2017
父が逝った。
今月の11日、正確には12日の1時半。
3月。
広島での演奏の帰りに病院へ見舞う。
ちょうど食事時で、少し咳き込んだりしていてなかなか食べ進まず。
風邪引いてるの?と聞くと
「わざわざお見舞いに来たのに病気のフリでもしないと来た意味がないだろう。これでも気を使ってるんだよ。」
5月。
兵庫でのコンサートの帰りに寄る。
寝たきり。
にこにこしながら
「どこも苦しい所がないんだ。もうね、いつ逝ってもいいの。
俺は向こうへ行ってもやる事が沢山あるからね。そのまた次の世界でもやる事が終わらないんだ。俺には終わりがないんだ。
次また会いましょう。向こうでね。」
6月。
木曜日。病室で少し演奏する。
うっすらと涙ぐんでいる。
もう食べることをやめた。
瀬戸内の牛窓でのライブは金曜日。満月だった。
このまま逝っちゃうのではないかと、どの曲を弾いていても送り出すための曲に思えた。
ライブには特に父とゆかりのある人が集っていたこともある。
土曜日、このまま美星町でのコンサートに行く為に牛窓を出る予定だったけれど、次に岡山に来る用事がなかったので、おそらくこれが最後だろうと、もう一度寄る。
部屋に入ると父は目を見開いて空を見つめ、両手を顔のそばで空を掴むようにしていて、何か話している。
近寄ると、
「ああ、良かった。よく見えないし、息ができない。」
心配からのパニックになっている部分もあり、実際苦しそうでもあり、看護婦さんを呼ぶと、酸素量を計ってくれて、99パーセントあるから大丈夫ですよ。
と言われる。
ピアノの竹井さんが手をさすってくれて、ドラムの前田さんが両足をさすってくれて、私が頭と胸をさする。
どこにもいかないで。と手を握りしめてくる。
美炎子。何もしてあげられなくてごめんね。
と何度か言う。
苦しさを紛らわすために違う話題にふると、ちゃんとその話題に反応する。
とうとう行かなくてはいけない時間なので、お父さん。また来るからね。
また会おうね。
といいながら、もうそれが無い事だとどこかで分かっている。
京子さんに電話しておくからね、来てくれるから大丈夫だよ。
それが最後。
夕方来た京子さんにもずっとごめんなさいだったらしい。
日曜日。
穏やかでどこも苦しまず、看護婦さんみんなに、ひたすらありがとうと言っていたらしい。
そしてそのまま夜中1時半にお医者さん、看護婦さんに見守られて、眠るようにスーッと亡くなった。
京子さんは15分間に合わなかったそうだ。
弟の甲矢人はチェコにいた。
月曜日。
ちょうど甲矢人が帰ってくる日。
お通夜。
火曜日。
密葬。
父の願いは家族だけの、無宗教のもの。
私の新しいCD「銀河夜行」が人気の無い小さな会場に流れている。
牛窓の本当に家族のようなお付き合いをしてくれたご夫婦三組と他に2人くらいの方が来てくれた。
不思議な葬式だった。
父らしい。
無宗教だから、お経もなければ賛美歌もなく、家族だけの密葬なので、挨拶やそんなものもなく、どうしよう、場が持たないじゃない?何する?だれか歌えば?みたいになってるところに、私がその後仕事で使う事もあり、馬頭琴持って行ったので、馬頭琴を弾きながら見送る。
書いてきたことを読み返すと、父は、どう?タイミングばっちりでしょう。
これでも気を使ってるんだよ。
と言ってそう。
美星町でのコンサートでオリジナル曲「龍は嵐を呼んで天に昇る」を弾いた。
父が好きな言葉。
嵐をただ、待っているのではなく、自ら嵐を呼ぶ。
その状況がないからと嘆いて待っているのではなく、自ら主体性を持ち、切り開いていく。
父の書いた文章では
「古来龍は雲を呼び嵐を呼んで天に昇るといわれる。しかし龍は雲を待ち、嵐が起こるのを待って天に昇るのではない。龍は自ら雲を呼び、自ら嵐を呼んで天に昇るのである。」
最後を感謝で締めくくった父。
きっと向こうでゆっくりするのもつかの間、生き生きと何かはじめるに違いない。
私はこの週末岩手の遠野にいく。
父の生涯の研究の一つでもあった宮沢賢治の花巻にもすぐ近く。
もう一人逝った人がいる。
ガラス絵作家の児玉房子さん。
岩手の遠野に美術館があり、住んでいた。
彼女が描く宮沢賢治の絵。
銀河鉄道の夜の絵が特に好きで、遠野の美術館で見たとき、動けなくなって涙がとまらなかった。
「銀河夜行」という曲を作った。
来週の遠野で房子さんに聞いてもらう予定だった。
電話をすると、思ったより元気な声で、「待ってるからね。全部作品を入れ替えてるんだけど、あの絵だけはあそこに残しておくわね。」
それが最後。
5月、兵庫のコンサート、瀬戸内海が一望できる素敵なお庭でのコンサートで歌った。風が強かった。
なぜか房子さんのことを語っていた。
次の日のコンサートの前に知らせが届いた。昨日亡くなりました。
そのツアーの最終日、長野の友人の家に泊まった。
そこは奇しくも、房子さんととても親交のある方の家だった、美炎子さんと房子さんのコラボレーションの企画をしたかったけど、叶わなかったわ。
ちょうど房子さんのお葬式の日だった。
「銀河夜行」
児玉房子さんの銀河鉄道の夜の絵からのインスピレーションと、父の生涯の研究であった宮沢賢治の最後に取り組んでいた銀河鉄道の夜。
私には父は父でもあり、房子さんと同じように芸術というものに携わる、師でもあった2人。
おなじく宮沢賢治を捉えようとしていた。
私はこの週末遠野へいく。
遠野で二人を想う。
山の上の馬のいる牧場へ行こう。
いつか再会したときに、あれからねって素敵なお土産話しを沢山聴かせられるように生きていこう。
西郷竹彦
本名西郷隆俊
偲ぶ会は7月29日兵庫文芸研、神戸大会にて。
この記事へのコメント
みほちゃん、
最後を迎える時、感謝の気持ちでこの世を去ることができたお父様は、素敵です。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
ビリカ
ありがとうございます。
ビリカさんも元気で。また会いましょう^ ^