馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 リセット- 2017/10/09 -

Category : BLOG

ふとぽっかり2日間空いた。

そして誰もいない。

ふと目にとまるアースマンシップのサバイバルキャンプ。

この前、アースマンシップの山梨の拠点となる古民家の竹小舞をして、主催の岡田さん夫妻に会ったばかりだったが。

まだ空いてますか?

急に飛び入り参加、よく持ち物などみると、改めて、サバイバルキャンプだということに思い至る。

サバイバルしたい!って思ったわけではなく、この2日を有効活用しようとか思っただけなのであった。

なので急に寒くなった小雨の朝、あちゃー。野宿寒くて眠れるかなー。

アースマンシップのプログラムの焚火キャンプとかにむしろ参加したかったなどと情けない思いを胸に、奥多摩へ。

だんだん雨が上がってくると、野宿なんて久しぶりで想像してみるとだんだんワクワクしてきた。

奥多摩の山々が、せめぎあった渓谷のすぐ脇にアースマンシップのフィールドがある。東京都の水源の森。

先人が太い木を切らずに残したことで、実は日本で一番巨木が残っている山があるのが東京都の水源の森なのだ。

そこをアースマンシップさんなら、と特別に活動することが許可されているフィールドだ。

トイレや、食器洗い、全てにわたって自然に還る工夫がされていて、それだけでも勉強になる。

はじめはサバイバルとは、という淳さんの話から。

(以下、紹介する写真は全てアースマンシップさんのものを引用)

  
内容は、アースマンシップさんの吉祥寺の家にてサバイバル講座などもありますので、興味ある方はぜひ。

ロープワークは、目からウロコ。

確かに学生時代に探検部で、もやい結びやダブルフィッシャーマンとか習ったけど、完全に忘れており、今回は簡単で解きやすい、でも頑丈にしばれて、調節できるやり方を幾つか教えてもらい、すぐ出来る事に感動。

その辺に落ちている木の枝と、ビニール紐と、シートだけでシェルターを作る。

簡単で、完全に囲まれていないのが逆にシートの内側が湿気でぐっしょりにならないのと、片側だけでも充分安心感があること。

  
  

  
色々と教わってから実際にみなバラバラに渓谷沿いの森の中にそれぞれ気に入った場所を見つけてシェルター作り。

それから淳さんが、夕方の時間というのはネイティヴアメリカンにとって、特別な時間帯です。

と東西南北に祈るラコタ族の祈りを教えてくれ、陽が沈んですっかり暗くなり、夕飯ができるまでの間は皆さん各自のシェルターで、過ごしてください。

と言われる。

ふと2011年にアリゾナへ行って、ラコタ族に伝わるホワイトバッファローの伝説を7つの曲にしたものの中にこの祈りのシーンがあったことを思い出す。

話はそれるが、最近またアリゾナへ行きたいという思いが強くなっている。

行きたい!という感じより、先にもう意識がいってしまってるような時があるけれどそんな感じ。

携帯も時計も本もおしゃべりもなく、自分のシェルターにて、数時間を過ごす。

こんな時間は久しぶり。

何もない時間でも今や大抵、携帯を見たり、本を読んだり、人によってはテレビや音楽を聴いたり、自然の中にいても、散策したり、何かしらアクションがあるわけだけど、瞑想に近いのかな。

それでも数時間というのは私にはなかなかない。

それともそんなに時間はたっていなくて、案外もっと短い時間だったのだろうか。

最初は熱心に呼吸を意識していたりしたが、とうとうそれもやめた。

もう時間の経過もどのくらいなのかよく分からなくなり、森の中はどんどん闇に包まれ、渓谷の音の中で、虫や鳥の動きを見て、ひたすらぼーっとする。

やがてカンカンと拍子木の音を合図に、真っ暗の中を広場に向かって歩く。

私は暗い中を歩くのが好きだ。

懐中電灯は真っ暗な中ではやけに明るすぎて逆に目になれないし、そこしか見えないという盲点がある。

なんとなく気配を感じながら行くのがいい。

それに懐中電灯をつけると、他の存在にすぐ気づかれるのに、自分はかえって他の存在を知ることができない。

焚火を囲んで夕飯の後はみんなでいろんな話をしたり、参加者はめいめい、好きな時にそれではお休みなさいと言って、一人去り、二人去り、それがみんな焚火から離れて真っ暗闇の渓谷沿いの森の中にてんでばらばらに消えていくのが不思議だ。

