2019
他には誰も渡らない踏切を渡って熊笹が迫る白樺の林の中の砂利道をうねうねと抜けて、たどり着いた牧場。
牧場とは言っても、見慣れた広々とした牧場というよりは、小さな丘や小川や林に囲まれたプライベートな空間。
そして朽ちていく途中のような山小屋。
鹿の角と木彫りのクマの顔が戸口にかかっている。
中を覗くと沢山の木彫りのクマ。
一年前に90歳で亡くなったおじいさんの牧場。
元寒立馬のフウ、シバ、ハルを連れてこの北海道白老町に移住した菊地さんがこの牧場を借りて馬達を放している。
湧き水が勢いよく吹き出している。
小屋の中には菊地さんの馬の鞍もあり、ここに住み着いている黒猫が屋根裏から顔を出している。
もう誰も用が無くなってしまったような牧場に、菊地さんはまるで呼ばれたかのように繋がって、それは三頭の馬がこの素敵な地に導いてくれたような気さえする。
私達もまたこの三頭に惹きつけられて、ここにきた。
おじいさんの沢山の木彫りの人形も捨てられてしまう憂き目に遭うところだったのを
菊地さんが今年オープンさせたゲストハウスのあちこちに飾られている。
久しぶりに見る寒立馬。
大きいなぁ。やっぱり。
ふと日が傾いてきて柔らかい光になったので、シバと写真を撮ってもらう。
楽器を持ってシバの周りをウロウロしているとシバも楽器とその音に興味を示したようだ。
絡んでるうちに心が喜びに満たされて、なんともいえず癒されていくのが分かる。
馬に癒されるってこういう事か。
今までは好き!嬉しい!って気持ちが先にたって、そんな気持ちにあえて気づかなかったのかな。
心がどうも疲れていたようだと気づく。
私、馬にあえてよかった。
北の大地へ。
船に揺られて。
旅の予感にわくわくしながら、でもお腹はしくしく。
そう。千葉住みのわたくし。
この台風の停電で冷蔵庫がやられ、実家の母は腹が強く、ぬるい冷蔵庫の中の牛乳を使ったフレンチトーストを作ってくれたのが、どうもそれにあたったようだ。
千葉の災害に悲しみと怒りが私のお腹を渦巻いてもいたようで。
それで波のようにお腹がキューとなるのに合わせて船の上でも、キューとなりながらも、とことん寝て。
起きたら北海道。
思ったより寒くないというかむしろ暑い。
さっそく白老のゲストハウスHaku Hostel &cafe barへ。
三年ほど前に遠野に呼ばれてコンサートした時、お世話になった、元寒立馬のフウ、ハル、シバのお父さん。
菊地さん。
馬を連れて北海道に移住。
その様子を写真で見ていて、いつかいきたいな〜と夢みていた。
その日1日、次の日もうっとりと優しい目と顔を思い出していた。
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白老のゲストハウスHaku hostel&cafe +bar
フウ、ハル、シバの三頭の馬の牧場の絵が描かれたお部屋に宿泊。
シバ。
音を出したらとても興味を示す。
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牧場にあるおじいさんの小屋。
どこも絵になる。
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上は取り壊した家の二階から沢山出てきたおじいさんの木彫りの人形と馬の鞍。
下はその一部をゲストハウスのcafeで展示中。
シバと私。
菊池さんが撮ってくれたもの。
日高へ。
日高町の高校に携わる高橋さんが今回北海道へと呼んでくれた。
栃木県那珂川町の山の棚田コンサートの主催の廣田さん夫妻と旧知の仲で、廣田さんを訪ねた折に、棚田コンサートのポスターを街中で見たのがはじまり。
それならぜひ今回のツアーに廣田さん夫妻も誘いたかった。
以前遠野でのコンサートの時も車を走らせ来てくれた。
素敵な景色に出会うときに、自分の好きな人達と一緒だと感動が膨らむ。
日高でまず高校生達に事前レクチャーをしてその日は就寝。
次の日の午前中は馬の牧場へ連れて行ってくれるらしかった。
日高は馬産地で競馬馬を産出しているイメージだったので、連れて行ってもらう牧場は広大な敷地に点々と小さく散らばるサラブレッドを想像していたし、なんとなく柵越に近寄ってくるお馬さんとの対面を想像していた。
モンゴルの小柄な馬やら、寒立馬や道産子のような足もお腹も太い馬が好きなので、サラブレッドの神経質そうな、また足が細くて転んだら骨折るんじゃないかとか余計な心配をしてしまう。
ところが車は山道をいく。
最後の坂上がれるかな〜って言いながら。
まだ着かない。
途中で諦めて帰る人がいるみたいですね。って話してる。
最後の坂をぐいーーっと登って着いた。
馬達は厩舎にいない。
32歳だという純潔のアラブ馬のおばあさんがいた。
馬達どこにいるかなーって山の斜面がいくつかあって、どこかに自由に出てるらしい。
まあ朝出して夕方戻る。
柵がないんだよね。
広大すぎて作るの諦めたらしいの。
朝あっちにいたからあっちだと思うと言われて斜面を登っていく。
しばらく登るとちらほらいる。
小柄でカーブが美しくてしっぽがクイって上に上がってる。
これは、これは大好きな映画ベンハーのアラブ馬ではないか。
こんな夢見たいな美しい馬が目の前に沢山いてどうしよう。どうしよう。
そしたらここのお父さんが、馬達が走るところを見せてあげると言って追い立て始めた。
馬達はもうかえるの?
