馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 みずのながれは- 2019/07/29 -

Category : BLOG

なんで今日突然に用事に遅れてでも映画を観に行ったのだろうか。

上映延長をツイッターで知って、もっと余裕ある時に行けばいいじゃんと思ったけど、考えるのやめて行くわ。

って思った事は確かだ。

村上浩康監督の「東京干潟」

たぶん多摩川の猫を撮り続けて支援を続ける小西修さんの紹介がなければ、スルーしていたと思う。

それは今日の上映後に村上浩康監督の舞台挨拶があるのを知らずにいて、その監督が干潟というのは地味なテーマなので、見る人が少ないです。

というような事を言ったのだが、確かにそうだなと思ったのだ。

でも紹介の中の文章にホームレスのおじさんがシジミを採って捨てられた15匹の猫の餌代にしているというのを読んだ時に、俄然行きたくなった。

ホームレスのお爺さんといえば、支援を必要としている人というレッテル貼りが私の中にあったわけだ。

ホームレスの人に関心が昔からある。

それは学生の頃に一人で徒歩旅行していて、テントも持たずに寝袋だけ持ってウロウロと寝るとこ探していた時のあの不安と孤独と切なさが身にしみたというのもあるし、この仕事しているといつ食べられなくなってもおかしくないと思っているからだし、今の世の中、ほんとにちょっとした何かの弾みにホームレスになってしまう人って、もう普通にあるんじゃないだろうか?

と思うからだ。

それはともかく、お爺さんが想像以上に逞しくて驚いた。

多摩川の河口という場所は都会だけど、存在は大きな自然の中で生きている仙人に見えた。

しかしあの冷たい川の中で数時間腰まで浸かって泥の中、水の中をシジミとって、その後暖かいお風呂なんて入れないのに、毎日とる。

体は冷えてあたためるために安いチューハイを飲む。

お金に換えたシジミは猫の餌代。

捨てて行く人がいるから仕方がない。

命を全うするまでは自分は死ねない。

シジミ取るのはもうプロ中のプロなんだけど、それにしてもなんでこんな大変なことをし続ける事ができるんだろうと思って見ているところに、監督がお爺さんに質問する。

なんでそんなことまでするの?

