馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 肩の荷- 2018/03/12 -

Category : BLOG

肩の荷が下りた

山鹿公珠先生と里見一族の小説を書いた夢酔藤山さんが、昨日の里見の会の後でお客様を皆見送った二人ともが言った言葉。
聞けば山鹿先生はもう10年もこの里見の挿絵を手がけている。

夢酔さんの方は里見八犬伝で有名な里見だが、実際の歴史でどのようなものだったかを大量な文献を参考にしながら作品を書いた。

もういいだろ里見は喜んでくれただろう。

よかった。

そんな言葉が何度もあちこちで。

私はといえば違う用事で山鹿先生の元を訪れたり、里見とは違う企画での演奏をしに来たり、する度に山鹿先生から里見の話や挿絵の話、絵を見せていただいたりしていた。

そして膨大な量になる里見の挿絵の740枚を厳選して100枚ずつ展示してコンサートをする会をこの2.3年で数回やっており、私も何度か演奏したりした。

初めて山鹿先生がファイルに綴じた挿絵を見せてくれた時「そりゃ少しは調べることもあるのよ。でも実際にはどんな景色でどんな顔してて、どんな風な場面だったかなんて分からないし、想像でほとんど書いてるの。でもなんかその場面が出てくるのよね。

不思議なんだけど、あらこんな顔してたんだわ。とか、こんな景色なんだわ。とか浮かぶのよ。」

秀吉の顔がどんと大きく描かれている絵があった。

私は戦国時代の話は日本史の勉強の中でももっとも訳が分からなく、興味もなかった。

むしろ避けて通っていた。

それなのに、その絵を見たら涙が止まらなくなった。

自分がなぜ泣いてるか分からず、その時の感情も説明できない。

ただ、私はその時から戦国時代にとても興味が湧いた。

そして山鹿先生を通して里見に何かご縁を感じた。

その時から、里見の曲を作らなきゃね。

と誰かに言われた。

私の中では「月みちる」という曲は、曲の頭に合わせて荒城の月を弾くこともあって、何となく戦国時代と繋がっているイメージの曲でもあったので、それでだめかな?

なんて思っていたのだけれど。

なぜか全く分からない秀吉の絵で涙が止まらなくなった時から、司馬遼太郎の戦国時代について書かれた小説や、歴史の本や、テレビなどで漁るように読んで、見た。去年の9月に山鹿先生の所でコンサートした時に山鹿先生が「夢酔さんがね、里見の曲を作って欲しいと言うのよ。

だから私はね、あら高いわよ!!

って言ったの。それに、作ってくれるか分からないんだから、万一作ってくれたらラッキーね。

って言っといたわ。」

その話から、私にプレッシャーを与えないようにしてくれているのがよく分かった。

そう。

里見の曲は作らないといけない。

山鹿先生が、3月11日に里見の会を最後の集大成としてやるからその時また演奏してね。

と言われた。

期限はその日か。

だいぶ時間があるから大丈夫。

以前にも書きましたが、私は作曲の勉強をしていないし、楽典も知らないので、机に向かって、さあ。作曲しようと。

いうわけにいかない。

ふとしたはずみに湧いてきたものをあわてて取り上げて、形にするだけ。

そのふとしたはずみが訪れなかったらなすすべはない。

日々の中でその為に何かをすることはないし、ただ、頭の片隅にはいつもそのことがある。

プレッシャーではなく、里見の曲。

というものを自分のどこかにインプットしておく。

二ヶ月くらいたってもシーンとしているので、ドラムの前田さんを誘って山鹿先生のところへ行く。

里見の話をもう一度聞くためと、ギャラリーのすぐ上にある山の上の滝田城にいくためだ。

ドラムの前田さんははやり戦国時代に今まで興味がなかったようだが、ツアーなどで一緒に各地を訪れているうちに、なぜかそんな所縁の場所が多く、自然と興味を持ったようだ。

この曲の中では絶対に戦いの場面が必要だと思ったので、剣は前田さんに任せるわ。と思っていたので前田さんにも里見の事を感じて欲しかった。

ピアノの竹井さんというのは面白い人でなぜか百パーセント私に信頼を寄せてくれていて、美炎さんが感じてくれば、それで大丈夫。みたいなスタンスにいるので、美炎さんと前田さんよろしくね!と見送られる。

