馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 ポラリス・プロジェクト- 2016/05/20 -

Category : BLOG

ポラリス

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何かを見失ったとき、心は迷います。

広い世界にたった一人に置き去りにされてしまったかのような不安と恐怖と悲しみ。

何を頼りにしたらいいのか、わからなくなった時も、北極星はずっとそこにいます。

馬頭琴美炎トリオは以前コンサートに呼んでいただいた熊本に、来年春のさくら祭り出演の為、震災直前に作曲したポラリス(北極星)の曲のイメージを、美炎とのコラボレーションは3度目になる中島菫がデザイン、ステッカーを製作します。

ステッカー販売の売り上げをその渡航費にあてます。

主にライブ会場での販売になります。

ご協力よろしくお願いします。

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「ポラリス」

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もう千年、そしてまた千年。

広大なひろがりの星座の網にゆられて

時がむこうからやってくる。

うちよせられた、そのはざまで、

おわりではない、

それははじまりだとポラリスが言う。

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もう迷わない。

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出ていこう。

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その幾重にも重なる星座の網の暗がりの中へ。

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ポラリスをめざして。

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美炎

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作曲 美炎

馬頭琴美炎
キーボード・編曲 竹井美子

ドラム 前田仁

録音 ・ 〜〜芦谷穂高

画 中島菫

ポラリスの下記ステッカーは、ライブや手渡しでの販売予定です。

ぜひライブにお越しの際はご協力よろしくお願いします。

  

 

 馬頭琴✖️ドラム- 2016/05/18 -

Category : BLOG

馬頭琴✖️ドラム

この沢山の馬が大草原を走る曲、モンゴルでは馬頭琴沢山で弾くことがよくありますし、元々はピアノ伴奏がついていて、モンゴルでは揚琴やアコーディオンで伴奏する事も多いです。

ピアノ伴奏は馬頭琴の音に沿って工夫されていて、掛け合いが面白いのですが、それを今回はドラムで表現してもらいました。(と簡単に言いますが、難しいことにチャレンジしていただいたと思います。)

パーカッションやドラムが大編成で入ることはありますが、馬頭琴とドラムのデュオは珍しいと思い、やってみました^ ^

馬頭琴の輪郭がはっきりすることと、ドラムのリズムが風のようだったり、沢山の馬の走る足並みになって、心地よいです。

馬頭琴 美炎

ドラム 前田仁

録音撮影 芦谷穂高

「万馬の轟」チ・ボラグ作曲

ここだけの話ですが(小声)

動画をとるかもしれないので、衣装ぽいの持ってきてもらえますか?

とお願いしていましたが、当日、

美炎さんすみません。衣装準備してたのに忘れました。

( ̄▽ ̄)

前田さんコンタクトは?

すみません忘れました。

( ̄▽ ̄)

前髪が面白くなっているのはワザとですか?

寝癖です。

( ̄▽ ̄)

一緒に来ていたピアノの竹井さんが、大丈夫。ドラムがカッコいいから、気にならない。と励ましてました。

録音に協力してくれた従兄弟の穂高くん。

万馬の轟は遊びでとってみましたが、ポラリスの新曲の録音に今回は来ました。

6月頭には皆さんに改めてポラリスを紹介したいと思います。

同時に一つポラリスに関するプロジェクトをすすめていまして、形になりましたら、そちらも紹介させていただきたいと思っています^ ^
↓こちらタップでYouTubeご覧ください♪

馬頭琴✖️ドラム・万馬の轟

 ドア- 2016/05/17 -

Category : BLOG

ドア

よんでいるのはだれですか。

私の心の奥のほう。

ドアをたたいているのはだれですか。
なんだかここちよくてねてしまいそうになるときもありますが、
こんこんひびいているうちに涙があふれるときもあります。
音がひびかないようにふさいでしまおうかと思うこともありますが、
例えふさいでしまっても、