え?なんで?
って感じだったが、やがて勢いを増して山の下ではかなり迫力ある映像が撮れた。
自由にしている馬達。 自由に乗らせてくれる牧場。
もう絶対にここに乗りにくる。 そう何度も思う。
馬貯金しなきゃ。
何月がいいかな。とか頭の中はそればかり。
それでもうっとりと馬欲を満たして、夜のコンサート。
その井上牧場のお父さんお母さん、スタッフの人達も一番前で聞いてくれている。
いろんな曲の中で、馬の美しさ優しさ、力強さが溢れてくるのを感じる。
北海道に着いたばかりの廣田さん家族も、早速この日高へ呼んでくれた高橋さんに連れられてアラブ馬の牧場へ行ってきたようだ。
そして、皆もう厩舎に戻ってきていたので、明日の朝5時に来たら馬たちが一斉に山に駆けていくのが見れるよと言われて、行くというので即座に私も行きます!と。
前の晩はわくわくしてなかなか寝られないし、次の日の朝は4時には目がさめるし、遠足に行くのを楽しみにしすぎる子供のような状態。
この時期の山の上の気候は寒い。
なるべく着込んで出る。
廣田さん達が宿に迎えに来てくれてレンタカーに乗り合わせて向かう。
井上牧場のお父さんが、昨日のコンサートありがとうございました。
あの音は一生忘れません。
と言ってくれて、ああまたもや馬好きの人と音楽を通して通じ合えた喜びを噛みしめる。
(馬ばか)
馬達は厩舎を出て、両サイドの山、どちらへも行ける。
ところが毎日必ず昨日と違う方向へ行くという。
昨日の疾走シーンを思い出して、わくわくしながら馬達を待つ。
が、ちらほら出てきた馬達は、あら?今日は誰かいるの?
そこに気をとられたのかは分からないが、うろうろと庭先の草を食べはじめてしまい、一向に山へ行かない。
次々出てくる馬達も、その辺の草を熱心に食べはじめてしまう。
お父さんもお母さんも、あらあらあらという感じに、「やま!やま!やま!」と叫びながら山の方へ追い立てる。
その様子が微笑ましくてにやにやしてしまう。
やがて馬達は山を選んだようだ。
一斉に向かいだしたのでついていく。
芦毛の仔馬がなんとも可愛い。
馬がどんなに好きといってもムツゴロウさんではないし、それなりに噛まれたり蹴られたり痛い思いをするのは嫌だし、怖いので、柵がないならば知らない馬には馴れ馴れしく近づかない私だが、
飼い主の人がOKしてくれたら、よしとばかりに近づく。
白老のフウ、シバ、ハルもそうだが、この子達は人を蹴らないよ。
ということで遠慮なくスキンシップ。
それでもこんなに沢山いるから性格も様々だろうしな〜と最初は用心もしていたが、どうやら本当に平気なようだとわかると、とにかくビクビクしないですっかり馬の中に、うっとりとして存在できることが幸せで仕方ない。
悪気がなく服を噛んで引っ張る馬もいるが、そんな様子も全然ないので、そこにいて向こうから近づいてくると、そのまま鼻面でごつんこ。
ごつんこすると、それが挨拶なのかどうなのか、ちょっと見てから別の場所に草を食べに移動する。
寒くなかったら何時間でもいたい。
もうすっかり冷えてしまい、皆で戻ろうと、厩舎へ。
するとお母さんが、美炎さん馬に乗る?
