2016
最近ふと車の中で、考えたことがあった。
悲しい時に、自分はまだこんなに泣ける力があったのかな。
子供のように泣きじゃくることができるんだな。
ということ。
子供のように泣きじゃくることができたら、それは自分を褒めていいと思う。
で、そんな風に泣いた時は、次にその場面が来てももう悲しくない。
悲しみが泣きじゃくる事によって癒されて、さようなら〜したんだなと思う。
泣きじゃくりながら、頭のどこかで、そうか、自分はこんなに悲しいんだな。辛いんだな。って、イイコイイコしてあげる。
この歳で泣きじゃくっても、誰もイイコイイコしてくれないし。そもそも人前ではやはり泣きじゃくれない。笑
だから偉いよね。子供って。人前で泣きじゃくれるし、だだもこねれるし。
でも、泣くに至るまでには過程もある。
茫然とすることもまた、茫然とするしかない。
大きな地震や災害があるたびに、自分の心をつかむ。
つかまざるを得ない。
そしてやっぱり、辛かったら、悲しかったら、泣いてしまおうと思う。
抱えたままだと、どうも体も心も具合わるい。
そして私は先日出来たばかりのポラリスを一人で弾きました。
弾きながら、なんて悲しい音なんだろうと思った。
三回くらい弾いたら落ち着きました。
ポラリスの詩を急に書きたくなって、
あ、ポラリスって北極星のことです。
なんか書きながら、うねりのようなものを感じていた。そのうねりは、この時代によく言われている、天災や人災。
人も地球もどうなっちゃうんだろう?誰もが頭によぎること。
そのうねりのはざまで、ふと聞こえたこと。
ポラリス。
終わりじゃなくてはじまりだよ。
それが何かわからないけど。
私はわからないことだらけです。
自分で感じたことも、作った作品も、本当はわからない。
わからないままに書いて、弾いて。
わからないままにしてるし、わからなくてもいいのかもしれない。
でもせざるを得ない。作らざるを得ないし、ひかざるをえない。
だから生きてるんだなと思う。
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ポラリス
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もう千年、そしてまた千年。
広大なひろがりの星座の網にゆられて、
時がむこうからやってくる。
うちよせられた、そのはざまで
おわりではない。
それははじまりだとポラリスが言う。
もう迷わない。
出ていこう。
その幾重にも重なる星座の網の暗がりの中へ
ポラリスをめざして。
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