2016
六本木。
茂さんの棚田。
そこからできた梅平の人達の輪。
それを作った仕掛け人、ヒロクラフトの廣田さん家族。
まるまる六本木にて
展示されていました。
というより、廣田さんの長女、萌さんが作った5年間の棚田コンサートの記録が素晴らしすぎて、こりゃ私の宝物です。
棚田コンサート自体が私にはご褒美であり、初心にかえれる場所であり、人の輪や暖かさ、ふるさとを感じられる場所であり、棚田コンサートにかかわる一人一人がかけがえのない人達で、そんなことをあらためて感じられる記録になっていました。
こんな風に記録として残ると、5年前のまだいろいろ足りなかった自分をみると、この5年という月日がとても長かったような、あっという間だったような不思議な気持ちです。
このように迎えてくださる棚田での皆さんがいるから、自分なりにこたえようとしているうちに、いろいろなものが磨かれたのかもしれません。
だいたい、表現はともかく、表面が、あまりにもこだわらなさすぎて、自分でも面白い。
ショートカットだったこともあり、下手すると少年。
いえ、実際そのように間違われていましたね。化粧もしなさすぎて、今考えると舞台に立つものとして恐ろしいですが、山の中から下りてきました。という勢いで弾いてました。
それはともかく、梅平の人達の垣間見る優しさやこだわりが、実際その人の言葉でインタビューを読んでみると、より身近に感じられました。
萌さんの自由な発想と、この棚田を育む梅平で培われた自然を思う気持ちが、去年の棚田コンサートのトータルコーディネートや、梅平のおばあちゃん図鑑や、里守人のお米プロデュースや、様々なものに現れています。
これから、このデザイン力を生かして就職活動、東京を目指しているそうですが、ぜひいいご縁があるといいと思います。
この展示会にいらしたお客様のノートに、棚田コンサート行きたいです。
という感想が多く、萌ちゃんのこれもコーディネート力だなと思います。
冊子の中に登場する、里守人おじさんずのコメントも面白いし、ぐっときますが、私一番の嬉しいコメントは、何気に廣田さん次男のメイ君の、馬頭琴の音楽好き。
というコメント!
単純に嬉しい!
ますます、今年、どんなお返しができるか、これからまたより自分を磨いて、棚田へ行きたいと思います。
2016
2016
言えないことってたくさんあるんだなーと最近よく思う。
言いたいことを言うことが表現ではないんだな。
今日は二つの絵の展示を見てきましたが、まったく違うものでありながら、表現し続けることについて思わず自分のことも振り返りました。
自分の心の中にある火種のようなもの。
それがあるから続ける。
何度も見失いそうになり、何度も道をそれるのだけれど、たちかえれるのは、その火種があるから。
例えば人を喜ばしたい。とか、いろんな事が言えるし、いろんな要素を体験もするけれど、それはやはり結果であって、いいことでも悪いことでも、単に結果であって、
本当にやる理由というのは心の中の火種なんだな。
そのことを突きつけられて、良かった。
火種を自分で消さないように、どう維持し、時に炎を立ち上がらせ、時に消えない程度に鎮める。
そうやって自分の中にある火種と一生付き合うこと。
もう運命なのだと思う。それは。
今日のことは忘れない。
人はみんな違う。
私の中の火種を私の炎に。
2016
作家の田口ランディさんが3.11の慰霊祭に書いた詩。
こうふくのしま
先日のブログにて詩を紹介しましたが、作曲して馬頭琴でメロディーを弾いたのを、ランディさんがブログで紹介してくださいました。
YouTubeに素敵な動画を作ってくれたのがあります。
上記、こうふくのしまをタップしますと、その動画を見れます。
言葉がうまく話せない男性から毎日3年間、花の写真が送られてくるそうです。
そのことを綴った言葉と花のスライド写真が、馬頭琴のメロディーと合わさって、とても素敵なのでぜひ見てください。
ランディさんの詩からインスパイアされて作ったメロディー。馬頭琴で弾くと、言葉が消えてしまうのですが、私にとっては馬頭琴を弾くのは言葉で歌うことと同じ感覚があるので、ランディさんの動画に綴られたメッセージを読むと、なるほどなーと思いました。
あの日から5年。
あの日を境に、心の中にたくさんの人が抱えたもの。
2016
日比谷図書館って、日比谷公園の中にあったのかー。という初歩的な合致があって、日比谷図書館で2回ほど演奏したことを皮切りに、なぜか日比谷図書館のお向かいの帝国ホテルや、東京会館や、昨日は日比谷とは聞いていたけれど、
またもや日比谷公園の向かいだったので、この辺りの車での一方通行にも慣れました。
呼んでいただく先も、共演者も全く違うのに面白いですね。
ちょうど昨日は明日東京マラソンということで、朝一番のお堀の周りはマラソンの下見の人か、予行練習の人か、毎朝の日課で走る人とは少し違う周りをキョロキョロしながらのランナーの方がたくさんいました。
ワールド航空さんのモンゴルツアー紹介イベントでの演奏。
モンゴルアピールをいろいろしてきました。
公民館主催のレクチャーコンサートで、モンゴルの話を挟みながら演奏した時に、皆さん、モンゴルへ行きたくなりました!!