といきなり。
はい!!
と即答。
この時点では、ちょっとその辺ぶらつくだけと思っていた。
でもお父さんとお母さんが話している様子から、けっこう走らせてくれるのかもしれないという期待が膨らむ。
でも本格的に乗るのは、多分モンゴルで2009年に馬旅して以来だから、勘が戻るかちょっと緊張。
でも嬉しくて仕方ない。
さっきまで、いつかここに乗りにくるぞ!っていう思いでいっぱいだったのが、もう叶ってしまった。
続く
32歳のおばあちゃんアラブ馬
井上牧場のお母さん。
エンデュランス120キロの優勝者。
昔トライアスロンの選手。
50代後半で乗馬を始めたらしい。
山の上の白馬
芦毛の仔馬。
歳とると芦毛は白色になる。
長靴の匂いを嗅ぐ馬
牧場の猫。
カナダからのスタッフ。
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おはようの朝
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スティーブに乗って
2019
大人の反抗期
子供の頃の反抗期、それは愛を持って受ける存在がいないとこじれることがある。
それを通過してこそ成長があるのだから、
反抗してこなかった人はバランスをとるために、望んでなくても大人になって反抗する。
それが外にむかう場合と内にむかう場合とある。
ネトウヨが50代前後の人達が主流というのを聞くと、今反抗期の人達なんじゃないかと思う。
とにかく頑張ってきた人達。
家でも学校でも職場でも。
疑いを持つことを押し込め、色々なことに我慢してきた。
それで、成果をあげていた頃は良かったが、今時代の流れが、レールに乗っていれば安心というわけではなくなってきた。
維新や安倍さんのような人達があのような態度なのは、それで票が得られるからだろうし、それがお金になるからだろう。
そのような発言ややり方をする事で、何かが報われたように感じたり、スッキリしたりすることがあるのだろう。
四角四面な世の中を作ろうとしてきた社会全体のつけが、こういう形で現れているのだろう。
興味があるのは、ネトウヨは時には被害者をたたく。
慰安婦や詩織さんなど。
そして時には加害者をたたく。
殺人を犯した人を社会の犠牲者だとした場合に。
つまりどの立場にいるのだろう。
詩織さんや慰安婦は声をあげた。
声をあげた人達が気に入らない。
自分たちが我慢してきたからだろうか。
ひきこもりの人が犯罪を犯したりして、そのような人が犯罪を犯すのは何故なのか、社会のある意味被害者ではないか、という意見が出されると異常にその事を叩くのは、我慢が足りないという事だろうか。
我慢。
生まれた時に、そこは日本の国土だった。
そこには社会があった。
否応無しにその社会に取り込まれる。
それはある意味幻想だし、この社会の一員となることで、社会というシステムの恩恵も受けるが、被害者にもなりうることがある。
気づいたら行かされていた義務教育という名の学校では、したくないこともしなければいけないし、皆んなと同じ事が求められる。
人間は社会よりももっと自由で、社会の中におさまりきれない。
という事が根本的にわかってないと、非常に辛いことになる。
自分が今なんだか幸せじゃないのは、このシステムの中に取り込まれようとしているからだと、どこかでうすうす気づいていて、それならば、うまいことやろう。(私は割とそうだった。)
ぐらいじゃないと、まじめにのってしまうか、外れてしまうかしかない。
枠の中におさまれるのは人間には無理だ。
アメーバーみたいな存在だと思う。
ゼリーみたいに形が決められない。
システムの中におさまるのはどだい無理な話だけど、システムをある程度作らないと、恩恵も受けられないならば、自由でいられる部分をどこに確保するか。
という視点でシステムを作らないと必ず病気になる。
その病気の一つがネトウヨというものだと思う。
だからネトウヨも社会システムの被害者だ。
戦争だって、普通の人が海外に行ってまでも知らない人達をたくさん殺し、自分も殺される。
そんな無茶苦茶な意味不明なことを、しなければいけない事だと納得させられて、実際にしてしまうというのは、社会というものが、極端にこんな事まで可能にしてしまうくらい、危険性も秘めているからだ。
だから、その危険性を分かっていないと、今の世の中が平和だからといって、本当に安心していられるのか。
戦争をした方が都合がいい存在によって、うまい具合に社会を塗り替えられてしまう事が起こりつつあることを、どのくらい認識できるだろうか。
軍隊のような在り方が、今の社会のあちこちにないだろうか?
