2014
麻布という通いなれない場所へ。
昔の着物をドレスにする小林栄子先生の工房へ。
日本の生地をリメイクした服は良く目にはするけれども、ピンとくるものがなく、日本の生地や着物柄など素敵だなと、思うものの着物は馬頭琴は脚を開くので着れないし、リメイクの服は似合いそうなのがないなと思っていた所に出会い、工房まで押しかけたわけです。
なぜ昔の生地を使うのですか?という問いに、昔は手で織っていたから、生地が空気をはらんでいると。
これが合うんじゃないかというスカートは、それぞれ明治大正昭和の着物地のパッチワーク。その生地はそれぞれオーダーなのでこの世に一つしかないもの。
はい。
言葉であらわしたら、纏うという感覚です。
というと、そうなのよ。それがあるから昔の生地を使うの。
衣装やアクセサリーは本来力を持つものなんだと、私も以前宮崎の綾町にいる着物を織る秋山眞和先生の着物をみて思った。
いろいろな話しをしているついでに五感を研ぎ澄ます。という話しの中で、高校時代に山形の山の中で生活していた時に、私はマタギになりたかったのか、動物になりたかったのか、もしかしたら天狗になりたかったのか、笑
とにかく五感を研ぎ澄ます修行の一つとして朝3時とかの山が真っ黒くてなに一つ見えないさなか蜘蛛の巣にひっかかりながら一人で登ったりしていた頃、闇でも濃淡がわかるのが普通だが、ある日それこそ何もわからなくて川に落ちるんじゃないかというと時に、それでも肌が馴染んでくるとなんとか山の入口を見つけて登る。
だんだん時間がたつにつれ、濃淡が変わっていって山の上にいく頃には霧と一緒に光がわーっと山の斜面を上がってくる。
その瞬間、紅葉していた木々が本当に鮮やかに燃え出して、目の前で何がおこっているのか一瞬わからないくらい美しかった。
日本の物作りは毎日違う毎日奇跡のように美しい瞬間を捉えようとしているのだろうな。
この記事へのコメント
すごく良いです。