2015
さて、君津でお世話になっている方のお姉さまが岡山は美星町というところにお住まいで、コンサートやイベントの企画など手がけているということで、紹介していただき、美星町は星田という星星なイメージのところへ。
あくまでも星星ななイメージがあるだけで、他は何も知らず、だいたいいつものことですが、共演者からは、いつも当日の着いてから徐々にいろんなことが判明するドキドキ感が半端ないと評価いただいています。
あれ?
とにかく、スーホの白い馬公演も無事終わり、ピアニスト竹井さんと車に乗り込み、ナビを設定。
おや、結構遠いね。
暫く行くと、おや、向こうに高そうな山があるけど、あっちの方向だね。
山へ入っていきます。
おや、星田というからには、山の上に町があって、田んぼがあって、そこに星が映るんじゃないの?
おや、晩御飯食べはぐれるかもしれないね。。
山の上に着くまでにどこか食べれる所を見つけたいね。
おや?なんか昔の宿場町があるよ?
広島焼きだって!
そしてどんどんと山の上へ。
竹井さんがふと、「旦那の方の竹井家は、先祖が岡山らしいんだよね。加藤清正と戦って負けた方らしいんだよね。
でも、岡山のどこかはよく知らないみたい。
どんなとこなんだろう。竹井の先祖が居た所って。こんなところかな。。」
とつぶやく。
私は、あー。今回ここへ来たのは竹井さんに呼ばれたのかもしれないんだな。とぼやっと思う。
そして、すっかり暗くなり、月あかりが田んぼと山の端をぼーっと浮かび上がらせている中をまだ上へ。
この暗がりがたまらなく好きだ。
蛍光灯がたくさん光る町の夜は、たまに夜景を見るぶんにはいいのだけど、ほとんど目が疲れて好きではない。
夜なんだから暗くしてほしい。
夜なんだから見えなくていい。
暗い中には明るい時に気づかない目に見えない存在がそこに蠢いている気がする。
いいのも悪いのも。
そんなのをふと感じて怖くなったり、うっとりしたりするのが好きだ。
どうやら今回泊めていただき、コンサートを企画してくださる方の家に着いた。
細〜い道を池の横を通って坂を下ると、ぴょんぴょんとウサギが出てきた。
ご夫婦で迎えてくださり、畑で作った枝豆や、届いたばかりの岩牡蠣や、いただきながら、さっそくいろいろ話し始める。
「今回チラシ作って、ピアニスト竹井美子とかいてたら、ここらの人がみんな、美星町の人か?と聞くのよね。この辺は竹井っていう姓がたくさんあるんですよ。」というではないか。
竹井さんが、旦那の先祖は岡山って話はよく聞いていて。。と話すと、一同驚く。
武井というのはあるけど、竹井さんによると、竹井の姓は関東では本当に珍しいらしい。
お互いにいろいろ話を詰めてみると、作家の遠藤周作のお母さんの故郷がこの美星町で、先祖は落ち武者の竹井らしく、それを詳しく調べに遠藤周作が来て、この家の方はいろいろと案内したらしいのだが、ピアニスト竹井さんの旦那さんのお父様と遠藤周作は従兄だと言うことで、いよいよこれは間違いないと。
関係ないけど、高校生の時にクリスマスの劇で私がこの作品をみんなに勧めて監督し、私のクラスは遠藤周作の「沈黙」を演ったのでした。
こんなこともあるんだね。
本当にご縁だね。という想いを一同噛み締めながら、夜の散歩へ。
この美星町、山の上だけあって涼しい。家にクーラーはなく、車で上がってきた時、車の温度計は下界が35度で、美星町は25度。
星が一年通してよく見える。
街全体が協力して、照明を落とし、コンビニは無く、照明は極力下向きの風情のあるものになっていて、素晴らしい。
天文台に連れて行ってもらい、土星を見る。
輪が二重なんだ。
いつまで見つめていても飽きない不思議。
朝ごはんをいただいて、部屋でぼーっとしていると、竹井さんが急に咳き込んで、なかなか止まない。
しばらくしたら来客があり、近所の竹井さんという方でした。
その方から、いろいろと竹井家の昔の殿様の話を聞く。
自分は農家だけど、農業が大好きで、飽きることがない。
そんな話をうかがって、午後は中世夢の原という歴史公園へ。
夜にここにある御神楽でコンサートだ。
美味しいお蕎麦をご馳走になり
終演後にキーボードスタンドに大きなミヤマクワガタが潜んでました。
打ち上げはお母さん達手作りのこの辺りの野菜やお肉。
神楽のお面を掘る方が、お面のヒゲや髪の毛は馬の尻尾だそうで、話のタネに持ってきてくれました。
次の朝、山をおりたくない気持ちでいっぱいでしたが、また来るには、下りないといけませんから。笑
美星町のコンサート前には瀬戸内公民館でイクメン・イクジイ読み聞かせ講座にて、コンサートもありました。中学生の初々しい朗読に合わせての即興演奏など、楽しい時間でした。
この旅でお世話になった多くの方々ありがとうございました☆
2015
岡山の熱い日々。。。
初日のクルーズライブから投稿できていませんでしたので、ここでご報告を。
文章の合間に写真を挟む事を覚えました。(今更。。)
まずは車人形「スーホの白い馬」の1日目
八王子車人形家元の西川古柳さんのお弟子さんの菅原さんが運転するレンタカーを先頭に私の車にピアニスト竹井さんが乗り、会場までついていく。
菅原さんが車で蛇を踏みました!!