組織というものの中に。
閉塞感。
孤独感。
ネトウヨと呼ばれる人達こそ完全に言うことを聞く軍隊のような人達を作ることを目指してきた社会の被害者なのではないか。
愛国心をことさらうたうのも、よく聞くアイデンティティの拠り所をそこに求めたからだというのも分かる気がする。
さあ私たちはどうすればいいのだ?
安倍さん一人が敵ではないし、安倍さんを支持する人も敵ではない。
彼らもなんだか哀れだ。
社会はそんなんじゃ幸せにならないよ。
だから風穴が必要なんだ。
いつだって。
その風がどこから吹いてくるか、誰が開けているか、そこを嗅ぎ分けてその流れにのる。
そして自分自身もその風になれるように、自分の周りに少しでも風がまわっていない所があったら、風通しをよくするために、自分なりのやり方で、できる範囲でやる。
みんながそうなればいい。
結局風の話になっちゃった。笑
2019
なんで今日突然に用事に遅れてでも映画を観に行ったのだろうか。
上映延長をツイッターで知って、もっと余裕ある時に行けばいいじゃんと思ったけど、考えるのやめて行くわ。
って思った事は確かだ。
村上浩康監督の「東京干潟」
たぶん多摩川の猫を撮り続けて支援を続ける小西修さんの紹介がなければ、スルーしていたと思う。
それは今日の上映後に村上浩康監督の舞台挨拶があるのを知らずにいて、その監督が干潟というのは地味なテーマなので、見る人が少ないです。
というような事を言ったのだが、確かにそうだなと思ったのだ。
でも紹介の中の文章にホームレスのおじさんがシジミを採って捨てられた15匹の猫の餌代にしているというのを読んだ時に、俄然行きたくなった。
ホームレスのお爺さんといえば、支援を必要としている人というレッテル貼りが私の中にあったわけだ。
ホームレスの人に関心が昔からある。
それは学生の頃に一人で徒歩旅行していて、テントも持たずに寝袋だけ持ってウロウロと寝るとこ探していた時のあの不安と孤独と切なさが身にしみたというのもあるし、この仕事しているといつ食べられなくなってもおかしくないと思っているからだし、今の世の中、ほんとにちょっとした何かの弾みにホームレスになってしまう人って、もう普通にあるんじゃないだろうか?
と思うからだ。
それはともかく、お爺さんが想像以上に逞しくて驚いた。
多摩川の河口という場所は都会だけど、存在は大きな自然の中で生きている仙人に見えた。
しかしあの冷たい川の中で数時間腰まで浸かって泥の中、水の中をシジミとって、その後暖かいお風呂なんて入れないのに、毎日とる。
体は冷えてあたためるために安いチューハイを飲む。
お金に換えたシジミは猫の餌代。
捨てて行く人がいるから仕方がない。
命を全うするまでは自分は死ねない。
シジミ取るのはもうプロ中のプロなんだけど、それにしてもなんでこんな大変なことをし続ける事ができるんだろうと思って見ているところに、監督がお爺さんに質問する。
なんでそんなことまでするの?
