2016
今朝は朝早く家を出たのに案の定、ラッシュに巻き込まれ、それでも10分遅れくらいで川崎にある小学校へ。
午前中と午後とで2校だと思っていたら、午前中2校でした。
(ここから先のエピソードは、二つの小学校入り乱れております。)
どちらも二年生。60人から80人ほど。
話しながら、言葉を選ぶ。
この言葉は小学校二年生にわかるだろうか?
言葉の解説してるよりは、モンゴルの話とかしたいなと思うので。
しかし、つい、うまがあう。
という言葉を使ってまい、知ってる?って聞いたら、知らないって言われました。
意味を説明してたら、なんでうまがあう、という言葉を自分が出したのか忘れました。涙。
先生が勢いよく、さあ、みなさん、遠くモンゴルから先生が来てくれました!
と私を紹介してくれました。
千葉から来ました。
とこたえると、
はい!海を渡って遠く千葉から来てくれました!
と再度紹介。
子供達、えーー!!!!とびっくりしている。
ヒソヒソと、絶対モンゴル人だよね。
絶対だよ。
と男の子達が話している。
普段のコンサートで、当然自分は日本人だと思っているので、話も、モンゴルにいって、モンゴルの先生に教わって、という話をしてる時点で、日本人だろ。となるわけですが、はなから、モンゴル人だと思っているお客さんは、日本語が上手ですね。
と最後に話しかけてくるので、ずこっ。となる。
そんな感じで、彼らは最後にどう結論ずけるだろうか、と、特に日本人ともモンゴル人とも言わなかったが、ついに質問コーナーで、出た。
モンゴル生まれの、モンゴル育ちですか?
と。
日本人です。
というと、えー!!!!
次の質問は、モンゴルで育ったんですか?
という質問でした。
どうしても日本人じゃないらしい。笑
そこから、なぜか質問が、モンゴルのことではなく、私への興味にかわってしまい、なんでモンゴル行ったんですか?
馬が好きだったから。
という答えに、
何色の馬が好きですか?
どんな顔の馬が好きですか?
なんで馬頭琴はじめたのか?
何歳から馬頭琴やってるか?
が止まらない。。
まあ、ひととおり、モンゴルの紹介をした後なので、いいのですが。
小学校で必ずといっていいほど、来る質問。
その馬頭琴は幾らで買ったのか?
これは、いつもまともに答えたことがなく、まともに言っても誤解がうまれるだけなので、その度になんやかんや説明はするのだけど、今日はいいことを思いついた。
羊100頭分!!
えー!!!!
話のもっていきかたでは、ずいぶんくらいついてきて集中もするけれど、ふとした拍子に、崩れるとざわざわが止まなくなる時がある。
低学年の場合。
そんなとき、もう、ゆっくりな曲を弾くと、はっと、集中する。
今回の二年生はすごくよく聞いてくれたな。
二年生がこんなにゆっくりな短くもない曲を何曲も聞いてくれるのかな。
というくらい。
なんか、面白かった。
自分が魔法使いみたいで。笑
弓でゆっくり空気をかき混ぜると、そのゆらぎに体を預けている子供達。
馬の曲を弾いたら、嬉しくって笑っちゃってる子がたくさんいた。
なんていうか、中に1人いつもこの子面白いな。って思う子がいる。
直感丸出しで、感じがいい。
そういうこの質問はドキッとするものが多いし、私が投げかけた質問にパッといいこと言う。
そんなやりとりをしていると、子供達がもうやだ。っていうまで、やりとりしていたいくらい楽しい。
なんでもいいから、仕事先での写真を撮ろう撮ろうと思いつつ、忘れることが多いので、うちのお馬さんたち。
家を守ってます^ ^
2016
演奏会のないときは何してるんですか?
