2018
世間は生産性がなんたらって話題になってます。
なんでそんな考えになるんだろうか。
そもそも、基本的人権は何かの条件付きだと思っちゃってる所が、もしくは、そうあるべきだと思ってる所が、偏ってるよな。
やっぱり色んな視点で物をみれるって子供の頃に培われる必要がある。
それにはそういう豊かな物語に沢山触れることも大事だと思うな。
今の教育はテストの点を取るための、そしてなんだかんだ言って学歴というのを得るためのっていうのが未だにあるから、望めないよね。
世間から言えばコースアウト、だったり標準とされるものからズレている。
そういうところにこそ、何かしらの答えがある。
何年でもいいと思う。
無駄な時間を過ごしたって。
私はそうでした。
振り返るとなんども右往左往してるし、迷子になり、諦めたり、動けなくなって引きこもっていたり。
でも動けなくなるとかって、ちゃんと答えから導き出されている結果なんだよね。
随分あとから、必要な時間だったことがわかる。
でもわかる。
そんな時、本当はこれでいい。大丈夫ってわかってても、世間を気にしてしまうこと、それで罪悪感を感じてしまうことも。
世間に合わせたところで、世間は守ってくれるわけじゃないし、世間が何とかしてくれるわけでもないから、結局のとろ、それも幻想。
一つすごく言えるのは、自分が幸せにならないと、人を幸せにはできないということ。
随分前にそんな助言を頂いて、色々考えました。
そして月日は経ったけれど、本当にそうだなと日増しにその想いは強くなります。
あの人に迷惑かける、あの人の気持ちをおもうと、あの人が応援してくれるのを裏切ることになる。
だいたいの事って、大人になればなるほどそれで動けなかったりします。
それも幻想だったな〜
一番いいのは、自分が幸せになること。
それは他の人にはできないこと。
そして一人の人が幸せになることは本当の意味で自立することだから、人が一人自立するということは、それだけで一つの世界が全うされるみたいなイメージ。
それがじわじわ波及して、つまりはみんなのためになる。
結局、やりたいことをやりたいようにやる。
それが幸せの近道だと思う。
子供の頃からわがままと言われてきたので、今更わがままと言われても割と平気です。笑
最初はやいのやいの言われても、結局はあなたはそういう人なのねってあきらめてくれる。
で、自分はそれが一番むりがないので持続できる。
結果、みんなとのバランスもとれてくるようになる。
時間がかかってもね。
やっぱりどこかで、そんな戦いが必要だったりするんだ。
前回のブログはどこまで書いたっけ?と思ったら夏の銀河夜行ライブ前で止まっておりました。
とても楽しくやりました。
お楽しみに。
次の日は福島南相馬市へ。
7月頭に柳本さんに連れて行ってもらった37@カフェへ。
ネズミですか?これは。
カフェを運営する安齋明美さんとアルパカカフェへ連れていってもらい、楽しく過ごしたのち、近藤園長のやどり木へ。
南相馬市には様々な人達の色んな形の居場所があるなと思います。
震災を経て、復興の一つの場作りが、外の人にとっても非常に魅力的な場所になっているなと思います。
サウナな関東からやどり木の夜は涼しい風が通り、本当に3日間、私はよく寝ました。
馬見に行った以外は寝てたんじゃないか。
いや、ミニライブもしました。
三人の大道芸の方のパフォーマンスもお客さんとして楽しみました。
今思い出しても笑ったネタ。
納豆でした。
ひみつ。
朝起きると、台風近づく中、雨でしたがどうしても流し素麺やりたい人達が流し素麺。
やりたい人達、大人。
雨樋使うなんてアイディア!
今回何しに南相馬市へ来たかというと、前回ライブの前に聞いた野馬追講座で俄然行きたくなり、来てしまいました。
動画ばっかり撮ったので、ツイッターにアップしてます。
世が世ならお殿様ですね。
この後甲冑競馬を見物。
旗をはためかせて甲冑のまま走る。
映画の世界でした。
旗の音がすごくて臨場感あります。
競馬の引退馬とかもいるのでかなりの速さ。
雨も降ったり止んだりなので、見てる方は涼しいのですが、落馬が多かった。
馬も実は点滴したり、晴れると暑いのでやっぱり気の毒。
馬好きの身としては、馬可哀想という気持ちは当然あるけれど、本能的に競馬を見て興奮してしまうのも事実。
これはね、アラスカでユーコンゴムボートで三ヶ月かけて下った時に、海に出て、エスキモーの人にアザラシ狩りに連れて行ってもらって、アザラシ可愛い!
