2019
まだまだ続きにしておきたかったらなかなか書かないでいた旅の最終章。
けれどこちらに帰ってきてもなんとなく続いている。
あそことここが隔たりのある場所ではなく、更に少しずつ進化して膨らんでいくのである。
場所や人との出会い、それまであったものもまた変化して繋がり自体が形と色を変えていく。
幼い頃きっと妖精と出会っていたのが大人になって見えなくなってもそこに存在を感じられて助けてもらえているような。
見える世界は変わってもそこに存在しているものと物語は続いていく。
さて、念願の生牡蠣も堪能して、窓から日が落ちるのを眺め、草を食む馬を眺め、出てきた鼻歌から(それは「ドネゴールの夕陽」という新曲になって、先日も花屋のセラヴィで演奏した。)
この旅の色々な風景を思い出し、そのまま幸せな眠りについた。
朝起きるとホテルで腹ごしらえをして、ユキさんの運転に身をまかせる。
ええ。
私、旅に出る前日にまずやらかしておりました。
一年前のアリゾナの旅の前に取った国際免許。
期限内だ!と喜んでいたら、前日に確認して(なぜ前日に確認などするのだろう。。)
1月も期限が切れていた。
アリゾナへ旅立つ一月も前に国際免許を取得したのをすっかり忘れていた。
ユキさんに本当に申し訳ない!ナビと励まししかできませんが、よろしくお願いします!!
ということで、ユキさんは以前、教習所で教官をしていた職歴の持ち主。
鬼に金棒なのだが、結構な移動距離だし申し訳ないなと思いつつ、あまりに運転がうまいので、ものすごく快適だった。
ユキさんは花が好きらしく、花が咲いてるところがあると、美炎さんここで撮ろうよ!としきりに言っていた。
私ときたらいちいち着替えるのも面倒なたちなので、この場所で!と決めた場所で一気に撮りたいもんだから、うんそうだねー
とやり過ごしていた。
あさの海辺に行ってみたいね。
なんてなかなかダブリンに帰る気の起こらない私達は寄り道をしようとする。
ふと道の途中で浜辺に近そうな草原があり、中に入って車をとめる。
浜辺にはちょっと遠かったが、白い花が咲いていた。
ここで撮ろう!ということになり、とにかく支度の早い私はユキさんが降りてカメラを構えるまでに服を着て楽器を出し、裸足になってズカズカと花木の前へ行く。
すると足の裏に激痛が走った。
棘を踏んだ!!
それもどうやら細い細い針を沢山踏んだ。
ふと足元を見ると、シソの葉に似たような草が目に入る。
こいつか。
そんな気がした。
俺を踏むとはな!!
と言ってた。
ユキさんが駆けつける。
どうしたの!!えー!!!
ユキさんの肩に捕まりながら、ダメかもしれないと呟く。
なにがダメなのか。
つまり細い細い取るのも難しいようなうぶ毛のような針が沢山足の裏にささってしまったから、歩いたら余計に針が中に埋まるし、取れるかも分からないし。
もうだめだ。
というつぶやき。
とにかく楽器をユキさんに渡して車までつま先立ちで行って腰掛ける。
足の裏を見るが何もない。
そんなに細い針なのか? いややはり刺さってるものがない。
でも細かい強烈な痺れが足の裏をいまだ襲い続けている。
ユキさんが、イラクサかもしれない!私も子供の頃に知らないで掴んじゃってめちゃくちゃ痛かった!
きっとそうだ!!
という。 イラクサ。
聞いたことあるな。
針の刺さった痛さじゃないとしたら、この痛みの成分は毒性があるのか?
というところへ2人して不安がうつる。
ユキさんが、待って!今調べるからね!!
とネットで検索。
こういう時のユキさんは本当に小学校の先生。
きっといつもこのようなハプニングを乗り越えているのだろう。
一生懸命子供を不安にさせないように、最善を尽くす姿だ。
イラクサで検索して出てきた記事を大きな声でユキさんが読み上げていく。
ユキさんも必死だからか、とにかく上から順に大声で読んでいく。
なかなか毒性についての記述は出てこないが、触るととにかく激痛という記述はある。
やはりこれか。
するとユキさん。
「食べると体にいい健康食品!!!」
美炎さん!食べると体にいいって書いてある!!!
