馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 それでもあなたの道をゆけ- 2023/11/04 -

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分かち合う

ホワイトバッファローの伝説の演目を米本久美子さんの作画でアニメーションに製作して去年12月23日に千葉市のホールで割と大がかりに音楽と共に公演してから、せっかく製作したアニメーションを生かす為に小編成(一気に2人)で出来ないものかとあれやこれや工夫して数回やってみてこれは出来ると自信もついた頃、昨晩は念願の金沢八景にあるアサバアートスクエアでホワイトバッファローの伝説を皆さんと分かち合ったのだった。

分かち合うという表現を使うのは初めてなのだが、当日になってその日の公演をイメージした時にこの物語を今日来てくれた人たちと分かち合うというイメージがしっくりきた。

念願というのもここで美炎さんLIVEしたらいいよと誘ってくれていた友人(Ayaさん)から声をかけられて数年。

なかなか実現していなかったのだが、このアニメーション付きでのホワイトバッファローの演目が完成して、小編成で気軽にできる形になった時に、Ayaさんとこれはもうやるしかないよとアサバアートスクエアに2人で押しかけて日程を決めてきたのだった。

Ayaさんとの出会いも実はホワイトバッファローの話に繋がっていて、私が初めてこの物語に出会ったのが2011年2月にアメリカのアリゾナ州のセドナへ行った時にお世話になった日本人の女性がその後日本に一時帰国のおりに、会いたい人がいるから連れて行ってと言われて一緒に行ったのがAya さんの家だった。その時にAya さんの恩師が私の高校時代のお世話になった先生と共通だという事が判明して一気に親しくなり、初めて私のLIVEを見に来てくれたのがまだ当時は出来立ての音楽だけで届けていたホワイトバッファローの舞台だった。それ以来Aya さんがアサバアートスクエアでやったらいいよとずっと言っていたのだが、というのもAyaさんの弟の写真家の井島健志さんの奥さんがこのアサバアートスクエアの大ママこと浅葉和子さんの娘のHaruさんという繋がりだった。

友人に紹介してもらったということもあるのだが、遊びに来て一目で好きになってしまったこの場所は日本のアリゾナのような、世界の少数民族の聖地のような、というのもここではたくさんの少数民族の人たちが滞在して色んな催し物をしていると言うこともあって独特な雰囲気とエネルギーに満ちているのだ。

そしてこの人が何よりこの場所を魅了的に光らせているのだが、大ママこと浅葉和子さんは見た目は可愛いおばあちゃんだがエネルギーに溢れていて、子供達にアートの種を蒔くことが親たちそして社会にも波及して平和に繋がるという信念のもと数十年活動していて、そのきっかけとして4年サウスアメリカに暮らしネイティブに学んだ経緯がある。

和子さんと娘のHaru さんが滞在していたまさにその時にホワイトバッファローの伝説の物語に登場するホワイトバッファローウーマンが私が再び生まれてくる時は世界が危機に瀕している時だと告げて去るのだが、ホワイトバッファローの子が生まれたのだ。

1994年のことだった。

そしてネイティブの人たちは伝説のその時が来たとしている。

そしてこの伝説に沿って世界で祈りを捧げる儀式が執り行われ、その一つが2004年朝霧高原であった。

その時にも和子さんは参加していて実はこのアニメーション作画の米本久美子さんも娘のすみれさんとこの場に参加していた。(ちなみにすみれさんは私のCDジャケットやチラシやポラリスのロゴなどデザインをいつもしてくれている)日本人は1000人ほどいたそうなので出会う事はなかったが同じ場にいたという事は昨日終演後に判明した。

終演後に和子さんが私の所に来て、この物語は伝説だけど、本当に今現実の話。

ホワイトバッファローの子は生まれているの。だから現実の話なのよね。

今の現在の話なのよ。これをもっともっとたくさんの場所でこれからやらないとね。

と私に言った。

今に繋がる物語であるからこそ私も今必要な話だと思って突き動かされるようにこの音楽作品を作ったのだが、伝説ではなく現実だとはっきりと和子さんが言った言葉に衝撃を受けた。

ホワイトバッファローをやる時は演目自体35分なので一部は普通に音楽LIVEをやり、プロジェクターなど用意する関係で休憩を長めにとって、2部でアニメーションと共に演奏する。