あ、可哀想! という気持ちとともに、船で追いかけ、狩りをするということが重なって体験すると、どこかに人間の本能として、狩りというものへの興奮が湧いてくることに自分で驚いた瞬間でした。
幼い頃はどんな小さな虫でも木でも、命を奪うことにあれだけ抵抗があったのに、思い返せば本多勝一のルポを読むようになって、狩猟民族の生活を知るようになって、現代社会に生きる私は単純に可哀想!
って思うけど、本能的にはまた違う感情もあるという発見だし、
自分だっていつ野性的に生き抜かなければいけない状況になるかもしれないし、あえてそうする時があるかもしれない。
とかとか。
はなしそれましたが、今回の野馬追の見たかったのは最終日の野馬懸です。
小高神社の神事です。
このあたりの熱い解説は以前のブログをぜひ読んでください。
↓
以前のブログに書いた、二上さんの話が見ていてよみがえり、想像膨らませながら野馬懸をみました。
歴史学者のほとんどは、戦国時代の軍事訓練を兼ねているという見方らしいですが、確かにいまの祭りを見ているとそう考えるのが自然だし、私も講座を聴く前はそう思ってましたが、
二上さんの考えはそうではなく、そのあたりも上に貼りました以前のブログを読んでいただきたいのですが、面白いのは、昔、広大な牧にたくさんの野生馬を放していて、野馬追当日、武者達が馬に乗って馬を追ったのは牧の中だけで、木戸から先に馬を追い立てた後は、武者達は木戸から牧の外には出なかった。
野生馬は野生馬だけで野馬道を(おそらくら道道に、棒を持った監視人がいて、馬が道から逸れないように随所で追い立てたと思われると二上さんも言ってましたが。)
浜に出て海水で禊をして、小高神社に向かったというのが、本当に面白い。
そこをきくと、神事のためにわざわざ広大な牧に馬を放していたと思うのが自然です。
戦時の時には、をたとえ、兼ねていたとしても、まず神事ありきでこのようなことをしていたと思える。
木戸から出なかった武者達という事実に何か尊いものを感じてしまう。
そこからは建前として人が介在することなく、野生馬たちが浜に行き、神社へと走る。
そして見染められた馬が境内で素手で御小人に寄って捕らえられ、奉納される。
偶然性が尊ばれるのは、祭りの一つの重要な要素だろうと思います。
そこには神の介在という必然性が入り込む余地があるからです。
そのことを知るからこそ、武者達が木戸から外へ出なかった。
軍事訓練のためではない、
そう思います。
一見この生産性のない、沢山の野生馬を広大な牧で祭りのためだけに放しておく。
これもまた、大切な神事のため。
明治政府は、生産性が無いという理由で牧を解体するように命じ、たくさんの野生馬を売ることになるのです。
でも相馬の人たちは神事に使われる馬を農耕馬として買うことはできなかった。
だから、外の人に買われたそうです。
そういう相馬の人達にとても共感します。
だから、このお祭りの3日目をみたかった。
残念ながら一緒に行った前田さんと柳本さんは仕事で3日目はいませんでした。
近藤園長が、前の日の夜、小高の火のまつりと、野馬懸の後に小高を案内してくれました。
当たり前ですが、原発事故以前、脈々と続いてきたこの相馬の地の歴史。
そして今に続くこの地の営み。
その土地において大きな事業をするときには、一つのものの見方だけでは到底足りない。
経済、生産性という見方だけでは真実を捉えることはできない。
公共事業も企業の開発もそういう取り組み方がこれからより問われていくべきです。
去年6月に亡くなった父、西郷竹彦の銀河鉄道の夜を語る。
冊子ができました。
父が生涯かけて取り組んだ文芸学とは、簡単に言えばものの見方考え方。
それを教育の場で実践してきました。
これがもっと広まる事によって、豊かな視点が尊ばれる世の中になりますように。
この記事へのコメント
相馬に農耕馬として残らなかったわけを納得しました。
私たち東葛地区は、軍事訓練の側面が強かったのでしょうね。
形だけでなく、想いも残し伝えていくのは、平和でないと難しいですね。
はい。相馬の藩主が相馬地域の安寧を願って馬を奉納した。平和と繁栄は今の相馬の願いと違わないと、野馬追講座で二上さんが言っていました。