よく聞かれる質問の一つです^ ^
何もしてないときもあります。
何もしてないといったって、生きてますから、何かはしてるんですけれども。
最近は曲を作ったり、それを録音したり、演奏会の打ち合わせで外に出たり、まあこの仕事は日常も、非日常も全て線引きのないような世界であります。
そして今日はとある機関の総会で演奏。
大きな会合の席だったので、最初に市長が挨拶をしていて、袖で聞いていたのですが、貝塚の話をしていて、そういえば小学校のとき、よく近所の畑の畔で土器探しに熱中したことを思い出しました。
というか、道すがらピアニスト竹井さんに、今の市長になってから、物事が早く進むようになったよね。若いからなのかな。というような話をしていたので、ちょっと驚きました。
企業やいろんな機関の主催だと、普段全く未知な世界を垣間見れてとても楽しいです。
今回の総会は子供や家族を招いての総会で、華やかで賑やかで雰囲気があっていいなーと思いました。
今日の現場、とても楽しかったです。
よくある現場の流れじゃない流れが予期せず沢山あって、それが楽しかったのです。
そういう時に、とっさの判断とか、すごく大事だなと思います。
舞台の上ももちろんですが、それよりも、演奏以外のことで毎度、あの時ああすれば良かった。という反省をだんだん蓄積して、他の現場でだんだんうまく立ち回れるようになっていくのが、自分で楽しい。
あれは、ああして正解だったな。
とか、あれはああ言えばもっとスムーズだったね。とか、いつも竹井さんと帰り道に一通り話をするのも楽しい。
細かい話ですが、例えば会場に入るのも、ホールだとどのホールも作りは似ているので、最初に行くところ、すること、流れは知らなくてもスムーズですが、そうではない現場の場合は、まず着いていきなり、ここはどこ、担当者に無事たどり着くまで、最初にどこへ行って何をするのか、たまーに路頭に迷うこともあります。
普通こうだよなー。という考えのもと行動すると、土地柄で違うこともあったりするので、なるほどなーと思います。
逆にあらかじめ細く指示が届いていて、その通りに追うのが大変な時もあるので、何がいい悪いでもないです。
たまに変わった現場がある方が私としては面白い。
そんな時も、現場や主催や企画が変われば変わるほど、いろんなシーンやアクシデントもあるので、蓄積といっても、キリがないですが、その場で対応。が比較的向いてると思う自分。
つまり、緻密な計画ができないだけなのですが。。
だいたい、コンサートではない現場での演奏なんてハプニング続きだと、はなから思っている方が楽しいですね。
そして、袖でみていて政治家の方々の話し方というのが、とにかく声を大きく、どんな場面でも顔と名前を覚えてもらう!
みたいな気迫に納得。
主催の方が、演奏を挟むのが初の試みだったようで、それが分かっていれば、私も、ここはこうされたらどうですか?
と言えたのに。と少し反省。
ホテルの方のセッテイングと、主催の方の準備と、お客さんの入る時間と、ほぼ重なる感じになってしまっていたので、高速回転な時間の中でのセッテイング。
ツイッターで今日は地元なので時間に余裕があっていいなー。とつぶやいていた事を振り返り、思わず笑ってしまいました。
演奏の後でいろんな方に声をかけていただき、宴会の中でもよく聞いてくださった方々に感謝でした。
でも、伝わるのが音楽なのだな。と改めて思います。
そして伝わると本当に距離が縮まる。
音楽をやっていて感じる素敵なことのひとつです。
音は風や匂いのように存在そのものに働きかけてしまう。
良くも悪くも。
そしてメロディーはメッセージも伴って届く。
なのでメロディーを創るのが好きです。
好きです。といっても、駄作もたくさん出来てしまうし、お聞かせできるのはある意味本当にタイミングが揃った時に生まれたメロディーだけなのですが。
でも人との出会いやいろんな刺激から次のメロディーが生まれるので、こうしてあちらこちらで呼んでいただけるのが、自分の活動の源です。
2016
昨日の宿題なんでその質問にちゃんと答えられなかったか。
ちょっと考えてみました。
要するにすごく気になってるのです。
私自身がね。
本当は、そうだよ。この話。本当だよ。
私は信じてる。
本当はそう言いたかったんです。
なんでかというと、
自分は物心ついた頃から馬が好きだった。
理由はわかりませんでした。
恋い焦がれるほどに大好きなんだけど、同時に胸が痛い。
だから幼い頃はこっそり、よく通るお稲荷さんにそっと手を合わせて、私に馬をください。とお祈りしていました。
スーホの白い馬を2年生の時に授業で習ったときは、悲しすぎて嫌いだった。
授業中、わからないように耳を塞いでた。
すこし大きくなっても、馬が好き!って人に言えないでいた。
それさえなぜだかわからなかったのだけど。
馬と共に生きる人達のいる、モンゴルにどうしても行ってみたかった。
馬頭琴に出会ったときに、馬が付いてたから、やりたいと思った。
馬頭琴奏者になってから、再びスーホの白い馬の物語と向き合わなければいけなくなった。
なんで私はこの話が苦手なのか。
そもそもなんで馬が好きなのか。
どうして胸が痛いのだろう。
そんな想いがつのったときに、ある夢を見ました。
その馬は真っ白でたてがみとシッポは真っ黒。
その馬と共に生きている私は大きくなって、少し馬が年老いたときに、何時ものように林の中を馬に乗って走っていた。
倒木があったので、馬に飛び越えさせようとした。
少し歳とった馬は倒木につまずいた。
私は馬の背からポーンと投げ飛ばされたけど、馬があらぬ方向に倒れて、私は馬の上に落ちたので、かすり傷一つつかなかった。
でも馬は足を折った。
それから3日間、私は馬が亡くなるまで、一緒にそこにいた。
目が覚めた時、私は泣いていました。
ああそうか。だから私は馬が大好きなのに、同時に心が痛かったんだ。
だから、白馬を失ったスーホの気持ちがわかりすぎて辛かったんだ。
と思いました。
夢でしたが、なんだか胸のつかえが取れたようで、どこかさっぱりしていました。
今まで自分にとって、節目だったり、仕事をいただけた時に、馬の存在を感じることがよくありました。
なぜだろうと不思議でしたが、
私はそのお馬さんが馬頭琴と出会わせてくれたんだろうと思いました。
居なくなってしまった存在が、音楽になって戻ってきたという、私には、その物語は同時に自分の物語でもあるのです。
だから私にとってスーホの白い馬のお話は本当です。
あの男の子の疑問、それはスーホの白い馬のお話を勉強して、馬頭琴を実際にまじかで見て、音を聞いて、モンゴルの人の馬との暮らしを聞いて、本当の話だと思った。
でもあの話が本当なら、馬頭琴は馬からできてるはずなのに、シッポしか使ってないなら、あの話は本当じゃないの?
