2017
いつのまにか今年も半年が過ぎた。
駆け足しているつもりはなくて、でも駆け抜けているのかもしれない。
行き当たりばったりはだめだ。テーマを持って生きなさいと父に言われた。
一言で言ったらなんて頭の中でまとまってはいない。
今日、先月訪れた岩手の石雲禅寺さんより7月号パパラギの里が届いた。
手に取って読む。
先日の演奏会のことをこう記してくれていた。
〜〜略
楽器の音色は観る側にとって
まるで宇空から降り注ぐ天上の風であり
〜〜中略
それは己を消した
天の囁き
それらをいのちあるもので感じ
分けあった一夜であった
ーー全てのものは
そう、人ばかりでなく
音も光も色さえも
天に捧げるものでありますように
吉田慈光
「己を消した
天の囁き」
確かにそれは音楽の本質だと思う。
なんというか求めて得るものでもなく、やろうとしてできないことだ。
少しでもそう感じられるものがあったとしたら、それは紛れもなくあの場と集った人と、真っ暗な夜と風とそんなものの中に溶け込んでしまえる瞬間があったからだろうと思う。
久しぶりに自主企画でライブをする。
今まで無我夢中、できることのみしてきた事の、一つの集大成だろうと思う。
いつもの三人に加えて(ピアノの竹井美子さん、ドラムの前田仁さん)
シンセサイザーとベースが入り五人。
銀河夜行という新曲には私のCDジャケットデザイン、またポラリスステッカーなどのデザインを手がける中島菫さん制作のアニメーションが入る予定。
平日の夜ではありますが、7月の終わり、渋谷の松濤、文化村のすぐ隣のビル、サラヴァ東京にて。
銀河夜行〜
心の奥を覗き込むと星屑のまたたきの向こうに幾つもの物語が見える。
今宵、馬頭琴の音楽と遥かなる旅へ。
7月31日
サラヴァ東京@渋谷
馬頭琴 美炎
ピアノ 竹井美子
ドラム・パーカッション 前田仁
シンセサイザー Ryuta
ベース 山田章典
19:00open
19:30start
前売り4000円当日4500円
ご入場時ドリンク代別600円
2017年5月7日2枚同時発売した馬頭琴美炎の新しいアルバムのレコ発ライブです。
「The Great Jorny vol1 GRASS LAND」
「The Great Jorny vol2 銀河夜行」
グレートジャーニーとは
「アフリカ大陸で誕生した人類が陸づたいにアラスカ経由でアメリカ大陸へと移住した旅のこと」
皆様のお越しをお待ちしています。
美炎
動画は新作CD録音メイキング映像と、新曲グラスランドの音楽です。
途中一瞬入る馬のーーグラスランド
2017
7月8日までのお知らせです。
去年に続き、棚田コンサートの演奏のシーンを作品に、肖像画家の益子さんが描き、東京都美術館に展示してます。
もちろん演奏会の後です。
ちなみに一昨年のものがこちら。
8日の日曜日は益子さん会場にいらっしゃるそうなので、背の高いこの方見かけたらぜひ話しかけてみてください。
いろんな裏話が聞けるかも。しれません。。
今写真を探していて見つけたものがありました。
こちら。
先月の岡山行きで、最終日に2年前に行った美星町を再び訪れ、コンサートしたのですが、2年前の写真です!