お城へ行った。

しばらく曲を弾いて、その後適当にいろいろ弾いてみる。

さして何かのフレーズが浮かんだりはしなかった。

でも弾きながら最後の里見の殿様の忠義さんのお母さんの風さんが高いところから海を眺めている様子が浮かんだ。

あとから、そうか山鹿先生が書いたあの絵だったんだと結びついたのだけど。

  
山から下りて山鹿先生のところへいくと、山鹿先生が話してくれた。

「私ね、この新聞小説に挿絵を描いて欲しいと言われた時とても迷ったの。

歴史になんか全然詳しくないし、膨大な量だし、描けるか全然わからなかった。

そしたらある人が、頼まれたってことは、できるから頼まれたんですよ。

って言うのよ。

頼まれたんだからできるんだって。

そうなのね。」

と笑って言った。

曲作るからお城に行ってくるといったわたしに、ああ曲を作ると決めたんだなと察して、励ましてくれた。

その言葉は私に大きく作用したと思う。

あ、できるんだと思った。

いつも自分勝手に作りたいものを作り、できなきゃ後回しだし、作るつもりのないものができることも多いし、そんないい加減なので、やっぱり頼まれるとプレッシャーは感じていたようだ。

できなかったらどうするんだろうと。

頭で考えて曲というのは確かに幾らでも作れる。

でも本当に、それがその曲なのか、自分ではわかってしまう。

できたものが、そうであるのかないのか。

だから、そうでないもを幾ら作っても仕方ないのだ。

できなかったらごめんなさいするしかない。

でも作りたかった。

最後の里見の会にその曲を弾きたいと思った。

お城へ行ってから二週間後くらいの夜中に寝ようとして布団の中に入った途端に出てきた。あわててスマホのボイスレコーダーをオンにして、歌う。

歌いながら里見の風さんの一瞬だったかもしれないけれど、幸せだった時間や、切ない気持ち、そして戦いの場面とその後の歌、流れてくるようにできた。

譜面におこせない私はというと、その鼻歌を竹井さんにいつもなら送る。

だいたいシンプルな曲が多いので、特に、ここはこんな風にして欲しいと言わなくても竹井さんはドンピシャにコードをつけてアレンジしてくれる。

これはちょっと仕組みが必要だと感じたものは一緒にアレンジしたり、その前にある程度設計図みたいにして、竹井さんに送ったりする。

というか、竹井さん自身が、送られてきたメロディーに対して、何も聞かずに、はいっ!ってさっくりやる時と、あれ何?なにがどうなってるの?

というわけで、一緒にあーだこーだ、ここはこんなイメージでピアノはこの場面でこうして欲しいとか説明する。

で、面白いのは、ふと湧いてきたメロディーが、あ!いいものができたと思うのに関しては、竹井さんはあっという間にアレンジしてくれるのに、これは?一見いいもののようだが、なんかどうなんだろう?ってときには、いつまでたってもアレンジが仕上がってこず、あれごめんねもうすぐやるからと言われて、私も、あれ、いいや、やらなくていい。