「仕方ないだろう。猫たちだって生きる権利があるんだから。」
はっとする。
お爺さんはシジミは小さいのはとらない。
とってしまえば、次またとれなくなるからだ。
小さいのまでとる乱獲が増えて年々シジミがとれなくなっている。
お爺さんは毎年、毎日、毎時間の川の変化と共に生きていて、自然の摂理を知っている。
知っているから、どんな生き物にも生きる権利があると知っている。
自然の摂理とは、生きる権利まさにそのものだ。
権利とは何か、生きるとは何か、そんな議論を超越する自然の摂理なのだ。
最近、いろんな事件が起きている。
自分は生きる価値がないと思って自暴自棄から人の命を奪ってしまう事件。
それどころか、親が自分の子はそんな犯人になるかもしれないと親が子を殺した事件。
政治家が、一人で死ね。
という。
それにどのくらいの数か分からないが賛同する人もいる。
それは違うだろ、いや違わないというツイッターの世界での合戦を今朝も読んでいたところだ。
だからふいにお爺さんの言葉が天から降ってきたように体に入って心に響き、腹に落ちた感覚。
そりゃその権利があると思ってる。
だけど思ってるだけの私である。
お爺さんは知ってる。
知ってるというのは知識というか叡智というか、経験と体験を通して大きなレベルで身体で心で魂で知ってる。
その人の言葉は直接に届く。
そしてそれを届ける監督の実直な姿勢がそれをすくいとる。
私はなんだか映画を見ながらずっと泣いてた。
悲しくてではなくて、感動して。
お爺さんが自分の人生のことを語る。
その話も衝撃だった。その辺はあまりにもネタバレになるので、ぜひ見てほしいです。
ただその事によって、監督も語る通り、映画が急に深まる。
覗いた穴は小さかったかもしれないが、世界が見える。
今が見える。
自分が見える。
そのお爺さんとの出会いを上映後に語ってくれた。
それを聞きながら、想田和弘監督の映画「港町」を思い出した。
あの映画もたまたまた監督の舞台挨拶に遭遇して、主人公となったお婆さんとの出会いを語ってくれた。
向こうからやってきた。
どんなテーマで何を撮るか計画していたわけではない。
偶然という必然が物語を伴ってやってくる。
ものを創る人の感覚。
直感。
きっかけは些細なことでも、何故だかまだよく分からないのに突き動かされる。
物語がすすむうちに、何故突き動かされたのかが必然であったと分かってくる。
それが見る方を惹きつける。
いい作品を作ろうとか作為的な事からははじまらない奇跡。
だから届く。
ポレポレ東中野で8月後半まで上映があるので、ぜひ今、見てください。
監督の話の中でもう一つ、「流れ」という作品の紹介があった。
私はこれは見なくては。
と思った。
山形の小国町の高校、独立学園に学んでいた時に村ではダム問題があった。
移転に反対する人達、賛成の人達、環境省の人、話を聞いてまわって論文を書いたのが新聞記事になり、それを見た映画監督が訪ねてきた。
過去のブログでも書いた事だが、萩原吉弘監督の映画「あらかわ」
その頃、川のこと、村の暮らし、なんでも知りたいと思った。
それもあって農大の探検部では川下りを選んだ。
萩原監督とのやり取りの中で、あなたは芸術方面に進むのがいいと思うよという一言があの頃の私の中に残った。
萩原監督はもういないが、その一言は私の中で生きていた。
村上監督の話で川のこと、もう一度また学びたい、知りたいと思った。
話は遡るが、つい先日、山梨で全体を学ぶ学校があった。
講師として参加したのだが、初日に演奏して話をした次の日からはもりもり学ぶ側になった。
種の学びの他には山梨の古民家と山の中のログハウスを拠点に畑の作業と森の中に入ってのケアテイカーを実践した。
その沢のケアテイカーがすごかった。
全体を学ぶ学校を企画主催するアースマンシップ。
アースマンシップの岡田淳さんと直子さん夫婦との出会いも振り返るとかなり面白いが、淳さんはネイティブアメリカンのグランドファーザーという本を書いた著書に直接アメリカでネイティブアメリカンの様々な学びをしていて、それを元に日本に戻ってからは、アースマンシップを立ち上げ、ケアテイカーを実践、子供や大人に森や川と関わることを体験を通して伝える。
私の言葉足らずよりも、ホームページをぜひご覧ください。
水の流れのケアテイカーをしてみて
沢って本当に生きてるんだと思った。
命だった。
流れが停滞している。
沢の終わりの茂みが繁りすぎて空気の流れを止めているからだ。
茂みを払い、皆で沢の詰まりがどこかを感じながら竹の小さなヘラで、なるべく元々ある石をどかさずに詰まりをとっていく。
なんだか面白くて夢中になっているうちに気がついたら沢の中を下から上に風が吹き抜けている。
そして気づいたら流れが生まれている。
自分の身体が自然に一緒に流れだす感覚。
なんだこりゃ。
昔の人は里山とこういう付き合い方をして共生していたのがわかる。
シジミのお爺さんとつながる。
シジミは干潟を濾過している。
シジミを掘りながらお爺さんも干潟をたがやしてる。
とってしまった小さなシジミを丁寧に取り分けて、捕まるなよー!おおきくなれよー!貝よ戻ってこいよーと大きな声で唱えながら、川に向かって撒く。
その姿が人間っていう存在だと思い起こしてまた感動する。
全体を学ぶ学校。
9月の秋のコースのテーマを水にしたよ。
と直子さんからメール。
今日見た映画、村上監督。
「流れ」
見なくちゃと繋がったんだ。
2019
喉の奥にひっかかってた魚の骨がやっと取れた感じ。
わかりますか?
