2016
アザラシはまた今度狩ることにして、この前のお話。
呼ばれて初めて訪れる場所。
演奏というのはただ演奏するだけではなく、その場の雰囲気やその日の天気、集まるお客さん、主催者、いろんな要素が総合的に作用しあって生まれる時間。
おっと、アラスカでの旅の話にもつながりますが、ちょっとした探検、冒険旅行みたいのを好きでやっていた時に、きちんとした計画。
それから色々な予測。
そしてあとは運を天に任せるみたいなちょっとした勇気。
予測や計画がとても大事ですが、それはもうあって当たり前の要素で、むしろ大事なのは、予測と外れることが大前提であり、計画がうまくいかないことが大前提とよく知っていることです。
そして、そんな時にもってるもの全部使って判断行動していく。
ほとんどの場合、緊急なのは全く考える時間がないです。
その瞬間、迷うことなく何かを決めていく。
決めるにあたっての、経験や知識やあとはもう、その時察知できる感覚。
それがまったく音楽というナマモノ。
そして舞台というやり直しのきかないところに、必要な要素だということ。
誰かにむけて言い訳することができない世界。
自分でこうだと判断したら自分を信じること。
アザラシ狩りに出ることにしましょう。
その家には白い狼みたいな犬がいました。
家の中に入れてもらえることはなく、鎖に繋がれずに、家の玄関前に寝ていました。
いかにも賢そうな顔で、アザラシ狩りに出る朝、すぐにこれから何が始まるかわかった顔をして私達についてボートに乗り込みました。
支流から海へ。
その途中仲間のボートが四艘ほど合流してきます。
波は一切なく、
透明で滑らかな布の上を切り裂いて進んでいくようでした。
途中ガンのような群れが頭上を飛んでいきます。
するとエスキモーの一人がその鳴き声を真似ました。
すると鳥が鳴き出し、そこへ向かって鉄砲を撃ちましたがあたりませんでした。
そのあとしばらくして、その波のない海の中で、どのように発見したのか、アザラシがいました。
海の上にひょっこり顔を出してこちらを見ます。
かわいくて思わずドキッとしました。
ボートはお互い邪魔することなく、間隔を保ちながらアザラシを追い詰めていきます。
ボートの先端では槍を構えて乗り出しています。
一人が槍を投げる。
すると他のボートからも一斉に槍が飛びます。
でもあたりませんでした。
それを数回繰り返し、とうとう槍がアザラシにあたりました。
空気の入った丸い球体の浮き袋のついた槍でとどめをさすと、もう潜れません。
ボートにあげられ、近くの島へ。
そして小型のナイフで手際よく解体されます。
何か順番や細かい儀式があるようでした。
内臓をそれぞれ焼いて、心臓や、肝臓、そして生肉など、色々な部位を食べさせてもらいました。
肝臓は海の香りがしました。
最初、どこか祈るような気持ちで、アザラシに槍が当たらなければいいなと思いました。
けれどもボートはボート自体が起こす波で揺れ、その波を越えていくたびに、まるで馬に乗っているようで、私はだんだん興奮してくるのが自分でわかりました。
あたったらどうしようという緊張感と、どのように追い詰めていくのかというスリルと、素早く波を越えて走るボートと、遣り手の息遣いなど、自分の中にも知らない本能があるような気がしました。
こんなふうにして、命をいただく機会を経験できたことは、この長い旅の最後の日にとても意義があるような気がしました。
これ以来、私は自分の中に矛盾をかかえていることを、むしろ当然だと思うようになり、白黒はっきりさせようとか、他人にたいしても、こうあるべきだとか、あまり思わなくなったように思います。