と日の目を見ないことになっている。

竹井さん曰く、メロディー聞いて不思議なくらいすぐ浮かぶんだよね。あ、こういう曲だって。

で、浮かばなかったやつは、結局弾いてもその時受けたりすることもあるのだけれど、なぜか自然とお蔵入りになるのだ。

で今回戦いの場面はこれは頭の中になっているのを整理しないと竹井さんに送れないと思ったのでキーボードをつかって、下手な譜面を書く。

たまにあるのだが、戦いの場面ではピアノのメロディーを作った。

馬頭琴は後から作った。

そして出来上がったのが1月。

新年の3日の日には三人で集まり仕上げる。

前田さんには毎回好きなようにやってもらう。

もう一つあった問題。

それは新しい曲を弾く時に起こる緊張問題。

しかも弾きやすい曲ではない。里見の会の前に何度か本番で弾きたい。

そうすることでどのように弾くかがわかってくるし、やはりアレンジも進化する。

1月に君津のホールで、そして稲毛で。

3月に千葉市議会コンサートで、少なくとも里見の曲を弾いても様になる場所が三回あったのはありがたかった。

それも念頭にあったので年明けには完成させたかった。

小説を書いた夢酔さんが、里見を大河ドラマにという活動もしているので、大河のイメージで作ってはいた。

するとどこで弾いてもお客さんが大河ドラマの曲みたいで、情景が浮かびました。

大河ドラマになるといいですね。

と、ドンピシャリなことを言ってくれた。

さて里見の会当日。

里見の子孫の里見流の舞のお師匠さんや踊りの人、夢酔さんのコーナーなどもあり、

いつも山鹿先生のイベントの日には東京から駆けつける、なくてはならない存在の飯沼さんが、去年ギャラリーの15周年だったのに何もできたなかったから、サプライズで何かして欲しいということで、先日山鹿先生に、美炎さんの歌大好きなの、何か歌ってね。

と言われていたので、歌を歌うことにしました。

勇気が湧くと、たまに歌うのですが、そんな歌をたまにとても好きになってくれる方がいます。

でも緊張してるのが丸わかりなのでかなり恥ずかしい。

ところが最近、歌の詩を書いてしまったりするので、やはり歌う場面がちらほら。

去年春前に作った曲。

桜吹雪は詩を書いたのですが、去年の春には勇気が出なくて歌いませんでした。笑

何を歌うのがいいのか考えてもどうしても浮かばず、春だからやはり歌う機会のまだ一度もない桜吹雪を歌うかなと思い、前日に歌ってみたところ、あら、これは里見に作った曲ととても似てると思ったのです。

何がと言われると、メロディーとかではなく、イメージが。

まるで連歌のようだと思い、やはりこれは里見の曲、「風の国〜仁〜」の前に歌おうと思いました。

いつものごとく、前日に竹井さんに明日は桜吹雪歌う。

というと、

当日になって、竹井さんも同じことを感じてました。

似てるよね。

と。

普通似てるよねというのはあまり良い意味ではなく、似てるからどっちか一つはやめておこうとか、何かに似てるというのは、真似とも言えるので、ちょっとマイナスな意味がある事があるのだけれど、今回あえて、何が似てるかわからんが、イメージぴったりなので、連歌だと思って繋げることにしました。

一部は45分のトリオコンサート。

休憩をはさみ、夢酔さんの講演と山鹿先生の話。

里見流の踊り。

そしてまたトリオで二、三曲弾いて最後に里見の「風の国〜仁〜」でラスト。

という予定。

里見の踊りが終わってから、

花は咲くと桜吹雪を歌い、風の国を弾いて終わることにしました。

ギャラリー15周年おめでとうございました。

と、東北の震災のこの日を想う「花は咲く」と、山鹿先生のために「桜吹雪」と、里見の曲「風の国〜仁〜」という曲の紹介を話した後に歌ういました。

あの濃い時間は不思議なくらい空間も時間も羊羹のようでした。

里見の曲を弾く前に、

戦国時代というのはどこの家であっても波乱万丈。

ただ、その戦国時代にあって、「仁」

人を慈しむ心を一番大切にした里見忠義。

そこに深く心を打たれる。

ということを言って弾きました。

特別気負っていたわけでもなく、割と淡々としていたのに、指が動きませんでした。

あとから録音をきくと、それなり弾いてはいたので安心しましたが、後半の戦いの場面では指より弓を思いっきり動かせるのでそこで解けてなんとかなりました。

後から聞くと、竹井さんはすでに花は咲くから身体が動かなくなっていたそうです。

スマホで動画を撮ってと頼んでいた友人は、涙が勝手に流れて撮れなかった。ということでした。

とにかくやり終えた。

そんなきもちでした。

たぶんみんな。

なんとも美しいクリスマスローズのアレンジを持ってきてくださった母娘のお客様からメッセージをいただきました。

みんなで終演後になんて素敵なクリスマスローズのアレンジだろう。

この場所にぴったりだと眺めていました。
  
後から頂いたメッセージで、その日の朝にお母様が思いついて急遽アレンジして持ってきてくれたのだそうです。

お母様はこの近所で娘さんのメッセージには、私も幼い頃より里見のことは身近に感じて育ちましたとありました。

事前に予約されていたお客様の倍以上の方が当日みえて、皆でびっくりしましたが、呼ばれて集まった人達としか思えませんでした。

供養にと花を持ってきてくれたり、やはりこの日は皆の気持ちが一つになって里見の供養の日となったのだなと思います。

山鹿先生に前に頂いた着物をアレンジして着るならこの日しかないと、いつも演奏会や遊びに同行してくれる藤村さんに頼みました。

みんなで浮かれて撮影会。

写真はスイスで写真をとってくれた純姫さんと竹井さんの旦那さん。

   
 
