馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 顔が真っ赤になること- 2018/03/06 -

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父は鹿児島出身でした。

家にはいつも焼酎がありました。

けれど私は弱いです。

母方は皆揃ってお酒大好きなのに、すぐに赤くなる。早く酔う。

という方を受け継ぎました。

割とどんなお酒でも美味しいと思うのに、全然色々飲めなくて残念。

一杯がやっと。

経済的だねと言われるけれど本人はとても残念な気持ちです。

好きなのに深い仲になれないなんて。。

今月日本酒の試飲会というイベントで演奏いたします。

福島県酒造組合企画の日本酒試飲会。

美味しい福島の日本酒と美味しいお料理と馬頭琴とピアノの音色に包まれてください。

紀尾井サロンホール。

日本酒試飲会

こちらタップで詳細、応募ができます。

なんと無料で50人。

応募多数の場合は抽選となるようです。

司会は小川もこさん。

語りとの共演や、ラジオ番組には何度か呼んでいただいて、大変お世話になっています。

ジャズ大好きな小川もこさん。

ジャズの番組や司会も多数。

先日ももこさんのラジオ番組の収録に行きました。

放送はたしか3月14日。

詳細わかりましたらまた書きます。

もう一つ、岩手のうれら織りというものを知りました。

なんと山ぶどうで染めている

山ぶどう大好き。

子供の時からなぜか山ぶどうジュースが家によくあり、よく飲んでました。

一度にちょっとしかもらえず、いつかガブガブ飲みたいという夢。

高校で山形の山奥に寮生活するようになり、山へ山ぶどう何度も取りに行きました。

熊のように木に登り、蔦の先の山ぶどうを取り、夢中になると山奥へ行ってしまうある意味危険なやつです。

相当採って、寮にもどり、潰してジュースにして、ものすごく満足したのを覚えています。

はなしそれましたが、この山ぶどう染がなんとも優しい美しい色です。

南部紬の染めも織も手作業。

二度の災害から立ち直った工房は、もっとうれら織りを知ってもらうべく、立ち上げたこれ。

うれら織り
素敵な作品と、この価格でいいのかな?って思いますが、早速購入しました。

すっかりこのところご縁のある岩手の旅を思い出し、ああまた行きたい。

岩手、遊びに行こうかなと思っていると、なんと先日こちらでも紹介した現代農業の棚田コンサートの記事を見て、岩手よりお問い合わせがありました。

有難いことです。

岩手では一つ夢見ていることがあって、まだ何も手をつけてないので言えませんが、やりたい事があるって、結果は別にして幸せだなと思います。

一昨年行った岩手の写真より

   
 

 家にはブラックホール- 2018/02/28 -

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一番元気な状態から遠いとき、それで本番という時も抗わないようにしています。

頑張ると余計疲れたり、力んだり、空回りしたりするので。

こんな自分でも自分は自分。

いつもの感じじゃないのは、一体どんな感じになるのか、そこに興味をもつしかありません。

思い切り走り、風をきって爽快になる時もあれば、

ちょっとやり方かえて、風にうねりをもたせてみたり、そんな風に遊ぶこともできるはず。

まあ、そう思えるようになったのも経験が浅い時に、こんなんじゃだめだ!

いつもの感じがない!と焦ることでダメな深みにはまった経験が何度かあったからなのですが。

普段の生活でも同じですね。

なんだか冬眠状態になってる時、イマイチ力が出ない時、休みたくて、身体が勝手に休みモードになってしまってるとき、

今日は仕方なし!そのうち春が来るからそしたら目覚める。って思う。

一年の中で波のうねりのようにある気がします。

だいたい季節に順じてる。

高校時代の友人が山形からやってきました。

東京出張の折に、泊まりに。

山奥ではないけれど結構な田舎だよ、と断っておくと、本当だ。

こんなに田舎と思わなかった。

と山奥育ちの人に言われました。

よかった。

残念な話を聞く。

彼女の祖父母の山の中の家に、農繁期に泊まり込んで手伝いにいった高校時代。

その家はもう屋根が落ちて、とっくに人が住めない状態になっているそう。

おじいちゃんのそのまたおじいちゃんが建てた家。

立派な梁だった。

道路からまた奥に山道を入った中にあって、あまりにも山奥なので、彼女が子供の頃、出稼ぎでいないおじいちゃんの代わりに、一人じゃ寂しいからと、彼女がおばあちゃんと二人で山暮らししていた。

