2017
忘れてもいい事をどんどん忘れるようになっているこの頃です。
仕事関係は忘れない。
好きなことも。
その他が不思議なくらい抜け落ちてしまう。
大丈夫かいなこれ。
旅に出ると殊更に風とか光とかそんなものが特別なものに感じられる。
その瞬間、ここへ来た意味が分かるような気がする。
大雑把O型チームだね。
と自分達で言ってみた三人での岩手遠野への旅。
毎度お世話になっているドラムの前田さんと、知り合って間もない、というか一瞬お茶した事があるくらいの陶芸家の西美紀さん。
最初の頃はお互いO型だしね。みたいなノリだったのが、最後の方になって、2人から美炎さんの大雑把はちょっとドキドキする。自分もここまでじゃない。
みたいに言われて、え??なにが?どこが?と一人首をひねる。
先日亡くなった父が良く言っていたのが、時間が勿体無いから、テレビも見ないし、無駄なことはしない。
やはり亡くなったガラス絵作家の児玉房子さん、去年遠野でお会いした時に、もうね、好きなことしかやらないの。やりたい事だけやるの。
人生のテーマが決まっている人は、そのことに集中する。
花巻に移住したばかりの舞踏家の大田直史さんの家に泊めていただいた。
隣の家のおばあちゃん付き物件。
台所の隣に外から直接入れる小さな土間がある。
そこだけ時代が違う。
土間のむしろがおばあちゃんの作業場。
朝やってきて、豆を剥いたり、針仕事をしたりするんだそうで、太田さんの奥さんはいろんな事を教えてもらったり、一緒に作業したりするんだそうだ。
素敵な物件。
お隣のお漬物などもいろいろ頂きました。
太田さんとは今回の旅の三人とも会った事がなく、それなのに泊めていただいたという。。
太田さんと待ち合わせたのは遠野にあるガラス絵作家の児玉房子さんの美術館。
四月に電話で、児玉さんに、6月遠野にいくから、新しいCDに児玉さんの作品の銀河鉄道の夜の絵から作った銀河夜行の曲を入れたので持っていきます。
と話すと、あら、今ね美術館の作品を総入れ替えしてるのよ。
あの絵はじゃあ残しておくわね!同じ位置に。
そしたら、ミニコンサートしましょうね。ここで。
はーい。
というやり取り。
5月の兵庫でのツアー中に亡くなった知らせが届き、6月行ったら庭でこっそり歌おうと思っていた。
銀河鉄道の夜の絵が、一昨年訪ねた時のままに飾ってあった。
やっぱりなぜか涙が出てしまう。
こっそりガラス絵の前で心の中で歌った。
この歌を歌うと、児玉さんと父を思い出してしまい、歌えない。
ゆっくりと見て回った後で、ちょっとだけでも、弾いたらどうかと皆が言う。
迷っていると、窓から明るい太陽が差してきて、なんとなく、そうしようかなと思う。
代わりに管理されている義理の兄弟の方に、そんな訳で、一曲弾いてもいいですか?
ときくと、いいですよ。
それで弾いた。
背中に太陽の光が当たって暖かかった。
去る時に、実は二階があって、今まで音出すのは全部二階でやってたんです。
ガラス絵の前でやったことはなくて、本人がやるの許可してなかったから。でも本人いないし、わかんなくて。
とちょっと困ってらした。
あ、そうだったんですね!それはすみませんでした。と謝る。
知らずに音を出してしまったけれど、後味が悪くなかったのはきっと許してくれた気がしたからかな。
外に出るとすっかり晴れていた。
今日はスコールのような雨だったらしく、私たちが遠野へ来た頃はもう雨は上がり曇り気味だったけれど、
ちょうど夕刻前の金色の光でどこもかしこもキラキラしている。
美紀さん撮影
花巻を中心に企画していたのが、計画が流れたり、いろいろあったみたいで、気づいたら三陸ツアーになっていたという。
皮切りは田老の海の盆。
田老と聞いて、どきりとする。
全村が流されたところだ。
そもそも六月に遠野へ行くことを決めて、太田さんを紹介していただき、メールでやり取りするうちに、はじめは、来たついでに近所でコラボレーションしましょうという軽い感じが、
児玉さんのところでのライブがいつ終わるかわからないから、改めてにしませんか。というきっかけで、ではいつまた来れますか?と。
前田さんとスケジュールを合わせていたら、なんと8月のお盆しか日程が合わず、よりによって、お盆かーー。
ん?お盆といえば、盆踊り。といえば舞踏。
なんか意味がつながりそう。
元はと言えばこの六月の遠野行き、元々去年呼んでくれた馬と暮らす町遠野の方が、ゲストハウス完成したらまたコンサートしましょうと言っていたので、呼ばれたらまた行くと思っていた所に、美紀さんに行きましょう!と言われ、彼女はもう行くと決めているようだったので、どうしようかなどうしようかな。と内心迷っていた時期があるのだけれど、ある友人が、いきなり、遠野へ行く夢を見た!
と言うので、え?そうなの、それなら一緒に行くか。
と決めた今回の旅。
蓋をあけたら、その友人は行けなくなり、そしてまた8月に行くことになった。
しかもお盆に。
そして三陸の慰霊とも思える舞踏と音楽の舞台。
それでなくても私には今回の旅は児玉さんと父を想う旅だったので、死というものと、そして同時になぜか同じくらい生というものを意識するそんな流れが続いている。
今年にはいってから色が変わってしまった。
もしかしたら始まりは、広島のお寺だったかもしれない。
住職にあなたが演奏する場所の下には原爆で亡くなった沢山の人が埋まっているんです。
確かに今までも、演奏する場所が、ここは古い時代に戦場だったところだとか、そういう場所というのは多い。
この小さな島国、だいたいどこへ行ってもそんな歴史はある。
今生きているこの場所と、聞きに来てくれた人達と、確かにそこにはその場所の歴史という別の時空が同時に存在している。
音を出すとき、
確かめつつ、混ぜる、聞き耳をたてる。
続く