2016
海峡をわたって、父の元へ。
覚悟はしてたけど、父はもう最後の本は書けそうにない。
もうライブも聞きに来れなくなったので、それならいくらでも家に行った時に弾くからね。
と言ったら、お客さんを呼べと、父は相方の京子さんに今日になって言うので、そんな突然来れる人なんていないわ。
と言っていたけど、お二方来てくれることになった。
高知で演奏をして、その帰りに瀬戸内の、96才になる父のところへ見舞いに。
父も京子さんも私も、これで演奏聴けるのが最後だと覚悟して。
父が京子さんに、今生の最後の演奏だと思ったら涙が出るかもしれない。そんなのは恥ずかしいから、人を呼べ。
そしたら泣かずに済むから。
と。
京子さんは父が泣いてるの見たくないわと、そうね、人を呼びましょうと。
私も、誰かいた方が演奏会ぽくなるからやりやすいかなと思う。
京子さんが、お父さんがね、謝礼だって。と言って私にお金を包んだ封筒を渡すので、いや、それは絶対受け取れないよ。
と逃げる。
お父さんがね、俺だってただで原稿書けと言われたらいやだから、払うのは当然だ。
っていうのよ。それなら、最初に金額を交渉しなきゃだめじゃないのよね。と笑って言っていた。
それを聞いたら、涙が出そうになってしまい、慌てて受け取る。
そして、化粧をして髪を結い、衣装に着替えた。
どうしよう。私が泣いたら。と思うが、泣くわけにはいかない。
なんだか急に辛くなって、こんな時でも泣かずに弾かなきゃいけないなんて、なんて仕事だろうなとはじめて思った。
来てくださるお二方を待つ間に、ヘルパーさんが来て、父を風呂に入れた。
その後少し掃除をして、京子さんが、娘の美炎子です。
馬頭琴をやってるんですよ。
と紹介すると、馬頭琴ですか。聞いたことないです。
どんな音がするんでしょうね。と言うので、京子さんが、美炎ちゃんもしイヤじゃなかったらな、ちょっとだけ、見せてあげたら?と私にそっと言うので、いいよ。
と楽器を出したら、まあ!弾いていただけるんですか?
と言われたので、ほんとうに1分くらい弾いた。
そしたら急にその方が号泣されたので、驚いてしまった。
音楽私は全然分からないんです。でも、なんかうわーってきてしまって。
すみません。すみません。
といいながらまた泣いておられたので、私も少し泣けてしまった。
その方が帰られて、今日のお客さんお二方がみえた。
お父さんと息子さん。
息子さんの方は、この夏、ここでライブした時に、その時はお母さんと二人でいらしてくれた。
京子さんが、息子さんね、ずっと家に引きこもっていて、お誘いしても来ないかなーと思ったけど、聞いたらいいよって、勧めたの。
そしたら来てくれるって!と夏のライブの時に言っていて、そのライブの次の日から、外に出るようになったと聞いたので、何でだかわからないけれど、何かが響いたのかな。不思議なものだと思った。
息子さんはとてもさっぱりした顔をしていて、何かタイミングだったのかな。
息子さんのお父さんが、私は本当に音楽分からないんです。と先ほどの人と同じことを言った。
でも心にきました。
今日はこの息子の誕生日なんです。
と帰るときにいった。
みんなでおめでとうと言った。
父の家に着いて短い時間に心に連続でグイグイなにかくる。
なんだろう今日は。
人の心の何か少しボタンの掛け違えのようなささいなことが、ちょっとした何かでふとタイミングが合うと、動きだすのかな。
父へのコンサートは、弾きながら、最初は無性に悲しくなってしまった時もあったけれど、そのうち、こうやって父を送り出すことができるのかと、幸せだと思った。
そのお迎えが明日か数年後かはわからないけれど、同じことだ。
その後で父と話した。
表現のこと。
美のこと。
動画に撮ってみた。
とても今の自分にぐっとくる内容だった。
いつが最後になるかはわからないけれど、来れるだけまた来たいなと思った。
ただ、確実に抜けていく何か。
昨日までできたことができなくなっていく。
まだ考えて、話をすることは全然できる。
電話での講義はしているようだ。
でももうパソコンの使い方は忘れてしまって、原稿を書くことができなくなった。
なんかそれが切ない。
本も読まなくなった。
私の記憶の最初の頃から父は本読んでるか物を書いてるか、呼吸するようにしていたから。
だけど、それでいいんだ。
少しずつ忘れていき、少しずつ抜けていって、少しずつできなくなっていって、少しずつ死に向かう。
準備をしているんだな。
私も父も。