残ってたのこれだけでした。
中世夢が原という場所にある、能舞台のある建物の中の控え室にて。
この時は打ち上げで、このお面を作ってる方が、髭に使うんだと、馬の尻尾の毛を見せてくれました。
今年はこの中世夢が原の武家屋敷のお庭にてコンサートでした。
面白いものがいろいろあるので、あれもこれもいろいろやってみた結果、隣にある竹筒を叩いて音を出すのを曲に組み込んだのが、結構好評でした。
最初は単に遊んでいたのですが。
やっぱり遊ぶって大事。
弓のおもちゃがあったので、三人でやってみると、私はまず、矢の後ろに糸をかけずに、何度もやっていてもちろん飛ばず。
竹井さんは、なぜか矢を落っことす。
それをニタニタ笑っていた前田さんはというと、意外と上手でしたけどね。
美星町との面白いご縁は前回訪れた時のブログに書いてあるのですが、探せません(≧∇≦)
またいずれどこかで。
暮れ行く山の上の林の広場で、全くの闇でした。
美星町。
星で有名なところです。
前回もなんと満天の星を見れていない。
また来るしかないですね。
でも闇の中というのが面白かったです。
お客様からはもちろん私たちがよく見えていますが、私たちからは最前列の方々以降が完全な闇です。
いくら目を凝らしても慣れて薄ぼんやり見えてこない。
時折吹く風がなんとも意味ありげで、両隣ではぜている火の粉と、ここはいつの時代かと錯覚してました。
ここに呼んでくれている方々が地域を想い、楽しく生き生きしている素敵な方々なのですが、コンサート後の打ち上げで、ここの豊かさを本当に感じます。
あ、ちなみにパンは千葉県君津市からいらっしゃった方の手作りでした。
全然繋がりのなかったはずの企画や主催に携わった方、もしくはお客様が、そのうち足を伸ばして、馬頭琴という一つの繋がりを元に繋がったりする事があると、この仕事をやっていて幸せだと感じる瞬間です。
今回は、美星町に行きますとTwitterでつぶやいたことから繋がった方が聞きにきてくれて、実際お会いできたのも、嬉しかったです。
出会えて繋がったことは不思議なのですが、全然違和感なく、知り合う運命だったでしょ。と思える。
旅に出て誰かと出会うことでその場所が特別な場所になるんだなと思います。
月みちる
↑美星町でのコンサート動画。
先日岩手の最後に訪れたお寺の事もまた書きたいので後日改めます。
さて7月8日は千葉県八街市にあります、特養老人ホーム、喫茶アルルカンで夜コンサートです。
今月はいよいよ、31日に渋谷松濤のサラヴァ東京で、レコード発売記念ライブもあります。
久しぶりの自主企画なのでドキドキワクワクです。
両方ともチケットまだあります!
お待ちしています。
森のなまえ
↑美星町での動画
リベルタンゴ
↑美星町での動画
2017
肉体というのはやっぱり何かを語ってるんだろうな。
土曜日の朝に父に会い、その約36時間後に父は亡くなったわけです。
日曜日は穏やかであったらしくその夜中に逝ったのですが、土曜日は心臓が苦しかったらしく、それでも語りかけたりすると話に気をとられるし、さすると気持ちよくなるようで落ちついたりしたので、
なんというか、見ていて、長く使い続けた心臓、肉体がもう止まろうとしているのだと感じました。
ブログを読んで、父の死を知り、皆さん私を心配してくださるのですが、とても元気です。
私の年齢だとまだ父を亡くすのが早い方になるのだと思うのですが、
なんせ父は97歳でした。
そう言うと皆さんびっくりされるのでわざわざは言わなかったのですが。
そして元気で頭もしっかりして、新幹線にのって一人で仕事にも行くのが3年くらい前までありましたけれど、この3年くらいは、入退院を繰り返し、弟なんかは、弔辞をもうその都度何度も考えてるからね。と笑って話していました。
私なんかももう最後かもしれないと何度も思いつつお見舞いして、岡山と千葉というようにとても離れていたので、仕事で行く時にしかほとんど寄れなかったのですが、有難いことに、ここ最近何度も足を運ぶことができました。
それでも会うたびごとに明らかに死に近づいていくのがわかり、最後は今目の前で息を引き取るかもしれないと本当に思いました。
なので、満月の晩の金曜日に、父の好きな言葉でもあった、龍は嵐を呼んで天に昇るという言葉をとって作った曲を弾いた時には、これで逝っても驚かない。むしろ手助けができそうだと本気で思っていました。
次の日の土曜日の朝に、苦しい。どこにも行かないで。
