2016
夕方から急に冷え込みましたが、千葉市内も桜満開に。
新しい曲のメロディーができて、それをまだ馬頭琴で弾いてみてなくて、伴奏もつけてなくて、でも自分の中には確かな感覚としてその曲はもう存在していて、でもまだ手にしていない時のこのひと時がとても愛おしいものなんだな。
まだ見つけていない星を探してるみたいな。
美炎さんオリジナル曲を弾いてるのは面白いですね。民族楽器で珍しいですね。
とたまに言われます。
はたと考える。
モンゴルの民族楽器。
民族楽器はその地と歴史とが生み出したもの。
民謡はその楽器のルーツそのもので、それを知らなくては元も子もない。
根元がないまま葉は茂らず、実もならない。
そう思うから、初めの何年かはただただ民謡の習得に力を入れて、何も考えず、ひたすら。
そのうち自分の中にある表現欲を舞台という場に出す機会が増えていくにつれ、逆に、馬頭琴をモンゴルの民族楽器で終わらせたくない。そんな想いと、自分の表現欲が合わさったのでしょうね。
私にとって曲を作るというのはごく自然なことで、ひょっとすると、演奏するよりも好きで、大事なんじゃないかと思うこともある。
でも、やはりその曲を自分の馬頭琴を通すことではじめて生きる。
そんな曲をつくるということと、弾くということが一心同体。
もはや馬頭琴は私の声で私の身体。
そしてまだ私に届いてない未知なる曲たちがこの空のどこかに見つけてもらうのを待っている。
私はそう思っています。
そしてそれがどこかの誰かの心に届くまで、どんな偶然をかいくぐり、出会うことができるのか。
そんな素敵な必然をこれからの人生の中でいくつ作り出すことができるか。