2018
映画「猫が教えてくれたこと」
イスタンブールが舞台。
見終わって、猫をこんなに愛して認めてる街があるんだなって感慨。
イスタンブール全体で野良猫と共存してる。
行ってみたいと思った。
思えば私も生まれた時には家に猫がいた。
猫がいなかったことはなく、多い時には十数匹。
猫は兄弟だったし友達だった。
泣いてるとき、猫はそばに来てくれた。猫に慰めてもらった。
「叱られて、相手になるのは猫ばかり。」
小学生の頃の句。笑。季語なし。
イスタンブールにだってもちろん猫嫌いな人がいるんだろうけど、街全体で猫好きの人も猫のことも受け入れられてる。
猫に救われたって言ってる人が結構いて、猫を可愛がるだけじゃなくて、猫の自主性、野生を認めて、彼らが必要としてくれているときに相手している。
野良猫とこんな風に付き合える街なんて、本当に豊かな文化だなぁ。
買い物にお店に行った時、お腹すいてカフェやレストランで、市場で猫に会えたらどんなに素敵だろうな。
そこには、お店の人のようにそれぞれの個性、性格があって、挨拶するだけの関係だったり、じゃれ合うことができたり、姿を確認するだけだったり。
何より、人が猫を可愛がってる姿にまた癒される。
今年のはじめはもう一本見た映画。
「エンドレスポエトリー」
これも良かった!
なんか沢山勇気もらったし、やっぱり人って愛らしいと思ったし、人生やっぱり素敵だと思った。
芸術に進む人っていうのはなんか子供の頃から他の人と共有できない何かがある。
孤独をずっと感じてる。
でも人一倍それを伝えたいと思ってる。
そうやって生きてきた人やその人の表現から愛おしさや、勇気や刺激をもらえる。
そうだよね。
人間ってそうだよね。
って、我にかえる。
その道のりはとても苦しいことが多いけど、それさえ素敵だと思える。
みんながそれは違うよ。
そっちじゃないよ。
あるいは全然興味を持ってくれなくても、自分にとって必然であれば、他に理由なんていらない。
その時はやってみて、意味がわからなくても、後に生きてくることもあれば、やる前から意味がわかってる時もある。
いい映画を見て、本を二冊買って、好きなカフェで美味しいものを食べた。
いい日だ。実に。
2018
先日NHKで731部隊の番組をやっていたのを見た。
だいぶ前にそういう話を見聞きしたことはあったけれど改めて知る事が出来て良かった。
実はハルピンにも行ったことがあったのに、その時には全く繋がらなかった。
改めて知って印象に残ったのは、人体実験をしていた科学者が日本でのちに京大の教授になったり、製薬会社の社長になったり、あるいは政界と通じてたりというところだ。
なるほど都合の悪いことを隠蔽する社会の体質はずっと根が深いところにあるんだなと。
慰安婦像の問題で、過去にとらわれるのは良くないということを言った人がいた。
その言葉に唖然としてしまったが、事実をちゃんと知らないということが時としてそういう事に繋がるのだと改めて思い知らされた。
戦争を知らない世代は私を含めてどんどん増えていく。
そして戦争を知っている世代はどんどんいなくなる。
そんな社会が来るのは皆んなが初めての経験だ。
繰り返してはいけない過ちがあるから、忘れてはいけない事実を知らなければいけないし、忘れてはいけない。
過ちを知り、認め、繰り返さないようにする努力が必要だ。
戦争が起こるのは、起こそうとする人達がるいるからで、そんな人達は自分達に利益があるから起こすわけで、その利益のために幾らでも画策するのだから。
小学校の時だった気がする。
社会の教科書にドイツの事がかかれていた。
首相がきちんとナチスの過ちについて語り、謝罪をしていた。
先生がドイツでは授業で手を上げない。
なぜならヒットラーの斜めに手をあげる姿勢と通じるからだ。
その徹底さが必要だと思う。
そんなことから子供たちはきちんと学ぶことができる。
過去にとらわれることは良くない。
とは加害者側の立場では絶対に言ってはいけない事だと思う。
悲しみや怒りやそういったものは時としてその人の人生を越える。
越えて受け継がれるほどのものだったりする。
戦争を知らない私達世代が、知らない。関係ないとは決して言えない。
南京大虐殺も慰安婦も我が家には沢山の本があったので、子供の頃読んでいた。