あー。かわいそうに。と思っていると、確か宿泊地である長船の山の中を出てから、何度か通る主要道路に、この日の会場の看板があったので、町に出てすぐ。と思っていたら、主要道路とは正反対の方向へ。
そして町の中ではなく山の中へ。
なんで、こんな峠を?
向こうから車来たらまず無理な狭さ。そして、絶対にこの道は向こうから来ないだろうという確信がもてるほどの普段から地元の車でさえ通らなさそうな雰囲気を醸し出ししているこの道。
これ絶対昔の峠道だよね。
途中から、竹井さんと二人で大笑いしてしまったくらい、山の中の細〜い峠を越え、あ!ここに出るのね!という裏からのアクセスでいきなり会場にたどり着く。
地元の主催者に聞くと、案の定、え!あの道?どうでした?通れましたか?と逆に聞かれるくらい、もはや使われていない峠道でした。
備前にあるカフェランバーのオーナーみちこさんが、いれたてコーヒーと焼きたてのチョコジンジャーケーキを差し入れてくださり、一同ありがたくお腹を満たしました。
そしてこの器は、主催のご主人が陶芸家で、その備前焼きです。
お土産の陶器までいただきました。
毎度、本番になるとすっかり写真撮るのを忘れるので、一部竹井さんと演奏が終わり、二部の車人形さんの時に舞台袖から覗き見で撮った写真。
東海道中膝栗毛の弥次さんが自分が死んだと思い込むコミカルな芝居のくだりです。
三部のスーホの白い馬の白馬も、見守ってます。
次の日の会場は岡山市内の駅前。
この映像の絵を描いてくれた米本久美子さんと、映像製作の娘さんの中島菫さんに加え、お兄さんのケイさんが、映像の仕事をしている関係で、この日の会場のPA(音響)から、映像まで一手に裏方を支えてくれました。
ケイさんと久美子さんも
打ち上げでは地元岡山の豪勢なバラ寿司をご馳走になりました!
オリーブ園でオリーブを摘む竹井さんと古柳さん。
なぜかここにシャワー
水着でシャワー浴びてる絵が頭の中にあるけど、実際にはモンペで草履の人。
で、なぜか竹井さんが撮った写真が白黒になっています。
古民家ですから、そっか。クーラーなかったです。
えー!と一同。美炎さん、確信犯!と言われる。
今思い出しましたm(._.)m
暑さの中、かき氷で涼をとる。
ここのお手製ベリーソース。美味!
馬頭琴あります。
出番待ちの白馬。
2015
さて、今は瀬戸内の岡山、長船のとある宿におります。
山の中の誰もいない静かなところです。
朝になるとあらゆるセミとあらゆる小鳥のさえずりで目が覚めます。
馬頭琴✖️人形浄瑠璃✖️映像
「スーホの白い馬」
ツアーで岡山に来ているのですが、それはそもそも、去年、今年と共演している津軽三味線奏者の蝦名宇摩ちゃんが毎年福島の親子の保養キャンプを瀬戸内プロジェクトのチームとともに主催していて、保養キャンプ最終日のクルーズライブに出演者として呼んでくれていたのがきっかけでした。
春に岡山で宇摩ちゃんとライブした時に、ある人の、ここにスクリーンあるから、スーホの作った映像見れるよ。という一言に、あ!そうだ!と思ってしまった私。
ライブの時に、こんな演目があるのですが、岡山でやりたいと、つぶやいたら、そこにいらしたお客様に声かけいただいて、今回のツアーの企画が始まりました。
そんな訳で宇摩ちゃんのお陰様で岡山とのご縁ができたわけですが、今日のクルーズライブは、中々ドラマチックな時間でした。
船に乗った直後に土砂降り。
30分時間を遅らせると、一気に雨が止んでから、大きな丸い虹がかかって、あー宇摩ちゃんをはじめ、瀬戸内プロジェクトの皆さん、がんばってきた福島の方々への祝福だなぁと思いました。
夕焼けが綺麗な中、無事出航。
馬頭琴演奏の後はベリーダンスのあさこさん。
その後は福島の子どもたちがフラダンスを踊り、最後は市長が花は咲くを熱唱。子どもたちのフラダンスで幕。
そして、電気を真っ暗にして、船を走らせ、夜光虫が描く緑の光の波を楽しみました。
宇摩ちゃん、瀬戸内プロジェクトの皆さん大変お疲れ様でした!