そんな真剣な問いでした。
でも本当に聞きたかったのは、たぶんスーホと白馬は本当にいて、白馬の心が馬頭琴になり、馬頭琴を弾くスーホが白馬の心を歌う。
お互いを思いやる心が作った楽器かどうかということ。
それなら、本当にそうなんです。
少なくとも私はそう思っています。
スーホの白い馬
物語には背景があります。
その物語が生まれる必然性。
だから、この物語がうまれ、語り継がれているということは、生まれた背景と育んだ背景がある。
それだけで、物語は生きているといえるし、本当か嘘かではなく、ある。
というふうに捉えていいのだと思います。
でもね、やっぱりいろいろ話しするよりも、音楽で語りたい性分なんです。
質疑応答もとても楽しいけど、曲を弾いてる時に、身体全体で聞いてくれる子供達の前で演奏するのは楽しいのです。
それだけでいい気がします。
べつにこの夢の話こそ、本当かどうかはどうでもいいのです。
これが私が持っている物語です。
そしてその物語を持つ私が弾く馬頭琴なのです。
ただそれだけのことなのでした。
2016
あー空飛んでる。
え?あ、そうだね。これは鷹の踊りだから、空飛んでるみたいだよね。
写真でよくわかったなー。流石小学校二年生の子供達。
今日は神奈川県の小学校へ。二年生60人。
前半は演奏と楽器の話中心。
後半はモンゴルのスライドショーと共に質疑応答もまぜながら。
モンゴル民謡や、モンゴルの馬頭琴楽曲を中心に演奏しますが、オリジナル曲も演奏しました。
えー自分で作ったの?すごーい!
という感想がまずくるのが面白いです。
そして今日の子供達、私のオリジナル曲、「風と空のうた」のサビの部分を一緒にハミングして歌ってくれる子がちらほら。
え、なんで知ってるのかしら?
風になって空を舞ってたら小鳥が遊びにきたみたいで演奏していて嬉しくなりました。
本当はシンプルな民謡の他にも、ピアノやリズムが入ると、またどんな風に聞こえるかというのも聞いてほしかったな〜とか、思いながら。
ある男の子が、終わり頃に、スーホのお話と馬頭琴とどっちが先に出来たんですか?
という質問をしてきた。
更にまた言い方を変えて質問をしてきて、
要するに、スーホの白い馬のお話を勉強して、今日実際に馬頭琴を聞いて、本当に知りたかったんだと思う。
馬頭琴は馬のシッポの毛しか使ってないのに、じゃあなんでスーホの白い馬の物語は出来たの?
馬頭琴を実際に聞いて、馬のリズムや、切ない音色、モンゴルの人が馬と密接な暮らしをしている話も聞いて、余計に子供の心の中で、
スーホの白い馬のお話が本当に本当の事だと思えたのだと思います。
だから余計に、じゃあスーホの白い馬のお話が先なのか?
馬頭琴が先にできたのか?