体にいいって。。
思わず笑う。
じゃあ大丈夫か。
細かい痺れが止まらないが、そうと分かれば靴を履いて写真を撮ってもらう。
痛みに耐えながら撮った写真がこちら。
この足元にイラクサ達がいるわけですよ。
ユキさんが、美炎さんの写真今まで素敵だな〜と見てたけど、裏にはいろんな苦労と笑いがあるんだね。ってその通りです。
そんな事もあってダブリンに帰る気になった私たち。
ユキさんが道々アンデルセンの話で11人の王子が白鳥にされてしまった話をしはじめる。
妹の姫が魔法を解くためにイラクサで上着を編むんだよ。
というところでなんて痛いんだ!!!!
たしかにその話はうろ覚えで知っているが、イラクサがこんない痛いのに11枚もそれでシャツを織るなんてなんて拷問なんだ!!!!と足の裏の痛みをかかえながらひしひしと痛さを噛み締めていた私。
さてダブリンではユキさんの知り合いがイギリスから合流する。
ユキさんはオーストラリアに語学留学した後でしばらく一人でヨーロッパを旅していた時に出会った人達が世界中にいて、イギリスにいる彼は東大卒の心臓外科医という聞いただけで変わった人だというイメージ。
北欧を旅していた時に、偶然の再会が三度くらいあり、それならもう一緒に旅しちゃえ!と途中から一緒に旅したらしい。
フランスでしばらく最先端の現場にいて、北海道に呼ばれて行くも、フランスでやっていたことが最先端すぎて北海道であまり役にたたず?!
今はイギリスの大学で研究者として仕事している。
お互いの旅の話や、仕事の話などあれこれ話しているうちにすっかり夜も更け、また日本か、世界のどっかで会いましょうね〜と別れる。
次の日は朝早い。
4時前に出て空港へ。
カウンターでなんとオーバーブッキングで席がないと。
成田に着いたらこの日中に山形へ移動して次の日の夕方に演奏だ。
猶予は1日あるとしても、間に合わなかったらどうするかという心配が頭を駆け巡る。
受付のお姉さんにユキさんがかけあい、1時間後にもう一度カウンターに来てと言われる。
その後そのお姉さんがどっかに引き上げて誰もいなくなったので、本当に大丈夫なのか?
と思ったが、1時間後に大柄のおばちゃんがカウンターに座ったので、そこへいく。
え?あなたたち何なの?という一瞥をくれ、そんなの知らないわよ。というテイで予想通り話が全然伝わっていない。
さっきのことをユキさんが説明し、1時間後に来てと言った受付の人の名前は何なの?
と聞かれ、そんなの知らないけどここに座っていた!
とユキさんもがんばる。
何も言わずに無表情でパソコンをいじるおばちゃん。
ユキさん曰く、眼力だけは私負けなかったから。目を逸らさずにずっと見据えていた。
と。
大きな目のユキさんの眼力は通じた。
荷物をここに乗せて。とおばちゃん。
え?
ということは乗れる?
なんかしらんが予定通りの飛行機に乗れるらしい。
でも1時間も待ったので乗る時間がもう迫っている。
楽器は大型荷物のカウンターへ行けと言われて走る。
おじさんに預ける時にふと不安がよぎる。
しかし預けるしかない。
審査の人混みは並んでないのをコレ幸いに大回りしてなんとか沢山の人を抜かして滑り込み、一番奥の搭乗ゲートまでひたすら走った。
先に走るユキさん。
子供達と走り回っているユキさんの体力はすごい。
そこ右だよー!と後ろから大声をだしてユキさんが軌道修正。
待っていたバスに乗り込み二人だけで飛行機へ出発。
なぜか飛行機はなんの塗装もしていない真っ白けっけ。
間に合えば全てオッケー。
二回乗り換えて成田空港に着いたら私の名前のカードを持っている職員が立っていた。
え?
馬頭琴が着いてなかった。
そうだろうなー。
間に合わなかっただろうな。
でもいつも演奏で弾いてる楽器は乗り換えが多くて不安だったので、使っていない楽器の方なのでそううろたえはしなかった。
2日後楽器は届く。
向こうで買った小さな楽器を前田さんに早速山形で演奏してもらった。
そうしてアイルランドの風は続いているのである。
2019
ちょうちょみたいな人がいる。
アヤさん。
アヤさんとはじめて会ったのは、2011年初めて行ったセドナでお世話になったセドナ在住のモトイさんが日本に来た時に、成田で随分時間があるから、千葉で行きたいとこがあるんだけど連れてって?
