
2014
本日は昔の着物をドレスにデザインする小林栄子先生のところへ
棚田コンサートでお披露目します衣装のうけとりに。
すごい。存在感が違うな。この衣装を着るとすごく軽いのに着ていないのとは明らかに違う、守られているような、不思議な感覚。この衣装で馬頭琴を奏でて棚田に吹く風とどのような模様を描き出すのだろう。とても楽しみです。
昨日の古柳さんと語ったことと、今日小林先生と語ったことと、チームであっても一人であっても大事なのは和の心を理解して表現すること。
それは日本の形ある伝統という意味での和でもあるわけですが、それよりも心としての和。
協調やハーモニー。
ちょうど昨日古柳さんとネイティヴアメリカンのホワイトバッファローの伝説の話をした時に、調和、ハーモニーで世の中を形作ること。というメッセージ。そのまま和の心でもある。
異質なものも外来のものも取り入れ調和させる。それは古くから日本が得意にしてきたこと。
和を伝える古柳さんにしても小林先生にしても、私はモンゴルの民族楽器である馬頭琴を使うわけなので、絡むのが難しいとか、文化が違いすぎるとか、筋が通っていないとか、ありますけれど。笑
もともとそんな風にいろいろなものの混ぜ合わせが見事に調和しているからこそ日本らしいものが受け継がれて形になっているのかもしれません。
ふと電車の通り道でもあったのでお不動さんのお護摩たきに。
太鼓の腹に響く音はお不動さんで聞くと、断ち切る。そんな風に感じます。
小林先生から面白い話を聞きました。和の庭園を世界中でも作る方が、小林先生に、好きでやってない。好きでやってたら没頭しすぎて埋没してしまう。冷静に、客観的に見れなくなると。
そういうことはあるなー。と自分を振り返る。自分よがりにならないこと。そういうものを断ち切る音が、腹に響くのですが、同時に優しいのです。
ふと思いたって、受け取った衣装をお護摩にかざしていただきました。
小林先生が、この衣装は大正、昭和、現代の3つの布を使っているのよ。その時代を生きた女性が何かのお祝いでその柄をオーダーし、しげるさんが代々受け継いだ棚田という舞台で再生する。
2014
今日は馬の話をあちこちでたくさん話した気がします。
午前中は千葉日報さんの取材で、はじめは普通に馬頭琴を何故はじめたのかというようなものだったのが、
チャリティーCDの話から震災の話になり、そこから話はいろいろなところへ。
千葉の人達が震災でとにかくどこかに手伝いにいこうと、とりあえず決めたのが相馬。いってみたら相馬の人達が本家が助けに来てくれたと大歓迎。千葉の人達はなぜか理由がわからず。
相馬の人達によれば、その昔千葉の千葉氏が馬をたくさんもっていた。千葉は松戸や八街、富里など、野生の馬を追い込む地域で、その馬を放牧していた地でもある。
そしてその馬を戦にたくさん提供したので新しく土地をもらいうけたのがあちこちにあるらしいのだが、その一つが相馬。千葉氏の子孫がたくさん移り住んで相馬に根を下ろしていた。相馬の馬追い祭りはその千葉氏ゆかりのものだという。
馬好きのため、相馬の馬追い祭りはいつか見てみたいと思っていたら、千葉とそんなゆかりがあるんですね。ちなみに今度津軽三味線とのコンサートでは相馬節も津軽三味線と馬頭琴のデュオでやります。
ということでなんだか、相馬とのご縁がある気がします。
午後は車をすっ飛ばして八王子の車人形さんの稽古場へ。
前回、車人形の五代目西川古柳さんの公演を見に行って終演後、お会いしたらば、あーその顔はなんか企んでるでしょ!と言われました。笑
実を言うとあの時点では企んでなくて、やりたいな〜という淡い想いだったのですが、古柳さんがいたずらっぽい目でニヤリと言ったので、あ、企んでいいんだ!と思ってしまいました。
ということで企んで持ち込みました。
古柳さんはあさってからメキシコ公演だというのに。話してるそばからそれを汲み取るのと展開させるスピードが速い速い。
そんなにいとも簡単に決めていいんですか?と気持ち良くなるくらいです。
でもこの感覚が舞台づくりに生きてくるんですよね。先日市川染五郎さんと急にやることになって半分しか内容知らないのに舞台に出た話を聞きました。終わり方知らないってすごすぎる。芝居で。笑
この舞台にかかせないもう一つの人材探しはこれからです。
写真は先日おとなの日経OFFという雑誌に古柳さんが掲載されていたので持っていってサインなんかしてもらいました。サインなんかしてどうすんのよ〜?慣れてないよこんなの。と笑いながらしてくれました。笑
2014
嵐の今朝、この真っ只中を会いに行くことになったんだから、嵐を呼ぶ女性だわ。などと思いながら、車で東京へ。
東京に着く頃にはすっかり晴れ、富士山がやたらにきれいなのと、隣の車線の車が横転していて渋滞になっているのと見ながら東京に着いた頃には風も収まり晴れ。
彼女とは数年前に九州のコンサートの時に聞きにいらしていて、お会いしたのだけれどその時は確かエッセイスト。
いつの間にか企業コンサルタントになっていて⁇と言葉自体についていってなかった私が、この一年ほど彼女に会いたいと思うようになり、まあ忙しく飛び回っていて講演やら、取材やら、コンサルタントも順番待ちの大人気。
