2022
ちょっとドキッとしますよね。
でも大切なお知らせがあるのです。
それは来月8月にはちゃんとお知らせしますが、まずはそこに至るまでの物語です。
よくアーティスト活動をしていて何周年記念とかありますよね。
つまりデビューした年というのがあるのが前提です。
私はこれがいまいち分からない。
自分が一体いつデビューしたのか。
そもそもそこに興味がないというのが正解かもしれません。
単に数字に弱いので、節目の年とか、何周年とか全く関心が湧かない。
自分にとって大切な作品というのがあります。
これは2011年の2月にアメリカのアリゾナ州セドナを旅して出会った物語なのですが、このめずらしく2011年の2月という数字を覚えているのは、3月に東北の大震災があったからなのです。
わたしにはセドナへ行って出会った物語とこの大震災は切っても切り離せない関係としてあるので、何年に行ったというのが明確に覚えている訳です。
自分が今まで歩んできた道筋は全然あっちフラフラこっちふらふらなんですけれど、なんていうか、誰かがサイコロをふってたまたま出た面にセドナと書いてあって、それをある時ふと偶然目にした瞬間に、そこへ行きたい!!となんの脈絡もなく思うわけです。
自分では行きたい気持ちがマックスなのを知ってるのだけれども、なんで行きたいのか自分で分かってない。
でも行きたいから行く。
行ってさあ何か正解が得られるのかというと別にそんな事もなく、でもただ夢中にはなっている。そして何年か経ってから、ちょっと自分であれは必然だったのかもしれないと辻褄が合う感じがする。
そんな繰り返しです。
馬頭琴に出会ったのも、モンゴルへ行きたい!から始まった事だったし、更にそれ以前に幼い頃に馬を飼いたい!という何故なのか分からない気持ちにずっと突き動かされていたのが始まりなのかもしれない。
物語に出会ってすぐに、これを曲にしたいと思った。
帰ってすぐに震災があって、曲を作るどころではなくなった。
でも悶々としている時にもう一度物語をよく読んでみて、今作らなきゃいけないと感じた。
そして7曲出来上がり、その年の夏に美浜文化ホールで初演しました。
CDにしてほしいと幾つかの声があったので、その冬にCD制作、そして再びセドナを訪れて撮影。
撮影した写真を元にスライドショーにして美浜文化ホールで再びコンサート。
7曲をあらすじの解説をしながら演奏するのはなかなか簡単ではなく、それ以来ちゃんとこの物語をやる機会がないまま数年経ちました。
思えば、この物語をなぜ曲にしようと思ったのか、何故今必要だと思ったのか、本当はよく分かっていなかった。
今もよく分かっていないんです。
今必要だと思ったのも、突き動かされて一気に7曲作ったのも、本当の気持ちだけど、何故なのかは今だに分からず、物語の大切な部分がこの言葉というのは分かっていても、その言葉をどう生きるか、どう生きたらいいか分かっていない。
だから私は未だにこの物語をまだやろうとするのかもしれません。
答えを探したくて。