この場所に昨日集まった人たちはそもそもが和子さん繋がりで引き寄せられている人が多いせいか、中には物語を知っている人もいた。

スクリーンの位置の関係で休憩中みなさんに椅子の位置を変えてもらう必要があり、皆さんサッとスクリーン前に椅子を動かすと休憩するでもなくもう前のめりで椅子に座って待っている。

いつもは皆さんが一度散ってその中でゆっくり準備をするのだが、昨日はちょっとした緊張感の中でみなさんに見守られながら準備した。

ストーリと共に展開する音楽とアニメーションに私自身も味わいながら時間が流れていく。

ちょうどその日の朝に準備していてホワイトバッファローの曲を弾いていた時窓のすぐ脇に立つ木の枝にカラスがとまってこっちを眺めていた。ああ四つ足と羽ばたくものたちの願いの曲の通りに羽ばたくものたちが見ているなと思って嬉しくなった事を思い出した。

そして最後の曲の祈りが終わり、アニメーションも終わって真っ暗になり、明かりがついてみな私も含めてぼーっとしていた。

このアサバアートスクエアという場が改めてこの物語をリアルに感じる場であったからだと思う。

和子さんの娘のHaruさんが声をかけてくれて、我にかえり、大ママから一言何かある?とふってくれたときに、和子さんが皆さん手を繋いで輪になりましょう。とネイティブの人に伝わる祈りのやり方を教えてくれて電気を消して再び暗くした中で皆でホワイトバッファローにも出てくる生きとし生ける全てのもの達の為に祈った。この地球は私たち人間だけのものではないという事を私たちはこうして度々確認する必要があるのだ。

そして和子さんは今日ここに何人来ている?1人が10人に話してください。そしたらすぐ平和が来るの。簡単なことなの。ね。お願いしますね。と言った。

私はその言葉にも衝撃を受けた。

簡単なこと。

ウクライナに続いてガザの悲劇を連日目のあたりにして、平和とはこんなにも脆くて戦争が無くなることがこんなにも難しいのかと気持ちが塞ぎがちだった。

簡単なことなの。

今日ここに来た人たち1人が10人に話したらすぐ平和が来るのよ。

和子さんのエネルギーはこの信念から来るんだと思った。

私は本番前に1人になれるところで簡単にお祈りをする。

今日の場所、今日集まる人たち、今日の演目をイメージする。

祈りの言葉は毎回だいたい同じになるのだが少し変化する。

祈りの最後にアサバアートスクエアでホワイトバッファローの演目をする事が光の道になるイメージが湧いたので、ここからまたホワイトバッファローの物語を改めて続けていく事になるんだなと予感がした。

それは和子さんにかけてもらった言葉で私が勇気を得て、遠慮する事なくあちこちで公演したいと思う事につながったから道が見えたのだと思う。

そういえば昨日の明け方見た夢で一本の大きな木がたっていた。中が空洞になっていて蔦が絡まって緑だった。そこに月灯りが差し込んでいて私は、ほら光の道ができてるよと覗き込んだ夢だった。

前半のライブは世界各地の少数民族の人形たちの前で。

アサバアートスクエアに繋げてくれた友人のAya さんと弟の写真家井島健志さん。

大ママこと浅葉和子さん。

バッファローの下で。

この秋から始動した2人のユニットポラリス。

ポラリスは北極星。

ふとこの写真をみるとまるでポラリスの下で撮ったみたい。

この写真を撮ってくれた時に立っていた場所がバッファローの下で、みんながあ!バッファローだと気づいた瞬間だった。

このホワイトバッファローの演目の時に必ず来ている真っ白な衣装はパリ在住のHAKUYO MIYA さん。

白い羽がたくさんついていて、どこかで演奏するたびにその場に一つ二つ羽を落としていくのですが(笑)本当にこの演目にぴったり。アニメーションにも羽や鳥のモチーフが出てくるし、羽ばたくものたちの代弁をしている気持ちになる。

終演後にHaruさんが、今日の事をFacebookに投稿したらコメントで、古代フラをしている方が書いている出来立ての記事がまさにホワイトバッファローウーマンのことだったと教えてくれた。

