから、今年の5月に3回目のアリゾナへ行った。

モニュメントバレーははじめてだった。

国が国立公園にしたいのだが、そこの保留地に住むナバホ族の人達が、自分達の土地と仕事を守るために土地を渡さないというようなことがモニュメントバレーの紹介にあった。

セドナではネイティヴの人はみかけなかったが、モニュメントバレー土地を近郊の町で働く人はほとんどネイティヴの人だった。

モニュメントバレーのホテルが満室だったので、一時間くらい離れたカイエンタの町に一泊だけ滞在した。

その時にちょっとしたことが、いろいろと前田さんには衝撃だったようで、ずっとどういうことなんだろうという事をつぶやいていた。

私はというと、話すのがいやだった。

この映画の評をツイッターで見かけたとき、前田さんを誘う。

見終わって前田さんは、モニュメントバレーやカイエンタでの事がよくわかった。と言った。

日本にもアイヌや沖縄の事がある。

昨日は沖縄の基地問題に取り組んでいた知事が亡くなった。

帰ってきて、モニュメントバレーはどうだった?

と聞いてきた友人に、うん。

セドナとはまた全然違う。 

なんて言ったか忘れた。

映画を見てから甦るのは、モニュメントバレーで朝日を撮影しようとして、暗い中、日の出を待って馬頭琴を弾いていた時、ひんやりした空気の中で時折生暖かい風が包む。

ゆりかごにいるみたいなホッとした気持ちと懐かしさとそれを言い換えるなら哀しさ。

あの大きな哀しさにホッとした懐かしさのようなものを感じてしまうのはなぜなんだろうか。

気付いたのはあの懐かしさは哀しさだったということ。

世界のどこを掘り返しても哀しさが積み重なっている。

そこにしか本当は答えはないのに。

映画の中で、この土地には運なんてない。

と言っていた。

この朝はアイスカフェオレにラッキー!今日の始まりにラッキ〜なことがあって、今日はどんな日なんだろうと思ったばかりだった。

差別は幾らでもある。

すぐ隣にある。

そこからはじまる様々な事件も問題も数限りない。

ホワイトバッファローの伝説、7つの曲がなぜ私に与えられたのか、もう一度考える。

  
  

  