ふと、焚火のそばをわざわざ離れるのが惜しい気がした。

この火の側に横になって、火を眺めながら寝れたらどんなにいいだろうと思った。

そういえば西部劇などによく出てくるあれだ。

馬を横に繋ぎ、焚火の周りで毛布にくるまって寝る。

あれ一度はやってみたいな。

私にとっては馬が横にいるのが大きなポイントだ。

それでも名残惜しく最後まで焚火のそばにいて、ついにシェルターへと。

川の音を聞きながら上を見ると、ものすごい明るい月が。

ここは川の音が聞こえるけれど、シーンとした森の中で夜耳をすますとどんな感じだろうかと思う。

テント無しの野宿は若い頃は幾つか経験がある。

それでもシートがあるだけで随分安心感と風除けの暖かさは違うなと思った。

さてここからの様子は実際に参加した方のお楽しみにしておきます。

帰りの電車の中でとあることに気づく。

一度リセットされたかのような不思議な感覚なのだ。

サバイバルを学んだことはとても面白かったし、自信にもなったのだが、そのことよりも、振り返ればここのところずっと日常の中にいた。

当たり前なのだが、自分の日常とは、仕事で外にいる時、旅に出てる時、家の中にいる時、遊びで出てる時、それは毎度状況が変わっても日常だ。

毎日仕事があるわけでもなく、忙しい時と何もない時の差も結構ありし、ぼーっとしてる時間も結構たくさんあり、だからこそ気づかないでいた。

しがらみというととても窮屈な言い方だが、自分を取り巻くものの中に無数にあると気づく。

人はもちろん誰でもそうだ。

家族。友人。仕事仲間。それだけでなくフェイスブックやツイッターなどをやっていれば、タイムラインに上がっている情報との事柄もある意味そういえるだろう。

しがらみではなく、繋がりという素敵な言い方があった。

いい悪いではなく、そこから離れることの例え一時であってもなんと貴重なことだろうかと思うのだ。

特に私に必要なことだったとよくわかる。

寝袋とシートだけもって、人のいない自然の中にでかけ、一人きりで夜と朝を過ごす。

他のものは何も持たずに。

それが本当に久しぶりで、ここ数年無かったかもしれないことに気ずく。

一人でいることはあるけれど、何も持たずに自然の中に一人は以外と無い。

この感覚がとても新鮮に思えた。

そんなのいつでもできそうなのに、意外と出来てなくて、あったとしても歩き周るでもなく、写真とるでもなく、何もせずに数時間過ごすのが新鮮だったのだ。

アースマンシップ・サバイバルキャンプ
↑こちらより、サバイバルキャンプのプログラムの詳細と、アースマンシップのホームページに繋がりますので覗いてみてください。

素敵なプログラムがたくさんあり、またその理念などとてもいいなと思います。

淳さんのプロフィールも見てみると、興味がより湧くと思います^ ^

こういう時間が現代では貴重であり、またたまに必要なんだなと改めて。
   
 

 ドラえもん- 2017/10/06 -

Category : BLOG

夏の後に秋が来るっていうのが本当にすごいと思う。

夏と秋って全く違う。それが隣り合わせってすごいです。

そして夏だけだとやっぱり飽きる。

秋がくると急に夏の間にのびのびした体と心が、そら、今度は少し落ち着いてと、ゆっくりと何か体が沈んでいくような。

不思議な気配だ。

「芸術とは、政治や戦争、あるいは民族の憎悪から生まれたもの、またこうした憎悪を生み出すものとは無縁であるというのが、私の考えである。芸術は、こうした対立を超越しているのだ。人類全体が一つの共同体であることから生まれ、またこれを顕し、またこのことを証明する何かが存在せねばならない。このことを述べるのは、現在ではいつもよりいっそう必要なことである。こうした事物には、まず宗教、さらに学術、そして芸術がある。」

(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/1946年12月17日「非ナチ化裁判」での弁論より)
どこでいつ見つけた文章か自分でも忘れているのだけれど、ずっと大事にメモしてある文章がある。

