2018
一番元気な状態から遠いとき、それで本番という時も抗わないようにしています。
頑張ると余計疲れたり、力んだり、空回りしたりするので。
こんな自分でも自分は自分。
いつもの感じじゃないのは、一体どんな感じになるのか、そこに興味をもつしかありません。
思い切り走り、風をきって爽快になる時もあれば、
ちょっとやり方かえて、風にうねりをもたせてみたり、そんな風に遊ぶこともできるはず。
まあ、そう思えるようになったのも経験が浅い時に、こんなんじゃだめだ!
いつもの感じがない!と焦ることでダメな深みにはまった経験が何度かあったからなのですが。
普段の生活でも同じですね。
なんだか冬眠状態になってる時、イマイチ力が出ない時、休みたくて、身体が勝手に休みモードになってしまってるとき、
今日は仕方なし!そのうち春が来るからそしたら目覚める。って思う。
一年の中で波のうねりのようにある気がします。
だいたい季節に順じてる。
高校時代の友人が山形からやってきました。
東京出張の折に、泊まりに。
山奥ではないけれど結構な田舎だよ、と断っておくと、本当だ。
こんなに田舎と思わなかった。
と山奥育ちの人に言われました。
よかった。
残念な話を聞く。
彼女の祖父母の山の中の家に、農繁期に泊まり込んで手伝いにいった高校時代。
その家はもう屋根が落ちて、とっくに人が住めない状態になっているそう。
おじいちゃんのそのまたおじいちゃんが建てた家。
立派な梁だった。
道路からまた奥に山道を入った中にあって、あまりにも山奥なので、彼女が子供の頃、出稼ぎでいないおじいちゃんの代わりに、一人じゃ寂しいからと、彼女がおばあちゃんと二人で山暮らししていた。
お店に買い物もいけないし、保存食食べてたそうだ。
それにその家の一番すごいところは、今でもはっきり覚えているけれど、ぼっとん便所。
ぼっとん便所そのものが驚いたのではなく、
もう何年も何年も汲み取りしたことがない。
つまり、覗くとそこにはブラックホール。
まず音がしない。
闇に吸い込まれていく。
で、このあたりは地滑り地帯。
落っこちたらたぶん永遠にさようなら。
あのなんとも言えない下からくるじわじわした怖さ。
他に例えようもない。
寮生活だった高校時代。
他県から入学した生徒が多く、26人しかいない学年の地元の子は1人で、それが彼女だった。
私はとても興味を惹かれて彼女につきまとった。
作業も山登りも嫌い。
なるべく家にじっとしてたいという彼女をいつも強引に連れまわして、山に行った。
私の方は、彼女がいると、あ、この虫は何々と言ってここの羽むしって、遊ぶんだよ。とか、この実はここいらじゃこんな呼び方をするんだとか、やっぱり地元民。
いろいろな情報が出てくるわけです。
それが面白い。
最初は嫌がっていた彼女も結果とても美しい眺めを見たり、それなりに満足する。
でも毎回、えー!やだー!寝てるー!とか言うのを、強引に連れ出す訳なんですけど。
そんな彼女は今や町の役場で地方創生を担っている。
山形県小国町。
千葉生まれの千葉育ちの私は春がきらいでした。
お勉強も学校も嫌いでしたから、新学期は苦痛。
それになんだかぼんやりしてる季節だなと思ってた。
山形で寮生活したら、まずびっくりしたのが春の強烈さ。
やく半年ほど雪のある小国町。
五月の連休の頃、やっと一気に春が来る。
山という山の木の新緑は清冽で力強くそれでいてなんとも言えない淡い色合い。
どこを歩いても雪解けの勢いのある水音がする。
身体中の血流が蘇って一気に流れるような。
それに山菜という山の幸。
食べると血流が蘇る気がする。
春ってすごいとはじめて思った。
あそこで季節とともに生きると、雪の中でじっとしながら何かを熟成する事ができるし、春になってのびのびと身体を伸ばし、水や山菜の勢いで血の滞りを流して夏はじっとりと暑く濃い濃い緑のいきに圧倒されて、秋はむんむんした余計なエネルギーを高い空に放り投げて、美しい紅葉に見惚れながら、何かを想うことが自然にできる。