 むだのすすめ〜生産性とは、相馬の野馬懸にみる〜- 2018/08/07 -

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世間は生産性がなんたらって話題になってます。

なんでそんな考えになるんだろうか。

そもそも、基本的人権は何かの条件付きだと思っちゃってる所が、もしくは、そうあるべきだと思ってる所が、偏ってるよな。

やっぱり色んな視点で物をみれるって子供の頃に培われる必要がある。

それにはそういう豊かな物語に沢山触れることも大事だと思うな。

今の教育はテストの点を取るための、そしてなんだかんだ言って学歴というのを得るためのっていうのが未だにあるから、望めないよね。

世間から言えばコースアウト、だったり標準とされるものからズレている。

そういうところにこそ、何かしらの答えがある。

何年でもいいと思う。

無駄な時間を過ごしたって。

私はそうでした。

振り返るとなんども右往左往してるし、迷子になり、諦めたり、動けなくなって引きこもっていたり。

でも動けなくなるとかって、ちゃんと答えから導き出されている結果なんだよね。

随分あとから、必要な時間だったことがわかる。

でもわかる。

そんな時、本当はこれでいい。大丈夫ってわかってても、世間を気にしてしまうこと、それで罪悪感を感じてしまうことも。

世間に合わせたところで、世間は守ってくれるわけじゃないし、世間が何とかしてくれるわけでもないから、結局のとろ、それも幻想。

一つすごく言えるのは、自分が幸せにならないと、人を幸せにはできないということ。

随分前にそんな助言を頂いて、色々考えました。

そして月日は経ったけれど、本当にそうだなと日増しにその想いは強くなります。

あの人に迷惑かける、あの人の気持ちをおもうと、あの人が応援してくれるのを裏切ることになる。

だいたいの事って、大人になればなるほどそれで動けなかったりします。

それも幻想だったな〜

一番いいのは、自分が幸せになること。

それは他の人にはできないこと。

そして一人の人が幸せになることは本当の意味で自立することだから、人が一人自立するということは、それだけで一つの世界が全うされるみたいなイメージ。

それがじわじわ波及して、つまりはみんなのためになる。

結局、やりたいことをやりたいようにやる。

それが幸せの近道だと思う。

子供の頃からわがままと言われてきたので、今更わがままと言われても割と平気です。笑

最初はやいのやいの言われても、結局はあなたはそういう人なのねってあきらめてくれる。

で、自分はそれが一番むりがないので持続できる。

結果、みんなとのバランスもとれてくるようになる。

時間がかかってもね。

やっぱりどこかで、そんな戦いが必要だったりするんだ。

前回のブログはどこまで書いたっけ?と思ったら夏の銀河夜行ライブ前で止まっておりました。

とても楽しくやりました。

   
 
冬の銀河夜行ライブに向けてそろそろまた動き出します。

お楽しみに。

次の日は福島南相馬市へ。

7月頭に柳本さんに連れて行ってもらった37@カフェへ。

  
はじめてこんな風に撮ってもらいました。

ネズミですか?これは。

カフェを運営する安齋明美さんとアルパカカフェへ連れていってもらい、楽しく過ごしたのち、近藤園長のやどり木へ。

南相馬市には様々な人達の色んな形の居場所があるなと思います。

震災を経て、復興の一つの場作りが、外の人にとっても非常に魅力的な場所になっているなと思います。

サウナな関東からやどり木の夜は涼しい風が通り、本当に3日間、私はよく寝ました。

馬見に行った以外は寝てたんじゃないか。

いや、ミニライブもしました。

三人の大道芸の方のパフォーマンスもお客さんとして楽しみました。

今思い出しても笑ったネタ。

納豆でした。

ひみつ。

  
私の後ろには近藤園長の先祖伝来の甲冑!

朝起きると、台風近づく中、雨でしたがどうしても流し素麺やりたい人達が流し素麺。

やりたい人達、大人。

   
    
 私も合間見て素麺食べたいのでかっさらいました。

雨樋使うなんてアイディア!

今回何しに南相馬市へ来たかというと、前回ライブの前に聞いた野馬追講座で俄然行きたくなり、来てしまいました。

動画ばっかり撮ったので、ツイッターにアップしてます。

   
これは行列で、相馬の総大将。

世が世ならお殿様ですね。

この後甲冑競馬を見物。

旗をはためかせて甲冑のまま走る。

映画の世界でした。

旗の音がすごくて臨場感あります。

競馬の引退馬とかもいるのでかなりの速さ。

雨も降ったり止んだりなので、見てる方は涼しいのですが、落馬が多かった。

馬も実は点滴したり、晴れると暑いのでやっぱり気の毒。

馬好きの身としては、馬可哀想という気持ちは当然あるけれど、本能的に競馬を見て興奮してしまうのも事実。

これはね、アラスカでユーコンゴムボートで三ヶ月かけて下った時に、海に出て、エスキモーの人にアザラシ狩りに連れて行ってもらって、アザラシ可愛い!

あ、可哀想! という気持ちとともに、船で追いかけ、狩りをするということが重なって体験すると、どこかに人間の本能として、狩りというものへの興奮が湧いてくることに自分で驚いた瞬間でした。

幼い頃はどんな小さな虫でも木でも、命を奪うことにあれだけ抵抗があったのに、思い返せば本多勝一のルポを読むようになって、狩猟民族の生活を知るようになって、現代社会に生きる私は単純に可哀想!