またふと取り出してみる。

引用するにあたり、ネットで調べるとウィキペディア情報では、さらっとだけれど、ナチスとの協力を拒み、ユダヤ演奏家を保護したという一文の後には、戦後ナチ協力を疑われて活動を停止させられたり、ニューヨークのオケからの誘いがあったのに、ユダヤ音楽からの反対にあったりしたらい。

そういう事を知るとこの文章がまた重みを持って感じられる。

単に響くものがあったので、知りもしないでメモしていて、たまに読み返してみる。ということだったけれど、先日ある人の演説を聞いてこのメモを思い出した。

ツイッターで動物関連や世界のニュース関連や個人的に興味のあるサイトをあれやこれやとフォローしていて、暇な時に見るのを楽しんでいるのだけれど、たまに別に知りたくない投稿ももちろん入ってくる。

そんな中の一つに、右翼とか左翼とか関連の意見の述べ合いというよりは、小競り合いだ。

それでも世の中には本当にいろんな人がいるのだということと、物事にはいろんな側面があるということを知ることができるのもいい事なのかもしれないと思う。

自分が信頼を置いている作家だったりジャーナリストだったり、そういう窓口は必要で、テレビをたまに見るだけだと、やっぱり勘違いしてしまうなと思う。

1年前か2年前か、忘れたけれどこのブログに、右も左もない、自分は大地の上に立ち、ぐるっと見回して見えるその景色を歌いたいというような趣旨のことをかいた。

あれはつまり、自分の考えが、右か左というようなものに分けられたくはない、そこからは対立しか生まれないと思った。

だから、音楽家の立場で政治的な意見をいうと、受け取りてにもよるが、判断されて、それなら敵だ。それなら味方だ。ということに分けられたくないということと、表現したいのはそんなことではないということと、それでも音楽と関係ない部分の意見を言う事で、違う意見を持つ人に、音楽を届けられる機会を失うなら全く私がやりたいことと反してしまうと思っている。

それは今でも変わらないのだけれど、先日の演説を聞き、どうしてもここに書きたくなった。

エダモン。

立憲民主党という政党をつい先日立ち上げた人だ。

私が信頼を置いている方が、この政党についてコメントしているのを読んでなぜかすごく興味を持った。

政治家や活動家の方がいろんな事を話し、もっともだよね。と同意したり、それは違うよと思ったり当然今でもあって、それでも結果として虚しくなってしまうことが多かった。

YouTubeで見た有楽町での演説。

言ってることはすごくまともで、同じことを言ってる人は確かにいる。

でも切り口というか、視点が違う。

特に一番共感したのは、

「右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか、草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。」枝野幸男
弁護士さんが書き起こした全文はこちら。

枝野幸男演説全文
様々な意見、環境、状況の場合や人達がいることを前提に、耳を傾け、何を選択することが最善であるか、又はどのように進めていくかというやり方にも誠実さを感じる。

今でも覚えている。

小学校の時に、日本は戦争を放棄するということと、立憲主義で、権力の暴走はできない仕組み。

独裁が生まれない仕組み。

他国を侵略できない仕組み。

この事がどんなに誇らしかったか。

どんな意見を持つ人であっても、自分を含め、家族が戦争で亡くなるのはいやだし、自分や自分の周りの人が幸せだといいと願っているし、放射能汚染によって苦しめられたくはないし、何かによって苦しんでいる人に手を差し伸べられたらと思うし、それがない状態であれば本当にいいと思っている。

そこが違わないのに、なぜこうも対立してしまうのだろう。

対立を生み出すものというのがあると思う。

だからこそ、枝野さんのこの視点はこれから大きな流れを作り出せると思った。

流れはどこへいくのか。

エダモンの演説を読んで感動しているその時に、今ちょうどハワイで巡業していらっしゃる八王子車人形の家元からメッセージがきた。

「ホテルの窓からはポラリスが見えます。」


ピアノの竹井さんとエダモンについてやりとり。

上の文章を読んだ感想をくれた。

「枝野さんは、他の政治家とは一味違う何かを持ってると思う。

ちゃんと根っこを持ってるっていうか、自由が何かをちゃんとわかってる人だよね。

今ね、去年の直木賞と本屋大賞とった、蜜蜂と遠雷という本読んでるんだけど、

父親が養蜂家で転々としながらトラックの上でピアノのセッションしたり、ピアノは持ってなくて行った先でピアノを見つけては弾く、みたいなすごく天衣無縫な少年が、ある約束からピアノコンクールにでるの。その群像劇なんだけど、その子は自然と共に育ったからものすごく耳がいいの。蜜蜂の羽音を都会の中でもききわける。