記事の一部

 フランスへ〜LIVE編- 2023/09/03 -

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ノルマンディ編に続いての投稿です。

パリでのレストランbar LIVE〜🍻

去年は1年間、ネイティブアメリカンに伝わるホワイトバッファローの伝説のオリジナル楽曲をアニメーションとコラボするための企画に費やしたような感じであったが、そのための衣装、ふと目にしたブランドにコンタクトをとってみて衣装を製作してもらった。

ふと目にしたというのはパリ在住の宮白羊さん。

SNSにブランドデザインの写真が投稿されていたのを偶然見たのだが、それが白馬と写っている写真だった。

馬に弱い私は、なにこれすてき。

そして白羊さんにコンタクトを取ったのがはじまり。

フランスへ行く事になってすぐにまた連絡。

こっちの人はアーティストにすごく理解があるから、とりあえずやってみたらいいんじゃないですかね。と言うのでお言葉に甘えて白羊さんの懇意にしているお店で白羊さんのお友達などに声をかけてもらって実現。

まずは聞いてもらわない事にはどうにもならないのが音楽。

重い楽器を抱えて階段しかないメトロで移動しながら。

この日は暑かった。

ビールが進むでしょうなという日和。

LIVE開始は18:30からだが、夜10時くらいまでは明るい。

店のスピーカーシステムが分からなくてうまくいかず、ホームコンサート用に用意していた小さな電池式のものを使ったのだが、案外これでなんとかなった。

通りすがりの人たちもけっこう聞いてくれたようだ。

そのうち予定していた演目は弾き終わったのでじゃあ終わり。ってなってから、もっとやってほしいとリクエストがあって、そこから更に30分くらい弾いた。

通りすがりのおじさんが、1人だけ目の色も顔の色も、服の色も、髪の色も、オーラも?!灰色めいた、映画から出てきた人なの?という雰囲気で、どうしても伝えたいということで、私たちに何かを一生懸命話してる。(もっとやってとリクエストしたのもこのおじさん)

フランス語全く分からずで、紙とペンをリュックの中から取り出して、ブルターニュ、ケルトミュージックという単語。

ブルターニュにあるこのお店で弾いたらいい!とどうやら店の名前を書いてくれたようだ。

要約するとあなた達の音楽はケルトミュージックに似てる。ブルターニュならもっと受けるからぜひやると良い。というアドバイスだったらしい。

よくみるとおじさんの着ているTシャツはぼろぼろ。別の人がおじさんと話していて、何をやってるの?と聞くと、リュックから戦争反対の署名のチラシがでてきて、そういったことをやってるらしい。

それで私がブルターニュに行く事になるのかは全くわからないが、(むしろ可能性は低い)でもあのおじさんの風貌とブルターニュというイメージが強く印象に残った事は確かだ。

と、ここまで書いて数日、いや数週間放置していたのだが、あれから書いたことによって、また記憶が鮮明になり、妙におじさんの事が気になって思わずブルターニュを調べてしまった。

そしたら私の興味のあるような記事が色々出てくる。

いや、これはブルターニュ行きたくなってきた。笑

ワイン🍷〜

フランスはワイン一杯までは飲酒運転にならない。

私はワインに詳しいわけでも、お酒に強いわけでもない。

ただ好き。でも弱いが故に一杯がやっとという悲しい現実。

好きと言っても、たまに飲めればいいくらいである。

ルモアンさんというナチュラルワインを作っている方がフランスのアンジェにいて、奥様のナオミさんが馬頭琴の棚田コンサートに来てくれたりという事があったので、思いきってフランスに行った時にお邪魔しても良いか聞いてみた。