お店に買い物もいけないし、保存食食べてたそうだ。

それにその家の一番すごいところは、今でもはっきり覚えているけれど、ぼっとん便所。

ぼっとん便所そのものが驚いたのではなく、

もう何年も何年も汲み取りしたことがない。

つまり、覗くとそこにはブラックホール。

まず音がしない。

闇に吸い込まれていく。

で、このあたりは地滑り地帯。

落っこちたらたぶん永遠にさようなら。

あのなんとも言えない下からくるじわじわした怖さ。

他に例えようもない。

寮生活だった高校時代。

他県から入学した生徒が多く、26人しかいない学年の地元の子は1人で、それが彼女だった。

私はとても興味を惹かれて彼女につきまとった。

作業も山登りも嫌い。

なるべく家にじっとしてたいという彼女をいつも強引に連れまわして、山に行った。

私の方は、彼女がいると、あ、この虫は何々と言ってここの羽むしって、遊ぶんだよ。とか、この実はここいらじゃこんな呼び方をするんだとか、やっぱり地元民。

いろいろな情報が出てくるわけです。

それが面白い。

最初は嫌がっていた彼女も結果とても美しい眺めを見たり、それなりに満足する。

でも毎回、えー!やだー!寝てるー!とか言うのを、強引に連れ出す訳なんですけど。

そんな彼女は今や町の役場で地方創生を担っている。

山形県小国町。

千葉生まれの千葉育ちの私は春がきらいでした。

お勉強も学校も嫌いでしたから、新学期は苦痛。

それになんだかぼんやりしてる季節だなと思ってた。

山形で寮生活したら、まずびっくりしたのが春の強烈さ。

やく半年ほど雪のある小国町。

五月の連休の頃、やっと一気に春が来る。

山という山の木の新緑は清冽で力強くそれでいてなんとも言えない淡い色合い。

どこを歩いても雪解けの勢いのある水音がする。

身体中の血流が蘇って一気に流れるような。

それに山菜という山の幸。

食べると血流が蘇る気がする。

春ってすごいとはじめて思った。

あそこで季節とともに生きると、雪の中でじっとしながら何かを熟成する事ができるし、春になってのびのびと身体を伸ばし、水や山菜の勢いで血の滞りを流して夏はじっとりと暑く濃い濃い緑のいきに圧倒されて、秋はむんむんした余計なエネルギーを高い空に放り投げて、美しい紅葉に見惚れながら、何かを想うことが自然にできる。

 衣装との出会い- 2018/02/14 -

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大風邪ひきました。

3連ちゃんの演奏を終え、無事風邪ひき、ひたすら寝てました。

ちょうど1年前も風邪ひいて、まったく声が出なくなり、そんな中でもコンサートは忙しく、ガラガラ声でMCしていたので面白MCでした。

今回は声出たのでまだ良かったかな。

美・Japon の新年会にて少し演奏。

スイスの大使公邸でお世話になった翻訳家の佐野美代子さんとスイスぶりにお会いしたり、同じテーブルではメイクアップアーティストの若い方や、シニアモデルの方など、色々楽しいお話が聞けました。

  
数年ぶりになる幼稚園に再び演奏にいったり、川崎の小学校を三校まわったり、子供たちの元気に癒されながらでした。

   
 
今週末もまた子供向けコンサートです。

大人の方も参加できます。

  
そして20日は千葉市議場コンサート。

  
トリオ演奏で二部25分間の出演です。

風邪がなおり、江ノ島と館山に行きました。

  
なかなか不思議なイルミネーションの江ノ島。

館山はギャラリーsfkへ。

  
こちらの打ち合わせをかね。

   
 
この冬、麻布の衣装なんて良いなと思っていて、古代のような雰囲気の力強い絵が描いてある麻布で衣装作りたいと思って、麻布買ってギャラリーsfkの山鹿先生に描いてもらって、それを誰かに衣装に仕立ててもらえたらいいよなーって夢見てました。

今年はどうしてもアリゾナに行きたくて、またいつもながらの唐突に突然に、行く!ときめるやつですが、

行くんならせっかくだから写真撮ってこようと思うわけで、合う衣装あるかなーなんて考えると、そんなものがあったらいいなと妄想。

で昨日、連絡も入れずにギャラリーに行きました。

いつものことなんですが。

よくみたら、あら今日って閉館日だ。

というわけで、帰ろうとしたら山鹿先生が出てきた。

あら、お手紙昨日書こうと思ってたのよ。

良かったわー。

と快く迎えてくれて、山鹿先生の亡くなったお母様の布絵の作品を眺めていると、

中央のテーブルの上にたくさんポストカードが飾ってあり、その下に置いてある布にめがとまります。

なにこれ?衣装にいいじゃん。

と思う私。

これ。

  
赤土色に深い青と黒。

スマホで撮ると全然色が違ってしまうので、加工したのですが、なんか違う。

   
 
でも雰囲気こんな感じです。

しかも、これ良い感じの麻布。

あら、これねえ10年前くらいに描いてずっとお蔵入りだったの。

今回なんだか、ここに敷くものが欲しいと思って引っ張りだしてきたのよ。

そしたら、この布がいいという人が三人もいてね、みんなここに敷いとくのもったいないというのよ。と笑ってました。

これでもどうやって衣装にする?って話していると、山鹿先生が、この近所にすごくいい人がいる!

