2016
その土地の空気ってある。
山や川が醸し出すもの。
古い時代からのその土地の歴史が語るもの。
何もわからなくてもそこに目を凝らしてコウモリみたいにアンテナをたてたらきっと何かわかることがある。
人間だったらその感じたものを言葉にすることができるのかもしれないけれど、私は言葉になる時とならない時がある。
ならない時のが多い。
そのプロセスを省略して音楽に流す。
九州へ来るといつもそう。
ここは独特。
毎年呼んでいただいているこの辺りはちょうど福岡と大分の境で、いったい今どちらにいるのかまだ覚えない(≧∇≦)
私でそうだから、ピアニスト竹井さんとドラムの前田さんは余計にそう。(自分の方がまだマシと思ってる私)
空港に着くなり竹井さんのスーツケースが行方不明。どなたか間違って持っていった。
楽譜入ってるから無くなったら大変だ。
無事帰ってきたのだか、前回の九州では、大雪になって、会場が靴を脱いで上がるところだったので、帰るときに主催者の靴が無くなった。一足残ってたということは、どなたか間違って履いていった。
似ても似つかない靴だったみたいだけど。
携帯で帰りの飛行機からのバスの中でそのことを知り、主催者の方の靴が行方不明なんだって、と隣にいる竹井さんに言ったら、どうしよう!私が履いてきちゃったかもしれない!
と言うではないか。
自分の靴かどうか、見れば見るほど違う気がしてくるというので、
竹井さんが履いてる靴を向こうにしらせると、それじゃないという。
なんだそりゃ(≧∇≦)
今笑ってる私もいつかそうなるかもしれないからその事を覚えとこう。笑
この三人のメンバーでツアーに出ることが多くなって、本当に笑いが絶えない。その笑いの中には多分に目くそ鼻くそを笑う的な要素も含まれるのだけれど。。
今回の主催者のねこの手サークルの方々も良いお年の方が多いので、なんか50歩100歩だ。笑
って言ったら失礼か。
でもなんかあった時に、お互い様。そんなこともあるよねー。と笑いあえる関係は潤滑油となって、まわり道のようで、物事がうまくいく。
よく私は右か左かわからなくなる。
お店に入ってぐるぐるしてドアを出ると大抵逆方向に歩いていく。
あれなんでだろう。
細かい迷路のような街中では当然迷うけど、距離のある旅だと勘でいける。
あと山道がない山とかも最近はそんなとこ歩く機会もないのでわからないけど、大抵勘が働いてうまくいく。
得意分野と不得意分野があるらしい。
リワイルディングという映画をみて、久しぶりに人の営みのない自然というものに想いを馳せられて良かった。
私はこのホームページもFacebookもツイッターも最近ではインスタグラムもやっているが、普段日常においては触れることのない様々な考え方に触れることになるので、いろいろ考えると疲れてしまうこともある。
興味のあるところのみ拾いぐいしてるだけなんですけども、ふむふむと読んでいると、必ずそこ意を唱える人がいて、更にそれが応援合戦のようなことになっているのを見たりすることもある。
意見の違いを面白いねという流れに発展する場面には不思議と見たことがない。
たぶん実際顔合わせて話し合ったらまた違うのでしょうけれど。
そんなこともみんなあの野生の地の住人達には関係ないんだろうなと思う。
右も左も関係ない。
大地に立ってぐるっとみまわしたら丸だ。
音楽はそうありたい。
野生の地の住人にも聞いてもらって大丈夫ななにか。どんな人でも琴線に触れるなにか。
そんなものを求めて今日も生きるのだ。
2016
空っぽになりたい。
からっぽに。
バカでいいから。
アホでいいし。
怒鳴られたとしても、呆れられても。
空っぽになるために空っぽな時間を過ごす。
自分にとって大切なこと。
傍目にはただのマヌケかな。
猫みたいに澄んだ目。
今日そんな瞳に出会った。
幼稚園でね。
最前列の中に顔を埋もれさせて二列目だったけど、ただ一心にこちらを見ていた。
髪のくるくるした目のクリンとした可愛い女の子。
丸い瞳で一心に見ている。
何度か目を合わせても揺らがない。たじろがない。
別にその目が何かを言ってるわけじゃなかった。
でも全身でわたしを見ていた。
そして話も音楽もただ受け取っていた。
ああいう子にただ受け取ってもらえて大丈夫な空っぽなものでありたい。
そう思ったよ。
2016
人知れずたたかっている
自分だけのたたかいをもうずっとずっと
誰も終わりにはできない
なぜたたかっているのかも、
終わりにできることなのかさえ知らないで
戦う対象があるのならそれはまだ救いだろう
何を相手にしてるのか、わからないたたかい
それをもうずっと長いこと長いこと
戦友もいない
同じ歴史を歩む人はただの1人もいない
そこの知れない孤独
それを知っているものがもつ強さ
強さがあるだけにたたかいは続く
なぜたたかっているのか本当にわかる時がくるまで
やめなかったのは
それは強さでもあるんだ
だからその強さがあればその同じ強さで
時が満ちるのを見極めることができるはず
強くて美しいもの
それは孤独を知る人だけが掴んでいるもの
だから月を見上げて、星を見上げてその美しさを自分の心にうつす
そしてまた自分をつなぎとめていく
次に眠れる時がくるまで
2016
一つ一つ演奏会を終えるたびに生まれる新しい人との出会い。
それが思わぬところでまた別な出会いにつながっていく。
今回の棚田コンサートはお見送り演奏もほどほどに、その後石舞台の脇でサイン会しました。
いつも来てくれるお客さまと直接やりとりできないもどかしさがあり、お顔をみれて、お話できてよかった!