快く応じてくださり、皆でお邪魔する事に。

古いシャトーの一角の馬小屋のようなところを借りてワインを作っていると聞いていた。私は馬小屋の馬に反応して、素敵そう!とわくわく。

そしてナチュラルワインだと案外飲めてしまう事に期待も込めていた。

新曲のエルダーフラワーのPVを撮影するにも古いシャトーで撮ってみたいと思っていた。

皆でルモアンさんのワインの話を聞いて、夜はたくさんの種類を飲ませてもらった。

多めの一口とはいえ、たくさんの種類を飲めた事が私にはすごいことで、全然悪酔いせず、美味しい美味しいとそそがれるがままに飲み続けた。

というのもルモアンさんの作る料理がまだ絶品だった。

後にも先にもこの時の料理がフランスで1番美味しかったのである。

途中でシャトーの裏庭でミニコンサート。

シャトーに合いそうな赤い衣装を持っていって着たら、シャトーの主人の老夫婦も赤いセーターを着ていてなんだか赤が映える集まりになった。

一緒にワイン造りをしているルモアンさんの妹さんとワンコも初の馬頭琴コンサート。

それからまた部屋に戻ってワインの続き。

デザートはチーズ。

ルモアンさんが、古い時代にはこのシャトーに芸人が旅の途中訪れて音楽を弾いてくれた。久しぶりのこの状況にシャトーも喜んでいるね。

と。

私もなんだかそんな気がしていた。

人や場所との出会いや繋がりは本当に不思議だ。

昨日まで全く知らなかったのに、音楽を一緒に楽しんだり、美味しい料理を一緒に楽しんだりすると、グッと距離が縮まって時間も言葉も超越する。

旅芸人というのが私にはなんだか嬉しい響きなのだ。

日本中をずっと旅していた父に子供の頃はついていった経験もあって旅が大好きだ。

ジプシーに憧れていたこともあった。

ルモアンさんのところで一泊させてもらい、次の日のお昼はりんごのお酒、自家製のシードルを飲ませてもらった。

これもやっぱり飲めてしまう。

フランスに来てから色んな事が馴染んで私にはとても居心地がいい。

素敵な人たちとの出会いで素敵な場所ばかりに行っているせいもあるけれど。

 フランスへ〜ノルマンディ編- 2023/07/20 -

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6月終わりフランスへ行ってきました。

初フランス。

旅の仲間は今回もドラムパーカッションの前田仁と(ヨーロッパ初)このところLIVEでお世話になっているセラヴィのオーナーとその仲間達…皆さんフランスは複数回目)

若い頃は行きたい人連れてツアー組んでフランスへ行っていたけど、もう疲れたからやめたの。身内だけでこっそり行くの。とセラヴィオーナー。

(こっそりなのかどうなのか、私がSNSで随分紹介してしまっているのですが。)

確かに紹介してもらったご縁は家族のような付き合いの人達ばかりだったので、それも納得。

そして今回は奇跡的に私がつながっていたアンジュの(土地の名前)ナチュラルワイン醸造家のルモアンさんとパリ在住デザイナーの宮白羊さんの所でもみんなで本当にお世話になったのでした。

そうなるとやっぱり今回のフランス行きも行くべくして行ったんだなと思います。

知り合いの所以外にも偶然な出会いというのが旅ではおこる。

そんな出会いもありました。

10日間という短いわけでもなくそんなに長くもない日程。

順を追うには長すぎるので、いいとこ取りで順不同でエッセンスを紹介していきたいと思います。

Ⓜ️メトロ

地下鉄って日本では外国の人たちがいつも困った顔して右往左往してるイメージ。

私も一人旅でイギリス、イタリアでメトロに乗ったけど、案外記号と番号でなんとかなる。きっと日本のは難しい。

イギリスではストで度々止まっていたな。

さてフランスはというとスリにご注意という話を聞いて、最初はちょっと身構えたが、結果として何も起こらず。

フランスは移民の国というイメージはあったが、本当に色んな人たちがいて色んな民族衣装を着てる人たちもいて、電車の中で歌い出してお金をもらおうとするおばあさん、杖をついて回りながらお金をもらおうとする男の人もいたり、雑多な印象。

そして私的に非常に満足だったのが、誰の目線も浴びないこと。

日本では例えば楽器もってたり、ちょっと衣装ぽいいでたちだったりすると、色んな目線を浴びる。

それですごく疲れる。

あるいはイギリスでは観光客だなっていう目線を感じたり、ちょっと緊張した何かがあった。

フランスはそれらを全く感じなくて、なんて楽なんだという印象。

まあ今回は慣れている仲間もほとんど一緒だったというのもあるが、最終日に近い日に前田さんと2人で撮影に出かけた時は2人でパリの中心をメトロ移動して、カメラマンと待ち合わせの時間まで余裕があったので、駅ナカでお茶した。

