2019
大人の反抗期
子供の頃の反抗期、それは愛を持って受ける存在がいないとこじれることがある。
それを通過してこそ成長があるのだから、
反抗してこなかった人はバランスをとるために、望んでなくても大人になって反抗する。
それが外にむかう場合と内にむかう場合とある。
ネトウヨが50代前後の人達が主流というのを聞くと、今反抗期の人達なんじゃないかと思う。
とにかく頑張ってきた人達。
家でも学校でも職場でも。
疑いを持つことを押し込め、色々なことに我慢してきた。
それで、成果をあげていた頃は良かったが、今時代の流れが、レールに乗っていれば安心というわけではなくなってきた。
維新や安倍さんのような人達があのような態度なのは、それで票が得られるからだろうし、それがお金になるからだろう。
そのような発言ややり方をする事で、何かが報われたように感じたり、スッキリしたりすることがあるのだろう。
四角四面な世の中を作ろうとしてきた社会全体のつけが、こういう形で現れているのだろう。
興味があるのは、ネトウヨは時には被害者をたたく。
慰安婦や詩織さんなど。
そして時には加害者をたたく。
殺人を犯した人を社会の犠牲者だとした場合に。
つまりどの立場にいるのだろう。
詩織さんや慰安婦は声をあげた。
声をあげた人達が気に入らない。
自分たちが我慢してきたからだろうか。
ひきこもりの人が犯罪を犯したりして、そのような人が犯罪を犯すのは何故なのか、社会のある意味被害者ではないか、という意見が出されると異常にその事を叩くのは、我慢が足りないという事だろうか。
我慢。
生まれた時に、そこは日本の国土だった。
そこには社会があった。
否応無しにその社会に取り込まれる。
それはある意味幻想だし、この社会の一員となることで、社会というシステムの恩恵も受けるが、被害者にもなりうることがある。
気づいたら行かされていた義務教育という名の学校では、したくないこともしなければいけないし、皆んなと同じ事が求められる。
人間は社会よりももっと自由で、社会の中におさまりきれない。
という事が根本的にわかってないと、非常に辛いことになる。
自分が今なんだか幸せじゃないのは、このシステムの中に取り込まれようとしているからだと、どこかでうすうす気づいていて、それならば、うまいことやろう。(私は割とそうだった。)
ぐらいじゃないと、まじめにのってしまうか、外れてしまうかしかない。
枠の中におさまれるのは人間には無理だ。
アメーバーみたいな存在だと思う。
ゼリーみたいに形が決められない。
システムの中におさまるのはどだい無理な話だけど、システムをある程度作らないと、恩恵も受けられないならば、自由でいられる部分をどこに確保するか。
という視点でシステムを作らないと必ず病気になる。
その病気の一つがネトウヨというものだと思う。
だからネトウヨも社会システムの被害者だ。
戦争だって、普通の人が海外に行ってまでも知らない人達をたくさん殺し、自分も殺される。
そんな無茶苦茶な意味不明なことを、しなければいけない事だと納得させられて、実際にしてしまうというのは、社会というものが、極端にこんな事まで可能にしてしまうくらい、危険性も秘めているからだ。
だから、その危険性を分かっていないと、今の世の中が平和だからといって、本当に安心していられるのか。
戦争をした方が都合がいい存在によって、うまい具合に社会を塗り替えられてしまう事が起こりつつあることを、どのくらい認識できるだろうか。
軍隊のような在り方が、今の社会のあちこちにないだろうか?
組織というものの中に。
閉塞感。
孤独感。
ネトウヨと呼ばれる人達こそ完全に言うことを聞く軍隊のような人達を作ることを目指してきた社会の被害者なのではないか。
愛国心をことさらうたうのも、よく聞くアイデンティティの拠り所をそこに求めたからだというのも分かる気がする。
さあ私たちはどうすればいいのだ?
安倍さん一人が敵ではないし、安倍さんを支持する人も敵ではない。
彼らもなんだか哀れだ。
社会はそんなんじゃ幸せにならないよ。
だから風穴が必要なんだ。
いつだって。
その風がどこから吹いてくるか、誰が開けているか、そこを嗅ぎ分けてその流れにのる。
そして自分自身もその風になれるように、自分の周りに少しでも風がまわっていない所があったら、風通しをよくするために、自分なりのやり方で、できる範囲でやる。
みんながそうなればいい。
結局風の話になっちゃった。笑