2015
映画バケモノの子を見た。
動物やバケモノって複雑さが無くてだから純真。人間っていろんな面を抱えてるから、尊くもあり、醜くもある。
どんな場合でも常にいろんなもんを内包している。
自分でその複雑さをどこまでリアルタイムで面白がれるかってことで、随分生きやすくなる。
いい作品に出会うといろんな事考える。今日はそんな日。
自分にはワガママでいいと思う。
誰かに対してワガママを言うんじゃなくて、自分の世界ではワガママでいいんだ。
やりたくないことをやらなかったら、やりたい事だけやったら、どうなるんだろう?
これは子供の頃から常に考えて時には実行して来たこと。
なかなかこの実験は周りとぶつかる事が多いので、時には村八分的に、時には家出同然。なこともしばしば。笑
だけどそれも経験で、随分今は楽にワガママができるようになった。笑
つまりやりたい事をやるための努力は惜しまない。
周りはやりたい事をやらせてなんかくれない。
やりたい事をやらせてくれるのは自分だけだから、自分のワガママは自分が聞いてあげないと。
そうやって少しづつ自分の世界をおしひろげて、自分の空間を作っていく。
だから、死んじゃいけない。まだ寿命があるのに。
自分が息できるちょっとした空間はほんのちょっとした事でいいの。
よく雪崩に会った時に、両手を口の前に持って来てれば、雪の重さに押されて息ができなくても、口の周りだけちょっとずつ雪をかいていって、息ができるスペースを作れば生還できるって話を聞くけど、あの方法だと思う。
学校や会社や人間関係の重圧の中で息ができない時に。
私はよく妄想という手段で息抜きをしていた。
八方ふさがりだと思った瞬間から、その八方がどんなに巨大なものでも、宇宙から見たらちっぽけな八方なんだから、と細い糸をその宇宙に繋げる。
その出口だけは見失わないように確認してから、また現実に揉まれる。みたいな。笑
いつもの缶コーヒーを、今日はちょっとゆったり座れる居心地のいい椅子で、丁寧に淹れられた美味しいコーヒーを飲む。
もしくは、誰にも邪魔されない場所で、自分だけの好きな空間に居心地よく逃避する。
近所の夕日が綺麗な自分だけが知ってるスポットだっていい。
遠回りして、今日の予定をすっぽかしても。
そうしてほんの少しの息できる空間を毎日ちょっとずつ増やしたり、一回はしたりする習慣をつける。
誰かに、また逃げてるって怒られても、お小言だったら、すみませんって謝って、そして自分を大切にできた今日の自分におめでとうって言ってあげればいい。
社会の中で生きるって、みんな全く素人のようなもんじゃないかな。
人間って自分が生きる社会に適応して生まれてくるわけではないから。
だからなんか行き詰まっちゃったら、やり方変えてみようかなって、いくらでもやってみたらいいと思う。
私はなんで音楽をやってるんだろうと思ったら、この場所は何市の何区の何街の何番地で私は誰と誰の子供で、といくらでもどこかに属している説明が可能な一個人だけど、そんなことぜんぶ突き抜けちゃえる世界があるって証明したいのかもしれない。
私の音楽を聞いて旅に出たくなるって言ってくれたひとがいた。
そんなことのために音楽やってます。