ここにいて。
ここにいるよと言うと安心して少し落ち着く。
終わろうとしている肉体というのを見ている感じでした。
猫に例えると父に、猫と比べるなんて!と言われそうですが。笑
以前拾った野良猫が、まだ小さく、もう今日が峠だとやはり思い、それでもどうしても出かけなければならず、小さな箱にタオルに包んで寝かせ、泣く泣くでかけて、帰ると虫の息。
ああ、待たせてしまったのだなと思い、もう大丈夫だよ。逝っていいよ。と抱っこしてさすると、大きく息をしてそのまま。
死ぬっていうことが、切なく悲しいと同時に、なんだか尊いような不思議な気持ちがしました。
ひと月前にあった時には、こちらの世界とあちらの世界を行ったり来たりしているってこういう感じなんだと、そばにいて、また父の話すことを聴いてそう思いました。
それでも、案外すっと逝くのは難しいものなんだと、最後にあった時は思いました。
本当に最後の瞬間は眠るようにすっと逝ったという話をきくと、ああ良かったと思うと同時に、
一体それがどんな感じのことなのか、父が書いたらどんな風に書くんだろうと思ったりします。
きっと父は、笑っておまえ、自分で経験するまで待ちなさいよ。と言いそうです。
その通りなんですけれど。
そうしてみると、自分で死ぬ、自殺ということは、いかに危険なことなのかと思うのです。
まだ肉体は終わりに向かっていない。
肉体が元気でも死んでしまう不慮の事故というのはあります。
それでも魂がきっとその準備をしていたと私は思ったりします。
まあその辺は正直わかりませんが、
でも、肉体も魂もそのつもりがなく、準備もしていないままで、自分で死んでしまうというのは、本当に迷子になってしまうと思うのです。
それは苦しくて苦しくて死んで楽になろうとしたのに、死んで本当にもっとどうしようもできない迷路にはまってしまう事だと思うのです。
生きていれば、時間が流れます。
時間が流れれば状況は必ずかわります。
自分で状況を変える力が出なければ、なるべく低くなって、少しのエネルギーでやり過ごすことはできるかもしれない。
だからどんな事があっても生きている方がいい。
つい先日、赤ちゃんに会いました。
前に馬頭琴の生徒さんだった方が出産したので会いに行きました。
久しぶりに抱っこしたり触れたりする赤ちゃん。
そばにいると、不思議でした。
亡くなる前の父を思い出しました。
父は終えようとする肉体というものがどんな存在かというのを見せてくれましたが、赤ちゃんは本当に死とは無縁な存在でしたから。
父の瞳が赤ちゃんと本当によく似ているのも驚きでした。
頭をなでると、お母さんに撫でられてるみたいだなー。気持ちがいいと喜んでいました。
撫でていると、本当にお疲れ様。という気持ちになりました。
赤ちゃんの頭をなでました。
言葉にならないですね。
もちろんお疲れ様なんて気持ちはわきませんし、
なんていうか、これから何十年もこの身体と生きていく新しい強さ。
さて自分の身体を顧みると、なんかかまってあげてなくてかわいそうと思いました。笑
タイミング合い、友人のアロママッサージを立て続けに受けることができて、触ってもらうことで疲れていたんだなーと分かります。
友人はすっかり人の身体を触って、その人の身体の声を聞くことができるみたいです。
父を目標にするならば、先はまだまだ長いぞ。
焦らず、生き急がず、落ち着こう。
と思うのでした。。
そういえば昨日の晩は東京音大の馬頭琴講座でした。
初級クラスの方が帰り、中級クラスの方とじっくりと昨日は開放弦で二本の弦を弾くということをひたすらしました。
リラックスした状態でなければ本当に楽器は一番鳴ってきません。
そしてその状態だと倍音が豊かに響いて気持ちがよく、いつまでも弾いていると、違う世界に行きそうです。笑
2017
プライベート草原
去年遠野の人に荒川高原牧場を勧められて、行った時に、山の上の高原でのんびり自由にしているお馬さんを眺めて近寄ってきたお馬さんをナデナデして、楽しんだ以外に、もう一つ素敵ポイントがあった。
もっと上に何があるんだろうって車を走らせて、結果は、通行止め。
でも早池峰山の方へとあったので、その時からとっても気になっているお山。
戻り途中、道の脇の林に狭い入り口があった。
通り過ぎてしまうような、植え込みが少し開いてるような。
急に入りたくなって、思いっきり木の根っこに車の車体の下をがーーーん!!とぶつけながら入ると、なんじゃここは!!