小学生の私の感想はといえば自分がその時代に生まれなくて本当に良かったとか、人はこんな風に残酷になれるんだなということや、日本人である自分が悲しかった。
どうやったら隣国の人達に許されるのだろうかと思った。
なぜそんな事をしてしまったのか、後の世代の私達が恥ずかしいような思いをしなくてはならない事を思った。
そして中学生の頃には私も恥ずかしながら、私は戦争に関わらなかったのに、私が謝らなくてはいけない理由はなんだろうと思ったりしたこともある。
でもドイツでの戦後教育や、政治のあり方について知ることで、謝罪もきちんと学ぶ事もなぜ必要なのかが理解できるようになった。
この中途半端な社会のあり方が、次の世代の態度を生む。
なぜ私が謝らなくてはいけないのか、と思っていた時の記憶を辿れば、私は不幸だった。
日本人であることを恥ずかしいと思ったし、後ろめたかったから、できればそんな事を忘れて蓋をしたかった。
ゆがんだ気持ちというのが生まれていたように思う。
高校時代になって、改めてそのような事実を知ることで今度はきちんと受けとめることができた。
受けとめられたことで救われる部分があった。
ちゃんと謝れる。
その気持ちがあることで、後ろめたさや恥ずかしさとは違うものになる。
日本の社会がちゃんと正面から見据えて過去の過ちをちゃんと謝れる。
そういうことを徹底的にやるなら、この後ろめたさからくる、ゆがんだ思想や気持ちがなくなっていくだろう。
中途半端な姿勢が、隣国の怒りや悲しみを深くしている。
そんなことは私たちにとっても誰にとってもいい事であるはずがない。
私たちがむしろ慰安婦像をたてるべきなのだ。
自戒をこめて。
2018
先日の久留里といえば、ずっと忘れていましたが、この前発売になった現代農業の編集長になった高校時代の友人と、もう一人の同級生と三人で千葉県を一周しようということで、高校一年生の時に自転車で旅した時に、野宿した駅ではなかったかしら?
安くて小さなテントに三人でぎゅーぎゅー寝た。
あの頃の私は見かけも行動も男の子だったので、年頃の子が男の子に混じって一緒のテントに寝るとか、普通だったしお互い違和感なかったな。笑
体力がありすぎてクタクタになるまで走ったろうから、もう寝ようってなった途端にものの三秒で寝息を立てた現、編集長。
もう一人の男の子と、早すぎじゃない?と半ば呆れて、半分は羨ましく。
体が疲弊するとかえって寝つきが悪くなるって、山でもよくあるのになあ。
足がだるくなっちゃうやつ。
この久留里駅の隣に野宿当時なかったと思う立派な建物がたち、そこで随分前に一度コンサートしました。
その時にやっぱり急に思い出して、コンサートの合間に普通に、ここで野宿しましたって話したら、お客さんがあっけにとられてしまって逆に変な空気になったので、困った記憶。
さて、新春コンサート@フレスポ稲毛。
企画のマイタウンナビさん代表の美穂子さんは同じミホコさん。
2、3年前の緑区役所でのコンサートにお客様としていらしていたのが出会いでした。
写真撮影は純姫さん♪
時間も配分も内容もやりたいようにやらせて頂いて、お客様からは盛り沢山で贅沢な内容だったと喜んで頂けたようです。
このような機会を与えていただき、マイタウンナビさんありがとうございます^ ^
さて二月ですが、幼稚園、保育園、小学校での公演が続きます。
その他2月18日は八千代市にて子供向けコンサートです。
後日詳細おしらせします。
2018
まっくらなくるりからくるまでかえる。
真っ暗な久留里から車で帰る。
もう何度そんな事があったかな。
私が初めてソロライブした富津を皮切りに、まだおぼつかない人前での話や演奏をプロとして沢山経験を積ませていただいたのが、ここ君津や館山界隈なのです。
なんでこの辺りと繋がったの?
と竹井さん。
君津市民文化ホールでの打ち合わせを終えて帰り道の車の中。
実は、とにかく一人で演奏した経験もやり方も分からず、公園でのイベントにて、うろうろしていたところ、白い風というお店を出している竹内好美さんという方のお店に引っかかる。
私のCDの中に白い風というオリジナル曲があったからだった。
ダメ元で、私のCDを置かせてください。と押し売り。
快く応じてくれた竹内さん。
そしてお店でCDをかけてくれたところ、富津のカフェオーナー平野なおこさんと繋がり、馬頭琴ライブやってみない?
