2016
人が犯すたったひとつの罪は自分を幸せにしないこと。
周りにいる人に遠慮したり、待っていたりする必要なんてない。
自分自身が幸せになること。
できることはそれだけ。
誰も私の人生を生きてはくれない。
誰も誰かの人生を代わりに生きることはできない。
そして誰も私の人生に責任を持ってはくれない。
だから、私は私の本当に望んでいるように生きればいい。
そのために必要なものなんてない。
社会も家族も足枷になっているわけではなくて、どんな状況でも、人は望んでいるように生きられる。
命の力を信じること。
それは太陽の光のように普遍的で力強く、よどみない。
あの人が世の中から消えてくれれば全てはうまくいくのに。
そう思うことがあるかもしれないけれど、あの人はどんなに悪人であったとしても命だ。
だから、時間は次元を越えてしまうほどかかったとしても、やがて存在の力でシンプルになる時がくる。
ただ、今はその時じゃないだけ。
学生の時にアラスカの大河、ユーコンをゴムボートで下った。
その大きな大きな流れは絶対的で、そこに木の葉のようにただよう私は本当に小さかった。
更に小さいカゲロウが、ある日いっせいにその大河にあらわれ、川の上を飛びただよったかと思えば、なすすべもないように川の中へ落ちていく。
最初は水に落ちていくカゲロウをすくいとって、ゴムボートのヘリにのせていたけれど、やがてやめた。
死んでいくこともまたこの大きな流れのように絶対的で、大きな営みの中の一瞬にすぎない流れの中のある一点だと。
カゲロウは命の力を教えてくれている。
消えていくということによって、消えることは
再びあらわれることだと。
あなたはあなたを生きて欲しい。
死ぬその瞬間までもあなたであって欲しい。
カゲロウでさえ、カゲロウとしての命をただ生きている。
私が私であること。
あなたがあなたであること。
それは太陽の光のように力をくれる。