いつ会えるかなーと思っていたところに昨晩、東京に来て嵐で帰れなくなったから、誰かお茶しませんか?というメッセージ。
する!と立候補したら、懐かしがってくれて、会える事になった。
で、コンサルタントってどういう仕事でなぜそれをやることになったの?などという質問に真剣にいろいろ答えていただき、音楽家といえども、マネージャーもいるし起業家に近い何かがある気がするので話にくいついていきながら、だんだんこの嵐の日に会うことになった事が腑に落ちてきた。
私の作品の中に、「龍は嵐を呼んで天に昇る」という題名の曲があってこの曲をとても気に入ってくださる方がけっこういるのですが、この曲の題名である言葉は、龍が嵐を待って天に昇るのではなく、自ら嵐を呼び天に昇る。
つまり、状況がないからといって待ったり諦めたりするのではなく、自らその状況を、作り出していく。そういう主体的な言葉。
そして私の父が好きな言葉であり、私自身も状況のせいにしてはいけない、そして無ければ自分で作り出せばいい。という言葉が、大変というよりはとても希望に満ちた言葉であるように感じて好きな言葉なのだ。
それをつまり彼女に感じたわけで、あー嵐を呼ぶ龍は女性だったのだわ。と思ったのです。
2014
空は真っ白なある意味眩しい空模様。
山の上のマザー牧場、お客さんは前回より少ないかと思いましたが、マザー牧場すごいなー朝9時なのにたくさんのお客さんが山の上に集まってくる。
お昼の演奏の時には司会の普段、アヒルの行進やひつじの毛刈りショーの司会をテンション高くやるお兄さんが、アゲアゲの前振りとしっとり系とどちらがいいでしょうか?と選ばせてくれたので、アゲアゲのをチョイス。狙い通り、それでは、みほさんどうぞっ!!!
と手を上げて去っていった後でしっとり入りました。笑
お兄さん、しまったー。と思ったみたいでごめんなさい。でも狙い通りです。
そしてそのお兄さんの威力か、まさにどうぞ!!の時に雲間から一気に光がさして空が明るくなり、今日は前回より眩しくないからやりやすいね。などとギターのなりさんと悠長に言っていたのが、しっかり明るい日差しのなかの演奏になりました。
でも爽やかな秋の風と、眼下に広がる山並みの眺めと、手作りソーセージを焼く煙の匂いと、本格ドイツビールを飲む人達と、風景は変わらず心地よいです。
中国から来ていたお客さんがCDを買ってくれたりして、片言の中国語会話をし、二回目の演奏の時にはだんだん陽も少し傾いて、金色の光がきれいでした。
なりさんと空間を意識した音楽を録音しようという話で盛り上がり、素敵なお店でかかるような音作りしたいねという話から、軽井沢なんかいいなーと思いました。音楽をその場で作って録音するのにいい場所を探してみようと思います。
終わってからマザー牧場さんの美味しいソーセージをご馳走になりました。
また11月に二回マザー牧場にてライブあります♪
2014
今朝はハワイの100パーセントコナコーヒーが飲めるお店で一服。
コーヒーはもともとブラックで飲んでいましたが、本当の美味しさに目覚めたのは、友人がハワイのコナへ行った帰りにうちに寄ってくれたのがきっかけ。
彼は親戚でもありますが、なかなかに面白い。学校は小学生の時から自分の意思で行かず、絵を描くのが好きで、なかなか面白い感性の絵を描くのですが、私がホワイトバッファローの作品を作った時にチラシ用に素敵な絵を描いてくれました。
彼が14歳くらいの時に一緒にモンゴルに連れて行って、なんか一皮むけたよう。それから海外に一人旅に出る事が増えてアラスカへ行った時に出来たご縁でハワイ島のコナのコーヒーの自然農園で収穫を手伝って、その帰りに自分で収穫して焙煎したコナコーヒーをお土産にくれたのです。
自然農園だから、コーヒーの木の間にアボカドやら果物の木があったりして、それが熟れるのを小動物ととりっこしながらの生活だったよう。売り物にならない不揃いの豆を焙煎して持って来てくれました。
それをありがたく挽いて、美味しい入れ方のコツとかあんまり知らなかったのですが、きっとこんな感じというところでもって、一番美味しくはいるように念じながら。笑
いれて飲んでみたら、なんですかこのなんの抵抗も違和感もなくすーーーっと身体に入っていく心地よさは!
パワードリンクだ。これはなんていうか、もうありがたいお飲物。これを独り占めしちゃいかんと、コーヒーといれる道具一式持って、三軒くらいまわっていれて一緒に飲んだかな〜。
彼と彼のおばあちゃん。私の大叔母の所に遠出して、彼からハワイ島での暮らしぶりや、イルカたちと葉っぱをボールに見立てて一緒に遊んだ話や、面白い方法で絵を描く人に出会い、描いてきた絵をみたり、そしてみんなで見守りながら、貴重な豆を挽いていれて飲んだその時間が、いま思い出しても、狭い部屋がハワイの空気で満たされていたなーと思うのです。それから数年して大叔母は亡くなったから、あの時間が持てて本当に良かったなと思うのです。
コーヒー一杯のお話でした。