って思うけど、本能的にはまた違う感情もあるという発見だし、

自分だっていつ野性的に生き抜かなければいけない状況になるかもしれないし、あえてそうする時があるかもしれない。

とかとか。

はなしそれましたが、今回の野馬追の見たかったのは最終日の野馬懸です。

小高神社の神事です。

このあたりの熱い解説は以前のブログをぜひ読んでください。

風の馬に願いを乗せて

 以前のブログに書いた、二上さんの話が見ていてよみがえり、想像膨らませながら野馬懸をみました。

歴史学者のほとんどは、戦国時代の軍事訓練を兼ねているという見方らしいですが、確かにいまの祭りを見ているとそう考えるのが自然だし、私も講座を聴く前はそう思ってましたが、

二上さんの考えはそうではなく、そのあたりも上に貼りました以前のブログを読んでいただきたいのですが、面白いのは、昔、広大な牧にたくさんの野生馬を放していて、野馬追当日、武者達が馬に乗って馬を追ったのは牧の中だけで、木戸から先に馬を追い立てた後は、武者達は木戸から牧の外には出なかった。

野生馬は野生馬だけで野馬道を(おそらくら道道に、棒を持った監視人がいて、馬が道から逸れないように随所で追い立てたと思われると二上さんも言ってましたが。)

浜に出て海水で禊をして、小高神社に向かったというのが、本当に面白い。

そこをきくと、神事のためにわざわざ広大な牧に馬を放していたと思うのが自然です。

戦時の時には、をたとえ、兼ねていたとしても、まず神事ありきでこのようなことをしていたと思える。

木戸から出なかった武者達という事実に何か尊いものを感じてしまう。

そこからは建前として人が介在することなく、野生馬たちが浜に行き、神社へと走る。

そして見染められた馬が境内で素手で御小人に寄って捕らえられ、奉納される。

偶然性が尊ばれるのは、祭りの一つの重要な要素だろうと思います。

そこには神の介在という必然性が入り込む余地があるからです。

そのことを知るからこそ、武者達が木戸から外へ出なかった。

軍事訓練のためではない、

そう思います。

一見この生産性のない、沢山の野生馬を広大な牧で祭りのためだけに放しておく。

これもまた、大切な神事のため。

明治政府は、生産性が無いという理由で牧を解体するように命じ、たくさんの野生馬を売ることになるのです。

でも相馬の人たちは神事に使われる馬を農耕馬として買うことはできなかった。

だから、外の人に買われたそうです。

そういう相馬の人達にとても共感します。

だから、このお祭りの3日目をみたかった。

残念ながら一緒に行った前田さんと柳本さんは仕事で3日目はいませんでした。

近藤園長が、前の日の夜、小高の火のまつりと、野馬懸の後に小高を案内してくれました。

   
    
   
  
当たり前ですが、原発事故以前、脈々と続いてきたこの相馬の地の歴史。

そして今に続くこの地の営み。

その土地において大きな事業をするときには、一つのものの見方だけでは到底足りない。

経済、生産性という見方だけでは真実を捉えることはできない。

公共事業も企業の開発もそういう取り組み方がこれからより問われていくべきです。

去年6月に亡くなった父、西郷竹彦の銀河鉄道の夜を語る。

冊子ができました。

文芸読本

父が生涯かけて取り組んだ文芸学とは、簡単に言えばものの見方考え方。

それを教育の場で実践してきました。

これがもっと広まる事によって、豊かな視点が尊ばれる世の中になりますように。

  

 未知なる世界- 2018/07/24 -

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今朝はなんか涼しいかな。

と思ったら29度でした。

29度で涼しいと思えるマジック。

でもじきに気温が昨日並みに上がってきてます。

がっかり。

西日本の被災した方々はこの暑さの中で過酷な事がより過酷になっているのだろうなと思います。

災害が身近になってしまった今、文字通り、できることをやろうと思います。
外にいる野良猫やら鳥やらも、都会ではどこで涼んでいるのだろうか?とか、水は飲めているのだろうか?

