2014
敬老の日のお祝いの演奏で老人ホームに行って、やっぱり亡くなった自分の祖父母を思い出す。
おじいちゃま、おばあちゃまとよんでいた。
それは祖父がそう呼ぶように言っていたのだが。そう呼ぶものと思っていたので、小学校の作文を皆の前で読んだ時に、おじいちゃまが、と言って皆にすごく笑われて驚いた。
恥ずかしかったので、呼び慣れなくて変な気もしたが、おじいちゃんと呼ぶと祖父は返事をしてくれず、おじいちゃまでしょ。と言われた。
そこで家と外で使い分けるのが一苦労ではあったけど、このおじいちゃまはとても変わった人だった気がする。
そもそもなんでおじいちゃまと呼ばされたのか、最近聞いた話では戦前は家にお手伝いさんが溢れているような家だったらしい。
写真を撮る時はとてもかしこまってポーズをとるし、細かい作業が得意で小さな小さな物を作る。このおじいちゃまは戦前は銀行員だったが、戦後は幼稚園を祖母と二人で作った。粘土細工でいろんな物をあっという間に上手に作り、子供達を喜ばせていた。
マジックやお話も得意で子供を虜にしていたなあ。
お洒落の仕方や仕草が何処と無く女性らしい感じもしたし、運動系はまるでだめだったから、体力もなく、戦中は馬の世話係でした。
それなのにまだ写真が白黒で、羽田空港しかなくて、世の人が海外旅行なんて考えもしない頃に、一人で世界一周旅行に行った。
そんな行動的な感じは微塵もないのに不思議な事だ。
おじいちゃま、何が1番良かった?
と聞くと、パリのカフェで朝食べたね、クロワッサンがすっごく美味しかったの。あれはもう一度食べたいねぇ。
と、実に嬉しそうな顔をした。
冒険談が聞けるかと思いきや、その辺がおじいちゃまらしい。
よく一緒に近所の田んぼへ散歩に行った。坂を下った所に田んぼがあり、そこは家族皆でカエルの道と名付けていた。いつもその時期になると車で通っても必ずそこで車をとめて、窓をあけて皆でカエルの合唱を聞くのだ。
道みち、野の草花を摘んで、おじいちゃまは家に帰ると丁寧に丁寧に料理してアザミの胡麻和えだのタンポポの何かだのいろいろ味見させてくれた。
そういえば、よくおじいちゃまは自分の歌をテープに録音していた。幼い私も一緒になって歌ったものがいっぱいある。おじいちゃまの部屋をふと覗くと、たいてい歌を歌っているか、物書きをしているか、子供に注文を受けた粘土細工をしているか、ドリフを見ているか。笑。
結構私の周りには、子どもの頃ドリフターズを見ると頭が馬鹿になると、親から言われていて、コッソリ見た経験のある友人が多いのだか、私もそう。
2階にコッソリ行っておじいちゃまの狭い部屋にはいりこみ、おじいちゃまのタッパーを開けて一緒に歌舞伎揚げを食べながらドリフを見るのが楽しみだったな〜。
写真はだいぶ昔の。写真がとりあえず見つからなかったので集合写真ですが、おじいちゃまは左で腰掛けて手を棒にかけてる人。1番右がおばあちゃま。