「仕方ないだろう。猫たちだって生きる権利があるんだから。」

はっとする。

お爺さんはシジミは小さいのはとらない。

とってしまえば、次またとれなくなるからだ。

小さいのまでとる乱獲が増えて年々シジミがとれなくなっている。

お爺さんは毎年、毎日、毎時間の川の変化と共に生きていて、自然の摂理を知っている。

知っているから、どんな生き物にも生きる権利があると知っている。

自然の摂理とは、生きる権利まさにそのものだ。

権利とは何か、生きるとは何か、そんな議論を超越する自然の摂理なのだ。

最近、いろんな事件が起きている。

自分は生きる価値がないと思って自暴自棄から人の命を奪ってしまう事件。

それどころか、親が自分の子はそんな犯人になるかもしれないと親が子を殺した事件。

政治家が、一人で死ね。

という。

それにどのくらいの数か分からないが賛同する人もいる。

それは違うだろ、いや違わないというツイッターの世界での合戦を今朝も読んでいたところだ。

だからふいにお爺さんの言葉が天から降ってきたように体に入って心に響き、腹に落ちた感覚。

そりゃその権利があると思ってる。

だけど思ってるだけの私である。

お爺さんは知ってる。

知ってるというのは知識というか叡智というか、経験と体験を通して大きなレベルで身体で心で魂で知ってる。

その人の言葉は直接に届く。

そしてそれを届ける監督の実直な姿勢がそれをすくいとる。

私はなんだか映画を見ながらずっと泣いてた。

悲しくてではなくて、感動して。

お爺さんが自分の人生のことを語る。

その話も衝撃だった。その辺はあまりにもネタバレになるので、ぜひ見てほしいです。

ただその事によって、監督も語る通り、映画が急に深まる。

覗いた穴は小さかったかもしれないが、世界が見える。

今が見える。

自分が見える。

そのお爺さんとの出会いを上映後に語ってくれた。

それを聞きながら、想田和弘監督の映画「港町」を思い出した。

あの映画もたまたまた監督の舞台挨拶に遭遇して、主人公となったお婆さんとの出会いを語ってくれた。

向こうからやってきた。

どんなテーマで何を撮るか計画していたわけではない。

偶然という必然が物語を伴ってやってくる。

ものを創る人の感覚。

直感。

きっかけは些細なことでも、何故だかまだよく分からないのに突き動かされる。

物語がすすむうちに、何故突き動かされたのかが必然であったと分かってくる。

それが見る方を惹きつける。

いい作品を作ろうとか作為的な事からははじまらない奇跡。

だから届く。

ポレポレ東中野で8月後半まで上映があるので、ぜひ今、見てください。

監督の話の中でもう一つ、「流れ」という作品の紹介があった。

私はこれは見なくては。

と思った。

山形の小国町の高校、独立学園に学んでいた時に村ではダム問題があった。

移転に反対する人達、賛成の人達、環境省の人、話を聞いてまわって論文を書いたのが新聞記事になり、それを見た映画監督が訪ねてきた。

過去のブログでも書いた事だが、萩原吉弘監督の映画「あらかわ」

その頃、川のこと、村の暮らし、なんでも知りたいと思った。

それもあって農大の探検部では川下りを選んだ。

萩原監督とのやり取りの中で、あなたは芸術方面に進むのがいいと思うよという一言があの頃の私の中に残った。

萩原監督はもういないが、その一言は私の中で生きていた。

村上監督の話で川のこと、もう一度また学びたい、知りたいと思った。

話は遡るが、つい先日、山梨で全体を学ぶ学校があった。

講師として参加したのだが、初日に演奏して話をした次の日からはもりもり学ぶ側になった。

種の学びの他には山梨の古民家と山の中のログハウスを拠点に畑の作業と森の中に入ってのケアテイカーを実践した。

その沢のケアテイカーがすごかった。

全体を学ぶ学校を企画主催するアースマンシップ。

アースマンシップの岡田淳さんと直子さん夫婦との出会いも振り返るとかなり面白いが、淳さんはネイティブアメリカンのグランドファーザーという本を書いた著書に直接アメリカでネイティブアメリカンの様々な学びをしていて、それを元に日本に戻ってからは、アースマンシップを立ち上げ、ケアテイカーを実践、子供や大人に森や川と関わることを体験を通して伝える。

私の言葉足らずよりも、ホームページをぜひご覧ください。

アースマンシップ

水の流れのケアテイカーをしてみて

沢って本当に生きてるんだと思った。

命だった。

流れが停滞している。

沢の終わりの茂みが繁りすぎて空気の流れを止めているからだ。

茂みを払い、皆で沢の詰まりがどこかを感じながら竹の小さなヘラで、なるべく元々ある石をどかさずに詰まりをとっていく。

なんだか面白くて夢中になっているうちに気がついたら沢の中を下から上に風が吹き抜けている。

そして気づいたら流れが生まれている。

自分の身体が自然に一緒に流れだす感覚。

なんだこりゃ。

昔の人は里山とこういう付き合い方をして共生していたのがわかる。

シジミのお爺さんとつながる。

シジミは干潟を濾過している。

シジミを掘りながらお爺さんも干潟をたがやしてる。

とってしまった小さなシジミを丁寧に取り分けて、捕まるなよー!おおきくなれよー!貝よ戻ってこいよーと大きな声で唱えながら、川に向かって撒く。

その姿が人間っていう存在だと思い起こしてまた感動する。

全体を学ぶ学校。

9月の秋のコースのテーマを水にしたよ。

と直子さんからメール。

今日見た映画、村上監督。

「流れ」

見なくちゃと繋がったんだ。

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