とか気になりますね。

クーラーの中にいると快適だけど、果たしてこの生活は持続可能なのか、これが毎年になったらとか、色々考えてしまいますね。

きっと皆さんも同じような事を考えていると思います。

日焼けしたくない人が日傘というのはさすものだとずっと思っていたのは、若い頃。

日傘なんてなんのためにさすんだろう?なんて思ってた丸焦げの時期もありましたね。笑

ここ数年、日傘さすと日陰の中をずっと歩いてるんだという事にようやく気づき、去年あたりから、都内に出ることが多くなってからは、よりこのアスファルト地獄を思うと、男性の方々にも日傘は必要なんじゃないかと思っていたら、今年になってツイッターで、日傘男子という言葉が目につくようになりました。

おじいさんが、雨傘さしてるのは一度みかけました。

ぜひ試してみてください。

テレビをほぼ見ないけれど、近頃全く不便しませんね。

ツイッターでこの人は良い。

と思っているジャーナリストや、学者さんや、専門家の人を何人もフォローしているのですが、とってもオススメです!

今やかたよった情報しかテレビには出てこなくなっているので、たまにテレビみると、これじゃ問題に気づきにくいよなーと思います。

これって何だろう?

どうなるんだろう?と思うニュースを、知識人の方々がそれぞれに見解を述べてツイートしてくれるので、すごく勉強になります。

誰をフォローするかで、だいぶ変わってしまいますが。

あと結構、漫画家さんや、自然科学や、馬や猫とか、好きなもののフォローも沢山してます。

発信より情報収集のためと、面白いから見てるものとして、ツイッターはなかなか良いです。

インスタグラムは、アラスカとか、アリゾナとか、インテリアとか、馬とかそういう外国のものをわりとフォローしてます。

雑誌をパラパラ見る感覚。

今週末にせまった夏の銀河夜行ライブ。

おかげさまで満席になりました。

ありがとうございます。

神楽坂THE GLEE 。

打ち合わせを兼ねてドラムの前田仁さんが参加しているライブを見にいきました。

ウッディーな内装で音はアコースティックの為のとても心地よいサウンドです。お食事も美味しく、寛げました。

  

冬の銀河夜行ライブでお目見えした去年の棚田コンサートのちょっとしたドキュメンタリーも流す予定です。

18:30にオープンして19:30スタートするまでの間にも、ゆっくりお食事できますので、楽しんでください。

先日は高尾にてリハーサルでした。

八王子車人形の西川古柳さんと。

人形浄瑠璃×馬頭琴×映像

スーホの白い馬
岡山瀬戸内市牛窓町にて8月18.19にて4回公演です。

翌日20日馬頭琴兵庫県上郡のひがし蔵にて。

二回公演です。
   
    
New Yorkから来た彫刻家のAMIR BEY さんとサコさん。

彗星と魔法の鏡の個展のパーティーにて馬頭琴演奏でした。

ギャラリーSFKにて。

山鹿先生の描いた麻布の衣装で。

服を作ってくれた益子さんにもお会いできました。
アミアさんは占星術もしていて、初めて見てもらいました。

私は月と金星が強い。

曲を書いたり文を書いたりする仕事に向いてる。

旅行が多いでしょう。

子供の頃に習い事してる。

でもそれを自分なりにアレンジひて調整得意。

両親が与えてくれたものが大きい。

発明とか創造性のある人。

反逆者ぽいとこがある。

オーソドックスのところから打ち破る力がある。

古い習慣、伝統を打ち破って進んでいく。

とか

勇ましいのね。

わたし。

面白かったです。

そして、ついこないだの日曜日は加藤ミュージックワールドコンサートでした。
ドラムの前田仁さんが駆け出しの頃からお世話になっているというピアノの加藤千恵さん。

JAZZなども少々馬頭琴で混ざったり、普段弾かない曲もちらほら。

あっという間でした。

サックスは辻野さん、ベースは土谷さん。

    
それと、この半月ほど、チラシ製作と格闘していて、全く成果が得られませんでした。

やはり、餅は餅屋。

当然なのですが、今回ばかりはやむなく。。

苦肉の策が下になります。。

 

なんと!