山鹿先生が、里見の曲の「風の国〜仁〜」を聞いて書いた里見の絵。

大きな麻布に一気に描いたもの。

それにぴったり重なるように座ってと、椅子を直されました。

   
 
里見の想い、里見に携わる人の想いがこれから拡がっていくといいなと思います。

風の国〜仁〜

CDに入ってませんかと弾くたびに聞かれます。

山鹿先生と夢酔さんからCDを製作して欲しいとお話がありました。

今のところ一般に発売予定ではありませんが、里見の事を広く知ってもらうための活動の一つとして。

昨日の今日。

留守電のメッセージに山鹿先生から、桜吹雪の歌も一緒に入れて欲しい。

とありました。

やっぱり連歌なのかな。

  
前列向かって左が山鹿公珠先生。

右が里見流の先生。

下の写真は小説を書いた夢酔藤山さん。

  
山鹿先生のこの作品群はまるまる博物館に寄贈されます。

そしてあり得ないおまけが。

いつも山鹿先生夫妻をお手伝いするの東京の飯沼さんが、何かをやらかして、三枚の絵が無くなったと思った山鹿先生が、その三枚を再び描いた。

そしたら、あれ?その絵あるよ。と飯沼さん。

あらやだ!どういうことよ。

というので、山鹿先生がその三枚を私にくれました。

どの三枚かは、いつか紹介します。

「お金じゃないのよね。こういうことって。里見がお礼に私に書かせたのね。」

 顔が真っ赤になること- 2018/03/06 -

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父は鹿児島出身でした。

家にはいつも焼酎がありました。

けれど私は弱いです。

母方は皆揃ってお酒大好きなのに、すぐに赤くなる。早く酔う。

という方を受け継ぎました。

割とどんなお酒でも美味しいと思うのに、全然色々飲めなくて残念。

一杯がやっと。

経済的だねと言われるけれど本人はとても残念な気持ちです。

好きなのに深い仲になれないなんて。。

今月日本酒の試飲会というイベントで演奏いたします。

福島県酒造組合企画の日本酒試飲会。

美味しい福島の日本酒と美味しいお料理と馬頭琴とピアノの音色に包まれてください。

紀尾井サロンホール。

日本酒試飲会

こちらタップで詳細、応募ができます。

なんと無料で50人。

応募多数の場合は抽選となるようです。

司会は小川もこさん。

語りとの共演や、ラジオ番組には何度か呼んでいただいて、大変お世話になっています。

ジャズ大好きな小川もこさん。

ジャズの番組や司会も多数。

先日ももこさんのラジオ番組の収録に行きました。

放送はたしか3月14日。

詳細わかりましたらまた書きます。

もう一つ、岩手のうれら織りというものを知りました。

なんと山ぶどうで染めている

山ぶどう大好き。

子供の時からなぜか山ぶどうジュースが家によくあり、よく飲んでました。

一度にちょっとしかもらえず、いつかガブガブ飲みたいという夢。

高校で山形の山奥に寮生活するようになり、山へ山ぶどう何度も取りに行きました。

熊のように木に登り、蔦の先の山ぶどうを取り、夢中になると山奥へ行ってしまうある意味危険なやつです。

相当採って、寮にもどり、潰してジュースにして、ものすごく満足したのを覚えています。

はなしそれましたが、この山ぶどう染がなんとも優しい美しい色です。

南部紬の染めも織も手作業。

二度の災害から立ち直った工房は、もっとうれら織りを知ってもらうべく、立ち上げたこれ。

うれら織り
素敵な作品と、この価格でいいのかな?って思いますが、早速購入しました。

すっかりこのところご縁のある岩手の旅を思い出し、ああまた行きたい。

岩手、遊びに行こうかなと思っていると、なんと先日こちらでも紹介した現代農業の棚田コンサートの記事を見て、岩手よりお問い合わせがありました。

有難いことです。

岩手では一つ夢見ていることがあって、まだ何も手をつけてないので言えませんが、やりたい事があるって、結果は別にして幸せだなと思います。

一昨年行った岩手の写真より

   
 