と益子さんという方を電話で呼び出す。

いつも忙しくていないんだそうで、あらよく居たわねといって、その方10分で来てくださる。

昨日バリから帰国したばかりで、今日も居る予定がなかったのが、たまたま居たらしいです。

説明する間も無く、彼女は継ぎ目に青いシフォンの布を足したら素敵ねとすぐに描いてくださり、

里見の日のライブでは、以前山鹿先生がくれた着物をアレンジした衣装を着るのですが、こっちのはそれならアリゾナに持っていきたいので、このくらいまでによろしくお願いします。

ということで、益子さんが預かってくれました。

トントン拍子。

この5月には着物を着て馬頭琴弾いてほしいと言われる案件があり、どうしようかなと困っていましたが、ちょうど里見の日のライブに向けて山鹿先生にいただいた着物を衣装にアレンジすることになったので、そちらも更にまた着るところがあり、本当にありがたい限りです。

衣装に関してはなかなか運があるなと思います。

今はまったくモンゴル衣装を手に入れるチャンスもないので、それでいいんだなと思います。

それでもモンゴル衣装でお願いしますというところはやはりあるので、その場に合わせて色々と。

衣装といえば、日本の伝統芸能を伝えるための舞台にて、あなたの馬頭琴は目をつぶって聞くと馬頭琴とわからないから、音だけ使いたいと言ってくださる方がいます。

何を弾いても切ない感じがあるからそれが欲しいのだそうです。
ちょっと面白い。

バイオリンやチェロなどはもう世界市民権?を得ていると思うのでノージャンルだと思うのですが、馬頭琴は本当にモンゴルという枠の中ですから、特に見た感じが個性的。

私としてはあくまでも自分の音楽の表現に必要な音色として捉えているので自分の中ではノージャンルですが、見る人はそう捉えないことも多いです。

多分そういうこともあって、馬頭琴らしくないとは私の場合よく言われることですが、私には褒め言葉です。

それでもやっぱり聞き比べると、バイオリンやチェロともどこか違うわけですから、それならなんなんじゃというあたりが個性だと思います。

2月18日八千代市民会館10時半より

2月20日千葉市議場コンサート

3月11日南房総市ギャラリーsfk 

3月21日下北沢アレイホール宮地楽器渋谷15周年ライブ

4月8日君津市久留里千年の森桜コンサート

4月20日稲毛区役所ランチタイムコンサート

4月21日八街ホワイナッツライブ

4月28日市原ギャラリー夢心坊

4月30日マザー牧場ライブ

 イスタンブール- 2018/01/30 -

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映画「猫が教えてくれたこと」

イスタンブールが舞台。

見終わって、猫をこんなに愛して認めてる街があるんだなって感慨。

イスタンブール全体で野良猫と共存してる。

行ってみたいと思った。

思えば私も生まれた時には家に猫がいた。

猫がいなかったことはなく、多い時には十数匹。

猫は兄弟だったし友達だった。

泣いてるとき、猫はそばに来てくれた。猫に慰めてもらった。

「叱られて、相手になるのは猫ばかり。」

小学生の頃の句。笑。季語なし。
イスタンブールにだってもちろん猫嫌いな人がいるんだろうけど、街全体で猫好きの人も猫のことも受け入れられてる。

猫に救われたって言ってる人が結構いて、猫を可愛がるだけじゃなくて、猫の自主性、野生を認めて、彼らが必要としてくれているときに相手している。

野良猫とこんな風に付き合える街なんて、本当に豊かな文化だなぁ。

買い物にお店に行った時、お腹すいてカフェやレストランで、市場で猫に会えたらどんなに素敵だろうな。

そこには、お店の人のようにそれぞれの個性、性格があって、挨拶するだけの関係だったり、じゃれ合うことができたり、姿を確認するだけだったり。

何より、人が猫を可愛がってる姿にまた癒される。

今年のはじめはもう一本見た映画。

「エンドレスポエトリー」

これも良かった!