そしてその時のお客様の中に、後にとてもお世話になる奈良輪さんご夫妻がいました。
それと久留里でNPO活動をしている末原さんが別々に声をかけてくださり、それが細く長く続いて、なんと今回の君津市民文化ホールに繋がっている訳です。
君津市民文化ホールさんには何度か世話になっておりまして、人形浄瑠璃スーホの白い馬が完成したのも、このホールで好きなことやっていいよ。という後ろ盾があったからなのですね。
で、君津には久留里千年の森のきみ爺もいるのですが、きみ爺はこの流れで繋がった訳ではなく、スイスのプロフィール写真を撮ってくれた純姫さんが繋いでくれたのですが、去年久留里千年の森でのコンサートでは、かつて君津で演奏した時に出会っている方々が沢山いてびっくりしたのでした。
そして、初ソロライブした富津の平野さんとはそれぶりにそこで再会したのでした。
そして昨日の8日、
松本ピアノ企画の君津市民文化ホールでのコンサート。
なんとなんと、お店にCDを置いてくださった竹内さんがいらしてくれたのでした。
指折り数えて両手じゃ足りない年月。。
そして初期の頃のお客様、吉田智子さん、馬が好きで、馬を飼って共に暮らすことを計画してるというのです!
そのあかつきには訪ねたいと思います!
83歳のピアノ。
竹井さんの月の光が心地よく響きます。
うっとり。
舞台袖の暗闇で寝っ転がりたかったです。
1時間のプログラムでしたから、あっという間でした。
新曲
風の国〜仁〜
里見一族に想いを馳せた曲。馴れ初め?をみなさんに説明。
やはり縁の深い君津、皆さんに気持ちが届いた気がします。
CD販売の時に、風の国は入ってますか?
と。いや、1月3日に作り終えたので、まだです。
ドキドキな新曲披露。
暖かい感想にひとまずホッと。
今年は3月11日に里見の日(3月10日)にちなんで最後の小説の挿絵の展示会にて演奏します。
房日新聞に夢酔藤山さんが書いた里見一族の連載小説に、ギャラリーのオーナーの山鹿公珠さんが挿絵を描いたもの。
合計700枚ほどあるうちの、最後の100枚ほどの展示会です。
南房総市下滝田のがギャラリーsfkです。
ギャラリーの真上が里見の滝田城なのです。
ええ。この前楽器かついで登った。
それから、久留里千年の森のきみ爺の所で去年の春に続き2回目のコンサート。
4月8日日曜です!
桜がちょうど咲いてるかな。
ちなみに4月は21日に八街のホワイナッツにて演奏予定。
4月28日は市原のギャラリー夢心坊さんで朗読の山川建夫さんとコラボレーションライブです。
ところで、タイトルの竹井さん最強伝説ですが、ここからです。
この竹井さんには二種類あって、ピアノの竹井さんと、旦那さんの竹井さんです。
サラヴァ東京での冬の銀河夜行ライブの時のリハーサルのことでした。
五人で昼休憩中、ふとベースの山田さんが、ふとした竹井さんの受け答えに、えっ?!と戸惑っていたので、前田さんがすかさず、竹井さんは色々すごいんですよ。
と今までの逸話を語り出しました。
まず代表的なのは、九州へ行った時のこと、会場が靴を脱ぐ現場でした。
そして終わった後すぐに飛行場へ急ぐために、主催の方々より一足先に出ました。
そして成田からのバスの中でFacebookに近況など投稿していましたら、先ほどの主催の方々の一人が、靴が無い!と。
どうやら誰か間違って履いて行ってしまったと。
そんな事をふと隣の竹井さんに話すと。
「美炎さんどうしよう!
私、間違えて履いて来ちゃった!」と言うではありませんか。
なんと!
そこで私は急ぎ、竹井さんが間違えたようです。とメッセージを送る。
すると「竹井さん今どんな靴履いてますか?」と来たので、見た目を送ると、「それ違います。」と。
え??
じゃあ竹井さん履いてる靴誰の?
竹井さん、その靴本当に自分のじゃない?
「え!わかんない。どうしよう。私のかもしれない。」
え!自分の靴分からないの?
「自信がない。」
ということで、ダブル勘違い。
その話に山田さんも納得。
そして「この三人は(私と前田さんと竹井さん)それぞれ別の惑星から集まってるんだね。」
と。
まって。
前田さんも色々おかしいけど、私一番まともです!!
