2016
目の端に捉えられていたのはトンボが竜巻みたいにぐるぐる乱舞していたことと、そこにちょうちょらしきものと、後なんの虫だろー?と思いつつ、速い曲を演奏していてこっちもぐるぐる乱舞してたので、目の端にとらえただけなのですが、
あれは夢だったのだろうか?
棚田コンサート。
虫たちの、鳥たちの、自然の場所を正にお借りする形での音楽会。
そこはシゲルさんが一年通して一人でお米を作っている場所。
田植えて、草取りし、水をみて、収穫をやっと迎え、そこで終わりにならないのがシゲルさんの田んぼ。笑
棚田コンサートが終わってやっとシゲルさんの米作りの一年が終わる。
収穫の先にある音楽会は正に収穫を感謝して祝う会になっているのかもしれない。
最後に子供達にいただく花束には棚田の稲穂が必ず入っている。
スタッフの方々とのお疲れ様会では棚田のおにぎりをほおばる。
観光名所でもパワースポットでも名のある建築家のホールでもなく、どこにでもあるような日本の里山の、シゲルさんが先祖から伝えられて受け継いでいる、普段だれも通りかからない山の中の棚田。
ひっそりと、長い時間の中、そこにずっとあった。
扇田と名前の付いたその棚田には要の部分に石舞台がある。
そこから山の奥の水の流れの来る方。
回廊になってる斜面に向かって音がのびる。
ずっと待っていてくれたような場所。
待っていてくれて、見つけることができた。
ここで弾くと一つのことを体感できる。
田んぼも木々も虫や鳥や日の光や雲や風、動物たち、その輪の中に私達もいて、目に見えない色んな存在もいて、共鳴しあっている。
そうやって生かされて、つながっている。
この石舞台にまた戻ってこれたこと、ここで弾くことでそれを体感できること、その瞬間に感謝できること。
その表せられない尊い何かをみんなで共有していること。
わたしにそれを表せるとしたら、それはやっぱりあそこで音楽をやること。
感じることで一つになること。
指折り数えてこの棚田コンサートを楽しみにしてくらている人がいる。
何日も前からずっと天気が心配で眠れなくなるほど晴天を祈ってる人がいる。
田んぼの作業をしながら、もっとここはこうしたら、居心地よくなるのではないか、常にそういう目線で見ている人がいる。
石舞台の上に根付いたねむの木も毎年大きくなっている。
私もここに戻るたびに、ちゃんと成長できているように、それを喜んでいただけるように。
次の田んぼの最後の作業。
棚田コンサートをまた迎えられるために
次の一年をすすむ。
棚田での音楽と赤とんぼ♪♪の動画です。
この記事へのコメント
素敵!一言につきます。
はい!本当に素敵です!何もかもが^ ^