カフェオレとパンオショコラ

アメリカやイタリアでは店員の人がたまーに無愛想な人がいるが、今回フランスではそんな人に会わなかったな。

みな愛想よく、フランス語だめとなると英語でやり取りしてくれたので、フランスの人は英語話したがらないイメージが払拭された。

けれどセラヴィオーナー曰く、パリの本当に中心はお店の人の態度とかちょっと高飛車なところあるかも。ということで、パリの中心は最終日にやっとできたお買い物でしか行ってないのでなんとも言えない。

🏰ノルマンディ

まずパリのシャルルドゴール空港に早朝ついて、これはセラヴィオーナーの計らいがドンピシャだったのだが、彼女の長年の信頼しているガイドの大沢さんにバンで迎えにきてもらってそのままノルマンディの田舎へ。

下道であちらの村、こちらの村を訪ねながら。

大沢さんイチオシの美しい村と、セラヴィオーナーの調べた行きたい村を幾つかまわる。

まあこれが中世そのままという感じの村ばかりで、またそこはセラヴィオーナー推薦だけあり、ガーデンがどこも素晴らしい。

初日ともう1日合計丸2日をそんな風にノルマンディ中心に美しい村巡りをした。

時にはセーヌ川沿いで果物屋で買った果物とパン屋で買ったパンとビールでランチ。

時には美味しいらしいと評判の村のレストランのテラス席を予約して、コース料理を。

美しい村の美しい写真が山のようにあるのでここはあえて控えて(選択できない)

旅仲間がフォトブックにしてくれたのでお友達の方は個人的に見たいと言ってください。

この村めぐりの中で面白い出会いが。

とある雑貨屋さんの中庭が可愛くて、あらかわいいねなんて話してたらお店のご婦人が近くに寄ってきたので会話。

どこから来たの?と言われて日本というと、こんにちは!と。

3年間日本に住んでたことがある。世界的大企業の日本支社の元妻だったというくだりにびっくりしたのだが、今からウチ来ない?と

え?お店は?

お店の人じゃなかった。(笑)

車で10分ということで着いていく。

山の中の素敵なお宅。

娘さん夫妻と旦那さんとワンコ達が迎えてくれて、なんとその方の今日は73歳の誕生日。

お祝いにミニライブ。

ええ。わたくし飛行機から降りた日だったので、なるべく飛行機で楽な格好のまま、まさかこんな美しい村めぐりとも思わず、トランク開ける間もなかったものですから。

シャンパン頂きながら庭で演奏。

ちょっとやばい。

最高なシチュエーション。

ぶるるるっと聞き慣れた音。

これは絶対馬がいる?!

茂みの中を行くと、小型の馬?!ラバだった(馬とロバを掛け合わせたもの)音がして近寄ってきたらしい。

お隣さんのラバでした。

ちょっと印象的な写真をやっぱり幾つか紹介。

旅の間は幾つもの教会へ

大聖堂もあれば

小さな小さな教会も

 たま川より- 2023/05/28 -

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5月26日多摩川の橋の下でカトちゃんとニコの飼い主を偲び、多摩川河川敷に捨てられた猫たち(通称多摩猫)とホームレスのおいちゃん達のお世話を数十年毎日続ける写真家の小西修さんの多摩猫写真展と同時開催でゲリラライブをしてきました。

3年前に小西さんと初めてこの地で同様に写真展&ゲリラライブした時には、この上記のお二人がとてもとても協力してくれてステージを作ったり、リヤカーを改造したドリンクバーを持ってきてくれたり、椅子を並べたり(私の中ではおいちゃん達がお客様だったのですが、他のお客様をもてなす側になってくれていました。)

そんなご縁でカトちゃんともう一人仲の良いフクちゃんとは多摩川に遊びに行くとお茶やお昼をご馳走になったり、我が家にも小西さんに引率されて遊びに来てくれたりしました。