そして明日から三日間岡山車人形ツアー始まります♪
それから、締めくくりは、2日の夜は美しい星空で有名な岡山の美星町で夜馬頭琴ライブです☆
2015
最近、私、剣のお稽古はじめてます。
以前、和太鼓のサークルに誘われた事があり、とても興味はあったのだけれど、馬頭琴の弓の勘が鈍ると思ったので断念しました。
剣はどうなのかって言ったら、むしろ怪我の可能性を考えたらやらないものだと思います。
剣といえば剣道がありますが、一度も興味を持ったこともなく、時代劇の殺陣のシーンは怖くて見れない。。
前に役所広司主演の映画「13人の刺客」の音楽で馬頭琴を演奏した時、公開されて見に行ったのだけど、初っ端から終わりまでほぼ画面を見ずに終わりました。
自分が弾いたところも、むしろどうでもいいくらい、剣で斬り合ってる音が怖くて、目どころか耳も塞ぐ始末。笑
一度、歌舞伎役者の方が剣を振るうシーンが他の映画であって、殺陣は初めてなんだろうな、という女優さんが微妙に下手だったせいもあったか、ものすごく美しく、見とれてしまったことがありました。
その時に、剣は美しい。となぜか頭にインプット。
そういえば、父に連れられて子供時分に刀の博物館にいってとても心を奪われた事がありましたっけ。
まあ、でもそんなもんでしたが、この数年、何度もここで書いていますが、作家の、あさのあつこさんの描く時代小説が大好きで、特に剣が出てくるシーンがものすごくリアルで、ものすごく美しく、自分は剣の何も知らないはずなのに読んでいて動きや息遣いが完全に見えてくるような気がしました。
あさのあつこさんの表現が素晴らしいからなのですが、これは音楽と同じだなと強く思いました。
音楽の事でよく思っている世界が剣の描写の中に生き生きと描かれている。
そのうちに桜月流の方々にお会いした時に、ホームページで写真を見た時点で、自分の音楽ととても合う気がしていて、何か一つ弾いてください。と言われた時に、パッと思いついたのは、オリジナル曲の「風と空のうた」でした。
あの時に桜月流のお二人が、私が弾きだしたとたんに気配が変わったのが、今でもその感覚が強く残っています。
で、共演させていただいたご縁もあるのですが、むしろ自分の音楽の為に私は桜月流にて剣のお稽古をしたいと思ったのでした。
私は考えると、右か左か全くわからなくなるタイプです。
ある事柄に対して蓋があるのです。
ほんとに!