手描きです。。

テヘ。

これをガリガリ刷って、牛窓のてれやカフェにこれから送ります。

8月17日金曜の夜です。

よろしくお願いいたします!

てれやは近所に引っ越しされて、なんだか写真でみるととっても良さそうです。

楽しみ。

こちらでも映像お目見え予定です。

   
 

そう。

前田さんが格闘して、なんとか作ったものですが、入稿がどうしてもできず、日が経ってしまい、手書きの手刷りになりました。

お客さん来てくれるのか全く未知なる世界です。

 畳と草原と- 2018/07/15 -

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畳の空間が草原になる。

馬が駆ける。

月が上がる。

星空がまたたいて心があたたかくなる。

そんな時間を共有できたように思います。

ゲストハウスあおた荘。

浪江町でのライブ。

   
   
終わった後はみんなで楽器を鳴らしてみて。

今度はもっと大きなところでやりましょう♪

と声があがり、これからも浪江町のみなさんと繋がれるかなと思うと嬉しかったです。

斜向かいにある素敵な山荘のような新築に見える家は、震災直前に出来上がり、越してくる矢先の原発事故でした。

以来空き家です。

まわりの家もやけに静かだなと思うと、実際に住んでいるのは本当に数えるほど。

それでも今回出会った人たちはそんな中で根を下ろし、ここを作り上げていこう。

支え合っていこうという気持ちにあふれていて、笑顔が印象的でした。

ふと先日の台湾の最終日にエミリーがくれたアクセサリーを思い出します。

自分が遠く離れた地に越してくることになり、寂しかったけれど、愛があれば根を下ろして、どんなところでもやっていけると、3.11の以降に思って作り始めたと言っていました。

心という意味のアクセサリー。

ふと振り返ると今年はそんな心を介した人達との出会いの連続でした。

素敵な場所は人の心のあらわれ。

そんな場所の数々で音楽をできたことは幸せでした。
アリゾナから戻ってすぐ、元寒立馬を二ヶ月レンタル飼育した房総の智子さんから、またユウロウを岩手に見送る際に音楽を♪

ということで、岩手からユウロウの飼い主の岩間さんが迎えに来て、小学校の子供たちに馬車や綱引き体験を。

   
    
   
馬好き仲間の智子さん。

馬を飼う夢に一歩進んでチャレンジしたことに参加できてこちらも馬を飼う夢を見させてもらいました。

そんな夢のひとつに音楽を♪と思ってくれることに幸せを感じます。

台湾から戻ると次の日は 

    
    
    
    
   
この素敵な場所は八街のホワイナッツ。

オーナーの小藪かずみさんが音と農をテーマにした場所ということで、まさにそんなイベントをいつも企画しています。

前回春にキャロットパーティーで人参作りエキスパートの小山さんとコラボレーション。

馬とコラボしたり人参とコラボしたり、私にはそういうのが合ってる!!

そしてちょいちょい東京には行くのですが、久しぶりに電車で楽器を担いでのライブ。

   
   
人に指摘されて、とんがり帽子だったら完全にやばい人だ。

このライブを企画した来島さんは前にたまたま馬頭琴を聞いてくれて以来、セシオン杉並でのコンサートなど企画してくださっています。

アリゾナから戻ってすぐはセシオン杉並の30周年記念コンサートでした。

そしてつい昨日一昨日。

八街での図書館ライブ。

夜の図書館!

そしでの図書館で美味しいコーヒー!