それが急に亡くなってしまったのは一年前。

多摩川では急に亡くなることは珍しくなく、やはり過酷な生活を送っているという事があるのだと思います。

3年前の様子はこちら

https://note.com/mihobatokin/n/na6b734b1f164

この3年前にお客さんとしてきてくれた村上浩康監督が橋桁での多摩猫達の写真をみて小西さんを映画に撮ろうと思って完成して今全国を回っているのが

こちら。

このタイトルに映っているのがニコ。

そして亡くなったのはニコの飼い主でした。

多摩川でホームレスの方が亡くなると、情報が毎日接している小西さんにも行政が教えてくれないのだそうです。

私たちは送る会も何もできないまま、なんだか宙ぶらりんな気持ちが続いていました。

そんな時に国葬があったりして、人の命は平等なのにこの世の中は平等ではないなと思ったりしました。

それが悔しくてどうしてもお二人を送る会をしたかったというのもあります。

私じゃ何も出来ないので今回もまた小西さんの手を煩わせながら、先日のゲリラ写真展&ライブが開催できました。

フクちゃんも村上監督も来てくれて、おいちゃん達ゆかりの方もみえて、小西さんや村上監督ファンの方々も。

小西さんが設えてくれた献花台もあり、

私も庭の花を朝摘んでバケツに入れて持っていきました。

その中にまた別にお供えのお花を持ってきてくれた方がいたり、河川敷の花を摘んできてくれた方、飾る写真を持ってきてくれた方、お酒、お経をあげてくれた方もいて、とても良い会になったなと思います。

フクちゃんが自分の住処の前にカトちゃんを祀っている場所を作ってるんだよと見せてくれました。

Twitterに投稿した文章。

昨日は多摩猫写真展&ゲリラライブお越しいただきありがとうございました!

1番好きな写真。

演奏中に記念写真のおじいさま。

多摩川の風を感じて♪

なんて銘打ったせいか

感じるどころか吹き飛ばされそうでしたが

草原をトップスピードで駆ける馬という感じが出ましたでしょうか🐎🐎🐎

多摩猫たちの世話をし続けた多摩川に暮らしたカトちゃんとニコ🐈の飼い主のお二人が突然に逝ってしまった。そのお二人をを偲ぶ会でもありました。お経をあげてくれた方、花をお供えしてくれた方、何も出来なくて悲しみ寂しさしかなかった気持ちが小西さんの働きにより、心が落ち着いた日にもなりました

多摩川の橋桁は強風の中でも音が巡り、こだまして天に届いたかな。

否応なく吹き抜けていった風。多摩川の大きな流れは止められないという事を感じるような風でした。大雨の時は増水し、おいちゃんや猫たちも流してしまうそんな危うい日常も隣り合わせ。いっときでも心和む時間が積み重なりますように。

ただ通り過ぎてしまうだけの多摩川。

そこにこんな命や暮らしがあることを気づかせてくれる小西修さんの写真と文章です。

皆様また何かの折に多摩川で。

撮影 小西修

撮影 小西修

この辺りで暮らした猫達の写真を背中に感じながら、ここでのライブはちょっといつもと違います。

風が全てを吹き飛ばしてくれたかな。

ありがとうございました。

 2つの映画- 2022/11/20 -

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ぽっかりと雨で無くなったの今日の演奏。

こんな日を無駄にはできん。

昨日はなんせ奇跡だった。

ワタシ的に。

海浜幕張の日本庭園、美浜園での灯ろうまつりで昨日はパーカッションの前田仁さんと演奏した。

本当は今日もだったが雨で中止。

そもそも美浜園と繋がったのも奇跡的だったのだけど、灯ろうまつりでの演奏は灯ろう見に来た人が通りすがりに耳に聞こえた音楽として、BGMとして挑もうと思っていたし、誰も足をとめてくれなくとも、なんか音楽があって心地よかったなと思ってくれたらそれでよし。

と思っていた。

灯ろうまつり✖︎コンサートというイベントならまだしも、色んな催しがあるうちの一つだったので、始まる前からお客さんの人だかりが、セッティングしてあった場所の前にいつのまにかできて、みんなしーんと待っているのには正直焦って、前田さんとどうしたのこれ?大丈夫か?私たち?!とオロオロしていたのであった(笑)

急遽プログラムを変えてMCも挟みながら、つまりは普段のコンサートのような感じで始まった。

しかし、一曲、一曲と進むにつれてなるほど。馬頭琴とはこういうものか。という感じに納得した人たちが灯ろうのエリアへと移動していくだろうと思っていたのだが、皆さん立ったまま動かずにずっとそこに居てくださるので、私たち座ってるけど、夜の暗がりの中で少しは寒く、立ったまま聞いてもらうのが申し訳なく、非常にMCが早口になっていた。