という感想がおおかったのが、私には意外だったので、少しは今回もお役に立てたでしょうか。
控え室で待っていた時に、グリーンランドやアラスカの旅行の企画があったので、あーーーいつかまた行きたいな〜と旅こごろをくすぐられていました。
ウランバートルの事も思い出したりしているうちに、
ウランバートルといえば、ボルシチが大好きなので、レストランで、ボルシチが食べられるところを探して、よく食べた事を思い出し、
ピアニスト竹井さんに、この後、ロゴスキーにボルシチを食べに行こう!と誘う。
調べたら、以前渋谷にあった昔からのロシア料理、ロゴスキーは銀座の一階に文明堂が入っている銀座通りのビルに移っていて、ここから歩いて行けることが判明!
銀座に来ると、おじいちゃんを思い出します。
本当はおじいちゃまと言わないと、おじいちゃまに怒られるんですけどね。笑
もう亡くなって数年経つので、いいかな。
一人でも、おばあちゃんと二人でも、とにかく、よく出歩いていました。今日はどこへ行ったの?と聞くと、銀ぶら。
とにっこり。
新聞を小脇に抱えて、京成電鉄にのって、銀座を散歩して、四丁目の喫茶店でサンドイッチとコーヒーを飲んで帰ってくる。
さて、ロゴスキーに辿り着き、どれも美味しそう。
ボルシチのスープも付いているビーフストロガノフのセットランチにしました。
ランチの話題を詳しく書くのも私には珍しいですが、ロシア料理となると、なぜか。
父がロシアにいたことがあるので、幼い頃よく新宿のロシア料理に行ったり、家でもボルシチやロシア紅茶を飲んでいたり、ロシアの絵本がたくさん家にあったので、なんだかロシアは行ったことないのに懐かしい気がします。
ちょっとロゴスキーさんのビーフストロガノフランチを。
竹井さんの石垣島お土産黒猫さんが写り込んでました。
ちょうどどんかぶりしてますが、キノコのフェンネルとレモンと玉ねぎを和えたものが美味しかった。
暖かいパンについてくる、胡桃のバターも。
ボルシチって美味しいね!ぼるでいっくシチューの略だと思ってた。と相変わらず不思議な事を言っておられました。
竹井さんが、トマトでボルシチつくったんだけど、こういう風にならなかったなー。
というので、それはトマトスープができたんじゃないの。
と返しておきました。
その後で、うちの母がボルシチ作った時期が昔あったんだけど、あれは絶対ボルシチじゃなかった。
と言っていたので、じゃあ、竹井さんのせいじゃないね。笑
前菜とボルシチで満足してしまったので、ビーフストロガノフが入るか不安でしたが
ご飯はほんの少しで、マッシュポテトが添えられていました。
そりゃロシアでは黒パンと食べるのでしょうね。
ふと、ストロガノフの意味が知りたくなり、調べたら、
ロシア語では、ベフストロガノフといい、ベフはビーフの意味ではなく、〜流という意味で、
どうも貴族のストロガノフ爺さんが、歯が抜けて、大好物のビーフステーキが食べれなくなったので、ビーフを細かくして柔らかく煮たのがはじまりらしいです。
〆はもちろん
寒い時期にボルシチもロシア紅茶もあったまりますね〜。
と、優雅な昼を過ごしたのち、一路成田のホテルへ。
労働組合の10周年記念の席で頭に、サプライズで3曲ほど弾いてほしいというご依頼でした。
地元を通り抜け、ホテルの部屋でとりあえず、竹井さんと昼寝。
夫婦で一つベッドに寝るのはやだけど、女友達とならいいよねー。と竹井さん。笑
演奏の後もパーティーに参加させていただき、楽しく過ごしました。
やはり議員さん挨拶もあり、実は以前のコンサートで数度お会いしている議員さんが声をかけてきて、サプライズ演奏だったので、お互い知らずに驚きました。
帰り道、竹井さんに、地元にわりと近いエリアだったから、どうして私はMCで、近くから来ました。って言い忘れたんだろう。。
と話していて、あ、今朝日比谷の大都会から成田に来たからすっかり、忘れてたんだ!
と、私って、単純ですよ。はてしなく。