そしてライブです。

図書館の方が言っていました。

八街というところは議員さんの中には、文化なんかなくても死なないという考えでなかなか文化的なことに支援が来ないという悲しいお話でした。

八街図書館でのライブは、図書館の奥にある資料館が八街が昔馬の牧だった頃の展示がたくさんあります。

そして南相馬市での野馬追の話を色々思い出しながらのコンサートでした。
ホワイナッツの小藪さん、人参の小山さん、去年お世話になった明徳の小澤さん、八街には素敵な取り組みをする人達がいます。

そしてこの企画をすすめている八街図書館の方々。

本のまとめ方がとても興味をそそり、素晴らしいなと思いました。

大好物なコーナーがたくさんあって、もし美味しいコーヒーが、いつでものめるなら、間違いなく通いたい。

そんな人達が手を取り合って色々な企画が実現しています。

そう思うととても心強いです。

そんな企画の一つが最近私もハマり出しているクラフトビール。

ちばクラフト青空ビアガーデン。

八街駅前で

  
図書館の方に頂いた八街ジンジャーエール
  
これも大好物です。

昨日は千葉市振興財団主催のワンコインコンサート。

鎌取コミュニティーセンターにて。

二回目の場所でした。

モンゴルの方がみえて、いつも美炎さんの演奏をネットで動画でみてる。

今日を指折り数えて待っていたということでした。

ありがとうございます。

   
   
馬頭琴ぽくないとたまにモンゴルの人からネットにコメントされる事もあるけれど、馬頭琴って、へたでもなんでも馬頭琴なんですよ。

だから逆に馬頭琴ぽくないのってすごくない?

って思って褒め言葉と思ってます。笑

今はほとんどオリジナル曲を弾いており、そんオリジナル曲を皆さん気に入ってくださるのですが、考えてみればそのメロディーを奏でてるのは馬頭琴。

やっぱり馬頭琴好きです。

だって馬がついてる。

そして馬のリズム弾くなら絶対馬頭琴だし、

おおらかな音も馬頭琴は得意です。
とにかく、そんな日々が昨日までのことでした。

そしてその後午後は川越へ。

川越にあるギャラリーでの打ち合わせ。

10月6日まださきですが、小江戸の街並みの中川のほとりのギャラリー。

おたのしみに。

7月27日神楽坂THE GLEE でのライブですが、残り8枚ほどです。

ふと調べたらこの川越ギャラリー10月まで、関東で一般公開のコンサートはこの日が最後なので、ぜひ来ていただけますように♪

  

 風の馬に願いをのせて〜- 2018/07/11 -

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やなぎもとさんでご紹介した南相馬市と浪江町でのライブの馴れ初め。

読んでない方はぜひ♪↑

はりきって早起き。

いつもは迎えに行くね〜!と渋滞や遅刻を回避するためにだいぶ早い時間を前田さんと竹井さんにはメールで送って、それより30分遅れで大体事は進むのに、

知らせておいた時間ちょい早めくらいでお二人をお迎えに。

二人ともなんとなくそうなるのは予感していたようで、ちゃんとスタンバイしてくれてました。

まず、絶対間に合いたい。

柳本さんは前日入りしているので、当日の午前中、野馬追講座があるからまずそこへ行きましょう!

と粋な計らいをしてくれました。

  
この二上さんの話がメカラウロコ!

何がというと、そもそも私が野馬追に興味を持ったのは3.11の震災後に千葉日報より取材していただいて、色々話が弾んだ折に、記者の方が千葉から団体で相馬地方にボランティアに行ったら、相馬の人達に祖先の繋がりの人達が来てくれたというような歓待を受け、千葉の人達は事情が飲み込めず、そこで改めて千葉と相馬の繋がりを知ると言う事があったという話でした。

私もここ数年、千葉県内や、東北の太平洋側をあちこち仕事でまわるたびにそこの人から何とはなく、土地の歴史の話から戦国時代の話になり、馬の牧の話になり、岩手、仙台、福島と千葉の人と馬がその時代に移ったという話が耳に入るので、何故移動したのかどんな風に馬と人の関係はあったのか、戦国時代だから、やはり戦の理由なんだろうなと思いつついました。

