馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 美しい人- 2016/05/08 -

Category : BLOG

おばあちゃんが集まる家。

山形の母校の裏に家があって、一年に一度は泊まりに行く。

山の中。

連休になると、地元のおばあちゃんとか、元この辺りに住んでいたおばあちゃんとか、もちろんおばあちゃん以外の人も集まるけど、昔話をしに来る。

山菜が自動的にあちこちから集まってくる。

そしてお台所でおばあちゃん達が腕を振るう。

連日山菜パーティー。

今回のおばあちゃんの中には、もとここの料理屋のオーナー、つまりプロがいて、煮物や天ぷらが、絶品。

もう一人は絶対に捨てないことに命をかけている(娘さん談)おばあちゃん。

お茶がらは佃煮になり、リンゴの皮はジャムになり、とにかく、細かく刻んだあらゆる小皿料理が並ぶのだけど、食べてみるととても美味しい。

これは何?ときくと、うどの皮。とか、大根の茎の麹和え。とか、ふきのとうの花の佃煮とか。

何となくこの山菜パーティーに毎日違う人たちが惹きつけられてきて、違う輪ができる。

でも皆母校の独立学園の関係者なので自然と学園の話になる。

親戚が東京から学園の古い先生に東京の手土産を持って挨拶に行った。

ものすごーく腰の低い先生なのだが、どうぞつまらないものですが。と菓子折りを渡すと、

いえいえとんでもございません。どうぞこんな立派なものいただけません。どうぞ東京にお持ち帰りください。

というやり取りを経て、なんとか強引に置いてきたらしい。

東京にお持ち帰りくださいと言われてもねー。とみんなで笑っていると、

その日の夕食に先生がみえた。そして楽しくたべたあとに、なんとその菓子折りを、本当にいただけませんから、どうぞお持ち帰りください。と置いていったと。

朝になって、その先生が、忘れ物を取りにみえた。

私が布団から飛び起きて、その菓子折りをつかみ、先生!これはぜひとももらってください。

と、渡すと、あら、じゃあいただいていきましょうか。と持って帰ってくれた。

みんなで、美炎ちゃんよく気がついたわねー!良かった良かったと言っていたら、菓子折りを東京から持ってきた親戚が、あら?なんだか私、金魚を預かってもらってる人にね、山形のお菓子をあげようと思って

こっちで買った山形のお菓子がね、ないの。

あら!そうだわ。私先生に間違えて山形のお菓子を渡してたんだわ!

あら大変。というので、先生に電話して、その菓子折りを戻してもらい、東京の菓子折りを無事引き取ってもらった。という、

まるでサザエさんのようなやり取り。

空いた時間にその親戚と部屋の整理をした。

なんと2年もその部屋の鍵が見当たらなくて、開かずの部屋になっていたという。

その親戚のおばあちゃんが、つまりその方も親戚となる訳だが、学園で100歳まで書道の先生をしていた。

その作品がたくさんその部屋には眠っている。

開かずの部屋にはもちろんヘックがたくさん。

カメムシの通称。

そのヘックを踏まないように、あれこれ整理する。

懐かしい書も沢山あったし、見たことないのも沢山あった。

これが、どうにも管理しきれないというので、来年あたりに学園で展示会をしたら、欲しい人にそれぞれ引き取ってもらおうかしら。

と言っていた。

これらを一つ所に常設展示ができないのはもったいない話ではあるが、それを叶えるのは大変なことなのだろうな。

  
ことば

すなわち

うめ

  
光の中へ

さらばさらば

百才梅

私は高校一年生の時にこの、梅子先生が亡くなったのだが、以前千葉の私の実家に来た時に、炎という字や風という字をかいてもらったことがあった。

今回

という字をもらった。

この書には、美しい人華子先生へと書かれている。

華子先生は音楽教師で創立当初から学園にいる。私のおじいちゃんの妹だ。

華子先生から、自分の姉二人は本当に美人で、ひっきりなしに男の人から手紙が来たり、すごかったのよ。でも私だけ美人ではなくて本当に若い頃はそれがコンプレックスでね。

とよく話してくれた。

でも亡くなった夫の忠雄先生にであって、全然かっこよくないから、がっかりしたんだけど、兄が、華子、こんなに素敵な人はどこを探してもいないぞ。と言われてね。忠男さんは本当に真面目で素敵な人で、それから自分のコンプレックスが無くなったのよ。と何度も聞いた話。

忠男おじちゃんのお母さんの梅子先生。

その嫁姑のやり取りの話も、完璧主義だったお義母さんと、どちらかというのんびりマイペースの華子おばちゃん。

そりがあわなくて、いろいろ大変だったあるひ、梅子先生が、私が悪うございました。

と華子おばちゃんにいったことから、本当に仲良しになった2人。

最晩年の頃、その華子おばちゃんに送った梅子先生の書。
美しい人華子先生へ

華子先生へなんて書いてある書なんて誰もいらないでしょ。だからね、美炎ちゃん良かったらもらって。

美炎の美の字だしね。

美しく炎のようにと名付けられた名前。

舞台に立ち、人前に出るようになってから、美しく。という事を意識するようになった。(それもかなり後になってからですが( ̄▽ ̄))

衣装や化粧、アクセサリーや靴、揃え出したらきりがない。

できることはなんでもやろうという姿勢でいると、ふとやりすぎる事があるかもしれない。

美しいとは何か。
毎度山形へ来ると、音楽の姿勢に関して初心に戻る。

そんな場所があることに改めてありがとう。

帰るときに学園の方から車で通る。

どう見ても学園から離れた場所に学園で飼ってる子牛が三頭フラフラしてる。

車でゆっくり牛舎の方に追い立てながら牛舎までたどり着く。

見渡しても誰もいないと思ったら、草原に畜産のナオキ先生がのんびり読書してた。

せんせー!子牛が三頭フラフラしてたから、戻しましたよー。

というと、あらあら!美炎子さん!ありがとうございます!ちょっと見てこなくちゃ。と向こうへ走って行きました^ ^

  

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