という素晴らしい空間。
とっても優しくて大きな木が待ってたよって言ってくれているみたいに両手を広げていた。
目の前にはこの山の斜面と草原とその向こうには早池峰山。
ピアノの竹井さんとドラムの前田さんとキャーキャーいいながら、(言ってはいない)あの木の下にもぐりこんだり、楽器出して弾いたり、向こうの木に抱きついて歌ったり、なんかおかしな人達ごっこをした。
そんなテンションになってしまうようなところだった。
また絶対くるよ!って思って後にしたのだった。
だから舞踏家の太田さんが、自然の中でコラボレーションしたいと言った時に、すぐここを思い浮かべた。
お馬さんにも会いたかったけど、このプライベート草原が見つかるかドキドキだった。
なんと大きな優しい木の下には先客の軽自動車が一台停まっている。
でも見渡しても誰もおらず。。
向こうの木にも挨拶して、楽器をおろしたりしていると、太田さんはすでに早池峰山の方向に向かって踊り出していた。
早池峰山がステージのバックだとすると、私はここで、前田さんはお向かいに。
ここに吹く風をまず感じなから。
荒川高原牧場・舞踏コラボレーションその一
少し遊んでみる。そういえば、
前田さんと即興するのもはじめてでした。笑
荒川高原牧場・舞踏とのコラボレーションその二
最後はオリジナル曲の最後の鷹で締める。いつも吹く小さな呼子がみつからず、インディアンフルートの小さいのを、吹いてみてからの〜〜
荒川高原牧場・舞踏とのコラボレーションその三
この動画、陶芸家の西美紀さんが撮ってくれました。音聞かなくてもなんか音がするようなそんな動画です。
ぜひ三つとも見てみてください。
このシチュエーション。
ないよね。
素敵すぎるなー。
この旅が、旅の途中でも終わってからも、夢だったんじゃないかとみんなで何度も思うのは、ここのせいもあるなぁ。
終わった後に、先客の車から地元の年配のご夫婦がおりてきて、いやーいいもの見させてもらった!
お話聞くと、年に2回ほど、この木の下にお昼寝しにくるんだそうだ。
その前にお気に入りのお饅頭買ったからと、大きな出来立てホカホカのクルミののったお饅頭を私たちそれぞれにくれました。
なんかご褒美みたい。
去年の荒川高原牧場の写真。
そよそよそよそよ
風
きっといつも話しかけてる
いつもそばにいる
遊ぼうっていってる
背中を押してくれてる
流してくれる
逆らわずに委ねたら飛べる
風
つづく
2017
忘れてもいい事をどんどん忘れるようになっているこの頃です。
仕事関係は忘れない。
好きなことも。
その他が不思議なくらい抜け落ちてしまう。
大丈夫かいなこれ。
旅に出ると殊更に風とか光とかそんなものが特別なものに感じられる。
その瞬間、ここへ来た意味が分かるような気がする。
大雑把O型チームだね。
と自分達で言ってみた三人での岩手遠野への旅。
毎度お世話になっているドラムの前田さんと、知り合って間もない、というか一瞬お茶した事があるくらいの陶芸家の西美紀さん。
最初の頃はお互いO型だしね。みたいなノリだったのが、最後の方になって、2人から美炎さんの大雑把はちょっとドキドキする。自分もここまでじゃない。
みたいに言われて、え??なにが?どこが?と一人首をひねる。
先日亡くなった父が良く言っていたのが、時間が勿体無いから、テレビも見ないし、無駄なことはしない。
やはり亡くなったガラス絵作家の児玉房子さん、去年遠野でお会いした時に、もうね、好きなことしかやらないの。やりたい事だけやるの。
人生のテーマが決まっている人は、そのことに集中する。
花巻に移住したばかりの舞踏家の大田直史さんの家に泊めていただいた。
隣の家のおばあちゃん付き物件。
台所の隣に外から直接入れる小さな土間がある。
そこだけ時代が違う。
土間のむしろがおばあちゃんの作業場。
朝やってきて、豆を剥いたり、針仕事をしたりするんだそうで、太田さんの奥さんはいろんな事を教えてもらったり、一緒に作業したりするんだそうだ。
素敵な物件。
お隣のお漬物などもいろいろ頂きました。
太田さんとは今回の旅の三人とも会った事がなく、それなのに泊めていただいたという。。
太田さんと待ち合わせたのは遠野にあるガラス絵作家の児玉房子さんの美術館。
四月に電話で、児玉さんに、6月遠野にいくから、新しいCDに児玉さんの作品の銀河鉄道の夜の絵から作った銀河夜行の曲を入れたので持っていきます。
と話すと、あら、今ね美術館の作品を総入れ替えしてるのよ。
あの絵はじゃあ残しておくわね!同じ位置に。
そしたら、ミニコンサートしましょうね。ここで。
はーい。
というやり取り。
5月の兵庫でのツアー中に亡くなった知らせが届き、6月行ったら庭でこっそり歌おうと思っていた。
銀河鉄道の夜の絵が、一昨年訪ねた時のままに飾ってあった。
やっぱりなぜか涙が出てしまう。
こっそりガラス絵の前で心の中で歌った。
この歌を歌うと、児玉さんと父を思い出してしまい、歌えない。
ゆっくりと見て回った後で、ちょっとだけでも、弾いたらどうかと皆が言う。
迷っていると、窓から明るい太陽が差してきて、なんとなく、そうしようかなと思う。
代わりに管理されている義理の兄弟の方に、そんな訳で、一曲弾いてもいいですか?