なので野馬追も戦国絵巻さながらの写真など見るたびに、単純に馬のおまつりという興味と、真夏の開催ちょっと馬がしんどそうだなとか、色々と思ってましたが、神事なのか戦国絵巻なのかあまりよく分からないでいました。

まず二上さんの話は野馬追最終日の野馬懸の話に。

小人と呼ばれる白装束を着た人らが裸馬を素手で捉えて神前に奉納する。

相馬は元々平将門が祖先だという伝説があり、その伝説によると野馬追は千年の歴史。

ただ、文献に残る一番最初の記述は1597年。

この江戸時代の野馬懸は今でも原という地区があってその原に野生の馬を放牧していた。

この馬らは、完全に神事のためだけに放していた馬。

そこにお祭り当日は、数百人が入り、端から木戸まで馬を追い詰める。

最後は騎馬に乗った武者が木戸から外へ馬を追いやる。

そこからは騎馬武者は何と、木戸からそとに出ない。

木戸からでた野馬は馬だけで野馬道をはるばる小高城に向かって走る。

おそらくみちみち、監視と馬を追う人がいたのではないかという話。

そして一旦海の浜へ出て、潮水で清めてから再び野馬道を小高城へ。

たぶん浜辺りで小人が介在するんではないかと勝手な想像。

その話を聞きながら私は地図で見ながら想像して、それがとても神聖な風景に見えて感動した。

そしてその神事のためだけに広大な牧で沢山の野馬を放していたことも。

当時の人たちが馬をとても大切にしていたのがわかる。

そして選ばれた葦毛の三頭を捕らえて小人は捕らえた馬を当主に買い上げてもらう形で褒美をもらう。

そして当主は馬に願いを託して妙見(北斗七星)祈願した。

何を祈願したかというと、天下泰平、当家安全、相馬のあった中村藩領内の安寧と繁栄だったという。

二上さんが何度も強調されていたのは、野馬追の本質が合戦ではなく、相馬地方の平和と安寧を願うものだっということ。

だからこそ、原発事故の被害をこうむった相馬地方の人々の願い、平和と復興と野馬追本来の目的は一致するというもの。

野馬追は勇壮、戦国絵巻等のフレーズがクローズアップされるが、その源流は明治時代以降の観光化と猛々しさのイメージ先鋭化であったと。

戦前の帝国主義的な日本の風潮と野馬追の猛々しさが一致したために、そうなったという話でした。
それも明治になって、原に沢山の神事のためだけの野馬を保有していたことに、当時の政府は意味無し!ということで、禁止され、捕獲され、相馬の人達は神聖な馬を農牧や軍事に使うことを遠慮したため、外に全て売られていったということでした。

何度も二上さんが、本来の野馬追の目的とは、軍事的な合戦絵巻ではなく、

妙見に捧げる神聖な馬を追い、追った馬を野馬懸で捕らえ、藩領内のの安寧と繁栄を願うことであったと話されてました。

野馬追にとても興味が湧きながら、戦国絵巻には複雑な気持ちがあった私はとても腑に落ち、やはり野馬追を一通り見てみたいと思いました。

話を聞きながら

妙見さんは北斗七星を祀っていて、千葉神社もそうだし、モンゴルのカラコルムなど、あちらの方面から来ているのではないか、手塚治虫の火の鳥などにも馬が大陸から来た時にそちらの文化も入って来たというような事が書いてあるように思いますが、そんな事を思ったり、

風の馬というネパール、チベット、モンゴルとラマ教では色とりどりの旗に馬の絵を描き、経典を書いて、風にはためかせ、風とともに馬が祈りを天に届けるというのがありますが、それを思い出したり、

私のオリジナル曲の「風の馬」

そして「ポラリス」こちらは北斗七星ではなく北極星ですが、なんだかこの後の南相馬市でのライブは「風の馬に願いをのせて〜」というのをタイトルを頼まれた時に思いついたのですが、話の流れとどんぴしゃり。