↓この写真はいつも棚田に来るときに車で通りかかる近くの橋のたもとにあるお馬さん。
車を停めれずいつも一瞬のあっ!!!
ていう出会いなのですが、ツイッターで繋がった方が撮ってアップされていたので、使わせていただきました^ ^
で、おかげさまでツイッターで繋がった方と実際にお顔を合わせて話ができたのもとっても嬉しかったし、高校時代の友人が数年ぶりに現れたり、元馬頭琴の生徒さんでおめでたのお腹を抱えて久しぶりの再会を喜んだり、絵本作家のいわむらかずおさんが、サインの列に並んでおり、トンボが畔の客席からみると、光ってみえてとても幻想的でしたよと教えてくれたり、
そしていわむらかずおさんにも気恥ずかしくなりながらサインしました。
ところで、サインですが、私のサイン。
美炎って書いてます。
サインって、なんかこう、読めなくて、字のような暗号のようなそういうのがかっこいいと思うのに、私のは美炎そのまま。
いいんだろうかとハタと思うものの、美炎って崩せるようで崩せない。
なんとなーく崩してる風に書いてますが(笑)
そのまま。
若いお客様の中でドラム・パーカッションの前田仁さんのファンがいます。
なかなか演奏会に来れる機会がないのですが、お母様がよくコンサートにいらしてくれて、動画を少し撮っていかれるのですが、その動画を研究して、前田さんは毎回叩き方が違うと、尊敬してくれているようなのです。
それで、私があまり熱心に前田さんを研究してるその若いファンの方に、サインをお母様に託したらどうかと提案してみました。
ら、ダサいですよ。
きっと変えろと言われると思います。
となかなか教えてくれないので、そうは言っても、私のも普通だし、前田さんのもおそらく前田仁を少し崩しただけなのだろうと、でも、それでもきっとその若いファンの方は喜ぶだろうと、むしろ名前がわかる方がいいかもしれないなどと思っていら、送られてきたのがこれでした。
前田さんの名前の仁をジンとも読みますが、あだ名がじんじん。
ということらしいです。
コメントが返せず、こちらに紹介させていただきました。
前田さんありがとうございます。
今度お会いした時に、サイン考察会を三人で開催したいと思います。
期待はしないでください。
でも求めてくだされば心をこめて書きます。
三人とも!
この棚田にいらっしゃるお客様、犬連れの方もちらほらいます。
えっ?いたの?というくらいどのワンコさんも静かです。
去年だったか?真っ白なオオカミみたいなワンコさんもいらっしゃいました。
ちょっとほんとに終わったあと、棚田にいらっしゃってるお客様とくまなく話したい。
むりかーー。
ヨガマットを敷いてゴロンしたいなら、奥の方のひとが集まらない場所がオススメ。
ただし気持ちよすぎて、音楽聞かずに最後までいってしまう危険性もあります。
それはそれでいいのか。
終わった後のスタッフの方々との懇親会は、いつも泣きそうになります。
いつぞやだったかは、棚田の持ち主シゲルさんの娘さんが、棚田なんて大変なだけで地味な作業と思っていたけど、こんなに沢山の方があつまり、喜んでくれているのをみて、お父さんを尊敬します。
と言っていて、一同ジーンとしたこともあったり、その次の年はその娘さんが結婚されてその次の日が棚田コンサート、それぞれの親戚の方も聞きにいらして、懇親会ではお祝いのムード。
旦那さんとなった方が筋肉ムキムキで、棚田の作業も任せてください!
