2014
やっぱりこの時代になってもお手紙はいいものですね。
先日のライブで棚田コンサートのお知らせをしたところ、ライブにいつも来てくださる方から、漢詩の便りをいただきました。
さすがにこの歳では棚田コンサートには行けないので、空想の中で山の棚田を訪ねたつもりで作詩したものです。とありました。
大意は、どうぞおいでください、の便りに、はるばるここまで尋ねてきた。野花咲く小道をとぼとぼと川に沿って歩いてきた。秋の収穫を終わった田についた時、弦楽器の音が流れてきた。あざやかで美しいその音は、手紙を下さった若い女性の馬頭琴奏者がかなでる馬頭琴の音色だった。
そういえば、一昨年コンサートの後で馬頭琴の調べを詩にしたものを送って下さった方がいた。調べが誰かの心に届き、何かに表現してみたくなる。そんな風に作用しているのかなと思うとまた嬉しいです。
文通といえば、私が高校の時からずっ馬頭琴奏者になるまでくらいの間ずっと文通していた方がいました。
民族文化映像研究所の所長の奥様で、所長宛に研究所の作品「奥三面・山に生かされる日々」を見た経緯とどんなに素晴らしい作品かということを(笑)熱烈に手紙に書いて山形から送ったのでした。そうしたら奥様から返事があり、大変楽しい内容のお手紙ありがとうございます。姫田は(所長)撮影で忙しくしていておそらくすぐに返事は書けないので私が書きたくなり、書いています。とありました。
大変楽しい内容。というのも、あの時山の中の学校で、研究所のこの作品を何としても見たい!と思い、探してみると、なんと峠を越えた町の役場にある事がわかり、ボロい自転車でギコギコ峠を越えて、町へ行くと、投影機が必要な巨大なタイヤみたいなフィルム。自転車の後ろに役場の日に焼けたおじさんが、縄でぐるぐる縛ってくれて、はるばるまた峠を越えて戻り、なんと投影機が学校にあってみんなで見た話し。
そこからはじまって15年は続いていたかと思います。奥様に実際に会う事は二、三度でしたが、姫田さんには研究所に毎週通っていたのでずいぶんお世話になりました。
ここ数年は手紙もずっとご無沙汰してしまい、しばらくぶりに尋ねたのが姫田さんが亡くなられる一年ほど前。
映画を観る会小さな会で、作品についての感想を言いましたら、あらー美炎子さん?あなたの事はこちらの勝手なんだけども、本当に娘みたいに思っているのよ。どうしてるかなー?なんて家内と良く話しているの。そうですか、お元気でしたか。とおっしゃるので、思わず涙が出そうになりました。
また久しぶりに民映研の作品をみたいな〜
この記事へのコメント
とても良い話しですね!