そうとしか思えない。自分のバカさ加減。。
だから、型を覚えたり、無理だろうと思うのです。
そして、右か左か理解してやるのもたぶん時間の無駄なのです。。私の場合。
ですが、気配や殺気や気配を消すとか、ここで斬るとか、ここで緩むとか、ここで委ねるとか、なんかすごく音楽と同じだと思うのです。
音楽だけでやってりゃいいわけですが、なぜだかどうしても身体を使ってやりたいと思いました。
ただ、諸刃の剣だなと思います。
下手すると生かすところよりも、立ってしまって消されてしまう部分が強くなるかもしれない。
でも、そうなったことに気づければ、戻ることはできる。
というより、短い時間の中でそのやりくりを付けていかないと、音楽の本番は常にあるわけですから、でも、そうやって何かをつかんで、その掴んだものとは、音楽の舞台の上で気づくのです。
そして、失ったものも。
それを次の舞台に修正していく。
そんなやりとりのバランスを今探りながらやっています。
ただ一つ初めて剣を握って、何度か握るようになってから、
馬頭琴の弓を持った時に、涙が出そうになりました。
あー私は今、弓で音楽を奏でられる。なんて幸せなんだろうと。
剣を持つとき、すべての所作はやはり、相手を斬ること。そこが基本です。
この循環がどうなるか、しばらく見ていこうと思います。
でも写真の中で1人全く違う動きをしてるのは私です。。。(-。-;
さて、先日、都の教職員の方々向けに馬頭琴講座を東京音大の関係でしました。
二回続けてあったので、二回目はやり方を変えて、グループで体験してもらい、最初に体験した方に教えて、あとは皆さんで教えあってください。と、ほぼその時間みなさん自身でやってもらいました。
見ていると、流石先生方。褒めるのも教えるのも慣れてるので、私が言ったポイントをはずさずに、次の方に教えて、私は本当に必要ありませんでした。笑
そして、昨日は千葉市美術館のさや堂ホールで、モンゴルのお琴のヤトガ奏者の中西史子さんと初共演。
せりあがる舞台に、響きがあるホール。雰囲気が良く、お客様もたくさんで、楽しいコンサートになりました。
2015
昨日は新橋の内幸町ホールへ
ナレーターやラジオパーソナリティーとして活躍する小川もこさんの朗読をする、けやき会の公演で、去年は同じ公演に馬頭琴演奏で参加させていただきました。
今年はもこさんの語る佐江衆一の「昇天の刺青」に私のオリジナル曲の「龍は嵐を呼んで天に昇る」がぴったりなので、CD音源を使わせて欲しいと連絡をいただき、当日、どんな風になるのか、とても楽しみに出かけました。
江戸の刺青師の話。
女刺青師おたえは、父 彫辰の遺言で、鳶の吉五郎の肌に九紋龍の刺青を完成させていく。「あっしは火事場のあの紅蓮の焔の中で、天に昇る龍になりてえんでさ」吉五郎の本心を聴いた おたえは・・・
もこさんの女刺青師の色っぽい艶声と、吉五郎の江戸っ子のキップのいい語り口、最後に火事場で吉五郎が望んだとおりになる下りには、あーここでこれが登場するかな。と自分の曲が浮かんでくるようで、それがまさにその通りに。。
二人の色事の場面には、ちょうど私がこの龍の曲のこの部分はできるだけ色っぽく弾きたいと、実は思っているところを使っていたりして、流石もこさんだな。
もこさんが、「美炎さんの曲は、この物語の為に書いたのか、この物語は、美炎さんの曲の為に書いたのか、と思うくらいぴったりだった。」
作家の佐江衆一さんは、昼の回にいらしていたそうで、どんな感想を持たれたのでしょう。
私が不思議だったのは、この曲を作ろうと思ったのは、神戸の街を一望できる所に白龍さんを祀っている山があり、偶然そこへ行ったのですが、そこから神戸の街を眺めているうちに、あの地震で倒壊した瓦礫の下で大火事があり、亡くなった人たちもろとも、嵐とともに天に昇ったのかなぁなどと、想い、そう思っているうちに、そんな曲を作りたいと思ったのでした。
初めの嵐のシーンから龍が住む山のシーン。そしてその山で龍がゆっくりと輪を書きながらいるシーンは、なるべく色っぽく。最後は嵐とともに天に昇り、
その後天界で悠々と飛んでいる様を音楽で描きました。
いちいちそう思った部分が、切り取られて、その通りのシーンのところに生きていたので、最後におたえと一心同体の天女が天界に上がるシーンは、またまさにそれで、なんだか鳥肌が立って涙が出ました。
もこさんが、私のライブに来てくださり、この曲を初めて聞いたときに、この曲は、いつか語りたいと思っていたこの物語の曲にぴったりだ!と涙してくれたことを、不思議な巡り合わせだなと思いました。
11月8日九州の大分でけやき会の今回の演目が再演されるそうです。
向田邦子作の「幸福」を語るフリーアナウンサーとしてご活躍の深野弘子さん、
宮部みゆき作の「地下街の雨」を語るのは宮崎在住のアナウンサーの薗田潤子さん、
お二人とも熟練の語りで物語を綴ります。
九州の皆様この機会にぜひ。
もこさんの語る江戸の町。去年ももこさんは「江戸の化粧師」という江戸物語。
もこさんは江戸にぴったりです。
今回の話でも浅草の浅草寺が出ていましたが、先日の七夕は浅草寺を浴衣で歩きました。