と言われてちょっとワクワクしながら付き合った。
モトイさんもアヤさんに会うのはなんとはじめてだという。
意味が分からなかったが2人してアヤさんの家にお邪魔する。
初めて会った気がしなくて、3人で色々話してるうちに共通の知り合いなどもいて、絵本や本が大好きなという事も分かった。
それ以降はモトイさんが来る度に会ったり、そのうちライブに家族と何度か来てくれたりして、気づくとお姉さんのように慕っている自分がいる。
ちょうちょみたいというのは、雰囲気がふわふわしている事もそうだが、あっちの花、こっちの花を楽しんで訪れて嬉しくて舞ってるみたいに見える。
それはそうと、美炎さんに紹介したいところがあるの!
と以前から二つの場所を推してくれていた。
そのうちの一つが一昨日ライブしたセラヴィ。
1月のプラネタリウムコンサートにオーナーの慎子さんを連れてきてくれて、馬頭琴も気に入ってくださり、今度はぜひセラヴィを訪れようと、前田さんも誘ってアヤさんとセラヴィに行ったのが、3月。
種がこぼれて自然に芽が出てのびのび葉を伸ばして花が咲いているかのようにみえる温室の中。
その場で手帳を広げて6月にやりましょうと、ほぼ勝手に決めて、アヤさんと慎子さんが、6月?!うんうん大丈夫と話を進め、次に訪れたのがライブ当日だった。
この場所がとても気に入ったチェリストの方がいて、ここでライブは何度かやっているという話だった。
お店に流れるチェロの音色が優しく、素敵な人が弾いてるんだろうなというのが想像できる。
まだ少し肌寒い3月。
途中から小雨が降ってきたが、その雨音もなんだか楽しい。
台風の時もここでパーティーしたが全然大丈夫だったというので、6月といえば梅雨の時期だが雨が降ってもできるなと思った。
6月にはもっと緑が増えていい感じになるというと通り、この時だって充分素敵だったけれど、三カ月ぶりに訪れたセラヴィは森の中のようだった。
夕方になると植物達が呼吸をはじめて、香りが出てくると聞いて、それが体感できるコンサートって贅沢だなと思った。
確かに湿度は上がってたぶん楽器にも影響があるんだけど、あちこちの外の現場で湿気の中何度も弾いてるのでそれもなんとかなるだろうと思った。
4時頃到着して機材を運び込みセッティングする間も光が刻々と変わり、ついついうっとりと手を休めてしまう。
音を出してると木の担当という造園業のスタッフの方が足元に草や蔦を次々置いてくれた。
ちょっと飾るだけでこんなに雰囲気が変わるんだなと思う。
5時半頃にお客さんが入ってくると一旦控え室に引っ込んで、演奏開始の6時頃、ふと弾きだした時に香りがとても強いのに気づく。
アロマでも焚いてるのかな?と思うほど。
夕方から呼吸をはじめて香りが強くなるって本当にそうだな。
ときた時も香りはあったが、演奏に集中して呼吸をしてるからか、余計に感じる。
一息一息深く身体に香りが巡るのが贅沢で、この一瞬一瞬が幸せだなと思った。
植物の枝垂れる枝葉が、そっとのぞいて聞いてるように感じられてこそばゆいような楽しいような感じ。
6時から7時半頃までだんだん暮れていくハウスの中の光景が変わっていくのが面白い。
遠方のライブに駆けつけてくれる華ちゃんと、アイルランドの旅でも一緒だったユキさんがる撮ってくれた写真。
華ちゃん撮影。↑
ユキさん撮影↓
私達を撮るユキさん。を撮る華ちゃんの写真。↓
打ち上げでは慎子さんのご家族総出で料理を出してくれた。
植物達の中で笑い声がいつまでも続く。
ふと慎子さんから聞いた話。
カウンターの後ろの方にすごく大きなカエルが住み着いていて、ドン君と呼んでるんだけど、ある時ここの鉢植えをトラックに搬入して表参道で降ろしている時に、ボテッと音がした。
え?!何の音?と思ったらドン君が道に落ちてる。