 家にはブラックホール- 2018/02/28 -

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一番元気な状態から遠いとき、それで本番という時も抗わないようにしています。

頑張ると余計疲れたり、力んだり、空回りしたりするので。

こんな自分でも自分は自分。

いつもの感じじゃないのは、一体どんな感じになるのか、そこに興味をもつしかありません。

思い切り走り、風をきって爽快になる時もあれば、

ちょっとやり方かえて、風にうねりをもたせてみたり、そんな風に遊ぶこともできるはず。

まあ、そう思えるようになったのも経験が浅い時に、こんなんじゃだめだ!

いつもの感じがない!と焦ることでダメな深みにはまった経験が何度かあったからなのですが。

普段の生活でも同じですね。

なんだか冬眠状態になってる時、イマイチ力が出ない時、休みたくて、身体が勝手に休みモードになってしまってるとき、

今日は仕方なし!そのうち春が来るからそしたら目覚める。って思う。

一年の中で波のうねりのようにある気がします。

だいたい季節に順じてる。

高校時代の友人が山形からやってきました。

東京出張の折に、泊まりに。

山奥ではないけれど結構な田舎だよ、と断っておくと、本当だ。

こんなに田舎と思わなかった。

と山奥育ちの人に言われました。

よかった。

残念な話を聞く。

彼女の祖父母の山の中の家に、農繁期に泊まり込んで手伝いにいった高校時代。

その家はもう屋根が落ちて、とっくに人が住めない状態になっているそう。

おじいちゃんのそのまたおじいちゃんが建てた家。

立派な梁だった。

道路からまた奥に山道を入った中にあって、あまりにも山奥なので、彼女が子供の頃、出稼ぎでいないおじいちゃんの代わりに、一人じゃ寂しいからと、彼女がおばあちゃんと二人で山暮らししていた。

お店に買い物もいけないし、保存食食べてたそうだ。

それにその家の一番すごいところは、今でもはっきり覚えているけれど、ぼっとん便所。

ぼっとん便所そのものが驚いたのではなく、

もう何年も何年も汲み取りしたことがない。

つまり、覗くとそこにはブラックホール。

まず音がしない。

闇に吸い込まれていく。

で、このあたりは地滑り地帯。

落っこちたらたぶん永遠にさようなら。

あのなんとも言えない下からくるじわじわした怖さ。

他に例えようもない。

寮生活だった高校時代。

他県から入学した生徒が多く、26人しかいない学年の地元の子は1人で、それが彼女だった。

私はとても興味を惹かれて彼女につきまとった。

作業も山登りも嫌い。

なるべく家にじっとしてたいという彼女をいつも強引に連れまわして、山に行った。

私の方は、彼女がいると、あ、この虫は何々と言ってここの羽むしって、遊ぶんだよ。とか、この実はここいらじゃこんな呼び方をするんだとか、やっぱり地元民。

いろいろな情報が出てくるわけです。

それが面白い。

最初は嫌がっていた彼女も結果とても美しい眺めを見たり、それなりに満足する。

でも毎回、えー!やだー!寝てるー!とか言うのを、強引に連れ出す訳なんですけど。

そんな彼女は今や町の役場で地方創生を担っている。

山形県小国町。

千葉生まれの千葉育ちの私は春がきらいでした。

お勉強も学校も嫌いでしたから、新学期は苦痛。

それになんだかぼんやりしてる季節だなと思ってた。

山形で寮生活したら、まずびっくりしたのが春の強烈さ。

やく半年ほど雪のある小国町。

五月の連休の頃、やっと一気に春が来る。

山という山の木の新緑は清冽で力強くそれでいてなんとも言えない淡い色合い。

どこを歩いても雪解けの勢いのある水音がする。

身体中の血流が蘇って一気に流れるような。

それに山菜という山の幸。

食べると血流が蘇る気がする。

春ってすごいとはじめて思った。

あそこで季節とともに生きると、雪の中でじっとしながら何かを熟成する事ができるし、春になってのびのびと身体を伸ばし、水や山菜の勢いで血の滞りを流して夏はじっとりと暑く濃い濃い緑のいきに圧倒されて、秋はむんむんした余計なエネルギーを高い空に放り投げて、美しい紅葉に見惚れながら、何かを想うことが自然にできる。