今の私。
先日一つ録音の仕事が終わって非常にホッとしてます。
録音の仕事って、やっぱり慣れだと思うんですが、ほんと来るならコンスタントに来て欲しい。
じゃないと一向に慣れないじゃないか。
といいつつ、春にあった中国アニメのテーマ曲録音で緊張しすぎたせいか、今回はそれよりは慣れていたけど、そんなことより、これは本当にできるんだろうか?
という内容もあったので、とにかく終わってほっとしている。
今回も中国映画でした。
二つとも日本での公開はありません。
だいぶ前にした録音で、守秘義務が解かれないまま今日に至るやつがあって、あの録音がおそらく完成しているはずだけど、どうなったのか知りたくても、当時の担当者とのメールが見つからず、謎のまま。
っていうのがあります。
あれも日本ではなく、中国向けのものだったな。
中国のものを日本で完成させるって案件が意外とあるんだねというのを今年知りました。
でも馬頭琴なんて本来向こうのものだから(内モンゴルは中国国内にある自治区)向こうには沢山奏者がいるはずなんだけど。
経験として有難いので、縁があるというのは嬉しいことですが、普段の自由な演奏とはかなり違うストレス感じる類のものです。
今のところ。
早く慣れたい。
今私の中で盛り上がっているのは、もちろん世間もですが!
選挙。
立憲民主党が登場してから面白いと思いはじめた政治ですが、今回はなによりも、れいわ新選組。
どうやらテレビなどのメディアでほぼ取り上げられていないようで、このブログ読んで、知るきっかけになった人がいたとしたら、とても嬉しい。
山本太郎さんはいつも一人でぶつかっていて、ブレなくてすごいなと思っていましたが、正直どうやって勝てるんだろうか?と勝手に途方にくれて、応援してませんでした。
立憲民主党のほうが、現実に力を発揮しそうだったからです。
そういう意味では、昔から共産党は本当に一番まともな事を言っていてそれこそブレない。
行動にうつしている。
というのは知っていても、やはり、名前のハンデがあるだろうと勝手に思っていて、応援していなかったのですが(気持ちだけ応援だった。)
その共産党も立憲民主党ができてから、なんかいい感じに世間に受け入れられているなんて思うようになり、野党共闘がうまくいくといいなと思っていたのが以前でしたが、前のブログに書いたように、映画「主戦場」を見て、「新聞記者」を見て、非常にやばいなという気持ちが強くなりました。
一つ一つの話は耳に入っていたけれど、それが線に繋がって目の前で展開されると、ああと呆然とします。
社会のことは実は私はツイッターで見てます。
テレビがすっかり信用できなくなってしまったので、信頼できる著名人を片っ端からフォローしてます。
個人的に大好きなのは、映画監督の想田和弘さんと映画評論家の町山智浩さん。
ツイッターでぜひフォローしてみてください。
分かりやすく、いろんな視点で時に面白く社会の事象を呟いてるのと、リツイートされてるのでよく分かります。
もちろんいろんなメディアの広報もフォローしておくと、それぞれのニュースの切り口の違いも参考になります。
それが一列で出てくるので見比べが簡単だし、早いですね。
それでいろんな事が見えてくるようになって政治が面白くなってきました。
そして、れいわ新選組。
当初は名前が気に入らなくて感心薄でした。
ところが次々と発表される候補者に目を奪われ、彼らの話を聞いていて、この多様性はなんなんだろうか?