と頼もしかったり、その次の年では、その娘さんに可愛い女の子の赤ちゃんが産まれて、美炎さんの歌のところでぐっすり寝ちゃいましたと、懇親会では抱かせてくれたり、
今年は!
やはりコンサートの途中でぐっすり寝ちゃいました。でも懇親会のあとで、シゲルさんがニッコニコで抱っこして連れてきてくれて、これはもう後2、3年すると、この子がコンサートの後の花束を持って来てくれる花束贈呈係になるに違いないと確信。
その時はシゲルさん筆頭にみんなで泣く。
今年も花束男子が代替わりしてびっくり。
中学生の大きなお兄さんお姉さんになってるし!
主催のヒロクラフトさんの子供たちがみんな大人になってるのだから仕方なしだし、それはそれで嬉しいことです。
毎度美味しい美味しい懇親会のための賄い料理を作ってくれる里守人の奥様方。
いつも朝早くから仕込み、申し訳ないなーと、思いつつ、お手伝いしたくなるのをこらえて、遠くから見ていましたが、一年に一度のこのみんなでやる料理も楽しみの一つと聞いて、本当に嬉しかった。
ここに紹介したいエピソードは山のようにあるのですが、沢山ありすぎるので今日はここまでにします。
心温まるエピソードにも負けずに埋もれない存在感をはなつ前田さんのサインは今後のリニューアルをお楽しみに!
2016
目の端に捉えられていたのはトンボが竜巻みたいにぐるぐる乱舞していたことと、そこにちょうちょらしきものと、後なんの虫だろー?と思いつつ、速い曲を演奏していてこっちもぐるぐる乱舞してたので、目の端にとらえただけなのですが、
あれは夢だったのだろうか?
棚田コンサート。
虫たちの、鳥たちの、自然の場所を正にお借りする形での音楽会。
そこはシゲルさんが一年通して一人でお米を作っている場所。
田植えて、草取りし、水をみて、収穫をやっと迎え、そこで終わりにならないのがシゲルさんの田んぼ。笑
棚田コンサートが終わってやっとシゲルさんの米作りの一年が終わる。
収穫の先にある音楽会は正に収穫を感謝して祝う会になっているのかもしれない。
最後に子供達にいただく花束には棚田の稲穂が必ず入っている。
スタッフの方々とのお疲れ様会では棚田のおにぎりをほおばる。
観光名所でもパワースポットでも名のある建築家のホールでもなく、どこにでもあるような日本の里山の、シゲルさんが先祖から伝えられて受け継いでいる、普段だれも通りかからない山の中の棚田。
ひっそりと、長い時間の中、そこにずっとあった。
扇田と名前の付いたその棚田には要の部分に石舞台がある。
そこから山の奥の水の流れの来る方。
回廊になってる斜面に向かって音がのびる。
ずっと待っていてくれたような場所。
待っていてくれて、見つけることができた。
ここで弾くと一つのことを体感できる。
田んぼも木々も虫や鳥や日の光や雲や風、動物たち、その輪の中に私達もいて、目に見えない色んな存在もいて、共鳴しあっている。
そうやって生かされて、つながっている。
この石舞台にまた戻ってこれたこと、ここで弾くことでそれを体感できること、その瞬間に感謝できること。
その表せられない尊い何かをみんなで共有していること。
わたしにそれを表せるとしたら、それはやっぱりあそこで音楽をやること。
感じることで一つになること。
指折り数えてこの棚田コンサートを楽しみにしてくらている人がいる。
何日も前からずっと天気が心配で眠れなくなるほど晴天を祈ってる人がいる。
田んぼの作業をしながら、もっとここはこうしたら、居心地よくなるのではないか、常にそういう目線で見ている人がいる。
石舞台の上に根付いたねむの木も毎年大きくなっている。
私もここに戻るたびに、ちゃんと成長できているように、それを喜んでいただけるように。
次の田んぼの最後の作業。
棚田コンサートをまた迎えられるために
次の一年をすすむ。
棚田での音楽と赤とんぼ♪♪の動画です。