 衣装との出会い- 2018/02/14 -

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大風邪ひきました。

3連ちゃんの演奏を終え、無事風邪ひき、ひたすら寝てました。

ちょうど1年前も風邪ひいて、まったく声が出なくなり、そんな中でもコンサートは忙しく、ガラガラ声でMCしていたので面白MCでした。

今回は声出たのでまだ良かったかな。

美・Japon の新年会にて少し演奏。

スイスの大使公邸でお世話になった翻訳家の佐野美代子さんとスイスぶりにお会いしたり、同じテーブルではメイクアップアーティストの若い方や、シニアモデルの方など、色々楽しいお話が聞けました。

  
数年ぶりになる幼稚園に再び演奏にいったり、川崎の小学校を三校まわったり、子供たちの元気に癒されながらでした。

   
 
今週末もまた子供向けコンサートです。

大人の方も参加できます。

  
そして20日は千葉市議場コンサート。

  
トリオ演奏で二部25分間の出演です。

風邪がなおり、江ノ島と館山に行きました。

  
なかなか不思議なイルミネーションの江ノ島。

館山はギャラリーsfkへ。

  
こちらの打ち合わせをかね。

   
 
この冬、麻布の衣装なんて良いなと思っていて、古代のような雰囲気の力強い絵が描いてある麻布で衣装作りたいと思って、麻布買ってギャラリーsfkの山鹿先生に描いてもらって、それを誰かに衣装に仕立ててもらえたらいいよなーって夢見てました。

今年はどうしてもアリゾナに行きたくて、またいつもながらの唐突に突然に、行く!ときめるやつですが、

行くんならせっかくだから写真撮ってこようと思うわけで、合う衣装あるかなーなんて考えると、そんなものがあったらいいなと妄想。

で昨日、連絡も入れずにギャラリーに行きました。

いつものことなんですが。

よくみたら、あら今日って閉館日だ。

というわけで、帰ろうとしたら山鹿先生が出てきた。

あら、お手紙昨日書こうと思ってたのよ。

良かったわー。

と快く迎えてくれて、山鹿先生の亡くなったお母様の布絵の作品を眺めていると、

中央のテーブルの上にたくさんポストカードが飾ってあり、その下に置いてある布にめがとまります。

なにこれ?衣装にいいじゃん。

と思う私。

これ。

  
赤土色に深い青と黒。

スマホで撮ると全然色が違ってしまうので、加工したのですが、なんか違う。

   
 
でも雰囲気こんな感じです。

しかも、これ良い感じの麻布。

あら、これねえ10年前くらいに描いてずっとお蔵入りだったの。

今回なんだか、ここに敷くものが欲しいと思って引っ張りだしてきたのよ。

そしたら、この布がいいという人が三人もいてね、みんなここに敷いとくのもったいないというのよ。と笑ってました。

これでもどうやって衣装にする?って話していると、山鹿先生が、この近所にすごくいい人がいる!

と益子さんという方を電話で呼び出す。

いつも忙しくていないんだそうで、あらよく居たわねといって、その方10分で来てくださる。

昨日バリから帰国したばかりで、今日も居る予定がなかったのが、たまたま居たらしいです。

説明する間も無く、彼女は継ぎ目に青いシフォンの布を足したら素敵ねとすぐに描いてくださり、

里見の日のライブでは、以前山鹿先生がくれた着物をアレンジした衣装を着るのですが、こっちのはそれならアリゾナに持っていきたいので、このくらいまでによろしくお願いします。