あなたはずっとそこにいる。
ドアをあけたら再びあなたにであえるのでしょうか。

それともまぼろしなのでしょうか。
だからまだ、ドアはあけません。

ときには、子守唄にして、

ときには、ひびが入りそうになっても
わたしはこうして、ドアをたたく音をきいています。

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 はみだす勇気- 2016/05/16 -

Category : BLOG

放置プレイ。

先日ギターのナリさんとマザー牧場今季最後の演奏の合間にまたまた話が弾んでしまい、はっと時計を見ると五分前。あわてました。

ナリさんが、何という質問をしたのか忘れましたが、答えているうちに、私は親にどう育てられたのかという話題に。

ついこの前の山形でもなぜかその話題になり、母校の学園で、親の顔が見てみたい。と何度言われたか。というおっかない話と、私の母もまた、どうやって育てたらああなるのかよく聞かれるという話を聞き、ああなるのか、とはどういう意味なのか私が逆に質問したいところです。

ただ、その話題の中で母が、とある人に私の幼少期をとても心配されて、もっとちゃんと躾けるべきじゃないのか小言をよく言われたけど、そうしなかった。

という話がありました。

その後私は少し大きくなった時に、この事で少し苦労しました。

こうするべき。というのが割と欠けていたからだと思います。

まあでもそこは、こうすると怒られる。こうすると嫌がられる。という実際の体験を通して、学ぶことになるので、若干痛い目にはあいますが、その方が学びとしては効率いいのではないかとも思います。

