2018
先日NHKで731部隊の番組をやっていたのを見た。
だいぶ前にそういう話を見聞きしたことはあったけれど改めて知る事が出来て良かった。
実はハルピンにも行ったことがあったのに、その時には全く繋がらなかった。
改めて知って印象に残ったのは、人体実験をしていた科学者が日本でのちに京大の教授になったり、製薬会社の社長になったり、あるいは政界と通じてたりというところだ。
なるほど都合の悪いことを隠蔽する社会の体質はずっと根が深いところにあるんだなと。
慰安婦像の問題で、過去にとらわれるのは良くないということを言った人がいた。
その言葉に唖然としてしまったが、事実をちゃんと知らないということが時としてそういう事に繋がるのだと改めて思い知らされた。
戦争を知らない世代は私を含めてどんどん増えていく。
そして戦争を知っている世代はどんどんいなくなる。
そんな社会が来るのは皆んなが初めての経験だ。
繰り返してはいけない過ちがあるから、忘れてはいけない事実を知らなければいけないし、忘れてはいけない。
過ちを知り、認め、繰り返さないようにする努力が必要だ。
戦争が起こるのは、起こそうとする人達がるいるからで、そんな人達は自分達に利益があるから起こすわけで、その利益のために幾らでも画策するのだから。
小学校の時だった気がする。
社会の教科書にドイツの事がかかれていた。
首相がきちんとナチスの過ちについて語り、謝罪をしていた。
先生がドイツでは授業で手を上げない。
なぜならヒットラーの斜めに手をあげる姿勢と通じるからだ。
その徹底さが必要だと思う。
そんなことから子供たちはきちんと学ぶことができる。
過去にとらわれることは良くない。
とは加害者側の立場では絶対に言ってはいけない事だと思う。
悲しみや怒りやそういったものは時としてその人の人生を越える。
越えて受け継がれるほどのものだったりする。
戦争を知らない私達世代が、知らない。関係ないとは決して言えない。
南京大虐殺も慰安婦も我が家には沢山の本があったので、子供の頃読んでいた。
小学生の私の感想はといえば自分がその時代に生まれなくて本当に良かったとか、人はこんな風に残酷になれるんだなということや、日本人である自分が悲しかった。
どうやったら隣国の人達に許されるのだろうかと思った。
なぜそんな事をしてしまったのか、後の世代の私達が恥ずかしいような思いをしなくてはならない事を思った。
そして中学生の頃には私も恥ずかしながら、私は戦争に関わらなかったのに、私が謝らなくてはいけない理由はなんだろうと思ったりしたこともある。
でもドイツでの戦後教育や、政治のあり方について知ることで、謝罪もきちんと学ぶ事もなぜ必要なのかが理解できるようになった。
この中途半端な社会のあり方が、次の世代の態度を生む。
なぜ私が謝らなくてはいけないのか、と思っていた時の記憶を辿れば、私は不幸だった。
日本人であることを恥ずかしいと思ったし、後ろめたかったから、できればそんな事を忘れて蓋をしたかった。
ゆがんだ気持ちというのが生まれていたように思う。
高校時代になって、改めてそのような事実を知ることで今度はきちんと受けとめることができた。
受けとめられたことで救われる部分があった。
ちゃんと謝れる。
その気持ちがあることで、後ろめたさや恥ずかしさとは違うものになる。
日本の社会がちゃんと正面から見据えて過去の過ちをちゃんと謝れる。
そういうことを徹底的にやるなら、この後ろめたさからくる、ゆがんだ思想や気持ちがなくなっていくだろう。
中途半端な姿勢が、隣国の怒りや悲しみを深くしている。
そんなことは私たちにとっても誰にとってもいい事であるはずがない。
私たちがむしろ慰安婦像をたてるべきなのだ。
自戒をこめて。