あの男の子の目は、スーホの白い馬のお話は本当で、だから馬頭琴ができたのだと、そう聞きたがっているみたいでした。
終わる間際だったこともあり、
あまりにも男の子の目が真っ直ぐで、私はちょっと問い詰められたような気もしましたし、すぐには答えられない。
でも、時間もない。で、
馬頭琴はすごく古い歴史があって、最初に楽器がどう作られたか私にもわかりません。
スーホの白い馬という民話も昔話として、代々おばあちゃんおじいちゃんから孫へと語り継がれたお話です。
どうして生まれたのか、想像してみてください。
はじめに話したように、モンゴルの人にとって馬というのは特別な存在です。
とかいうのが精いっぱい。
あー。
八王子車人形さんとのスーホの白い馬の舞台を見せてあげたいなー。
それを見て、答えがあるかはわからないけど、その子が何を感じてくれるのだろう。
最後にバイバイをする時に、その子は最後まで私に何か言いたげな目線を送っていました。
ちょっと宿題をいただいたかな。
作画 中島菫
2016
お雛飾りを今展示してるのよ〜
と電話越しで言われて、行きます!
と言った私。
お雛飾り、子供の頃お雛様飾、毎年大騒ぎして飾っていた頃から大人になってとんとご縁がなくなって以来、なぜだか急に見たくなった。
電話の声の主は墨絵画家の山鹿先生。
南房総市にギャラリーと住居がある。
何度かライブさせていただいて、すっかり山鹿先生が好きになり、こうしてライブでなくても度々おじゃましている。
近くで他のライブがあった折には、前日泊まらせてください。と厚かましいお願いの上に、そこでもライブをさせていただくなど、本当にお世話になっています。
その上なぜか、お茶をして話に花が咲いていると、この生地見て!
すごい素敵な生地をいただいたので、バラの花が描きたくなったから、墨絵で描いたのよ。
生地用のインクだから、洗っても落ちないから、衣装にしなさい。
と、そして今回はお雛飾りに友達ときゃーきゃーいいながら見ていて、三人の方が古い着物のパッチワークで作ったいろんなお雛飾り。
着物ってすごいねという話に花が咲いていると、
山鹿先生が消える。
そして再び現れると、この着物は本当にいいでしょ。
これあててごらんなさい。
衣装にぴったりね。
あげるから衣装に仕立ててもらいなさい。
と次から次へと出てくる。
でもその着物がいちいち素敵で、ちょっと見たことない感じの、ペルシャの模様のようなものだったりして、確かに素敵な衣装になりそうなものです。
包みいっぱいになって、山をおりるときには、漆塗りの木箱に宝物入れて持ち帰るような心持ち。
なんでこんなにいただいてるんだらう。。
あ、先生私、今日誕生日でした。
というと、あら、素敵。
と言ってまたかわいい包みを持ってきて、中を見てみて。かわいいフクロウがいるでしょ。
と、小さなぷっくりまん丸のフクロウをかわいい小包ごとくれました。
ご主人のおさむさんは、宮大工級の腕前をもつ大工さん。
で、海釣が大好きで、この前はムツが釣れなくて鯵を二百匹釣った。とサラッと言う。。
それから山鹿先生が二年越しで書いた三百枚になる戦国時代の挿絵。
新聞の連載小説の挿絵で、織田、豊臣、徳川の戦乱の世が舞台で、この土地の里見の一族がこの戦乱の世でどのように生きたのかという話だ。
3月13日
さとみの日
3.10.3
この日に挿絵の中から100枚を選んで展示し、小説の作者が公演をするときに、美炎さん演奏お願いしたい。ということで、去年から妙に戦国時代が気になりはじめていたので、不思議な縁だなと思いました。
今年は6月に千葉千年伝説という、やはり千葉氏の千年の歴史をテーマにしたイベントで、妙見の北斗七星をテーマにした曲を作って弾いてほしいという依頼があったので、なんだかそれとも繋がるなと思っています。
お雛飾りの中に白馬発見。
チャグチャグ馬子のような、白馬にこの色の組み合わせ。素敵だな〜
そして足繁くバラの花が咲くと持ってきてくれる近所の方のバラが、やっぱり飾ってありました。
帰る頃、山鹿先生の93になる叔母さんがやってきて、馬頭琴、あの響きは本当に神秘的ね。
いろいろ教えてくださいね。
93になるけど、何にもわからないのよ。
いろんなこと沢山やりたいんだけど、もう手が動かないの。
もうね、こうして、息吐いて、吸ってることが生きてることなのね。
だから生きてるのよ。
毎日、死んでまた朝になると生き返るの。
寝てる時には魂が抜けてあちらの世界に行ってるのよ。
この山の土地からエネルギーをいただいて、それから太陽からもいただいて、それで生きてるの。
それだけなのよ。
山鹿先生がやってきて、すごいでしょ。生きるパワースポットなのよ。おばさん。ふふっと笑う。
三月また来れるのが嬉しい。
私はこうやって私の馬頭琴の音色を好きだと言ってくれてる人に支えられて、そして私が馬頭琴を弾くことで生きている。