そして、私にとって大切なのは、こうするのは、人が嫌がるかもしれないから、こうする。

という順序があることで、そことは別にしっかりと、でも私がしたいのは、こうだ。

というのがはっきり自分で分かっていることです。

私の子供時代は、父は仕事で日本中旅していましたから数週間家を空けることは多く、たまに会うと、本屋で好きな本を好きなだけ買ってくれる。

それと、美炎子は今何が好きなの?何に興味あるの?という話題を振られる。

答えたことに関して、ただニコニコと聞いている。

私が何か質問すると、逆にあなたはどう思うのか?どう考えるのか?聞かれる。

その答えは否定されることはなく、答えがどんどん展開していくように、今思えば、導かれる。

父に関しての子供時代の自分との関わりは以上3点。

私の学校の通知表を一度も見たことはなく、行事にも一切参加したことのない父。

それが父の一貫した考えのもとの一つのあらわれだろうというのは、何となく感じていたので特になんとも思わなかった。

母は、勉強や活動で忙しく、都内に行くときは、私をサンシャインの水族館に連れて行き、そこにお留守番させる。

私は数時間そこで過ごす。

あとは本屋か公園で数時間過ごす。

そんなことが多かった。

寂しいとおもったことはなく、逆に喜んでその時間を過ごしていました。

いつのまにか、子供、大人に関わらず、お友達をその場でつくり、お世話になる。

やりたいことはとりあえず何でもやらせてもらえた。

それは非常に恵まれていたと思います。

長続きしないから、どうせ練習しないから、と頭から反対されることは一度もありませんでした。

自由奔放に育つとどうなるかというと、そうはいかない枠に入った時に、非常に苦しみます。

逆に、人に迷惑をかけないようにと厳しく育てられた人は、このような枠の中で割と楽にいられるのではないかと思います。

母はある意味実験していたのだと思います。

自由奔放に育てたらどうなるのか。

私としては自由奔放というなら、いっそ山の中で育てて欲しかったという気がありますが、そこは、高校時代を山奥の寮生活を選んだことである程度満たされます。

中学時代、私は反抗期で、家にいない父を相手ではなく、母に一切口をきかない。

という手段にでました。

反抗期とはなんだろうかと考えると、結局は、小さい頃というのは親は絶対ですから、いくら自由奔放とはいっても、そこには母の思惑があった。

小さい頃は実は頭で理解してなくても、親の思惑というのを、嫌という程分かっているのだと思います。

感覚で。

認められたいから、親の通りに生きようとする部分が少なからずあるように思います。

もちろん日々、駄々をこねたり、反発したり、いたずらをしたりして、ハミ出そうとするのですが、所詮幼いのでうまくいかない。

中学くらいになると、親が人間だということがわかってくる。

そうすると、なんなの一体?なぜ今まで私は親に操作されなくてはいけなかったのか。

というところで、いままでの仕返しをしてるんだと思います。

子供の反抗はいつでも正しいと私は思います。

親は知らず知らず、子供のためを思うあまり、そこに、自分の願望を込めている。

子供はそのいいなりに少しでもなってしまっていた自分に腹が立ち、親に腹が立つんだとおもいます。

だから、とてもいい過程だと思います。

そこで精算されるのですから。

そこで精算がうまくいかなかったら、あとは大人になって自分自身が苦しむことになってしまう。

相手になるはずの親はもう年老いている。

自分一人で自分を相手に精算しないといけなくなるのだと思います。

だからそれを考えたら、反抗期の子供をもつ親は、パンチを受ける器になってあげるのは仕方ない。じゃないと、自分自身にパンチをするようになってしまうからだと思います。

ある程度子供はほっとくのがいいと思います。

じゃないと、親の思惑が強くなってしまう。

ほっとくと、意図していない意図が自然とその人に関われる余地が生まれる。

親オンリーだと、親の雛形ができるだけです。

それだと面白くない。

とまあ、偉そうに書いてしまいましたが、教育は教科の勉強だというのはほんの小さな事で、なんとかうまく人生を生きて欲しい。と願うと、いつのまにか社会に適応する社会のための人材を育ててしまう。

そうではなくて、その人そのものが、本当はなにを望み、その望みをあるいは探せること、追い続けられること。

それが結局は幸せを求めることなのではないかと最近思います。

親はそれを勇気付けてあげるだけでいいんではないか。

何か社会から外れてしまった子供をこのままではちゃんと生きていけないんではないかという不安から、元に戻すのは、せっかく外れるという行為で自分を探しはじめているのに、余計なお世話になるばかりです。

親というのはとかく余計なお世話をしがち。

それも自分が大人になって振り返ればありがたかったな。と思えることもあるかもしれませんが、ほとんどの場合、余計なお世話であると思います。

子供がもっともっとのびのび生きられる社会になったらいいなとおもいます。

みんな違う。それがはっきりわかる、味わえる、十人十色の方が世界は美しいからです。

人の色に社会の色に染まってしまっても、いくらでも気付いた時から自分の色を模索することはできる。

  

 美しい人- 2016/05/08 -

Category : BLOG

おばあちゃんが集まる家。

山形の母校の裏に家があって、一年に一度は泊まりに行く。

山の中。

連休になると、地元のおばあちゃんとか、元この辺りに住んでいたおばあちゃんとか、もちろんおばあちゃん以外の人も集まるけど、昔話をしに来る。

山菜が自動的にあちこちから集まってくる。

そしてお台所でおばあちゃん達が腕を振るう。

連日山菜パーティー。

今回のおばあちゃんの中には、もとここの料理屋のオーナー、つまりプロがいて、煮物や天ぷらが、絶品。

もう一人は絶対に捨てないことに命をかけている(娘さん談)おばあちゃん。

お茶がらは佃煮になり、リンゴの皮はジャムになり、とにかく、細かく刻んだあらゆる小皿料理が並ぶのだけど、食べてみるととても美味しい。

これは何?ときくと、うどの皮。とか、大根の茎の麹和え。とか、ふきのとうの花の佃煮とか。

何となくこの山菜パーティーに毎日違う人たちが惹きつけられてきて、違う輪ができる。

でも皆母校の独立学園の関係者なので自然と学園の話になる。

親戚が東京から学園の古い先生に東京の手土産を持って挨拶に行った。

ものすごーく腰の低い先生なのだが、どうぞつまらないものですが。と菓子折りを渡すと、

いえいえとんでもございません。どうぞこんな立派なものいただけません。どうぞ東京にお持ち帰りください。

というやり取りを経て、なんとか強引に置いてきたらしい。

東京にお持ち帰りくださいと言われてもねー。とみんなで笑っていると、

その日の夕食に先生がみえた。そして楽しくたべたあとに、なんとその菓子折りを、本当にいただけませんから、どうぞお持ち帰りください。と置いていったと。

朝になって、その先生が、忘れ物を取りにみえた。

私が布団から飛び起きて、その菓子折りをつかみ、先生!これはぜひとももらってください。

と、渡すと、あら、じゃあいただいていきましょうか。と持って帰ってくれた。

みんなで、美炎ちゃんよく気がついたわねー!良かった良かったと言っていたら、菓子折りを東京から持ってきた親戚が、あら?なんだか私、金魚を預かってもらってる人にね、山形のお菓子をあげようと思って

こっちで買った山形のお菓子がね、ないの。

あら!そうだわ。私先生に間違えて山形のお菓子を渡してたんだわ!