その子のピアノを聞いた人は、どんなクラシックの既成の曲でも、まるで今、彼が作り出して弾いてるような即興性を感じてしまうの。

プロの、音楽家たちがむかしにしまい込んでしまった、大好きなフレーズを心のままに臆面もなく奏でることができる子なの。

その子の師匠(といっても師匠が彼の場所に出向いていって一緒にセッションするだけなんだけど)は亡くなる前にその子に、音を外に一緒に連れ出してくれる人を見つけなさい、と言うの。

その人から出るものは、その人の日々の生活、心から出てくるもの。

音もそう。

花を育てるような、蜂を見守るように、音楽をする、

そんなことがちりばめられていて、ものしごくおもしろい。

美炎さんにも読んでもらいたい。

フルトヴェングラーは父が大好きな指揮者だったよ。

(#^.^#)」

  

 

 ゴミにならない家- 2017/10/02 -

Category : BLOG

確かに思い出せばその壁のことは知っていたけれど、竹小舞って名前だとか、本当のやり方なんかは知りませんでした。

アースマンシップの拠点の一つ、山梨北杜市武川町の古民家。

アースマンシップとは、岡田淳さん代表の森のケアテイカーやサバイバルの仕方、焚き火塾、など様々な自然をフィールドにした活動をしていて、色々お世話になっている団体です。

声をかけていただき、ひとっ走り。

森で0円生活を長らくしていた旅する縄文人の左官屋さんとか、設計士なのに、竹小舞をする専門のエツリ屋さんとかヘツリ屋さんとか言うらしいのですが、そのエツリ屋さんだと思われてるくらい常に竹小舞をあちこちの家で組んでいる方とか、情熱大陸に取り上げられた大工さんとか、映画監督夫婦とか、なんだか面白い人たちが集まっていました。

まず、前回の(もしかして1年前なのかしら?)時に割いていた竹を、長さに合わせて切ったり、太かったらさらに裂いたりします。

竹小舞を組む壁の長さに合わせてね。

それで竹に向かっていたら、美炎さん、手大丈夫ですか?竹結構、手を怪我しますよ。と言われて、あ、それは大丈夫なんですけど、むしろ私はきちんと測ってきちんと切るみたいのが苦手だってこと思い出して、そっちの方が問題なんです。

そうなんです。

きちんと測ってきちんと切る。

こういうの一番苦手でした。

でもなんとかなったヨ。

   
    
    
    
   
見てください。

この竹小舞の美しさ。

シュロの縄で編むのですが、シュロがまた、つっかかって解けない優れもの。

こんなにしっかり編めると気持ちが良い。

左官屋さんたちが、いろんな現場での話をしてくれます。

壊すとき、修理するとき、昔の竹小舞に出会うわけですが、緩く編んでるダメなやつは持たない。

昭和のはダメっていってました。

量産のときでしたからね。

むかーしのは本当にすごいっていってました。

そしてそこに泥を塗ります。

岐阜の粘土質の泥と地元の泥をブレンド。そこに発酵させた藁を切っていれます。

足で踏みまくります。次の日筋肉痛になりました。

この作業、冬の寒い日にはしたくないです。

   
    
   
そして竹小舞に塗ります。

左官屋さんの出番。

でもやったことのない私達もやります!

   
   
今、私の住んでいるところは田舎なので、焼却場に直接ゴミをもちこみます。

これがなんとも嬉しくないです。

まず、もちろん大量のゴミを目にすることになるので、その度に暗い気持ちと、罪悪感みたいなものを感じます。

この里山にゴミを埋めていく感じ。

なるべく行きたくないので、なるべくゴミを減らそうと思うようになります。

まあ生ゴミは庭の土に還すとして、なんとなくプラスチックのものとか、土にかえらないものを買うときに、迷います。

だから、家なんかすべて自然にかえるものってとってもいいなと思うのです。

設計士さんも言ってました。

竹小舞は全くゴミがでないから経済的。

普通は作業後に沢山ゴミが出るから、処分費がかかるんだそうです。

こういう技術と知恵がこれからもっと沢山活用される社会になっていくといいなぁ。

   
    
    
    
    
 

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