また、ライブを、する場所が原地区という、昔の野馬追のために放されていた牧だったこともふくめて、一人、興奮していたわたしでした。

あと自分も八街市という江戸時代馬の牧だったところに住んでるというのも何かのご縁だな〜とか。

相馬の野馬追が、星に願いを届けるための神事であり、今の相馬地方の平和と復興を願う本来の意味が再び広く見出される事を想います。

南相馬市博物館学芸員の二上文彦さんの願いが広く知られますように。

そんな話を聞いて次に向かうは、その古代の牧であった原地区へ。

柳本さんが繋げてくれた37カフェ@parkへ。

店主の安齋明美さんと、ここのオーナーの保育園園長でもある近藤能之さん、みんな共和国の国王という方と、なんだが次々とあらわれるニコニコした方々。

ちょっとずつ見えてきたのは、この方達は震災後の放射能汚染にさらされた地に少しでも子供たちが外で遊べるように除染と遊び場作りに尽力し、また子供たちとお母さんの場作りをしてきた方々で、この37カフェその一つだということ。

   
柳本さん、持っている旗は相馬の殿様の家紋。

前に東京のデパートでこの絵柄の大きな風呂敷を売っていて、とても惹かれたけれどお高かったのでやめた。

今思うと思い切って買えばよかったな。

 
Tシャツのおじさんはマーちゃん。ボランティアスタッフの一人で、子供係。遊ばせるのもうまいし、寝かせるのもうまい。一緒に写真撮ろう!と誘うと照れてしまい。

   
終わった後に出してくれたお昼ゴハンと山葡萄ジュース。

 
スタッフの人達。一番左はし。笑顔の美しい人。安齋明美さん。

   
    
    
なぜか子供たちに大ウケの前田さん。

 
エネルギッシュな近藤園長先生。

   
終わって最後に残っていた方々と。

 
前田さんの楽器紹介コーナー。

   
ライブ後にお昼ゴハンを食べましょうということで、お茶をいただいていると、安齋明美さんが、小腹空いてるでしょう?と、ホットケーキを作ってくれました。

ありがたや〜

 
セッティングがすんで一休み。

   
この場と人達に繋げてくれた柳本新一さんの挨拶。

  近藤園長先生の話をちゃんと聞く子供たち。

 
安齋明美さんから頂いた相馬のおまんじゅう。

それから南相馬市を後にして、浪江町へ。

ここでのライブは青田荘という今年オープンしたゲストハウス。

小林奈保子さんと和泉亘さんが経営するここもまた、人の交流の場となっている。

奈保子さんが、浪江町を案内してくれる。

テレビで見ていた、イノシシやアライグマが荒らしてしまっている商店街の店から中に入ると綺麗な新住宅街に見える。

除染したので新築のようなんだということでした。

ほぼ空き家でこの辺り住んでるのは10軒くらいということでした。

そして請戸の港へ。

   
請戸小学校。

校長先生の山に逃げるぞ!という咄嗟の判断で大平山へ、先生と生徒全員助かったそうです。

ここは大平山の中腹にある慰霊碑もある公園。

放射能関連施設と請戸小学校が浜辺に。

小学校の避難の話を聞いて、本当に良かったなと思うと同時に聞いたもう一つの話。

福島が天災ではなく人災でもあったという柳本さんの話を思い出します。

請戸地区はほぼ壊滅状態。

津波の後で消防団などが瓦礫の下から呻き声が聞こえて、日没まで救助を続けるも、暗くなってからは逆に危険だということで、必ずまた明日助けにくるからがんばれ!

と声をかけ、あちこちでまだ呻き声が聞こえる中引き上げた。

そして次の日救助にいこうとしたら、放射能で立ち入り禁止。

救助に行けなかった。

そんな話を聞きました。

   
青田荘に戻ります。

あらなぜか写真掲載ができなくなってしまったので、青田荘でのライブ模様は次回に続きます!

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