ときくと、いいですよ。
それで弾いた。
背中に太陽の光が当たって暖かかった。
去る時に、実は二階があって、今まで音出すのは全部二階でやってたんです。
ガラス絵の前でやったことはなくて、本人がやるの許可してなかったから。でも本人いないし、わかんなくて。
とちょっと困ってらした。
あ、そうだったんですね!それはすみませんでした。と謝る。
知らずに音を出してしまったけれど、後味が悪くなかったのはきっと許してくれた気がしたからかな。
外に出るとすっかり晴れていた。
今日はスコールのような雨だったらしく、私たちが遠野へ来た頃はもう雨は上がり曇り気味だったけれど、
ちょうど夕刻前の金色の光でどこもかしこもキラキラしている。
美紀さん撮影
花巻を中心に企画していたのが、計画が流れたり、いろいろあったみたいで、気づいたら三陸ツアーになっていたという。
皮切りは田老の海の盆。
田老と聞いて、どきりとする。
全村が流されたところだ。
そもそも六月に遠野へ行くことを決めて、太田さんを紹介していただき、メールでやり取りするうちに、はじめは、来たついでに近所でコラボレーションしましょうという軽い感じが、
児玉さんのところでのライブがいつ終わるかわからないから、改めてにしませんか。というきっかけで、ではいつまた来れますか?と。
前田さんとスケジュールを合わせていたら、なんと8月のお盆しか日程が合わず、よりによって、お盆かーー。
ん?お盆といえば、盆踊り。といえば舞踏。
なんか意味がつながりそう。
元はと言えばこの六月の遠野行き、元々去年呼んでくれた馬と暮らす町遠野の方が、ゲストハウス完成したらまたコンサートしましょうと言っていたので、呼ばれたらまた行くと思っていた所に、美紀さんに行きましょう!と言われ、彼女はもう行くと決めているようだったので、どうしようかなどうしようかな。と内心迷っていた時期があるのだけれど、ある友人が、いきなり、遠野へ行く夢を見た!
と言うので、え?そうなの、それなら一緒に行くか。
と決めた今回の旅。
蓋をあけたら、その友人は行けなくなり、そしてまた8月に行くことになった。
しかもお盆に。
そして三陸の慰霊とも思える舞踏と音楽の舞台。
それでなくても私には今回の旅は児玉さんと父を想う旅だったので、死というものと、そして同時になぜか同じくらい生というものを意識するそんな流れが続いている。
今年にはいってから色が変わってしまった。
もしかしたら始まりは、広島のお寺だったかもしれない。
住職にあなたが演奏する場所の下には原爆で亡くなった沢山の人が埋まっているんです。
確かに今までも、演奏する場所が、ここは古い時代に戦場だったところだとか、そういう場所というのは多い。
この小さな島国、だいたいどこへ行ってもそんな歴史はある。
今生きているこの場所と、聞きに来てくれた人達と、確かにそこにはその場所の歴史という別の時空が同時に存在している。
音を出すとき、
確かめつつ、混ぜる、聞き耳をたてる。
続く