通行人が驚いていて、あらあら大変と、トラックに戻し、運転手さんに無事にここまで連れ帰ってもらったという話。
あまりにも面白く可愛くて何度もその話を思い返してみてはニヤニヤしている。
もちろんドン君は今でもここの主として元気にここを守っています。
慎子さんより届いた写真。↑
次まだお会いする日が楽しみだ。
2019
真っ暗闇が好き。
真っ暗闇が怖い。
わざわざすべての明かりを消して真っ暗闇に沈むようにしている時がある。
かと思えば、本当に真っ暗闇で息ができないような気がして恐怖に襲われる時もある。
今日見た映画は「炭鉱(やま)に生きる」萩原吉弘監督。
カンテラの明かりが消えてしまったときの言いようのない怖さについて少年時代の炭鉱での経験を語っている人がいた。
凝らしても凝らしても目が慣れない真っ暗闇では、右も左も上も下もなくなり、出口のわからない永遠に閉じ込められてしまうのではないかというような恐怖におののく瞬間がある。
ましてや炭鉱ではすぐそこに死がある事故が常に起こる。
過酷な労働だけではない死と隣り合わせの労働。
その中で一番印象に残ったのは、男の人達が掘り出した石炭を運び出す女の人達の労働だ。
そういえば鋸山に登った時にも、切り出した重い石を山から降ろしたのは女の人達で、降ろす時に事故に巻き込まれたのが印象に残ったのだが、二百キロにもなるものを狭い坑道で押して歩き、一歩でも踏み間違えばその重さに自分が轢かれてしまう大事故。
自分だけではなく、他の人も巻き込まれてしまう。
そんな日常茶飯事。
運命共同体の中で互いを思いやる人情。
その過酷さと、それゆえの人の暖かさなども感じた映画だったが、見終わった後で、炭鉱の展示の中に衝撃的な文章を見つけた。
炭鉱の記録文学作家の上野英信の展示だったのだが、
彼の書いたものの中から引用されているある女坑夫の呟き。
生まれ変わったら何になりたいかという他愛のないお喋りの問いかけに、「誰かが重い荷ば曳かんとならんとなら、あたしゃ、やっぱり、馬になって荷ば曳きたかよ」
え?
と思った。
映画の中では馬の描写もあった。
馬一頭に3トンもの石炭をひかせた。
真っ暗闇の中、炭鉱からやっと外に出られた時に、馬がいつまでもいつまでもいなないていたのを、切なく見ていた少年の記憶。
生きて出てこられたという馬の悦び。
それを見て切なくて涙が出たという当時少年だった人の話。
馬は過酷な労働に駆り出された存在。
本来は自由な存在なのに、人に使われて酷使される。
一方炭鉱で働く女性は生活のために自ら石炭を運ぶ。
しかしそうしなければならない理由がある。
生まれ変われるのなら、その境遇から脱したいというのが自然な想いではないのか。
というのが覆された。
誰かがやらないといけない事なら自分がまたやる。
過酷な労働と死につながる事故だけではない。
炭鉱で働く人達への差別。
権力や資本が仕組んだ差別政策の中で差別にさらされ続けた人が「この世のどこかに差別があり、差別の重荷にあえぐ人がいるかぎり、自分もやはり生まれかわってでもまたその差別の重荷を引きつづけなければならない」
思わずその文章の前で立ちすくんでしまった。
何度も何度も読み返す。
間違いではなく、生まれ変わったらまたこの重荷を背負いたい。
と言っているのだ。
美しい心とはこのような強い心なのだろう。
苦しい生活をしている人、差別を受けている人、本当に弱い人達とは誰の事なのだろうか。
本当に傷ついている人達とは誰の事なのだろうか。
人を傷つける人というのが最も傷ついている人ではないのか。
今社会に起こっている様々なことが頭をよぎる。
最近も、維新の党の長谷川さんが差別されている人達に対して投げつけた言葉。
その言葉は果たして刃となって、この女坑夫を斬りつけただろうか?
