2016
友達が昨日私に言ってくれた事。
あなたと出会えなかったら私の人生つまらなかったと思う。
あなたを知って楽に生きれるようになった。
告白されているみたいに久しぶりにドキマギしてしまった。
思えば彼女と出会ったきっかけは2011年の震災だった。
あの時は馬頭琴奏者としても無我夢中というか、何も分からないまま、手探りだった。
そんな時に、音楽でできること。というか、こんな時に音楽が役にたたなくてどうする。
みたいに思い、たまたま震災前にホールを予約して、オリジナル曲を録音してデモテープを作ろうとしていたので、震災直後のその予約していた日に、録音したものを何か生かそうと思った。
しかしながら私にはその当時、何も知らず、自分の浅知恵で動くしかなかったが、何かをせずにいられなかった。
でも、被災地に楽器を持っていくという事は私にはとてもできなかった。
一度だけ、宮城県のお役所の声かけで、100日供養の日に避難所をまわって演奏したのが、最初で最後だ。
デモテープを手で焼いて、配ろうと思った。
なぜなら、その時私の周りには、被災地に何かしてあげたい。でも何もできなくて、苦しんでしまう人がとても多かったのだ。
音楽を聴いて、何か気持ちが変わることがあるなら、役に立つかもしれないと思った。
その時出会った友達が、え?それ、ただで配るの?
そう。街角で。
ティッシュみたいに?
そう。
という短いやり取りのあと、彼女は、私が今きっと何を言われても聞く耳を持たないだろうとおもい、一晩考えて、次の日私にこう言った。
ただで配らないで、CDと引き換えにお金をいただいて、それを被災地に寄付しよう。
その提案はとてもいいと思って、私はすぐ賛成した。
彼女曰く、ただでティッシュのように配ると言った私に仰天して、世の中こんな人がいるんだ。と、少し面白く思ったようだ。
同時にこの人ほっといたら、何しでかすかわからないと、とてつもなく心配になったと後で教えてくれた。
その当時のチャリティーCDがこれ。
1200枚何とか売り切り、寄付をした。
そして私はその時の活動で一つ学んだ。
自分が幸せにならなければ、人を幸せにできない。
何もできないと苦しんでいた人達も、何かしなければ!と無我夢中に他のことはそっちのけで、やっていた私も、同じところにいた。
まず自分の幸せを求めること。
人は一人で生きていけないから、お互いに支え合っているけど、どっちか一方が支えすぎたり、どっちか一方が頼れば無理が来る。
ささいなことでもいい。何がここちいいのか。
何が楽しいのか。そこを探りながら、日々積み重ねるように、心地よさを体感していくこと。
ちょうど今度の九州におこった地震に関して、熊本で以前コンサートをしてお世話になったと方々に来年の春のイベントで演奏できたらいいなと思った。
震災直前にできたポラリスの曲のイメージで中島菫さんにステッカーを製作してもらい、それをライブで売って、渡航費を賄う。
自分のできることを、心地よい範囲で、前回の突っ走りから少しは成長できたかな。
ちょうどそんな時に、もうないと思っていた前回のチャリティーCDがひょっこり出てきた。
相変わらず考えずに行動してしまう浅はかな所はあるけれど、私にできることは日々、これなのだと。
それはいい時も悪い時も、これなんだ。と今は胸を張って言える。