逆に離脱する人が出ないのがあのドキドキするゲーム黒ひげ危機一髪みたいなソワソワした気持ちになってしまって、どうなの?本当に情けないわ。わたし。

2回目は気を取り直して、でも今度こそ人は集まらないに違いないと思ったので、1回目のように時間の前に人が集まり始めた時には、やっぱりソワソワとしてしまうのでした。

でも腹をくくって、むしろこんなにして最後まで聞いてくれる事に感動していました。

終わって美浜園の方と少し話をして、まさかこんなに皆さん集まって聞いてくださるとは思いませんでした。と言うと、正直私もそう思っていました。とおっしゃっていたので、やっぱり何か奇跡が起きたのでしょう。

中には12月23日の美浜文化ホールでの自主企画コンサートのチラシを千葉市内にチラホラと置いてもらったりしていたどれかを見た方が、チラシに惹かれて検索してくれたらしく、YouTubeや他のコンサートでの衣装の事も言及してくださり、ああ、そんなふうに全く知らない人が一人、一人と繋がってもらえることの有り難さを実感しました。

この美浜文化ホールのコンサート、チケットは本当に何かをやって一枚。もう一つ何かをやって一枚というふうに、一つ一つ一歩一歩重なっていく事が実感できて、どーんと売れるわけでは決してないのですが、その一枚の有り難さを噛み締める日々です。

話がそれましたが、

そんなわけで今日は無駄にはできないと、休みができたパーカッションの前田仁さんを誘ってポレポレ東中野の映画館に村上浩康監督の「たまねこ、たまびと」を見に。

なんと私は今月23日(水・祝)の上映の後に村上監督とトークショーするという。

たまねこの映画のことはまた後ほど書きます。

ふとTwitterで目にした記事。

高校時代の友人が出ていて、ポレポレ東中野で舞台挨拶したという記事を目にして、え!!ってメッセージを送る。

なんで言ってくれないの?と半ば文句。

すると彼は監督が出れなくなって急遽出たんよ。明日も。みたいな事を言うので、あしたも?!

明日ポレポレ行くんだけど!

と言う事で、もう一本映画を見る事に。

「百姓の百の声」

柴田昌平監督

ここに農文教と言う存在が紹介される。

紹介されるというよりは、農文教の紹介によって監督はさまざまな百姓の人たちと出会い、この映画がうまれている。

この農文教が出している現代農業という月刊誌の編集長が高校時代の友人石川啓道。

映画の冒頭の方に農文教の職員がスクーターに乗って農村を走るシーンがあるのだが、これを見ながら私は、あっヒロだ。と思った。

彼が大学卒業して農文教に就職して、一年か二年かした頃に電話がきて、とにかく!!面白い仕事なんだよ。スクーターで全国の農家まわっておじいさんの話とか聞くんだよって、こんな話があったとかイキイキと話ていて、私はそれを聞きながら、高校時代と何も変わらないじゃんと思っていた。

そう。彼とは高校時代に授業サボって一緒に農家行って農家の人の話聞いたりしていたのだから。

こんなに変わらない人間も珍しいなというくらいヒロはそのまま今に至る。今日も舞台挨拶で、農家のおばあさんが虫のことをイキイキとして話すのを聞いて、面白かったと言う話をやっぱりイキイキと話していたから。

映画の内容には触れないが、日本に暮らしお米や野菜を食べている人全員に見てほしい。

いまの農業をしっかりと分かりやすく伝えながらも本当に魅力的な百姓の人たちと彼らが生み出す知恵を見せてくれることで希望がもてる。

もう一つ思い出したが、その電話の中で高校時代自然農法に傾いていた我ら。農家をまわるうちに考えが変わったといって、農薬はね、必要なんだよ。って私に力説されても。と思いながら、いやでも私自分が食べるなら虫食ってていいから農薬使ってないやつ食べたいし買って応援したいと反発しながら、うん。でもね、西郷ちゃん、と言って懇切丁寧に私に説明してくる。

正直面倒になってへー。とかほーとか。適当に相槌うっていた記憶が蘇る。

でもヒロはいつのまにかそんな事も超越した日本という土地を、百姓の叡智を生かし、守り、育てるという仕事をしていた。

農文教すごい。

現代農業買おう。

いや以前にヒロを呼び出して、棚田コンサートを取材してくれと頼んだ事があった。その時現代農業買ってみてなにこれ?こんなに面白い本なの?農業やる人だけ読むのはもったいない。って思ったのだった。