と驚きと喜びと、こんなのいいの?ほんとに?待ってた!って気持ちが溢れちゃう。
それこそ国会には子供の代表が何人かいたほうがいいんじゃないかと思ってるくちなので、それに近いものがある。
動画、すごく面白く聴けるのでぜひ見てない方みてくださいね。
特に、やすとみさんの話が心に響いた。
この10人が国会にいったら、日本は本当に変わるだろうな。
もう変わらなくちゃだめだ。
この方々、立候補してくれただけで本当に感謝だし、山本太郎はこのためにここまで頑張ってきたのかもと思う。
期日前投票してきました。
こういう事もあるらしいですよ。
やっぱり今はネットが発達してますから、自分たちでより正確なニュースを確保していく必要があると思います。
そして世の中の動きが変な方向に行かないように、自分で選択していかないといけない時だと思います。
フェイスブックに投稿したれいわ新選組の動画に関する私の文章です。
https://youtu.be/kUHc3uAg5Rg
この動画、立て続けに二回見た。
れいわ新選組という名前はイマイチ気に入らなかったのもあって、当初は感心薄でした。
ところが一人ずつ立候補していく人達が登場する度に、なんだこの多様性とある意味その道の専門家の人達の集まりは。私の中のユートピアってこれだわ。
と思った。
高校時代に愛読していたミヒャルエンデの「オリーブの森で語り合う」経済などについても語られている対談形式の本だが、その中にエンデが世界〜〜会議(忘れた)に呼ばれて、大企業のトップや銀行のトップなどが集まる国際会議になぜか呼ばれ、何か話してほしいと言われ、私が呼ばれたからにはそういう要素を期待してのことだろうと、統計や数字やなんかを離れて、ユートピアを思い描いてください。
その世界〜〜会議では、資本主義の命題は成長し続けないと経済発展はなく、降りてしまうのはもはや不可能で、暴走列車に乗っていることは誰の目にも明白である。
彼らは降りれないと信じている。
持続可能な社会、ユートピアを描いてみませんか?
と提案したらその場は凍りついたようにシーンとなった。
しばらくして、そんなことは不可能だと議論は元の木阿弥になってしまった。
彼らはそこから離れられない。
要するに頭が固いという話なんだけど、
全くその通りだと共感した事を思い出した。
この動画のどの人の話も共感しかなかったが、特にやすとみさんの話が心に響いた。
しかも馬。笑
ぜひ見てくださいね。
素敵だと思ったら身近な人に紹介してください。
自民党に票を入れてる人は少ないようです。
投票してなかった人が投票することで、変えていける可能性がとても高いということですね。
変えていきましょう。
2019
自分が今どこにいるのか。
それを知ることが
自分がどこへいきたいのか、その手がかりになる。
今いる世界がどんなところなのか、それを知るために美しいものを見続けたい。
それと同時に醜いこともわかっていたい。
知らなかった事を知りたい。
知りたくないこともある。
自分が今どこにいるのか。
足元が揺らぐこともあるからだ。
それでも真実を知りたい。
そう願うのは、羅針盤を常に手放さず、行きたいところに行けるため。
行きたいと強く願うのは、生きる力が残ってないとできないことなのかもしれない。
行きたいは生きたい。
それだけは諦めたくない。
その気持ちに再びたちかえれるように、力が湧いてくるものに触れる。
泉を探すのは自分を癒すため。
力を得るため。
最近見た映画
「主戦場」
これものすごくおすすめ。
上映会館も増えていて期間も増えてるので是非今のうちに。
この映画作ってくれてありがとう。って本当に思った。
このタイトルをなぜつけたのかなというのも未だに考える。
少なくとも過去の事じゃない。
今の私たちにもろ直結してる。
そこに戦慄もおぼえるし、逆に自分の立ち位置を再確認できる。
これから見たい映画
「新聞記者」
東京新聞の望月記者がモデルになっている。
社会問題に対して自分ができることをたまに考える。
毎回いきつくところは二つ。
一つは何を買うか何を買わないか。
買って応援ができる。
買わないことでメッセージを送れる。
もう一つは音楽。
考えて行き詰まることも息詰まることも、音楽の中に身を置くことで言葉の世界から解放される。
その時間一緒にいる人と共に音楽の中に身を置いて共有することでうまれるその時間と空間。
目に見えるものや、測れるもの、言葉にできるものを超えて共有されるなにか。
わたしという一つの個性を超えて世界とつながる体験。
7月の楽しみなもの二つ。
一つはアースマンシップの山梨の古民家をフィールドとした夏の全体を学ぶ学校。
自然とつながる音楽というテーマでお話しします。
もちろん馬頭琴のソロ演奏も。
もう一つはPV撮影。
気に入った場所で素敵なチームと作る世界。
8月に製作するアルバムに向けて、撮影と録音がどんな作品になるか、お楽しみに。
http://earthmanship.com/wp/?p=9958
アースマンシップの夏の全体を学ぶ学校は↑
こちらご覧ください。