2018
今朝、駅でアイスカフェオレを飲もうとしたら、台風の為どこも閉まっている。
喉が渇いていて、とっても飲みたかったからかなりがっかりした。
目的地でもそんなに時間はないから、水を買い飲む。
有楽町に着いたら、目的の映画上映時間まで15分ある。
ふと目前には素敵なカフェのお店。
あそこなら美味しいカフェオレがあるはず!とドアに向かうと、ドアの前にいた店員さんに、飲み物なんでもフリー券をいただいた。
え?いいの?
そんなわけでアイスカフェオレはタダ。
もちろんパンも買ってカウンターで味わう。
ここは美味しいけど高めのお店なのに、こんな大盤振る舞いいいのか。
ドキドキ。
その店員さんは同時に店に入ったので、後から来た人たちは券をもらえずに当たり前に注文してる。
ラッキーだったなぁ。
明後日から岩手、青森、そして来週は岡山。
走行距離を順調に伸ばし続ける。
旅の途中は仕事と遊びがごっちゃになってる。
今年は行きたいところに全部行けてるな。
見に来た映画は
ウインド・リバー
望月優大さん評ウインド・リバー
ぜひこの評↑見てみてください。
アメリカの原住民の保留地で起こった事件をもとに、差別の現状を描きだしている。
昨日書いたブログにも書いたけれど、中学生の時に教科書にのっていた本多勝一の文章を読んでからルポルタージュを読み漁り、ちょうど世界のことが知りたくてたまらない若い時期に、ルポを通して色んなことを知った。
私の父も本多勝一の本に登場していると知ったのはだいぶ後。
インディアンという呼称は差別的であり、ネイティヴアメリカンということ、エスキモーもイヌイットということ、間違えないようにしようなんて思いながら行ったアラスカでは、現地のネイティヴの人に、ネイティヴアメリカンと言っても伝わらなくて、自分達の事をインディアンと言っていた。
子供達が銃を撃って遊んでいたり、家でご馳走してくれた人は昼間からアルコールの匂いがした。
高校で進路を考えていた時に、海外協力隊の募集の中に、インディアン保留地のサポートというような簡単な文章があって、行ってみたいと思ったが、なんの専門家でもないのに、行って何ができるんだろうと思い、何かの専門家になろうとして、大学進学を決めたのだった。
農大を中退して、いろいろあって、今馬頭琴奏者をしている。
子供の頃から旅が大好きだ。
旅が生活だった父の仕事に幼い頃はついてまわっていたので、ずっと旅していられるなら、ジプシーがいい。と子供の頃に思っていたこともある。
どうしようもなく、誘われてしまうことがある。
旅にかんして。
寝ても覚めてもそこに行くことしか考えず、何をどうしても行く。
そんな時が数年に一度ある。
最初にアリゾナのセドナへ行った時はそうだった。
それから、今年の5月に3回目のアリゾナへ行った。
モニュメントバレーははじめてだった。
国が国立公園にしたいのだが、そこの保留地に住むナバホ族の人達が、自分達の土地と仕事を守るために土地を渡さないというようなことがモニュメントバレーの紹介にあった。
セドナではネイティヴの人はみかけなかったが、モニュメントバレー土地を近郊の町で働く人はほとんどネイティヴの人だった。
モニュメントバレーのホテルが満室だったので、一時間くらい離れたカイエンタの町に一泊だけ滞在した。
その時にちょっとしたことが、いろいろと前田さんには衝撃だったようで、ずっとどういうことなんだろうという事をつぶやいていた。
私はというと、話すのがいやだった。
この映画の評をツイッターで見かけたとき、前田さんを誘う。
見終わって前田さんは、モニュメントバレーやカイエンタでの事がよくわかった。と言った。
日本にもアイヌや沖縄の事がある。
昨日は沖縄の基地問題に取り組んでいた知事が亡くなった。
帰ってきて、モニュメントバレーはどうだった?
と聞いてきた友人に、うん。
セドナとはまた全然違う。
なんて言ったか忘れた。
映画を見てから甦るのは、モニュメントバレーで朝日を撮影しようとして、暗い中、日の出を待って馬頭琴を弾いていた時、ひんやりした空気の中で時折生暖かい風が包む。
ゆりかごにいるみたいなホッとした気持ちと懐かしさとそれを言い換えるなら哀しさ。
あの大きな哀しさにホッとした懐かしさのようなものを感じてしまうのはなぜなんだろうか。
気付いたのはあの懐かしさは哀しさだったということ。
世界のどこを掘り返しても哀しさが積み重なっている。
そこにしか本当は答えはないのに。
映画の中で、この土地には運なんてない。
と言っていた。
この朝はアイスカフェオレにラッキー!今日の始まりにラッキ〜なことがあって、今日はどんな日なんだろうと思ったばかりだった。
差別は幾らでもある。
すぐ隣にある。
そこからはじまる様々な事件も問題も数限りない。
ホワイトバッファローの伝説、7つの曲がなぜ私に与えられたのか、もう一度考える。