さて本題に入ります。

「たまねこ、たまびと」

村上浩康監督

ちょっとまって。どこから話し始めていいか分からない。

何がきっかけだったかもはや霞。

でも多分ことの発端はTwitter。

割と遅くにはじめたTwitter。始めてすぐになぜか新宿にあるベルクというお店の投稿と繋がって面白そうだとフォローしたのが本当に最初のきっかけかもしれない。

そのベルクでホームレスの人の写真展をやったりしているのが素敵と思って、行ってみたいと思ったのが最初の興味だったと思う。

ちなみに私は学生時代に歩く旅にハマった時があって、先述のヒロとはこの歩く旅仲間でもあり、行っていた高校の山形小国町から東京駅まで一緒に歩いて帰ったり、青森から一緒に山形まで歩く旅に出たりしていた。

青森からの旅では山側と海側とどっちを進むかで意見が割れて、お互いにこいつは言い出したら聞かない。と分かっていたのですんなり別れて別々の道を行った。

そのせいで?!寝袋だけ持ち歩いていた私は夜寝るところに苦労して、少しでも町に入ると余計に寝るところが難しく、旅していてもほとんど意識は今日の安全に寝るところを探していた。

それで時には小屋とフェンスの隙間に眠ってみたり、峠の上に道具置き場として置いてあった車の中に寝てみたり、今考えるとほんと。。

そんな時に身に染みて野宿は難しい(山行とは別)と思ったのでそれ以来どうもホームレスの人たちが気になるのでした。

そのベルクで小西修さんの多摩猫写真展をやるというので見に行った。

何の気はなしに。

私は能天気に多摩川で暮らす猫は自然の中でのびのびしてそうだとか思っていた節があった。

子猫は子供の頃に何度も拾って親にうちにはもう猫が沢山いるでしょ!と怒られては秘密裏に段ボールで団地の空き地で飼ってみたりと覚えがあるのだが、三年も帰ってこなくてふらりと帰ってきた家にいた雄猫のことを思い出すと、成猫は自然があれば生きていけるとどこかで思っていた。

それで小西さんの写真をみてそこに書かれている猫の紹介文を読んで頭をトンカチで思いきり叩かれた。

そしてそこには猫だけでなく、ホームレスの人たちの暮らしと猫とのつながりも書かれていて、私は一気にこの小西さんは何者なのかと興味をひかれた。

その写真と文だけでは小西さんはとりあえず多摩川の猫を撮る写真家であることしか分からなかったのだが、何か強烈に惹かれていた。

Twitterでたぶんその衝撃をつぶやいたらなんと小西さんがフォローしてくれて、それから小西さんが村上監督の映画「東京干潟」のトークショーに出ると投稿で知って村上監督との映画とも出会うのだった。

その時とにかく小西さんという人は写真家どころじゃなくて、という事が分かりこんな人がいるんかいというのが自分の中ではかなりの衝撃だった。

東京干潟の映画が面白くて村上監督の「蟹の惑星」そして、「流れ」私も高校時代に山形の学園のあった村がダム問題に揺れていて、ダムに反対する村の人たちの話を聞いてまわった事があったので川の話は非常に関心があった。

話が面白くて村上監督の主宰する映画の作り方?!みたいな講座にまで出席した。

そう私は

ただの村上監督ファンと小西修夫妻のファンなだけなのに。

他の人が出演している監督とのトークショーが面白くて東京干潟や蟹の惑星は何度も通った。

「たまねこ、たまびと」もそんなつもりで楽しむはずだったのに。

と恨む気持ちはおさえて、23日(水)は映画見た人達の余韻を感じながらまず演奏しようと思います。

できればそのまま弾いておわりたい。

小西さんがどういう人なのか、映画の内容や、小西さんとのその後は今ここでは書くのやめておきます。

相変わらず横道にそれましたがほんとに最初のきっかけだけ紹介。

「たまねこ、たまびと」みてください。

今日は私は2回目でしたが、2回目に発見した事がありました。

1回目は見逃していた。

やっぱり映画は2度3度見るのがおすすめ。

23日が終わったらまた改めて映画や小西さんのことを書こうと思います。

追記

今晩bayfmの番組THE FLINTSTON に以前出演したのですが、今度の美浜文化ホールでのコンサートを紹介していただきました。

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