きっとかすりもせずにその刃はいつか長谷川さん自身に戻るだけだろう。
今日この言葉に出会えたお陰でそう思える。
つい先日の川崎登戸で起こってしまった悲しい殺傷事件。
今朝幼稚園で馬頭琴の演奏をした。
子供たちは屈託無く沢山笑い、音楽を楽しんだ。
園長先生が、終わった後片付けをしている私達に言った。
今日私はとても気持ちがブルーだったの。
音楽を聴くうちにとても元気になった。
音楽っていいわね。
私達は回復することができる。
回復する術をもち、それを知っている。
殺傷事件を起こした犯人は自ら死んでしまった。
彼は沢山の人を傷つけたが、本当に弱く、最も傷つけられた人とは誰だったのか。
この世の中で一番弱い人とはどんな存在なのか。
一番傷ついている人とは誰の事なのか。
それを考えさせられた1日だった。
萩原吉弘監督との思い出がある。
だいぶ前の話。
監督は私の高校時代に在学していた山形の学校を訪ねてこられた。映画「あらかわ」の撮影中で、当時私はダム問題に関心を持っていて、社会の授業の学習の中で村の人たちに聞いて回った話を元に書いた論文をどこかの新聞社が記事にしたのを読んで私に会いたいという事だった。
私はちょうどロバに乗って村を散歩していた。あれが君だったんだね。という事で色々話をして、後に何度か手紙のやり取りもした。
あなたは何か文化的な表現をするのに向いていると思うよ。と言われた事がずっと頭にあった。今こうして音楽をやっていて、久しぶりに便りをしたところ、監督は亡くなっていた。代わりに返事をくれたシグマの佐々木さんから今回の映画の案内をいただいた。
誰かの想い。それを知る事で誰かに伝えたい。音楽もまた同じ。それを再び思い直した日になった。
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撮影 Yuki Iwasawa
2019
天窓がガタガタ音を立てる音で目覚めた。
ダブリンを朝出てから3日目の朝。
白い空は寒そうだ。
雨が降っている。
明日はダブリンに戻る。
だから今日スライゴーに南下して、着いたら女王の山に登りたい。
残念な気持ちにならない。なぜかまたちょうど良く晴れるんだろうくらいにどこか思ってる。
朝ごはんをたっぷり食べて出発。
レンタカーの旅はスケジュールを本当にその日その時の流れで自由にできるのが魅力だ。
ユキさんは車の教官をしていたことがある。
オートマなのに、ゆるゆると坂道の多いアイルランドの田舎道で巧みにレバーシフトしていた。
アイルランドはイギリス同様、日本と同じ左車線でキロメートルの標識なので運転しやすい。
そして交差点はほぼラウンドアバウト。
渦巻きのように十字路がまわっていて、そこに左から合流して流れに乗り、出たい道で出る。
三時間の行程で運転中ほぼノンストップ。
ストレスがほんと少ない。
田舎道はどこも100キロで飛ばせる。
町に入ってくると50キロ制限になり、途端に前の車がスピードを落としたなと思うと、50キロ制限エリアに入ったということだ。
町を抜けるとまた途端に100キロで飛ばす。
不思議だったのは、日本の田舎だと現地の年配の方の運転でゆっくりした車がいて列になったりするのが一度もなかった。
みんなきっちり100キロで飛ばす。
1時間も走ると晴れてきた。
思わず二人で笑う。
南下しながら、ベンブルベンの山が見えてくる。
男山。
対して今日登るのが女山の女王の山と呼ばれているノックナリー山。
夕方にはやはり天気が崩れるらしいので、とりあえず雨に降られずに女王の山には登れそうだ。
まずは宿のあるストランドヒル海岸へ。
ナオコさんオススメのカフェへ。
アイルランドの伝統パン、ソーダブレッドがある。
私は今日のスープ(ソーダブレッド付き)と自家製レモネードソーダ。
ユキさんはフィッシュ&チップス。
今日のスープは濃くのある優しい味のオニオンスープ。
フィッシュ&チップスはイギリスで食べたのよりかなり美味しかった。
毎度ケーキが美味しそうなのに、食事でお腹いっぱいになるので、この旅を通してケーキまで辿り着けなかった。
女王の山は海辺にあり、このストランドヒルから見上げればある。
登山道はちょうど裏手のようだ。
ダブリンの夜、パブで飲んだピーターはこの女王の山のマラソン大会で上まで走ったと言っていた。
山の中腹まで車で行けるらしい。
エリガル山が思いのほかきつかったので、今日は全くのハイキング気分。
ただ、聞いていたように中腹まで行けるのではなく、裾野の中腹といったほうがいいかな。
やっぱり、最後は汗だく。
山頂には先史時代の古墳がある。
伝説では甲冑を着たままのメイヴ女王が眠っているという。
できることならこの山頂で小一時間くらいぼーっとしていたかったのだが、少し雲が多くなってきて、汗が引いて風が冷たく感じる。
この後は妖精の谷にいって写真撮ろうと思っていたので、雨が降らないようにと思いながら山を降りる。
地元の人もあまり知らない知る人ぞ知る妖精の谷。
白い井戸が目印。
もちろん看板もなく、駐車場もなく、道は細く、行き過ぎてから、今白い井戸があった!
