2015
最近、私、剣のお稽古はじめてます。
以前、和太鼓のサークルに誘われた事があり、とても興味はあったのだけれど、馬頭琴の弓の勘が鈍ると思ったので断念しました。
剣はどうなのかって言ったら、むしろ怪我の可能性を考えたらやらないものだと思います。
剣といえば剣道がありますが、一度も興味を持ったこともなく、時代劇の殺陣のシーンは怖くて見れない。。
前に役所広司主演の映画「13人の刺客」の音楽で馬頭琴を演奏した時、公開されて見に行ったのだけど、初っ端から終わりまでほぼ画面を見ずに終わりました。
自分が弾いたところも、むしろどうでもいいくらい、剣で斬り合ってる音が怖くて、目どころか耳も塞ぐ始末。笑
一度、歌舞伎役者の方が剣を振るうシーンが他の映画であって、殺陣は初めてなんだろうな、という女優さんが微妙に下手だったせいもあったか、ものすごく美しく、見とれてしまったことがありました。
その時に、剣は美しい。となぜか頭にインプット。
そういえば、父に連れられて子供時分に刀の博物館にいってとても心を奪われた事がありましたっけ。
まあ、でもそんなもんでしたが、この数年、何度もここで書いていますが、作家の、あさのあつこさんの描く時代小説が大好きで、特に剣が出てくるシーンがものすごくリアルで、ものすごく美しく、自分は剣の何も知らないはずなのに読んでいて動きや息遣いが完全に見えてくるような気がしました。
あさのあつこさんの表現が素晴らしいからなのですが、これは音楽と同じだなと強く思いました。
音楽の事でよく思っている世界が剣の描写の中に生き生きと描かれている。
そのうちに桜月流の方々にお会いした時に、ホームページで写真を見た時点で、自分の音楽ととても合う気がしていて、何か一つ弾いてください。と言われた時に、パッと思いついたのは、オリジナル曲の「風と空のうた」でした。
あの時に桜月流のお二人が、私が弾きだしたとたんに気配が変わったのが、今でもその感覚が強く残っています。
で、共演させていただいたご縁もあるのですが、むしろ自分の音楽の為に私は桜月流にて剣のお稽古をしたいと思ったのでした。
私は考えると、右か左か全くわからなくなるタイプです。
ある事柄に対して蓋があるのです。
ほんとに!
そうとしか思えない。自分のバカさ加減。。
だから、型を覚えたり、無理だろうと思うのです。
そして、右か左か理解してやるのもたぶん時間の無駄なのです。。私の場合。
ですが、気配や殺気や気配を消すとか、ここで斬るとか、ここで緩むとか、ここで委ねるとか、なんかすごく音楽と同じだと思うのです。
音楽だけでやってりゃいいわけですが、なぜだかどうしても身体を使ってやりたいと思いました。
ただ、諸刃の剣だなと思います。
下手すると生かすところよりも、立ってしまって消されてしまう部分が強くなるかもしれない。
でも、そうなったことに気づければ、戻ることはできる。
というより、短い時間の中でそのやりくりを付けていかないと、音楽の本番は常にあるわけですから、でも、そうやって何かをつかんで、その掴んだものとは、音楽の舞台の上で気づくのです。
そして、失ったものも。
それを次の舞台に修正していく。
そんなやりとりのバランスを今探りながらやっています。
ただ一つ初めて剣を握って、何度か握るようになってから、
馬頭琴の弓を持った時に、涙が出そうになりました。
あー私は今、弓で音楽を奏でられる。なんて幸せなんだろうと。
剣を持つとき、すべての所作はやはり、相手を斬ること。そこが基本です。
この循環がどうなるか、しばらく見ていこうと思います。
でも写真の中で1人全く違う動きをしてるのは私です。。。(-。-;
さて、先日、都の教職員の方々向けに馬頭琴講座を東京音大の関係でしました。
二回続けてあったので、二回目はやり方を変えて、グループで体験してもらい、最初に体験した方に教えて、あとは皆さんで教えあってください。と、ほぼその時間みなさん自身でやってもらいました。
見ていると、流石先生方。褒めるのも教えるのも慣れてるので、私が言ったポイントをはずさずに、次の方に教えて、私は本当に必要ありませんでした。笑
そして、昨日は千葉市美術館のさや堂ホールで、モンゴルのお琴のヤトガ奏者の中西史子さんと初共演。
せりあがる舞台に、響きがあるホール。雰囲気が良く、お客様もたくさんで、楽しいコンサートになりました。