ということで、益子さんが預かってくれました。

トントン拍子。

この5月には着物を着て馬頭琴弾いてほしいと言われる案件があり、どうしようかなと困っていましたが、ちょうど里見の日のライブに向けて山鹿先生にいただいた着物を衣装にアレンジすることになったので、そちらも更にまた着るところがあり、本当にありがたい限りです。

衣装に関してはなかなか運があるなと思います。

今はまったくモンゴル衣装を手に入れるチャンスもないので、それでいいんだなと思います。

それでもモンゴル衣装でお願いしますというところはやはりあるので、その場に合わせて色々と。

衣装といえば、日本の伝統芸能を伝えるための舞台にて、あなたの馬頭琴は目をつぶって聞くと馬頭琴とわからないから、音だけ使いたいと言ってくださる方がいます。

何を弾いても切ない感じがあるからそれが欲しいのだそうです。
ちょっと面白い。

バイオリンやチェロなどはもう世界市民権?を得ていると思うのでノージャンルだと思うのですが、馬頭琴は本当にモンゴルという枠の中ですから、特に見た感じが個性的。

私としてはあくまでも自分の音楽の表現に必要な音色として捉えているので自分の中ではノージャンルですが、見る人はそう捉えないことも多いです。

多分そういうこともあって、馬頭琴らしくないとは私の場合よく言われることですが、私には褒め言葉です。

それでもやっぱり聞き比べると、バイオリンやチェロともどこか違うわけですから、それならなんなんじゃというあたりが個性だと思います。

2月18日八千代市民会館10時半より

2月20日千葉市議場コンサート

3月11日南房総市ギャラリーsfk 

3月21日下北沢アレイホール宮地楽器渋谷15周年ライブ

4月8日君津市久留里千年の森桜コンサート

4月20日稲毛区役所ランチタイムコンサート

4月21日八街ホワイナッツライブ

4月28日市原ギャラリー夢心坊

4月30日マザー牧場ライブ

 イスタンブール- 2018/01/30 -

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映画「猫が教えてくれたこと」

イスタンブールが舞台。

見終わって、猫をこんなに愛して認めてる街があるんだなって感慨。

イスタンブール全体で野良猫と共存してる。

行ってみたいと思った。

思えば私も生まれた時には家に猫がいた。

猫がいなかったことはなく、多い時には十数匹。

猫は兄弟だったし友達だった。

泣いてるとき、猫はそばに来てくれた。猫に慰めてもらった。

「叱られて、相手になるのは猫ばかり。」

小学生の頃の句。笑。季語なし。
イスタンブールにだってもちろん猫嫌いな人がいるんだろうけど、街全体で猫好きの人も猫のことも受け入れられてる。

猫に救われたって言ってる人が結構いて、猫を可愛がるだけじゃなくて、猫の自主性、野生を認めて、彼らが必要としてくれているときに相手している。

野良猫とこんな風に付き合える街なんて、本当に豊かな文化だなぁ。

買い物にお店に行った時、お腹すいてカフェやレストランで、市場で猫に会えたらどんなに素敵だろうな。

そこには、お店の人のようにそれぞれの個性、性格があって、挨拶するだけの関係だったり、じゃれ合うことができたり、姿を確認するだけだったり。

何より、人が猫を可愛がってる姿にまた癒される。

今年のはじめはもう一本見た映画。

「エンドレスポエトリー」

これも良かった!

なんか沢山勇気もらったし、やっぱり人って愛らしいと思ったし、人生やっぱり素敵だと思った。

芸術に進む人っていうのはなんか子供の頃から他の人と共有できない何かがある。

孤独をずっと感じてる。

でも人一倍それを伝えたいと思ってる。

そうやって生きてきた人やその人の表現から愛おしさや、勇気や刺激をもらえる。

そうだよね。

人間ってそうだよね。

って、我にかえる。

その道のりはとても苦しいことが多いけど、それさえ素敵だと思える。

みんながそれは違うよ。

そっちじゃないよ。

あるいは全然興味を持ってくれなくても、自分にとって必然であれば、他に理由なんていらない。

その時はやってみて、意味がわからなくても、後に生きてくることもあれば、やる前から意味がわかってる時もある。

いい映画を見て、本を二冊買って、好きなカフェで美味しいものを食べた。

いい日だ。実に。

そして色んなことを夢想した。
   
  

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