バックしてなんとか車を停め、えー!
ここ?
ここから入って谷があるの??
女王の山の裾野部分ですぐ先には海がある。
たしかに小さな森のようなものは見えるが、とても大きな谷があるようには見えない。
まさにトトロの小道。
その小道を行くと、明るくかわいい森の小さなトンネルが続き、充分素敵なので、ユキさんがしきりに、ここもいいよ!
ここも素敵な写真が撮れそう!
と目を輝かせる。
私はこのもっと先にきっともっと谷らしいのがあるんだろうと、ずんずん進む。
トンネルの小道から少し雑木林になって、道がなくなり、それでも木の下をくぐって抜けると、本当に谷のホールがあった。
15メートルほどの高さの岩壁が両側にそそりたち、長い長い蔦がカーテンのように垂れ下がっている。
そのホールの合間には大きな木が高く並んでいて、よく見ると岩壁は石積みのようにブロックになっているので、城の城壁か?と思ってしまう。
逆にこれをこのように積み上げるのは無理だろうと思う。
空は晴れている。
でも深い森のようにここは岩壁と大きな木陰で覆われている。
更にホールの奥まで行くと、大きな木が倒れていた。
裸足になって着替えて木に登る。
ユキさんと二人でここは?ここは?といいながら撮った写真。
その中から景色が分かるものをいくつかご紹介。
それできっとこの谷の全体像がおぼろげながら分かるかもしれない。
写真をる撮り終えた頃に背の高いリュックを背負った男性が二人やってきた。
地質学者らしく、この岩壁の谷は本当にすごく貴重な場所なんだと説明して、更に谷の奥に入っていった。
地元の人も知らないというのがすごいな。
そのくらい隠れた場所にあるのは間違いない。
ここのあたりにあるだろうと、知っていても上から見て、全く想像つかなかったのだから。
大満足で妖精の谷を出る。
そこからノックナリー山をぐるりと一回りする形で宿へ。
宿の隣にシーフードレストランがあるではないか!
オイスターって書いてある!
私の希望の生牡蠣とユキさん希望のムール貝にありつけるかも!
部屋で荷物を解いてからゆっくりと出向くと店は満杯。
ギリギリ入れて席に着く。
生牡蠣が六つで11ユーロ。
ムール貝は幾らか忘れたが山盛り。
ピーターのアドバイスに従ってギネスのハーフパイントを。
それをバケットと共に食べ尽くし、生牡蠣もう一皿。
もう幸せ。
お店のお姉さんが、え?それだけ?というリアクションだった。笑
鮭のムニエルも迷いに迷ったが、もう腹いっぱいでした。
旅に出ると胃袋もう一つ欲しいと毎度思う。
隣の宿にそのまま帰る気にならず、夕陽散歩。
宿はキッチンがついており、ここに後2泊ぐらいできたら最高だったなと思う。
いや、すぐ隣の生牡蠣を食べに通ってしまうだろうな。
ユキさんがシャワーを浴びてる間に、この窓辺に座り込み、馬が草を食んでいるシルエットを眺めていた。
この旅を思い出しているとメロディーが浮かんできた。
虹と共にいた崖の上、エリガル山のてっぺんから見た谷の風景。
つい昨日、一昨日の事なのにもうだいぶ前のような気がする。
歌いながらそんな風景を思い浮かべていた。
続く