2017
秋
夏の後に秋が来るっていうのが本当にすごいと思う。
夏と秋って全く違う。それが隣り合わせってすごいです。
そして夏だけだとやっぱり飽きる。
秋がくると急に夏の間にのびのびした体と心が、そら、今度は少し落ち着いてと、ゆっくりと何か体が沈んでいくような。
不思議な気配だ。
「芸術とは、政治や戦争、あるいは民族の憎悪から生まれたもの、またこうした憎悪を生み出すものとは無縁であるというのが、私の考えである。芸術は、こうした対立を超越しているのだ。人類全体が一つの共同体であることから生まれ、またこれを顕し、またこのことを証明する何かが存在せねばならない。このことを述べるのは、現在ではいつもよりいっそう必要なことである。こうした事物には、まず宗教、さらに学術、そして芸術がある。」
(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/1946年12月17日「非ナチ化裁判」での弁論より)
どこでいつ見つけた文章か自分でも忘れているのだけれど、ずっと大事にメモしてある文章がある。
またふと取り出してみる。
引用するにあたり、ネットで調べるとウィキペディア情報では、さらっとだけれど、ナチスとの協力を拒み、ユダヤ演奏家を保護したという一文の後には、戦後ナチ協力を疑われて活動を停止させられたり、ニューヨークのオケからの誘いがあったのに、ユダヤ音楽からの反対にあったりしたらい。
そういう事を知るとこの文章がまた重みを持って感じられる。
単に響くものがあったので、知りもしないでメモしていて、たまに読み返してみる。ということだったけれど、先日ある人の演説を聞いてこのメモを思い出した。
ツイッターで動物関連や世界のニュース関連や個人的に興味のあるサイトをあれやこれやとフォローしていて、暇な時に見るのを楽しんでいるのだけれど、たまに別に知りたくない投稿ももちろん入ってくる。
そんな中の一つに、右翼とか左翼とか関連の意見の述べ合いというよりは、小競り合いだ。
それでも世の中には本当にいろんな人がいるのだということと、物事にはいろんな側面があるということを知ることができるのもいい事なのかもしれないと思う。
自分が信頼を置いている作家だったりジャーナリストだったり、そういう窓口は必要で、テレビをたまに見るだけだと、やっぱり勘違いしてしまうなと思う。
1年前か2年前か、忘れたけれどこのブログに、右も左もない、自分は大地の上に立ち、ぐるっと見回して見えるその景色を歌いたいというような趣旨のことをかいた。
あれはつまり、自分の考えが、右か左というようなものに分けられたくはない、そこからは対立しか生まれないと思った。
だから、音楽家の立場で政治的な意見をいうと、受け取りてにもよるが、判断されて、それなら敵だ。それなら味方だ。ということに分けられたくないということと、表現したいのはそんなことではないということと、それでも音楽と関係ない部分の意見を言う事で、違う意見を持つ人に、音楽を届けられる機会を失うなら全く私がやりたいことと反してしまうと思っている。
それは今でも変わらないのだけれど、先日の演説を聞き、どうしてもここに書きたくなった。
エダモン。
立憲民主党という政党をつい先日立ち上げた人だ。
私が信頼を置いている方が、この政党についてコメントしているのを読んでなぜかすごく興味を持った。
政治家や活動家の方がいろんな事を話し、もっともだよね。と同意したり、それは違うよと思ったり当然今でもあって、それでも結果として虚しくなってしまうことが多かった。
YouTubeで見た有楽町での演説。
言ってることはすごくまともで、同じことを言ってる人は確かにいる。
でも切り口というか、視点が違う。
特に一番共感したのは、
「右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか、草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。」枝野幸男
弁護士さんが書き起こした全文はこちら。
↓
枝野幸男演説全文
様々な意見、環境、状況の場合や人達がいることを前提に、耳を傾け、何を選択することが最善であるか、又はどのように進めていくかというやり方にも誠実さを感じる。
今でも覚えている。
小学校の時に、日本は戦争を放棄するということと、立憲主義で、権力の暴走はできない仕組み。
独裁が生まれない仕組み。
他国を侵略できない仕組み。
この事がどんなに誇らしかったか。
どんな意見を持つ人であっても、自分を含め、家族が戦争で亡くなるのはいやだし、自分や自分の周りの人が幸せだといいと願っているし、放射能汚染によって苦しめられたくはないし、何かによって苦しんでいる人に手を差し伸べられたらと思うし、それがない状態であれば本当にいいと思っている。
そこが違わないのに、なぜこうも対立してしまうのだろう。
対立を生み出すものというのがあると思う。
だからこそ、枝野さんのこの視点はこれから大きな流れを作り出せると思った。
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流れはどこへいくのか。
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エダモンの演説を読んで感動しているその時に、今ちょうどハワイで巡業していらっしゃる八王子車人形の家元からメッセージがきた。
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「ホテルの窓からはポラリスが見えます。」
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ピアノの竹井さんとエダモンについてやりとり。
上の文章を読んだ感想をくれた。
「枝野さんは、他の政治家とは一味違う何かを持ってると思う。
ちゃんと根っこを持ってるっていうか、自由が何かをちゃんとわかってる人だよね。
今ね、去年の直木賞と本屋大賞とった、蜜蜂と遠雷という本読んでるんだけど、
父親が養蜂家で転々としながらトラックの上でピアノのセッションしたり、ピアノは持ってなくて行った先でピアノを見つけては弾く、みたいなすごく天衣無縫な少年が、ある約束からピアノコンクールにでるの。その群像劇なんだけど、その子は自然と共に育ったからものすごく耳がいいの。蜜蜂の羽音を都会の中でもききわける。
その子のピアノを聞いた人は、どんなクラシックの既成の曲でも、まるで今、彼が作り出して弾いてるような即興性を感じてしまうの。
プロの、音楽家たちがむかしにしまい込んでしまった、大好きなフレーズを心のままに臆面もなく奏でることができる子なの。
その子の師匠(といっても師匠が彼の場所に出向いていって一緒にセッションするだけなんだけど)は亡くなる前にその子に、音を外に一緒に連れ出してくれる人を見つけなさい、と言うの。
その人から出るものは、その人の日々の生活、心から出てくるもの。
音もそう。
花を育てるような、蜂を見守るように、音楽をする、
そんなことがちりばめられていて、ものしごくおもしろい。
美炎さんにも読んでもらいたい。
フルトヴェングラーは父が大好きな指揮者だったよ。
(#^.^#)」