なんか沢山勇気もらったし、やっぱり人って愛らしいと思ったし、人生やっぱり素敵だと思った。

芸術に進む人っていうのはなんか子供の頃から他の人と共有できない何かがある。

孤独をずっと感じてる。

でも人一倍それを伝えたいと思ってる。

そうやって生きてきた人やその人の表現から愛おしさや、勇気や刺激をもらえる。

そうだよね。

人間ってそうだよね。

って、我にかえる。

その道のりはとても苦しいことが多いけど、それさえ素敵だと思える。

みんながそれは違うよ。

そっちじゃないよ。

あるいは全然興味を持ってくれなくても、自分にとって必然であれば、他に理由なんていらない。

その時はやってみて、意味がわからなくても、後に生きてくることもあれば、やる前から意味がわかってる時もある。

いい映画を見て、本を二冊買って、好きなカフェで美味しいものを食べた。

いい日だ。実に。

そして色んなことを夢想した。
   
  

 今朝のニュースから- 2018/01/25 -

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先日NHKで731部隊の番組をやっていたのを見た。

だいぶ前にそういう話を見聞きしたことはあったけれど改めて知る事が出来て良かった。

実はハルピンにも行ったことがあったのに、その時には全く繋がらなかった。

改めて知って印象に残ったのは、人体実験をしていた科学者が日本でのちに京大の教授になったり、製薬会社の社長になったり、あるいは政界と通じてたりというところだ。

なるほど都合の悪いことを隠蔽する社会の体質はずっと根が深いところにあるんだなと。

慰安婦像の問題で、過去にとらわれるのは良くないということを言った人がいた。

その言葉に唖然としてしまったが、事実をちゃんと知らないということが時としてそういう事に繋がるのだと改めて思い知らされた。
戦争を知らない世代は私を含めてどんどん増えていく。

そして戦争を知っている世代はどんどんいなくなる。

そんな社会が来るのは皆んなが初めての経験だ。

繰り返してはいけない過ちがあるから、忘れてはいけない事実を知らなければいけないし、忘れてはいけない。

過ちを知り、認め、繰り返さないようにする努力が必要だ。

戦争が起こるのは、起こそうとする人達がるいるからで、そんな人達は自分達に利益があるから起こすわけで、その利益のために幾らでも画策するのだから。

小学校の時だった気がする。

社会の教科書にドイツの事がかかれていた。

首相がきちんとナチスの過ちについて語り、謝罪をしていた。

先生がドイツでは授業で手を上げない。

なぜならヒットラーの斜めに手をあげる姿勢と通じるからだ。

その徹底さが必要だと思う。

そんなことから子供たちはきちんと学ぶことができる。

過去にとらわれることは良くない。

とは加害者側の立場では絶対に言ってはいけない事だと思う。

悲しみや怒りやそういったものは時としてその人の人生を越える。

越えて受け継がれるほどのものだったりする。

戦争を知らない私達世代が、知らない。関係ないとは決して言えない。

南京大虐殺も慰安婦も我が家には沢山の本があったので、子供の頃読んでいた。

小学生の私の感想はといえば自分がその時代に生まれなくて本当に良かったとか、人はこんな風に残酷になれるんだなということや、日本人である自分が悲しかった。

どうやったら隣国の人達に許されるのだろうかと思った。

なぜそんな事をしてしまったのか、後の世代の私達が恥ずかしいような思いをしなくてはならない事を思った。

そして中学生の頃には私も恥ずかしながら、私は戦争に関わらなかったのに、私が謝らなくてはいけない理由はなんだろうと思ったりしたこともある。

でもドイツでの戦後教育や、政治のあり方について知ることで、謝罪もきちんと学ぶ事もなぜ必要なのかが理解できるようになった。

この中途半端な社会のあり方が、次の世代の態度を生む。

なぜ私が謝らなくてはいけないのか、と思っていた時の記憶を辿れば、私は不幸だった。

日本人であることを恥ずかしいと思ったし、後ろめたかったから、できればそんな事を忘れて蓋をしたかった。

ゆがんだ気持ちというのが生まれていたように思う。

高校時代になって、改めてそのような事実を知ることで今度はきちんと受けとめることができた。

受けとめられたことで救われる部分があった。

ちゃんと謝れる。

その気持ちがあることで、後ろめたさや恥ずかしさとは違うものになる。
日本の社会がちゃんと正面から見据えて過去の過ちをちゃんと謝れる。

そういうことを徹底的にやるなら、この後ろめたさからくる、ゆがんだ思想や気持ちがなくなっていくだろう。

中途半端な姿勢が、隣国の怒りや悲しみを深くしている。

そんなことは私たちにとっても誰にとってもいい事であるはずがない。

私たちがむしろ慰安婦像をたてるべきなのだ。

自戒をこめて。

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