あら大変。というので、先生に電話して、その菓子折りを戻してもらい、東京の菓子折りを無事引き取ってもらった。という、

まるでサザエさんのようなやり取り。

空いた時間にその親戚と部屋の整理をした。

なんと2年もその部屋の鍵が見当たらなくて、開かずの部屋になっていたという。

その親戚のおばあちゃんが、つまりその方も親戚となる訳だが、学園で100歳まで書道の先生をしていた。

その作品がたくさんその部屋には眠っている。

開かずの部屋にはもちろんヘックがたくさん。

カメムシの通称。

そのヘックを踏まないように、あれこれ整理する。

懐かしい書も沢山あったし、見たことないのも沢山あった。

これが、どうにも管理しきれないというので、来年あたりに学園で展示会をしたら、欲しい人にそれぞれ引き取ってもらおうかしら。

と言っていた。

これらを一つ所に常設展示ができないのはもったいない話ではあるが、それを叶えるのは大変なことなのだろうな。

  
ことば

すなわち

うめ

  
光の中へ

さらばさらば

百才梅

私は高校一年生の時にこの、梅子先生が亡くなったのだが、以前千葉の私の実家に来た時に、炎という字や風という字をかいてもらったことがあった。

今回

という字をもらった。

この書には、美しい人華子先生へと書かれている。

華子先生は音楽教師で創立当初から学園にいる。私のおじいちゃんの妹だ。

華子先生から、自分の姉二人は本当に美人で、ひっきりなしに男の人から手紙が来たり、すごかったのよ。でも私だけ美人ではなくて本当に若い頃はそれがコンプレックスでね。

とよく話してくれた。

でも亡くなった夫の忠雄先生にであって、全然かっこよくないから、がっかりしたんだけど、兄が、華子、こんなに素敵な人はどこを探してもいないぞ。と言われてね。忠男さんは本当に真面目で素敵な人で、それから自分のコンプレックスが無くなったのよ。と何度も聞いた話。

忠男おじちゃんのお母さんの梅子先生。

その嫁姑のやり取りの話も、完璧主義だったお義母さんと、どちらかというのんびりマイペースの華子おばちゃん。

そりがあわなくて、いろいろ大変だったあるひ、梅子先生が、私が悪うございました。

と華子おばちゃんにいったことから、本当に仲良しになった2人。

最晩年の頃、その華子おばちゃんに送った梅子先生の書。
美しい人華子先生へ

華子先生へなんて書いてある書なんて誰もいらないでしょ。だからね、美炎ちゃん良かったらもらって。

美炎の美の字だしね。

美しく炎のようにと名付けられた名前。

舞台に立ち、人前に出るようになってから、美しく。という事を意識するようになった。(それもかなり後になってからですが( ̄▽ ̄))

衣装や化粧、アクセサリーや靴、揃え出したらきりがない。

できることはなんでもやろうという姿勢でいると、ふとやりすぎる事があるかもしれない。

美しいとは何か。
毎度山形へ来ると、音楽の姿勢に関して初心に戻る。

そんな場所があることに改めてありがとう。

帰るときに学園の方から車で通る。

どう見ても学園から離れた場所に学園で飼ってる子牛が三頭フラフラしてる。

車でゆっくり牛舎の方に追い立てながら牛舎までたどり着く。

見渡しても誰もいないと思ったら、草原に畜産のナオキ先生がのんびり読書してた。

せんせー!子牛が三頭フラフラしてたから、戻しましたよー。

というと、あらあら!美炎子さん!ありがとうございます!ちょっと見てこなくちゃ。と向こうへ走って行きました^ ^

  

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