なぜこの話になったかというとですね。
君津市民文化ホールでのコンサートの後にいつも寄る久留里駅前のタイ料理屋さんで打ち上げ。
話の中で私が、竹井さんの旦那さんに、聞きましたよー!と話をふる。
美子さんから先日聞いた話によると、旦那さんが出張の折に初めて寄った伊勢神宮。帰ろうとしたら、みんながいちいち丁寧にこっちに向かっておじぎするから、あ、なんかどうも。
っていちいちその方々に丁寧にお辞儀を返していた旦那さん。
目に浮かびます。
竹井さんご夫妻は親の代からクリスチャンなので、外国人みたいなところがあるんですね。私もあまり人のこと言えないのですが。
旦那さん伝説もちょいちょいあるのですが、その旦那さんに竹井美子さんの九州での靴の話をしたら、
それ前にもあったの。と旦那さん。
だいぶ前の話らしいのですが、
お葬式にでかけて、やはり靴を脱いだ。
帰るときに一足しか残ってなくて、自分のでは無い。
しかも左右違う靴が一つずつ残っていたという!
美子さんあせって、どうしよう。自分の靴、誰かに履いていかれちゃった。
しかも左右違うのが残ってる。
仕方ないからそれを履いてかえる。
家に着く。
残りの左右の一組がある。
ということで、美子さん、自分で左右違う靴を履いてきて、しかも自分のじゃないと思ったんですね。
最強。
前田さんが他にもありますか?と嬉しそうに聞く。
ある。
美子さんは三人の息子さんがいて、子供達が小さい頃はそれこそてんやわんや。
で、旦那さんが一緒にテーブルの前で座ってると、美子さん旦那さんによだれかけを掛ける。
うん。
サザエさんだ。
ま、細かい話はキリないのでこの辺で失礼します。
そうでした、前田さんのサインが完成しました!
カニじゃないです。
ドラムです。
楽屋で時間があったので、みんなお絵描き。
前田さん、ここだけの話ですが(ヒソヒソ声)
人生で二回目にスティック忘れました。
一回目は遥か昔だそうで、どこかの施設でジャズ伴奏。
田舎だったので調達もできず、
菜箸で対応したそうです。
君津市民文化ホールの水原さんの神対応で、君津のライブハウスより大切な一セットお借りできました!
ありがとうございます。
忘れるところでしたが、楽屋で新曲の練習をしていたら、前田さんが踊り出したので竹井さんが動画に撮りました。
こちら、インスタグラムにのみアップしています。
一番の見所は、最後にキーーーと楽屋のドアが開いて人が入ってきて前田さんが一緒にして真顔になるところです。
良かったら見てみてください。
楽しい気持ちになること請け合いです。
1月14日は千葉市稲毛区のフレスポ稲毛にて新春コンサートです!
マイタウンナビ主催
13時開場
13時半開演。
映像も予定しています。
盛りだくさんでお待ちしております♪♪♪
2018
大晦日
実家の大掃除で二つの見つけ物。
一つ、行方不明だったシュトーレン。
一つ、行方不明だった私のパスポート。
元旦にシュトーレン食べるなんてトンチンカンな我が家にぴったりの出来事でした。
熟成されて美味しい。
その後はやっぱりお雑煮食べました。
パスポート見つかったので今年は海外行くぞ!
そして、
新しい年になりました🎍
1月1日本日発売の現代農業。
馬頭での棚田コンサートの記事と写真、数ページにわたり紹介しています。
現代農業の編集長の石川くんは山形の山奥の全寮制の高校の時の遊び仲間。お互い、村のおじいちゃんおばあちゃんに、昔の暮らしの話や、村の風習など聞くのが大好きで、授業をサボってこっそり遊びに行く程でした。
その頃から、妙に人の話を聞くのがうまかった。
山形から東京まで歩いて旅して帰ってた仲間でもあり、卒業しても青森から再び一緒に歩いて旅したり、今も変わらず日本全国を飛び回っている訳ですね。
取材は編集長らしく、自分は来ないで人を使っていましたけれども(笑)
今年も様々な場所から様々なコラボレーションで音楽をお届けします。
どうぞよろしくお願いします。
出来たばかりの新曲を仕上げて1月8日の君津市民文化ホールと1月14日の千葉市稲毛区、フレスポ稲毛の新春コンサートにお披露目したいところです。
発表がまだなので詳しくは言えませんが、2月には千葉市内のとあるところで演奏します。
私も初めての経験。
かなりワクワクしております。
新曲ですが、こちらは3月11日に南房総市ギャラリーsfk にて正式なお披露目です。
3月10日は里見の日。
新聞小説で連載してきた里見一族の歴史小説の挿絵を描いてきたギャラリーのオーナーでもある山鹿公珠さん。
その挿絵の最後の回の百枚を展示。
小説家の夢酔藤山さんや里見に所縁のある方々も集まります。
夢酔さんが、里見一族の歴史物語を大河に推す活動をされていて、そのための曲を作って欲しいということでした。
新しい曲のタイトルは
風の国〜仁〜
仁は里見が一番大切にしていた教えだと山鹿先生が言っていました。